第27話 科学に噛みついた獣

 力が入らないのはどうやら心の持ちようだけではなかったようだ。左腕の肉が溶けてずるりと落ちている。割れた右ひざに見える骨も中はスカスカだった。体のあちらこちらで崩壊が始まっている。


『随分と体に負荷をかけたようだな。万能細胞とはいえ、君の体が万能なわけではない。疑似細胞に急激に、しかも大量に変化を命じれば、もちろん壊死もするだろう』


 どこからか見ているのか、声だけの研究者が指摘をする。内心驚いてはいたが全身が悲鳴を上げていてそれどころではない。今の私には衣擦れでさえ、皮を裂くには十分だった。音を立てて血が流れ出して、足元に血だまりを作っていく。これだけの量の血を見れば自分の生死ぐらい悟るというものだ。フェーとイビスの肩を借りて、それでもなお立ち上がろうとする。


「頼む、何か振り回せるもの持ってきて。ここの機械壊さなきゃ」

「お願いそれ以上動かないで」

「これ以上やったら死んじゃうよオルティリア」


 パネルに爪を立てる。爪は柔らかくなって根本から曲がった。こんなところにも神経が通っているのかと、痛みを再確認する。


『やめないか。君は死んで回収されたいのかね』

「回収なんかさせない。これ以上私みたいな化け物が生まれないようにここを壊すだけ」


 バランスを取ろうとして振ったら尻尾の先は千切れて無くなってしまった。よろけながらパネルの上に登って前を見据えた。パネルの奥、さらに一つ部屋があった。暗いその向こう、円筒形の透明な筒が薄明かりに反射する。満々と水をたたえたそれの中で眠っているのは、遠目に見ても人型の生き物。


 機械音と共に排水する音が聞こえ始めている。水位が徐々に下がって来ていた。人数はそう多くない。小さな村を一つようやく作れるかどうか、数十人程度の人。部位は様々だったが、体のあちらこちらに私と同じような動物の部位を持っている。個体ごとに混ざり方は違ったが、数種類の生き物の断片的な特徴を体に持っているというのが共通点だった。


「これが最初の人……」

『次の実験はすでに始まっている。失敗した培地を元通りにして、新しい種を撒く。雑菌は残さない』


 言葉は違うが、ようは私たちの次が彼らということ。逆にに言えば、私たちの後に粛清されるのが彼らの子孫ということ。それさえ分かればもうこの声には用はなかった。


「つまりこの人たちが次の犠牲になる人たちということね」


 折れ曲がる足でパネルを足蹴にして暗闇に転がり込む。どの個体も成人しているが、目開けてすらいない。人工羊水の中でいまだ夢を見ている最中だ。ここで死ぬ方が地獄か、生き延びて子供を産んで増えていく方が地獄なのか。時間があれば迷っただろう。自分の体に猶予が残されていなかったのが幸いして、私は何も迷わずその筒の開けた。


「ごめんね」


 拳を振り下ろす。ごめんね、かわいそうな大きな子供たち。まだ夢を見ているうちに、私はまず一人の胸を貫いた。そして隣の筒へ手を掛ける。


『やめろ、狂ったか! 最初の個体を殺すな! これを生成するのにどれだけの時間がかかると思っている!! データの厳選から初めて成熟させるまでに数十年かかるんだぞ!? 私たちの仕事を遅らせるつもりか、ふざけるな!!』

「狂っているのはあなた方でしょうが」


 私は二人目の胸をまた貫く。彼らの体は温かい。


「狂えてしまえば、さぞや楽だろうけれども」


 3人目も躊躇なく殺す。筒から出した途端、大量の水を吐き出して彼らは呼吸を始める。それは不格好でも産声だった。その声を確かめて、その人が生きている事を確認してから胸を貫く。ごめんね、こんな形でしか外の空気を吸わせてあげられなくってと思いながら。後ろから狂ったような罵声が聞こえてくるが、今の私はそんなものでは止まらなかった。


 イビスとフェーもこの暗い産室に転がり込んでくる。返り血を浴びながら一人ずつ確実に殺していく私を見て、二人は足を動かせずにいた。足元は産声を上げたばかりに殺された体が無造作に転がされている。


「それでいい。二人はこんなことをしないで。この人たちの事は、私が全て終わらせるから」


 これは私の罪なのだと思った。父から譲り受けた、私の罪だ。死にゆく体ならば全て背負って死んでいこうと決めた。いつの間にか拳は肉が削げ落ちて、骨も折れていた。それでも何の力もなく、立ち方すら知らない赤子を殺すぐらいなら事足りる。だがあと数人まで行ったときに、ついに体が動かなくなった。正確には動かなくさせられた。


「お前何やってんだ馬鹿!」

「なに戻って来てんのよサフィエン」


 彼もまた無事ではないようだ。左腕が焼けて無くなっている。傷口は焼け焦げたのが幸いして血は出ていないが、痛々しそうに庇いながら、私の肩を無事な方の手て掴みかかった。肩の骨が折れた音が体に響いた。


「どうやら間に合わなかったみたいね」

「ああ、残念だけど俺が行く前におっぱじめやがった」


 そういって暗い部屋を見渡す。目覚める前に胸を突き殺された死体が、いまだに痙攣しながら血を噴出している。その数、十数人。そして返り血で真っ赤に染まった私を見る。


「この流星騒ぎで頭の中のがなり声はうるせーし、命からがら戻って来てみりゃお前は一体何をやってんだ!」

「次の実験の種を潰しているの」

『やめろ! やめてくれ!!』


 音声だけの男の声は、もはや大泣きだった。さもありなん、大切に育てた種だ。これが嫌なら最初から、私の体など欲しいと言わず、サックリと殺しておけばよかったのだ。これがお前たちのいう大成功の個体のやることだと、見せつけてやりたかった。


「交換条件をやる」


 音声だけの男に、私は声を投げつけた。


「衛星兵器を止めろ。そしたら残りの個体は生かしておいてやるよ」


 生かして人工羊水から引き出して、一人のただの人として育ててもらう。そしてこの場所は破壊して埋める。これ以上に不幸な子供を増やすことは無いのだ。しばらく返答がない。無音の相手に痺れを切らして私は次の筒に手を掛けた。


『む、無理なんだ! あれは一度掃討を始めたら、新規個体以外全て掃討するまでは止まらんのだ!』

「じゃあ全てが死ぬまでそこで指をくわえて見ていろ」


 無造作に次の個体ののど元を狙った。また一人絶命する声が響き渡る。


『今さっき脱出艇を一つ送った。頼む、君だけでも戻って来てくれ! 頼む……君のデータさえあれば、次の個体を作ることも可能なのだから』

「おい、声の人。オルティリアは生かしてくれるんだな」

『もちろんだ!!』

「聞いたか」


 次の蓋へとかけられた手を握られた。サフィエンの手は温かい。イビスの手も、フェーの柔らかい尻尾もみな温かい。その温かさが悲しかった。この人たちだけでも生きてほしいと思った。自分の命が代償でも、別にいいと考えられた。


「もういい、お前だけでも生き延びろ」

「私はこの子たちと一緒にここで死ぬよ」


 自分の涙がこんなに熱く焼けるように感じたことはない。塩水が皮膚にずきずきと沁みる。なおも手を止めることなく次の命に手を掛けようとしたときだ。ふっと体が浮いた。


「こいつらを殺すことがお前のやりたかったことじゃないはずだろう」


 サフィエンの腕が体の下にあった。足が浮く。運ばれていた。


「やめて、あの子たちのところへ戻して!」

「人なんてのはな、立派な理由で動くほどの聖人はそうそういねぇんだよ。贔屓目に見たって、お前は聖人の面じゃぁない」

「違うの、やめて!」

「お前は、イビスやフェー、あいつ等を守りたいとそう願っただけなんだ、違うか」


 普通の体ならこんなに簡単に運ばれることはなかっただろう。肉が溶け落ちた私の体が軽いのか、彼はもがく私を抱いて外へ出た。朝日はとっくに昇っているのに流星は止まらない。南天から放射状に流れていく光の雨の先で、一つまた一つ命が消えていく。さながら美しい獄絵図だった。


 その中を一機、明らかに異様な丸い飛行物体が下りてきて扉を開けた。低空にホバリングしたままそれは、私たちの目の前で待っている。恐らくこれがさっき送ったという脱出艇だろう。餌をもらえるまで開け続けている雛鳥の口のように、私たちの方を向いたままそれは浮いていた。


 サフィエンがその中に私を押し込む。血の臭いも、泥臭さもない、清らかな小さなカプセルだった。人の臭いがしない空間に思わず身の毛がよだつ。


「お願い降ろして、私をこの場所に置いて!」

「俺たちを守ろうとするなら、もう誰かが外側から止めなきゃいけねぇ。この世界の中からじゃもう止まらねぇんだろ。だったらお前のやりたいこと、やるべきことは、外側にあるんだ」


 ほうほうの体で追い付いたイビスが肩で息をしながら私に笑いかける。


「オルティリアに生きておいてもらわないと、あたしが困るもの」

「あんたが死んだらコイツ泣いて手が付けられなくなるからさ、ほんとはすげー弱虫なんだぜ」


 フェーも隣で笑っていた。


「せめて一緒に来て。そこよりは安全のはず……」


 彼らに手を伸ばすが、その手を握り返してくれる手はない。 二人は首を横に振っていた。


「どうしてなの?」

「オルティリアの戦場が外界にあるのなら、俺たちの戦場はいまここだから」

「生き残っている人たちを樹に誘導して一人でも犠牲者を減らさないとでしょ」

「でも……!」


 その間に照準を合わされて狙い撃ちにされれば跡かたもなく焼き尽くされてしまう。だが、体が動かせない私には何もできることはなかった。滝のような涙が流れ出ては皮膚を刺激する。


「こいつらのことは俺が引き受けたからよ。お前はお前の戦いをしろ、な? 命あっての物種ってことだ」


 近くにいた人がまた一人光の槍に貫かれて消し炭になった。ここももう危ない。危険を察した三人は伸ばす私の手を押し込んで無理に扉を閉めて背を向ける。


「んじゃまたどっかで会おうぜ」


 扉が閉まる前に聞こえた声はただそれだけ。

 声にならない叫び声が小さなカプセルの中に響き渡る。私はついに、この惑星から離れたのだ。


 移動速度はどれぐらいかは分からなかった。何せ外側は見えないので、どこにいるのかどれぐらいの速度で動いているのか見当がつかない。だが脱出艇を送ったと言ってからそれが到着するまでの時間よりもはるかに長い時間を航行しているため、この脱出艇が元あった場所とは違う場所へ移動していることだけは予想がついた。


「そうか……。本拠地に戻されてるってわけか」


 非常事態だからこれを使ったのだろうが、小さいとはいえ飛行物体。さすがに一般市民の目に留まらないことはないだろう。それほど彼らは焦っているということだ。しばらくして外側が騒がしくなり、ガコンと外れる音がして扉が開けられた。


 恐る恐る顔を出して、そこが見慣れた現代のターミナルであることを確認する。どうやら本当に緊急だったらしく、着艦したのは一般市民もいるような場所だった。ならばと私は転がり出す。この体をこの場にいる無関係の人々に見せつけるのも悪くはないだろう。


 案の定、部分的に肉や骨が溶け落ち、血糊をたっぷりとつけた私の異形を見て、何人もの人が悲鳴を上げる。その声に警備の人とロボットが走ってくる様子が見える。射殺されてしまうだろうか。ふとそんな心配をしていると、人ごみをかき分けて、慌てた様子の白衣の人間が、幾人もで私の周りを取り囲もうとしていた。


「よく帰って来てくれた……」


 この声は知っていた。あの声だけの男だ。その男の顔をねめつけるが、めまいとふらつきでままならない。気管からひゅーひゅーと空気が漏れる音がしていた。体のどこかに穴が開いているようで、上手く空気が吸えない。


「なぜあんな実験を行った……」


 無関係の観衆は、私が人語を話すのを聞いて動揺している様子だった。化け物が人の言葉を話すのだからそれもそうだろう。一歩前に出ると彼らの方が一歩下がる。明らかに恐れおののいていた。その中で、声の男だけが歯を食いしばって私の前へ進み出た。


「ヒトというのは自らを変えずに周りを変化させる生物だ。そのために試行錯誤するのがそんなに悪いことかね」


 文明が発展する瞬間というのを、私はあの惑星で、この目で見てきた。新しいものを得ようとする努力、作ろうとする努力、それを得たときの喜び。パン一つとっても、彼らにとっては大きな進歩だった。それを純粋に一緒に喜んでくれた人たちがいたことが忘れられない。


 私たちは、麦をそのまま食べられる体になるより、麦を食べやすい形に加工する方に進化していく生き物だ。だからその加工がうまくいけば喜ぶし、その積み重ねが今の私たちであることに強い確信を持っている。しかし彼ら研究者の中にある喜びも、根本はその純粋な喜びと一緒だと言うのだろうか。


「そうだ、世界平和のためにやったことを、なぜこんな事にされなきゃならないんだ」

「この実験が成功すれば後世の人は争う前に自分の手を止められるようになるんだぞ」

「あなたは、この世から争いごとを摘み取ろうとする手に噛みついたんだ」

「君は、全て我らが悪だと言い切ることができるのかね!」


 四方八方から声が飛び交う。言っていることは大層なものだった。全体幸福のためというのなら、確かに数万の命の消費で済ませる方を選ぶだろう。しかもその大多数はなぜ粛清を受けるのか本来の目的を知らず、滅びが天の理だと信じてやまない無垢の民ばかりだ。


 残念ながら私には、感情論で否定する以外に彼らを責める手段が見当たらない。だが私には単純にそれを受け入れるだけの器の大きさは無かったし、何よりあの場に生きている一つ一つの命と関わりを持ってしまった。一つの命を、シャーレの中の細胞一つと同じように扱う彼らが、だからこそ許せない。心が本能を超えるとき、実験者たちがこれを失敗と見なすのが、どうしても許せなかった。これではまるで心がない方がいいと言っているようなものではないか。


 父もミズシマ博士も最初は良かれと思って考えたのだろう。おそらくどうやったら争いなく生きていけるのか考えに考え抜いたのだ。そのために一万年近く、この実験場のことで悩まされ、ついには私というカルセラのクローンまで作る結果になった。皮肉にも私は、彼らの間違った方向に発揮された善意から生まれた。彼らがいなければ私自身もこの世に生を受けなかった、そこだけは感謝させてもらう。


 だが、我慢ならず、一言だけ吠えさせてもらおう。


「ここまでして理解できない種族なら、滅びてしまえよ!」


 私が吠え終わると同時に、警備を主とする軽武装の集団が、私を包囲する研究者たちのさらに周囲を取り囲んだ。


 駆け込んでくる人が私を見るなり躊躇するが、何かを確認して、私の異様な姿を二度見して、それから毛布を掛けた。研究者たちが次々に拘束されていく。彼らの服にはペンの紋章。


――ああ、記録者クロニスタか……。


 私は幸運にも、職場管理の生体板で発見、追跡されていたのだ。

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