第28話 箱庭
素直に死んでおけば、悲劇として語り継がれたのだろうが、残念なことに私は相当しぶとかった。結果から言うと私は生き延びてしまったのだ。
その場で疑似細胞精製剤を大量投与され、崩れかける体を繋ぎとめながら緊急搬送後、三か月の集中治療室入りとなった。星間航行時代以前では手術に数時間、その後のリハビリで数週間を要した悪性腫瘍の手術が数分で終わって即日退院できる現在の医療技術を踏まえれば、私がどれだけ重篤な状態であったかは想像に難くないだろう。普通の入院に戻ってリハビリを含めて半年間、病院が住処となっていた。
その間に、
政府は口止めしたかったようだが、
ようやく退院の許可がおりて病院の外に出るころには、父に恥じぬぐらいの有名人になっていた。非常に不本意な形ではあるが、父の名を借りずとも自己紹介できるようになったわけである。ただ、
それから真っ先に与えられた仕事はというと、あの星の調査隊に編成されたと言えば分かるだろうか。名称未定恒星の第3惑星、となるらしい。既知宇宙における発見物は、全て
着陸態勢に入る前に、青い星の上空に浮かぶ大きな人工衛星を見やった。地上から歪な形に見えると思っていたティクが衛星兵器の本体であり、惑星全体を無数の子機で覆って個体を確実に一人ずつ撃ち抜いていたらしい。範囲殲滅をすると地表面が荒れるからと、本体についている主砲は使っていない。おかげで幸運にも生き延びた人がいて、そういう人たちがティクの話や星が大地に落ちて滅びるといった伝説を口伝えにしていったのだろう。凶星と呼ばれてたのはあながち迷信ばかりではなかったということだ。そんな凶星も現在は姿勢維持をするだけで一点に留まらず、青い星の衛星軌道上をくるくると回っているだけのデカブツと化している。
「あの兵器どうするんです? 解体するのも大変そうだし、落としたら落としたで被害が大きいですよね」
全長約3.5km弱、長大な船の形だ。先端に砲が付いていて、星間航行時代に入ってすぐ起こったザサー戦争の時は、一発一都市のペースで消していたらしい。さすがに今回これは使われず、主に使われていたのは周囲の小型レーザーと、浮遊型のレーザー子機だったようだ。
「惑星二つ外ぐらいにある小惑星帯から大き目の岩石をいくつか持ってきて、小惑星で隠そうとしてるらしいって聞いたよ」
「とんでもなく大きな衛星になりますね……」
「空に兵器が浮いてるの丸見えよりはマシじゃないのかな」
地上が近づくにつれて大地が焼け焦げているのが見えた。豊かな原野だったシナバリ一帯は焼野原になっていた。気温は肌寒さを感じるぐらいで、私がここにいたころはもっと気温が高かったはずだと思い返す。これから春を迎えるのか、それとも冬に向かうのか、焼野原ではよくわからなかった。シナバリの大樹にも葉は一枚もなく、しかし立ち枯れている様子もなく、ただ泰然としてそこに生えていた。
この原野には
「ここが一番ひどい場所ですか」
「そう。不思議と、この近くにある大きな樹は無事なんだけどね」
「これはシナバリの樹ですね」
「現地民はそう呼んでたのか、なるほどなるほど」
早速記録を取っているのは、あの先輩だった。
確かに樹は無事だった。周囲で何者かが薪を燃やした痕跡が残っている。誰かが生きているようだった。
なぜこの樹が殺生を禁じる聖域とされ、そして青い葉を茂らせ続けていたのか、今では簡単に想像がつく。ここは最初の人が生まれるためにどうしても狙えない場所だったのだ。竜の伝承も、戦争が起こると世界が滅ぶ話も、調停者が不浄の者と呼ばれる理由も、過去のリセット時にこの樹に寄って生き延びた人が後世に伝えて行ったのだろう。
木を踏む音がしてそちらの方向へ向く。人影が走り去っていくところだった。
「あ、ちょっと!」
声をかけるが脱兎のごとくとはこのことで、追い付ける者はこの場にいない。あの足の速さは何かのレグナムかもしれない。あれから新しい疑似細胞を大量投入され、体を構成する細胞がほぼ全て刷新されている私は、なぜか転化が出来なくなっていた。細胞が馴染めば可能なのかもしれないが、普通の人間ではあの足の速さに追い付ける者はいない。私も追いかけることが出来ず、消える後姿を映像記録として納めておくにとどまった。
樹の中にある集会場は荒れ放題だった。扉を開けるのに使った丸太がそのまま捨て置かれて朽ちている。その奥には踏み入れたくない気持ちもあったが、しかしここまで来たからには自分が犯した事実と向き合わねばならない。笑う膝に力を入れて、扉の奥へと向かった。中の機械はすでに停止していて明かりもなく、その奥にも人影はない。そして私が殺した大きな子供たちの姿もなかった。まだ手にかけていなかった人の姿もなく、人工羊水は完全に蒸発していた。
「サフィエンが、連れ出してくれたのかな」
そう思うことで自分の罪がなくなるわけではなかったが、少しだけ気が楽になってその部屋を出る。さすがにもう空気循環はされていないらしく、黴臭い空気に辟易した。
その後、調査隊一行は焼野原になった原野を抜けて川向うに立つアベスの城を目指したが、見つけたのは崩れた土台だけだった。街も全壊し、砂埃と汗の市場は跡形もなかった。南へ向かい小さな山地を超えるとこちらの森林地帯は無事だったが、あの時あれだけ大きく立派に見えたマーメリアも焼け落ちて誰も姿が見えない。塩湖の洞窟は入り口が崩れ落ちていて、小さな港町と
ところどころで人が生きている痕跡は確認できるものの、その本人たちは隠れていて、怯えているのか私たちの前に一切姿を現そうとはしない。怯えきった野生動物のようにどこかから私たちを警戒して見ているだけのようだ。野生動物相手となると、もはやお手上げだった。
結局、足で歩いたり翼を使って、大きい大きいと思っていたこの大地を、あっという間にめぐってしまった。だが生きている人型の生き物と直に会うことはできなかった。そして私が会いたい彼らもまたその姿はなかった。彼らは本当に死んでしまったのだろうか。去り際に、また会おうと言ってくれたのがこれでは反故だ。
戻ってきたシナバリの樹の下で私は茫然と立ち尽くした。同僚たちは心配そうにしていたが、誰も近づこうとは思わないらしい。私のおぞましい転化の後の姿を知っていて、以来どこかよそよそしい。だが今は一人がよかった。
「みんなどこ行っちゃったのよ……」
シナバリの樹の枝先に白い花を見つける。ああ、と安堵のため息を吐いた。この星はこれから春を迎えるのだ。
サンプルを大量に持ち帰り、他の調査員たちは命名と記録でデスクワークの日々を送っている。私はその間、長命手術を受ける手続きをしていた。
実はこの惑星に入植するか否かで意見が対立していたのだが、生き残った実験体が現地民と認められたため入植が禁止された。一応あの後姿だけの映像記録と、生活をしていると思われる痕跡が認められたという形にはなっている。ただ入植したい経済の関係者と現地を保護したい生態の関係者の間で、不可解極まりない、そして表には絶対に出てこない取引が行われたと、そうもっぱらの噂だった。
その不可解の極めつけは、現地民へはしばらくの間、外宇宙にいる私たちの存在は秘匿されるということだ。イビスが聞いたら憤慨ものなのだろうが、今現在の彼らの技術では私たちを観測できないのだからしょうがないというところらしい。
そこへきて、私は主任としてこの惑星の記録を任されることになった。現地民との意思疎通の経験があることが最大の理由らしい。妥当なところだろうと思って何でもないような顔をして辞令を受け取ったが、私の内面はそれはもう喜びに溢れていた。
「それで長命手術ですか」
理由を聞いた医師はため息を吐く。すでに全身が疑似細胞なのだが、もう思い切って脳幹まですべて長命用の疑似細胞に置き換えてしまおうと思った。エトレの娘としての権利はもうなくなっていた。しかし幸運とも残念とも言い難いのだが、自分自身の功績で私は権利を取得できてしまったのだ。これを使わない手はない。
「あなた、一体何年あの星に付き合うつもりです?」
にっこりと笑い返す。答えはそれで十分のはずだ。
「ずーっとかな」
そう笑ってから何年も、何百年も、何万年も。いや、どれぐらい経ったのか正直私にもよく分からない。政府の中身がごっそり替わっても、
会おうと言ってくれた人達は結局会えずじまいで、百年ぐらいたったところで踏ん切りがついた。代わりに少しずつ増えていく人々が、自分たちの力で文明を作り上げていく記録を、私は
様々な発明も、いろいろな戦争も全て記録した。人も物も、出来事も、すべてを私はつぶさに見て記録をしていった。他人からすると、未発達な人類を記録し続けることにどんな意味があるのか、とても不思議に見えるらしい。ただ私は、単純に彼らを見守ることこそが重要であると考えている。
どんなに技術が進んでも、どんなに高尚なことを考えるようになっても、やはり人というのがそれ以上にもそれ以下にも成れない『ただの人』であることを、確認し続ける作業なのかもしれない。最初こそ父はここに人の革新を夢見ていたけれど、どれほど進化したとしても心が存在するうちは、私たちも彼らも同じように人としてあり続ける。種の自殺と言われても戦争を起こし、感情と損得で同胞を殺すような彼らだが、その愚かさの半面、人の身ままに文明を紡ぐ喜びを知っている。なんてアンバランスで、危うい均衡の生物なんだろう。だから彼らのことを憎からず思い、私はずっと付き合っている。
「それに、たぶんどこかで、あの人たちに繋がってるんだから」
金色の少女も、猫耳の少年も、あるいは意地の悪いおっさんも。あの惰弱な王様や黒い兄、太った侍女、それに料理長や虎の王様、白い顔をした人々、城の面々……。たくさんの人の顔が思い浮かんでは消えていく。彼らの欠片もきっとどこかで誰かに繋がっているはずだ。単純に子孫という形でなくとも、それが大地に還り、いつか誰かの血肉としてまた命を得る。そう考えると同じ姿形で会えなくても、私はいつでも彼らと邂逅しているのだ。
惑星の影に溶け込むように、私は星に急降下する。最近は照明技術も索敵技術も非常に進歩しているので、いつ姿を見られるかとひやひやものだ。今日も無事に人気のない埠頭の先に舞い降りて海風を受けると同時に、いつも着ているお気に入りのコートの外側を迷彩機能で現地の服装に早変わりさせた。流石にもう最初のコートではないのが残念だが、さて今日はどこを歩いてこようか。
ようやく立派な高層建築を建てるようにもなり、石器時代から考えると急速な進歩を遂げているといってよい。この星の住民たちは未だ私たちの存在を知らずに生活しているが、そろそろ気が付くのではないかと期待しているところだ。彼らの子孫が、この箱庭から出てくる日もそう遠くはないだろう。私たちが彼らの成長を観察し続けていたことを知った時、彼らはどういう振る舞いをするだろうか。怒るだろうか、外界相手に戦争になるだろうか、あるいは共存するか引きこもるか……、何が起こったとしても人の営みとして記録し続けようと思う。
「何が起こるかなんて、分からないものね」
埠頭を街中の方へと歩きながら自分の影を踏む。街の明かりが多くなったせいで郊外でもなければ、星明りで影が出来るようなことはない。代わりに夜空に浮かぶティクが影を作り、人はこれを月影と呼んだ。忌まわしい星とは思えないほど、穏やかな光を湛えていた。
しかしあの人工衛星、周囲に小惑星を貼り付けて衛星に偽装する際、ちゃんと自転するバランスで球体にしようとすると尻尾の方が変にはみ出してしまうらしく、作る段階で技術者を大いに悩ませた。今では自転と公転をうまいこと調整して、尻尾を裏側に隠しているらしい。
箱庭のクロニスタ 鳴海てんこ @tenco_narumi
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