第19話 調停者
私とイビスには暗闇以外何も見えない洞窟でも、猫の目を持つフェーにとっては十分に行動できる明るさであるらしい。私たち2人の歩みの遅さに痺れを切らした彼は小さな灯を私に預けて、1人出入り口へと向かった。この時手を離すべきではなかったのだ。
「危ないから戻って来て!」
そんな言葉で帰ってくるような彼でもなく、あっという間に気配が消えた。
「オルティリア、入り口で兵士を襲ったというのはペレグリなのかな……」
足元を一歩ずつ確かめながら歩きながら、後ろのイビスは不安そうにつぶやいた。確かにペレグリが不穏な動きをしていたとフェーから聞き及んでいる。だが彼とその私兵が、自分の、あるいは他族の兵士に手を上げるだろうか。おそらくないだろう。私は半ば確信に近い答えを有していたが、彼女の問には答えなかった。
入り口の光が見えたとき、そこから覗いている人影も見えた。あれが先に言ったフェーならいいのだが、いかんせん逆光で顔が見えない。
「誰?」
出口から十数歩手前のところで止まって問いかけるが返事はなかった。洞窟の冷たく湿った空気を押して、熱く乾いた外気が入ってくる。それを真正面から顔に受けたイビスがびくっと体を硬直させた。
「知らない……匂い」
手元の明かりを吹き消す。向こうからは私たちの強張った顔は丸見えなのだろう。後ろイビスを庇い、私は入口へ近づいた。男が1人、こちらを見ていた。
「まいど」
低い声はめんどくさそうにそう言う。知らない声だった。
「久しぶり、と言っても覚えちゃいねーか……。いや別人か」
「あなたは誰」
「あー。うん、まぁ服着てないから分かんないかな? 調停者、不浄の者、なんとでも言ってくれ。おっさん、あんまり呼び方は気にしない主義なんだ」
自分をおっさんと称するには少し若いが、少しくたびれた顔をした男が立っていた。以前アベスで見た大きな目の模様をあしらった服ではなく、マーメリアで行きかう人々が着ていたのと同じような服を着ている。彼の緩く笑った顔はその場の緊迫した雰囲気をはかけ離れ、昼下がりに木陰で昼寝をしているような穏やさだった。逆にそのだらけきった表情が神経を逆なでする。彼の肩にはだらりと伸びきったフェーが担がれていた。
「フェー!」
「気絶してるだけさ。俺の話も聞かずに襲い掛かってくるんだもん。おっさんびっくりしちゃうぜ、まったく」
「他の者はどうしたの」
「さすがに目的以外に手加減できるほど余裕はないんだわ。ごめんね」
外に出ると少しの血の臭いと、塩の白の上に血が点々と転がっていた。切り口は鋭利、刃物に間違いない。
「ちーと御足労ねがえますかいな。と言ってまぁほんと、俺もあんたたちを傷つけたくはないもんでさ。できれば素直について来てくれるのが一番いいんだけどな」
彼は何日か剃るのをサボっているような無精ひげを撫でつける。心底面倒くさいと思っているのか、そういう演技なのか、彼は頭を掻き毟って大仰にため息をついて見せた。
「もういい加減分かってるんでしょう? あなたが偽物の王妃だってのもこっちゃわかってるし、それにお嬢さんがたね、さすがにちょっと派手に動きすぎよ。大事な人たちらしいから、見守ってきたけどなんかもう限界なんだってさ。だから連れて来いって。そういうわけで近くを通りかかった俺がこうして来てしまったと、そういうわけらしいですね」
「誰がどこに連れて来いって?」
気絶したフェーを奪って逃げ切れるだろうかと一瞬考えるが、それはまず無理だ。さすがに子供1人担いで飛び上がることも、大の男から逃げおおせる自信もない。また、彼が何のレグナムなのかがいまだに分からないでいた。
「誰がって、まぁ表現するなら、そう……」
男は空いている左手で空を差した。
漠然と空、天、それは恐らく外界の意思。
「俺たちみたいのにはさ、漠然と声が、指示的なものが聞こえてくんのよ。言っても分からんだろうが」
「彼らはなんだって私たちを連れて来いって?」
「そんなことまでは知らないねぇ。さあ話は終わりだ。いいから着いて来てくれよ、時間稼ぎなんかしてもしょうがないんだからさ」
そういうと腰から白く光る刃が抜かれた。
「俺だってね、誰彼構わず殺すのが趣味ってわけじゃないないんだよ。でも言うこと聞いてくれんと、ちょっと脅すしかないんだよなぁ。おっさんをあまり困らせないでくれるかな」
白刃は綺麗に磨かれていた。こんなにきれいに磨かれたナイフを、この星に来てから私は一度たりとも見たことが無い。ともすれば顔が映るぐらいに光るそのナイフを、男は気絶した少年の首元にあてがった。
「ね、悪いけど一緒に来て頂戴よ」
「それは、どこで作られたものなの……?」
既に高くなっていた日の光が、鋭利な刃に当たってぎらぎらと反射する。信じられないものを見るような目つきでイビスもその刃を食い入るように見つめていた。
「ああ、このナイフね。俺の名前、サフィエン・ネア・オグっていうの。そっちの
「あなた……まさか人間種? 調停者なのに?」
「非情に稀な存在である自覚は、申し訳ないがあるな。それはさておき、人間はこういう道具を作れるぐらいまで発展してるってーことさ」
サフィエンと名乗った男は、悪びれもせず相変わらず緊張感のない顔をしている。
なぜこの場で殺そうとしないのか、その理由が見出せないでいた。単純に父と同様、私を使者と断定して空返しを儀式を烏王に申し出ればいいだけの話なのだ。この場での事を知っているイビスやフェーについても、同じようにこの場で殺し、その責任を私に擦り付けてしまえばいい。なぜそれをしないのかが分からない。
一つ考えられるのは外界の研究者たちにとって、私たち3人は何らかの重要なデータであるということだ。だから殺せさない、むしろ殺せない。だとしたら詳しい背景を理解していない調停者にむざむざ傷つけられることはないだろう。そう今は判じて、両手を頭の上にあげた。
「安全の保障だけは、しっかりしてよね。私の名前はオルティリア・マンジャロア」
「名乗っちゃうの?」
「どうせ偽物だってばれてるんなら名乗っても問題ないでしょうよ」
「オルティリアね、あいよ承った。でも一応逃げ出さないように縄だけかけさせてもらっていいかな」
刃の輝きが彼の腰に収まる。背負子から長縄を出して、彼はあっという間に私たち二人の手に縄をかけ、これを数珠つなぎにする。これでは飛ぶことも四足で走ることも出来ない。男は気絶したフェーの手も縛ってから背負い直し、私たちの方へ向き直った。そして遠足にでも行くような軽い声で言う。
「先に言っておくと、行先はシナバリだからね」
「それ私たちに逃げる機会を与えているようなもんじゃない」
今まで悲壮な顔をしていたイビスが打って変わって勝ち誇ったように言う。行先は奇しくも自分たちの計画と同じ。これほど滑稽な誘拐もまた珍しい。
だが彼の方はけろっとしていた。
「そりゃあ、陸伝いに行かなきゃいいだけのことだろ?」
「
「わざわざ捕まりに行く阿呆は本物の阿呆だ」
地理の分からない私にはすぐに経路を想像することが出来ない。しかし話を聞いている限り、一応逃げ出されずに連れていく勝算があってこの行動をしているらしい。逆にこのまま私を含めて全員シナバリにつれて行ってくれるなら好都合というものだ。
彼は私たちの手を縛った縄を引く。行先も安全もいいとして、この引かれる恰好だけは許せなかった。手を引かれれば動かないわけにはいかない。自分が転べば後ろの前のイビスも倒してしまう。私の壮絶な睨みをものともせず、男は背中で鼻歌を歌っていた。
塩湖周辺の小さな砂漠を抜けると、また森林地帯に入る。この道なき道の最中で、フェーは意識を取り戻すと同時に声の限り吠え始めた。
「ふざけんなこのやろう! 放せボケ!」
「あんたが先走って捕まったのが敗因じゃないの! あんたが一番の馬鹿でしょ!」
「馬鹿って言うなイビス、今それどころじゃないんだから、手ぇ貸せよ馬鹿!」
この程度の怒鳴りあいは想定の範囲内だった。彼がもし犬の仲間だったら、遠吠えの一つでもしてどこかにいる仲間に助けを呼ぶこともできたのかもしれないが、繰り返すが彼は猫だ。猫が騒ぐ声が聞こえる範囲内ぐらいには誰も人がいないようだった。彼が背中におぶられたまま暴れるので、おぶっている側のサフィエンもいい加減抱えきれなくなりぽいとその場に少年を落っことす。
「背中に爪立てないでね。ここからは自分で歩いてもらいましょうか」
自称おっちゃんはイビスと私よりも厳重に、暴れる子猫に縄を巻く。爪で縄を切れてしまうのだから、仕方がないと言えば仕方がない話だったが、それでも少しかわいそうなぐらいのぐるぐる具合だった。
「オルティリア、お前このままでいいと思ってるんじゃないだろうな……」
フェーに睨まれて、私は首を傾げる。正直なところ、連行されるという体勢が気に食わないだけで、このままでもいい気はしていた。
「多分彼らは私たちを殺さない、殺せるんなら殺しているだろうから。もしこのまま、外界の研究者たちのところまで連行されたら、それはそれで有りかなぁとも思わないでもない」
「お前なぁ……」
「それに」
一段と声を潜めて、猫耳を出したままの彼にしか聞こえないぐらいの声でつぶやく。
「行先はシナバリなんだって」
人の耳には到底聞こえない、鳥の耳にも聞こえていないようだ。だが私の後ろを歩く彼にはちゃんと聞き取れたらしく、耳がぴんと立ってこちらの方をしっかりととらえていた。それからは考え込んでいるようでしばらく顔を下に向けて静かにしていた。
その日の晩を、このうっそうと茂る森の中で過ごし、次の日の昼ごろにサフィエンが指差した先に海を見た。初めて見る海に年少2人は連行されているのも忘れて目を輝かせていた。
「すごい……でっかい湖……」
「馬鹿フェー、海よ海……」
口も目もこれほどかというまで開けっ広げにしている。私はそれを横目に、港町を捉えていた。その手前を走る街道も。そもそも港があるということの方が驚きだったのだが、今その驚きは我慢して横に置いておく。逃げるならここから船に乗り込むまでが勝負だろう。いまだに逃げるべきか着いていくべきか迷っている部分はあったが、海上に出てしまうとやりづらい。飛んで逃げられる2人と、おそらく水が苦手な少年。1人残して逃げるわけにはいかない。
さてどうするかと私が顔には出さずに思案していると、サフィエンはおもむろに荷を解いて中からローブを取り出した。見覚えのある大きな目の模様が染め抜かれたフードつきのローブだ。それを合計で4枚出す。
「あーじゃあ、わりーけどこれ上から着てね。あとごめん船に乗るまでは猿轡してもらうから」
「え……」
声が出させず、見た目を覆い、人を近づけさせないようにする支度は万端だったようだ。私は相当苦々しい顔をしていたのだろうか、彼はとても申し訳なさそうな顔で言う。
「一応ちゃんと洗濯したやつだから許してくれよ」
一本道の街道に出るころには、私たちは調停者の一行に扮していた。長い裾で引っ張られている腕も見えづらい。どうやら調停者というのは、数人の集団を作って各地を巡るのが一般的らしい。不思議な立ち位置だが、調停者は重要な聖職者の立場もあり、しかしその反面では不浄を司る立場でもあるらしい。行き交う人々は相当数いたのに誰一人として偽物だと気が付く様子はなく、関わるのを避けて道を譲ってもらうこともしばしばあった。
港町と言っても小さいものだと思っていたのだが、予想よりははるかに立派な町だった。ただ船の姿は数えるほどしか見当たらない。小さな船が帆を畳んでいるのがいくつか見えた程度だった。彼はそのうちの一艘に近づく。よく見るとその船に乗っているのは同じく調停者の服装をした人だった。
「連れてきましたよ。ここからはお願いしますわ」
そういってサフィエンが私たちを縛っている縄の端を渡そうとするが、相手の女性と思しき調停者は首を横に振った。
「あなたも一緒に来るようにって。ちょっと面倒なことが起こってるみたい」
「まじっすか……。俺この後、南に戻るつもりだったんだけど」
「早馬がきて、シナバリからの指示なんだって。とにかく速く船で沖へ出て。レプで乗り換えの船が待ってるはず」
「船苦手なんだけどなぁ」
船が沖に出るまでの間、私たちは船室の一つに入れられていた。この船の船頭もなにやら言い含められているらしく、私たちには一切触れようとはしなかった。揺れる木造船、こんなちゃちな構造でどれだけの日数を航海するのか、不安でたまらない。しばらくしてサフィエンが戻ってくると、おもむろに私たちの縄をほどき始めた。
「いいの?」
「海の上じゃ揃っては逃げられないだろ。外を見てきてもいいぞ、でもローブは脱ぐな。脱いだら身の安全は保障できなくなるからな」
船の甲板へ出ると、生暖かい湿った風に背中を押される。少しベトつく塩気を含んだ風だった。空は雲一つなく晴れている。行先も不透明、不安が募っていたが、天気だけはとてもよかった。
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