第20話 人間の子
船旅は予想通りあまり快適なものではなかった。技術力から考えたらこれでも相当進んでいるのだとは思ったが、やはり揺れが酷い。幸い以前船に乗った時とは違って船酔いしなかったので、私は気分よく舳先の方で風を感じていた。
「人間種って思っている以上にすごいのね。こんな波でもひっくりかえらない船があるなんて、びっくりした」
隣ではイビスが木の継ぎ目をしげしげと見ている。ぴったりとくっついて隙間から水が入ってくる様子はない。継ぎ目は何かと油を混ぜたものでしっかりと埋められている。確かにアベスの城にいたころから考えると、同じ惑星のものとは考えられないような技術力だ。これもまた体から武器を捨てて技術を獲得した人間種だからこそ出来たことなのだろう。
「他のレグナムはこういう船を作ったりはしないの?」
「
慌てて後ろを見たが、せわしなく働いている船の乗組員たちは彼女の声が聞こえていないようだった。全て人間種なのかと考えると、無礼だったがどうしても目線がそっちへ行ってしまった。乗組員たちも時々こちらを見る様子があったが、目が合うとサッと逃げてしまう。
「それに船は荷物でもなんでも運ぶと結構暴利だって聞いたよ。オルティリアは船に乗ったことがあるの?」
「そりゃ、もちろん」
「ほう、そりゃすごいな」
サフィエンも船室から上がってくる。監視のつもりかと思ったが、私たちの隣へきてそのまま舳先にごろりと横になった。そのままローブを目深にかぶって顔を隠してしまう。
「俺、船苦手なんだわ。やっぱ鳥と猫は酔わなくていいなぁ」
「サフィエンは人間種なんだっけ」
「そうか、使者だからオルティリアは知らんのだな。人間は名乗ればそれと分かるようになっている。人間種は名付けが他のレグナムと違うからな」
人間はレグナムの中から突然生まれる『忌み子』だという。動物の能力が一切無く、転化出来ない落ちこぼれ。そういう子供には特定の名前を付けてある程度の年齢まで育ったら町から追い出すのが通例らしい、というところまでは知っていた。それ以上を知らず、イビスの顔を覗き込むと、察したように彼女は口を開いた。
「人間が生まれた場合、名前の後に1番目という意味の『カ』と種族名を付けるの。人間同士の婚姻で生まれるのは人間だから、二世代目は『シャ』、三世代目は『ツァ』それ以降が『ネア』。サフィエン・ネア・オグっていうと、
「名前だけで人間種をちゃあんと区別できるようにしてあるわけさ」
「種族名をもらってるだけでありがたいと思うべきでしょ。種族名を名乗れるのは地位が高い者だけなのよ」
そういえば、とイビスの長い名前を何とか思い出す。イビス・クーウ・クーヤ、つまり名と種族名、そして身体的特徴がどうであれ王族名のクーヤを名乗ることで彼女のフルネームとなっている。私もといカルセラの場合は王家に嫁入りしたので種族名で
しかしその部族の特徴を受け継がない人間種は部族名を名乗ることができず、代わりに種族名を名乗ることになるというのが一応の理屈だ。しかし、サフィエンは緩く首を横に振って苦笑する。
「そりゃ部族名乗られたら、その部族が困るだろう。種族を付けておけば、どの部族が出来損ないを生んだのか特定しづらい。お姫様に被差別民の気持ちが理解できるとは思わんが、自分たちが何をしているかぐらいは一応認識していてほしいと思うねボカァ」
わざとらしく嫌味を言われて、しばらくイビスは彼の方を睨み付けていた。対するサフィエンはフードを目深にかぶったままで、表情をうかがい知ることはできない。言い返せない少女の方が根負けして船室に引っ込むまでさほど時間はかからなかった。私はどちらの肩を持つでもなく、文化が違えば立場が違う、だから見方が違ったのだろうなと思うしかなかった。
特別かける言葉もないのだが、黙っていると居心地が悪くて、話を変える方向を模索する。
「ねぇ、どうして私たちがあの場にいるってわかったの? 尾行でもしてた?」
「そんなめんどくさいことはしてねぇよ」
特別、公務でもなく動いていた私たちの動きを読んで、ピンポイントに彼はあの洞窟に来た。尾行ではないとすればただの幸運なのかと思ったが、それも何か違うように思う。彼は何か分かっていてあの場へ来たように、そう感じられてならなかった。
「言ったろ。俺たちには声が聞こえるんだ。天の声と言ってしかるべきものが」
「それが行けと命じた?」
「そそ。声と言っても漠然とした感情に近いものだ。お前さんたちの場合には少し困惑した害意だった。あちらに悪い者がいるから排除せよ、って感じのな。俺が特別な害意を聞いたのは、先日の使者の時が初めてで、今回が二回目だな」
まったくひどいもんだと彼は独りごちる。
他人と感覚共有をした経験はなかったが、それに近いものなのかもしれない。他人が見る景色、触覚、匂い、そしてそれに付随する感情が自分の物ではないにもかかわらず自分の中に流れ込んでくると聞いたことがある。特別な受容器を疑似細胞で付加した際に起こる障害の一種との報告があったはずだが、現在その受容器の生成は禁止されている。詳しい情報を思い出せずにいたが、今それを確かめる術を私は持っていなかった。
「それってあなただけが聞こえてたもの?」
「いんや。調停者ってのはどこへ行っても、どこかから見張られている感覚がある。ただ今回は特に強い害意が感じられて、あの洞窟に一番近いのがたまたま俺で、俺たちの命令系統でもサフィエンが行って生け捕ってこいという指令が下った。だから俺はあの場へ行った」
「四六時中声が聞こえるなんてしんどそうね……」
常に自分以外の感情を感じ取りながらの生活を想像して、私は渋い顔をする。見張られた生活なんてまっぴら御免だ。だが彼の方はあっけらかんとして、そうでもないさと笑っていた。
「調停者っつったって何十人もいるんだから、たぶん1人1人の生活を見張ってるわけじゃないだろう。天の高みから全体を『観ている』って感覚だけだから、もう慣れっこさ。逆に、誉れ子が生まれたときは明確に祝意が聞こえる。これは気持ちのいい感情だから俺は好きだね」
「そっか、誉れ子が生まれたら言祝ぎをして羽をもらうのもお仕事だっけ」
「正確には体の一部な。羽でも毛でも、鱗でも脱皮した皮でも何でもいい。それをもらってシナバリへ持ち帰る。その後は長の仕事だが、天へそれを送り届けて俺たちの仕事はおしまい、と」
「天と接点があるってこと?」
「箱の中へ入れてしばらくすると消えるって言うだけで、本当に天へ届いてるのかそれとも自然と無くなっちまってるのかはわかんねぇな」
単純に外界との接点があることに驚きを隠せなかった。これはどうしてもシナバリへ行かなければいけないと改めて思う。もっと調停者のことを聞こうとして、しかし彼はため息をついていた。
「ちっとしゃべりすぎちまったかな。まぁこんなこと、普通のやつに話しても信じねぇから、ついつい口がするするっと。おっとっと」
彼は笑っていた。疑うわけではないが、あまりにも都合がよすぎる存在過ぎて、彼の言葉を素直に『なるほど』とも頷けない。彼らの存在はそれほど上手く作られすぎているように感じた。その様子を信じていないと見てとったのか、彼は笑みを苦笑いに変えながらも言葉を続ける。
「信じてくれなんて言わねぇよ。けどそういう風に作られて、この世界の創りを漠然と理解しているのが、俺たち調停者なんだとしか言いようがないのは事実だ」
「創り?」
「ここは箱庭みたいなもんで、俺たちは争い事を起こさないように、あと人間種が増えすぎないように見張られている。小競り合いならまだしも、大きな争い事の結末は全体の死だ。漠然とそういう風に、上空から見下ろされている感覚が、生まれてこの方ずーっとついて回る。その上から見下ろしているやつらが自在に操れる駒、という自覚が俺たちにはある」
彼がどこまで理解しているのか分からなくても、その言葉を聞くときりりと心が痛む。父は手記で彼ら調停者を白血球と称した。この閉じられた惑星を実験の庭足らしめるための手足なのだろうか。達観したような横顔はよく晴れた青い空をぼんやりと眺めていた。
「あそこへ行け、こっちへ行け、あれが誉れ子だ、これが敵だ 、誰を言祝げ、彼を殺せ、そんな心象を頭の中にごりごりとねじ込んできやがる。おかげで心を壊すやつもいるけど、俺は能天気だから何ともない」
「そうか……」
「けどな、逆に見張られているのを理解しているからこそ、この世界で争い事が起こらないように少しばかり先回りして止めようともしたくなる。まぁ結局、天の采配には抗えないんだが」
海鳥の声がケーンケーンと響き渡る。穏やかに揺れる波間を船は進んでいく。私は懐に入れた父の手記を無意識のうちに握りしめていた。彼の言っている心象というやつは、ほぼ間違いがないだろう。だからこそ彼に真実を話すべきか否か、分からないでいた。
「ただ今回の声は妙だった。その前の使者に対しては、殺せと言う意思が明確だったんだが、今回は殺せと言うのは無かった。でも見つけ出して排除しろって感じで、しょうがないんで生け捕りしておくかってことになったらしくてね。で、生け捕りしたらどこかに連れていかないといけないだろ?」
「それでシナバリへ?」
「そういうこと。もし殺せと言う指示が降ってくれば簡単に殺せるように手元に置いておくつもりなんだろうな。逆にそういう意思がない限りは、たぶん殺されないから安心してくれ。ここが、争い事を天が禁じている世界であることを、俺たちは本能で知っているからな」
そううそぶく彼の横顔を睨み付ける。思い出すのは洞窟を出たところの血痕だ。
「私たちの護衛の兵士、殺してたじゃない」
「殺しちゃいねぇよ、ちょこーっと脅しただけさ。殺すのは趣味じゃないって、おっさんちゃーんと言ったろう?」
「……呆れた」
呆れはするのだが、話せば話すほど、不思議と私はこのサフィエン・ネア・オグという人に惹かれている自覚が強くなっていた。彼は思ったほど悪ではない。さすがに年の功でずる賢いと思う場面はいくつかあったし、適当すぎるきらいがあるのだが、この人は自然と周囲を巻き込むのだ。最初はあれほど警戒していた年少2人も気が付けば彼と普通に話をする。自分たちを連行されているのを忘れてしまう瞬間があるのだ。だから時々、嫌味を放っては距離を開けようとするのがこの男の心遣いなのだろう。
「なあオルティリアさんよ」
おもむろに彼はフードから顔を出す。
「外界には、人間はいっぱいいるんかい?」
「人間しかいないよ。レグナムがそもそもいない」
「そっか」
大きなため息が返ってきた。外界のことを天の声として聞く調停者が、自分たちの存在を漠然と理解しているのなら、その命令を発している相手のこともおぼろげながら感じ取っているのかもしれない。確信はないまでも、天上にいる操り人の正体を知っていてなお、操られ続けているのが彼らなのだとしたら。サフィエンの返事にはいろいろな感情が乗せられて、しかし傍目にはそれと分からないように振る舞っているように見えた。
父の手記とこれまでに教えてもらった情報によれば、普通の調停者はレグナムの中で生まれる。外界の異物に対する知覚はもちろんのこと、人間種が増えすぎたり戦争が起こったりすれば、それが原因でリセットされる恐怖と日々向き合っていることになる。調停とは戦争が起こらないようにするためだろうし、不浄の者と呼ばれるのは戦争を止められなかった過去と、葬送を執り行う現在の役目を結びつけられたからではないかと推測が立つ。
だからこそ、調停者が人間種を嫌っているのと、普通のレグナムが人間種を厭うのとでは、嫌いの程度が違うのだ。人間種が増え続けることでの危機を実感として持っている。しかし、まさか人間種の中から調停者が生まれるとは、皮肉には限界がないのだろうか。人間種による滅亡の危機感を持ちつつも、自身が人間種であるサフィエンからしてみると、この惑星はきっと地獄なのだろう。
「外界で生まれたかった?」
「んー。それを言っても仕方がなかろ。俺にできることをやるだけさ」
相変わらずののんきそうな返事をして、彼は大きく伸びをする。
「確かに、人間として生まれたのに、調停者なんてけったいな能力があることを不条理だなぁと思うことはある。人間種である両親もじいさんばあさんも、どんなに虐げられても生きることを諦めてなかったから、結果として俺が生まれたわけだろ。だけど俺は物心ついた時から、自分たちがこの世界にとっての害悪であることを本能的に知ってたんだから、本当にたまったもんじゃない」
一世代目の人間種はある程度の年齢で街を追い出されると、同じ人間種を頼って里を探すことになると聞いた。この惑星の無調整な天候は、どんな生き物であれ単独で生きるには辛い。他の動物の能力が欠損している人間種ならなおのことだ。自然と群れを作り、寄り集まって、生まれたからには生きていく。彼はどんな気持ちで同族の集まる里を見て育ったのだろうか。
「でも同時に、自分の生まれを呪っても、抗っても何にもならんことも知っている。確かに自分たちの手でどうにかなることも多少はあるから調停なんて自治もするけど、最終的には生きるも滅びるも采配は全て天任せだからな。それが普通の人間種と違うところかな」
「抗えないものは諦めるの?」
「いや。これもまた自然の流れの一つだと、そう思うだけさ」
危うく肯定しそうになって、慌てて首を横に振る。彼は巧みに言葉を変えて言っているが、滅びが自然の一つであると言っているようなものだ。
私はその滅びが人為的なものだと知っている。今の立ち位置からでは一切手出しできないところで操作されているだけで、操作している者たちが自分と同じような人間であることを知ってしまっている。だから私は許せないのであり、サフィエンは手の届かない相手を『自然』と呼んだ。どちらが正しいとは明言できなくても、彼の考えにそのまま同意してしまうことが、私には怖かった。
「こんな滅びは自然なんかじゃないよ」
私の独り言が彼に届いたのか分からない。気持ちのいい風を受けたまま寝息が聞こえ始める。私はしばらくの間、彼の隣でうっかりうとうとしかけて、慌てて船室へ降りて行った。
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