第12話 自己紹介
見知らぬ天井だった。自室の低い天井ではなく、もっと高い。私はあれから丸一日、泥のように眠ったらしい。ひどく体が疲れていた。
ここはイビスの部屋。改めて自分の部屋がいかに質素だったか思い知らされる。妹姫の部屋がこれだけ広くて開放的なのに、王妃の部屋がなぜあれほど狭くて陰鬱なのか、その理由を知らない。私、カルセラは自らあの小部屋に移ったという。それが半年ぐらい前の事らしいが、私にはその記憶が無かった。
父の、エトレの生首。瞼を閉じると、首が落とされて転がってくる光景が脳裏によみがえる。私は、私が『カルセラ 』ではない証拠を、『オルティリア 』が夢ではなかったという証、つまり父親を見てしまった。これだけは否定のしようがなかった。
「偽物であることを認める?」
これを認めるのはとても嫌だった。別にカルセラという人にしがみつきたいわけではなかったが、手を離せばすぐに父の死と、そして自分という存在の危うさに直面してしまうから。それらから逃げたいだけなのだと気が付く。気が付いてしまうとあとは造作もなかった。
「確かに、私はカルセラじゃない」
静かに頷いた。認めるしかない。認めてしまうと頭痛がすっと引いていった。
安全のためと言って私は麻縄で縛られているが、このだだっ広い部屋にはイビスと私以外は誰もいない。祭儀場で異様な転化を見せた私に、勇気ある少女とペレグリ以外は誰も近寄ろうとしなかった。彼女は自らの手で 気を失った私を縛り上げ、暴れないことを確認して自分の部屋へと運ばせたのだ。
「偽物、とはいえあの転化は常人ではありえない。あなたは一体何者なの?」
「分からない」
分かれば苦労しないのだけどね、と内心でうそぶく。私は、自分が『カルセラ』ではないことを認める。そこまではいい。だが、元の『オルティリア』にはこんな力はない。元々の私は単純明快にヒトであった。
「イビス」
この少女は全てを話すのに適した相手なのだろうか。名を呼ばれた彼女は私を真っ向から見据えた。あの挙動不審な兄とは全く正反対だ。この歳にして胆が据わっている。
「これから私が話すことは、全部は理解できないかもしれないけど、聞いて」
「竜に誓う?」
「なんにでもいいわ」
無神論者にとって誓う相手などなんでもいい。相手がそれに誓えと言えばそれでいいのだ。少女は大仰に肩で息を吐いて見せた。
「……分かった」
イビスは木製の椅子から飛び降りる。そして縛られて床に座らされている私の隣へ来た。器用にその縄をほどく。
「いいの?」
「あたしの見立てが確かなら、やろうと思えばこんな縄一瞬で切ることが出来るはず。暴れないなら縛っておく必要なんかないもの。痛いでしょ床、こっちおいでよ」
考えていたよりも、ずっとこの少女は豪胆だった。少し面を食らって棒立ちしていると、果物を投げてよこす。
「喉も乾いたでしょ」
「あなた強いのね」
「兄様ほど怖がりじゃないだけ」
私は投げられた赤い果実を両手で受け止めて少女の向かいの席に座った。その果実はプミラというのだとここ数日で覚えたところだ。
「イビスは、この世界がもっと広いって信じる?」
「海の向こうに違う土地があることぐらいは、おとぎ話で聞いたことあるけど?」
「違うの」
失敗しないように言葉を選ぶ。
私は手の中にあるプミラを机の上に置いた。それから籠に積まれた他の果実をばらばらに並べていく。
「もっと遠く……この果実が今私たちのいる場所、この空白は空。空の向こうにもここと同じような、いや、もっと大きな大地を持つ星がたくさんあるって、信じられる? そこに自分たちと同じような人々が何十倍も、何百倍も生きてるって想像つく?」
「空の向こう……? 天?」
「空からの使者は、こういう他の星から来る人なの」
「……」
私は隣の大きな果物から、小さな果物へ、指をスッと動かして見せた。イビスはそれをとび色の目で凝視する。口を真一文字に結び、何かを考えている。
「その決まりで言うなら、私もたぶん使者に当たるのだと思う」
「そうだよね、私も食べたけどあんなアジムの作り方、誰も知らなかったもん」
言われてはっとする。これが争いを呼んだ『御業』の正体。
おそらく、この正体不明の惑星に迷い込んだ人が新しい知識や技術を伝えるたびに、それを巡って争いが起きたのだろう。これがあの昔語りの真相。だから文明の程度がちぐはぐなのだ。あるべき技術が発達せず、なぜか部分的に技術発達が起こる不思議。
「あたし」
可愛いとび色の目がきらきら輝いてこちらを見ていた。
「あなたは竜じゃないかと思うんだけど」
「え?」
「だってあんな転化を行うのは竜だけ。みんな噂してるわ。違うの?」
「ちが……」
「それともあなたが住んでいた土地は竜族がいっぱいいたの?」
この質問は、私の中の一番の矛盾を突く。
そもそも私は普通の人間だった。レグナムという種族も知らないし、ましてや竜族など噂すら聞いたことが無かった。
「私はただの人間だった。レグナム自体が、他の星にはいないの……」
「でもあなたはみんなの目の前でものすごい転化をした。これだけは事実だよね」
イビスは腕組みをして首を傾げた。こうなると年相応のかわいらしさがある。
「殺されたあの人、私のお父さんなんだけど、あの人を探してて、悪い人に捕まってここへ飛ばされたの」
「ほう」
「最初にこの星に飛ばされて目が覚めたとき、私の目の前に私と同じ顔をした女の人が……」
ここで言葉が出てこなくなった。
なんと言えばこの少女の慕っていた義理の姉が死んだことを、柔らかく伝えられるのか。そもそも伝える必要はあるのか。しかし伝えなければ話は進まない。なぜ私が入れ替わったのか、説明が出来ない。
「姉様が死んでいたんでしょ?」
言葉を選んでいるうちに、少女の方が口を開いた。驚いたのはこちらの方だ。少女は少し悲しそうに笑って見せる。
「なんとなくわかってたから大丈夫。カルセラ姉様の気配がどこにもなかったから、多分これは亡くなったんだなって思ってた。そこへきてあなたが姉様の顔をして当然みたいな顔をしていたから、あたし混乱して、それで怒ってたの。だからちょっとだけ八つ当たりした。ごめんね」
彼女はそっぽを向いて、地に着かない足をぶらつかせていた。
「どうせペレグリあたりが身代わりをしろとか無茶を言ったんでしょ?」
「ご明察……」
「いとこだからって、あいつ幅を利かせ過ぎ、兄様は馬鹿すぎ」
頬杖をついて文句を言っているあたりが歳相当と言えばそうなのだが、言っている内容はらしからぬイビス。だがその洞察力は兄王ガルゼッタの比ではない。年齢と性別が兄と逆転していたならば、文句なしに彼女が玉座を埋めただろう。確かにこんな妹と競わされてはガルゼッタも少し可哀そうだ。
「でもこの場合、あたしにとって一番知りたいのは姉様を誰が殺したのかってこと。偽物なのを認めれば、正直なところあなたが誰であっても構わない。空からの使者も調停者も関係ない」
「ペレグリは、ガルゼッタが殺したって言ってた」
言い切る前にイビスの小さな手が机を叩いた。土の机よりも大きな音がする。立ち上がった拍子に椅子が倒れて大きな音がした。それが外まで聞こえたのだろう。数人の兵士が扉を蹴破る勢いで転がり込んでくる。
「いかがなさいましたか!」
おそらく部屋の外では、悪鬼羅刹と化した王妃が暴れて妹姫に危害を、という状況が想定されていたのだろう。飛び込んできた兵士たちは鬼の形相をしているのが妹姫の方であることに、一瞬理解が及ばずにぽかんとしている。
「無礼者! いつあたしが入っていいと言ったか!」
「失礼いたしました!」
一瞬で右腕に白い翼が生えそろい、少女がそれを振るうと風が起こった。兵士たちが部屋の外に追い出される。イビスはそのまま部屋の外へ歩いていく。足音が怒っていた。扉から顔を出す。
「部屋には一切近づくな!」
廊下に響き渡る声と、慌てふためく何人ものざわめきが聞こえてくる。勢いよく扉が閉められ、錠が掛けられる音がした。戻ってくる少女の顔は今までの怒りだけではない、複雑な哀しみが見て取れた。
「ペレグリがそういったの。本当かどうかは分からないけれど……」
「んーん……。本当だと今なら分かる」
彼女は顔を伏せた。
「儀式に使う剣、あれは代々の王しか触れられないものなの。祭儀場まで持って行くのはロクシャの一族の役割だけど、あたしですらあれは触ったこともないの。でもあの錆びは……つまり血でしょ」
昼間の光景を思い出す。綺麗な装飾が施された鞘から抜かれた剣は、どす黒く錆びていた。あの鉄臭さはただの錆ではなく、血。
「あの時は混乱してて、もう12年も使われていないからだと思ったけど。でも考えてみれば、大事なものなんだからちゃんと手入れしてる。だからあれが年月の錆なんて、そんなわけないよね」
「でもまさか、王が王妃を殺す理由って……?」
少女の目には薄らと涙が浮かんでいた。ノヴァエの話ではカルセラとイビスは非常に仲が良かったという。実の姉のように慕っていた人を、その人の夫であり実兄の手にかかって殺されるなど、尋常ではない。
「あの兄は、怒ると何をしでかすか……。ああなったのは妹が誉れ子だったこと、つまりあたしのせいってのもあるけど、兄様は病的な癇癪持ちだから。あなたは知らないかもしれないけど、これまで何人もの侍女を殺してるわ」
「一回だけ見たわ、その癇癪。あの華奢な体でそんなことをするとはね……」
「侍女だけじゃない。諫めに入った臣下も、翼で打ちのめしている。あれを押さえつけて真っ向から言うことを聞かせられるのは、悔しいけどペレグリだけ」
あのひ弱そうな王が怒る様子は、まさに人が変わったかのように、だった。人は見かけによらないと言うけれど、これは寄らな過ぎではないだろうか。だが、いつだったか聞いたペレグリの言葉を思い出す。『あの阿呆は俺には逆らえん』あれはこういう意味だったのか、と。
「それでも姉様と結婚されてからはだいぶ穏やかになったの。それが2年ぐらい前かな。それであたし、シナバリへ修行に出る決心がついたんだ。でも半年前に姉様から助けを求めるような手紙が来て、頑張って帰ってきたけど……遅かった」
どう声を掛けたらいいか分からなかった。きらきらしていた金色が今は翳りを見せている。その綺麗な髪を、私はふと撫でてみる気になった。それで無礼者と怒られて手を弾かれるかもしれないと思ったが、今の彼女からは覇気が全く感じられなかった。
「ありがと、ちょっとしたら落ち着くから」
少し身を乗り出して軽く頭を撫でた。彼女は手を払わなかった。声を殺した嗚咽が小さく小さく聞こえた。
しばらくされるがまま泣いていた少女は、意を決したように顔を上げる。
「決めた」
丸いとび色の目がこちらを捉える。
「あたしが烏王になる」
未だ幼さが残る少女の口から飛び出た一言。この言葉の重みを理解できない訳ではない。でも何を言っているのか分からずに、口が半開きになった。
「あたしが王になって、姉様をちゃんと弔うわ。それから弱小種族なんて言われないような一族を育てる。そのために、お願いあなたの力を貸して」
「わたしの?」
突拍子もなく、イビスは私の手を握った。まだ赤い目をして、睨むように見つめられる。いやいやいや、と私は頭を横に振った。拒絶というより混乱だ。自分は父を殺され、己の存在すらも不安定な状態。片や手を握る少女は義妹を実兄に殺されたばかり。どう考えてもお互いに自立して進んでいける状態ではない。
「あなたの知識を貸して! ひいてはその別の場所というか、その別の星というのに住む人々との仲を取り持ってほしいの」
「それは許されることなの……?」
「正直わからないわ」
イビスはムッとしながらも腕を組みをする。小さな政治家は可愛い頭を捻った。
「
「人間の土地を奪うというのは?」
「あなた昔話を知らないの? 大規模に争うようなことをしたら、全てのレグナムが滅びるでしょ!」
その言葉を言ったのは私ではなくペレグリなのだが。彼は竜の威光を借りれば、と前置きをしていた。とすれば、自分たちが決めた土地の境界を変更するには、自分たちの上位にあたる竜の意思が働けばよいという、都合のいい彼の解釈とも受け取れる。
「例え相手が人間であっても、土地を奪い合うの行為は禁じられているわ。でも空からの使者たちと交易をすることを禁じている文言はこの世に存在しない。向こうが空から落ちてきたら返さなければいけないけど、こちらが出向くことは禁じられていないのよ。戦争が出来ないのなら、商いで一族を栄えさせるしか、方法が無いでしょ」
「それで私にその仲介を……?」
大きく少女は頷いた。
「あなたは中身は確かに空からの使者かもしれない。ここまでの話を通して考えると、空からの使者は『人間』ってことになるわよね。でもあなたの体はどう見てもレグナム……、どころではなくって滅びた竜の子孫みたいだもの。だからあなたは調停者に捕まることはないでしょ」
「それはそうかもしれないけど……」
「どうせ行くところが無いんだろうし、あなただって元住んでいたところに戻りたいでしょ? その体のことだって知りたいんじゃない? いいからあたしに力を貸しなさい!」
にっこりと彼女は笑って見せた。ノヴァエとはまた違った、心が温かくなるような笑顔。私は彼女の手を取った。
「外の世界には連邦政府という巨大な組織があるの」
「れんぽう、せいふ?」
「全ての星に住む人々をまとめている組織。王はいない。自治は認められるけど、組織全体の約束の中でしか政治は行えないようになってる。組織のことは全て会議で決まる。外の世界と接するには、その組織に属す必要があるわ」
通じるかどうかは分からない。何せ組織の考え方が全く違うのだ。連邦政府の中では王政というものは存在しない。過去に王だった人というのはいるが、その星の民衆から指示が高いという理由で代表者に選出されることがあるだけで、純粋な王権は遥か昔に廃止されている。それがこの少女に理解できるかどうかは分からない。分からないが彼女が進もうとしている先はそういう場所に相違ない。
「しきたりも考え方も全く違う世界の人々と話をすることになる。それでもあなたの決意は変わらない?」
恐らく私の知っているあの世界の人々は、新しい星の新しい土地の新しい文明と固有の人々を、嬉々として貪るだろう。新しい星の物を我先に得ようと彼らは乗り込んでくるだろう。彼女が向こう側に道を通じさせるなら、そういった悪意ある人々の脅威に真っ先に立ち向かわなければならない。それがこの少女の双肩で担いきれるだろうか。
「ここで腐るぐらいなら、あたしは新しい世界を見てみたい」
決まりだった。私はイビスに力を貸しす。そして私の知っている世界へ帰る。イビスは私の力を借りて、自分の世界を一歩前へ進める。
よろしくと彼女と握手した。
「その前に」
「ん?」
「名前教えて?」
一瞬で頬が緩んだ。思わず笑ってしまう。
そういえば彼女は、カルセラではない私のことをあなたと呼ぶばかりで私の名を知らない。彼女だけではない、ここまで私の本当の名を呼んでくれた人はここには一人もいなかった。いつものように自己紹介をしようとして、イビスが父エトレを知る由もないということを思い出す。
「オルティリア・マンジャロア」
父のしがらみ無く自己紹介できるのが、何ともいえずうれしかった。
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