第11話 空返し

 ペレグリに放り出された私とノヴァエは、城に戻ろうとして群衆に出くわした。人々は一様に青い顔をしていて目抜き通りの方へと向かっていて、好都合なことに誰一人として私の存在に気を留めた様子はなかった。雑踏に紛れて同じ方向へ向かう。通りには人だかりができていた。まるでイビスが帰ってきたときのような騒ぎだったが、集まった人々の表情は正反対だった。


 先ほどまで自分のことで手一杯で何も考えられなかったはずなのに、それ以上に何か大変な事態が起こると、不幸中の幸いでそちらに気が紛れる。ともかく今は何が起こっているのかを自分の目で確認するべく、両のまなこを見開いた。


「さっき空からの使者って聞こえたんだけど、一体どういうこと?」


 私は後ろで青い顔をしているノヴァエに低い声で問う。こんな顔面蒼白な彼女を見るのは初めてだった。


「十年ぐらい前に一度見ただけです。あれは恐ろしいものです……」

「恐ろしい?」


 街に潜んでいたと、さきほど老人は言っていた。だとしたら少なくとも人の形をしているはずだ。なぜそれが恐ろしいのか、よくわからない。


「調停者と何か関係があるの?」

「空から来た使者は天へとお返ししなければなりません。使者を見つけ出すのが調停者であり、天へお返しするのが烏族クーウの役割と、大昔から契約がなされているのです」

「……」


 よく、分からなかった。良くわからないのだが、空からの使者というのが厄災であり、それを見つけるのが調停者、それを排除するのが烏族クーウなのだろうというのだけは理解する。どうも私だけ理解していない前提があるようで、これについては落ち着いてから話を聞いた方がよさそうだと判断する。


 汗と土埃がひどい通りの奥の方で、どっと声が上がる。人々は怖いものを見るように、一様にその方向に顔を向けた。慌てて私も背伸びをする。前の人が邪魔で上手く見えず、しょうがないので前の人をかき分けた。通りを来たのは異様な集団だった。


 まず目に入ったのは大きな目の文様だった。20人ぐらいの集団で、全員が大きな目を二つずつ染めた服、おそらく上着、ローブのようなものを着ていた。先頭を行く人は手に長い杖を持っていて、それにも大きな目が付いている。たくさんの幾何学的な目が非常線を張っているようだ。彼らは目深にフードを被っていたが、歩くたびにすそから見え隠れする体格から多種多様なレグナムが混ざっているようだった。完全に人型に見える者もいれば、この間のにフードからこぼれる髪がまだらに毛皮のようで四肢族オグだと分かる者や、ちらりと見える腕が明らかに6本あるので甲族オフスとわかる者もいた。彼らが『調停者』だろう。


 集団の中央、引きずられているように誰かが連れて行かれている。


――人?


 顔は布が巻かれているので見えない。服装は布に穴をあけて腰でしばっただけ。平民たちが着ているものとほとんど変わりはなかった。あれが恐らく皆が恐れる『空からの使者』なのだろう。その姿が見えた瞬間、両脇の人が息を飲むのが分かった。だが私にはなぜ恐ろしいのか、今一つぴんと来ない。見れば見るほどただの人だった。


 意外と早い足取りで、異様な集団は城へと向かう。あっという間に目の前を通り過ぎて行った。


「カルセラ様、帰りましょう」


 不安そうなノヴァエに無言でうなずき返し、人垣から離れて路地裏に入る。あの集団はおそらく正門から城に入るのだろう。人の流れには正門の方へ、私たちはその流れからそれて急いで裏門を目指した。


 裏門から城の中へ入ると、城はまた大騒ぎになっていた。城の中を右往左往する人々の顔は恐怖や緊張で強張っている。本当にただごとではないのだとようやく実感が湧いてくる。慌ただしそうな下男や下女たちの隙間を縫って自室に飛び込んだ。


「教えて」


 いつもとは逆。動揺している彼女をまず先に窓べりの椅子に座らせる。水差しから杯に一杯。彼女は一気にそれを飲み干した。


「落ち着いてお聞きくださいね。これは、大変な凶事でございます」


 彼女はゴトリと杯を置いた。その手に、にわかに力が入る。


「――昔々、この世には」


 いつもより低い声で、言葉にリズムがあった。瞼を閉じて諳んじる、これはいわゆる昔語りの一種なのだと分かる。辺境の惑星では時として口伝で物語が残ってることがあるのだが、それによく似ていた。私は口を噤んで一言一句聞き逃すまいと身を乗り出す。


「この世には竜と呼ばれる者たちがおりました。竜は何にでも変じられる、大変に力の強い動物でございました。竜には5つの氏族が付き従ってがおりました。クーヤオフサオガサホナ蜥蜴ウホナでございます。竜たちはとても賢く、しかし争いを知らず、五氏族は賢い竜に従い、この世は穏やかな楽園でございました」


 一気に、歌い上げるように彼女は言葉を紡ぐ。


「ある日、空から人間が落ちてきました。この人間は何に変じることもできぬ出来損ないではありましたが、大層な知恵者でした。人間は竜と五氏族は人間の知恵をとても重宝がりましたが、どこからともなく現れた大きな目を持つ者が、人間は危険であると言いました。しかし竜はそれを聞き入れず、ついには戦に関する御業と知恵を乞い、それを覚えてしまったのです。これを憂いた大きな目を持つ者は竜を東の地の果てに追放しました。争いが無くなったものの、賢く、そして五氏族を導く竜たちもまたいなくなってしまったのです」


 この時ばかりは、私も無意識に過去の記憶をたどっていた。こめかみが痛むたびに、自分が何者なのか不安が増していく。伝承の類を聞くとどうしても過去の記録者クロニスタとしての知識が蘇ってくるのだ。頭痛と不安、それでも抑えられない興味と衝動。私の中は混沌としていた。


「五氏族は相談をして、この空から落ちてきた人間をまた空へと返すことにしました。この時、空への道のりを案内したのが私たち烏族クーウの祖先でございます。以来、自らの手で自らを導き、つまり統治せざる負えなくなった五氏族は、自らを『レグナム支配するもの』と呼ぶようになりました。そして、最初の空返しにより殺生の罪を背負ったため、私たちレグナムに時折、何の力も持たない人間種が生まれてくるようになったと、そう言い伝えられております」


 何度も繰り返された話なのだろう。彼女の口は淀みない。それだけ親から子へずっと口伝えにされてきた物。

 だが、記憶している伝承のどれとも類似性が見当たらなかった。


「大きな目を持つ者は、仕方のなかったこととはいえ竜たちを東の地の果てへ追放したことを大変に悔いて自らを不浄の者としました。そして私たちレグナムの生活の中にあって、レグナム同士のいさかいや裁判、そして祭儀、葬儀を執り行う『調停者』としてこの世を放浪し続けています。そしてまた空から落ちてきた人間、つまり『空からのの使者』を見つければ捕まえて、我ら烏族クーウの城へ、烏王に空返しの儀式を執り行うよう願い出るのです」


 ノヴァエが重たそうに瞼を持ち上げる。


「争いの御業を持って天から転がり落ちてきた人間が災禍を呼ぶ前に、これを速やかに天へをお返しする。これが烏族クーウのお役目。竜が消えた地に一番近いところに都を許された一族の宿命でございますよ」

「争いが起こると、どうなる?」


 顔の前で手を合わせる。祈りの形は多少の違いはあれどどこへ行っても似ている。


「再び争いが起これば天が火を噴き、星々が大地に落ちて、全てのレグナムが滅びます」


 眼下、リンネ川は何事も知らずに静かに流れている。空は突き抜けるように青く、雨が降る兆しもない。風も心地よく駆けていくだけで、嵐の予感もない。城の喧騒以外は何一つ凶事らしい何かは起こっていない。だからこの話は荒唐無稽に思えた。


 確かに昔語りが存在している以上、何らかの原因となる事件が過去に有ったのは間違いないのだと思う。端的に言えば、この星に人間が迷い込んできて、今生きている種族レグナムの元となる竜種が知恵をつけたために滅びた。その過程において、『調停者』なる者たちが現れ、そして人間種が生まれることになったと、そういうことだろうか。そして二度と争いを起こしてはいけませんよと戒める、そういう話なのだ思う。ただそれで全てのレグナムが滅びる、つまりこの場合にはこの世に住む人類が全て滅びるというのは、いささか話が大きすぎる気がした。


 一言でいえば現実味がない。つまりこの昔話は、争いを戒める目的が強いのだろうと推測する。欲を出して力を得るのは悪いことという、そういうところが話の肝になってくるのではないか。神話や民話というのは普遍的な社会規範を教えるか、過去の史実の誇張していること、あるいはその折衷という場合が多い。この昔話の場合には折衷ではないかなと、なんとはなしに考える。


 だが、そうなってくると私の中では一つの不安が鎌首をもたげる。兄ペレグリは『人間の地を奪う』と言った。これは戒めを破る行為に他ならない。そのために必要なのは私『カルセラ』の力。ほぼ同時期に現れた空からの使者。


――何かを知って、殺された?


 誰が、とはあえて考えない。何か繋がりがあるように見えるのだが、自分の手ではどうにもピースを埋めることが出来ない。圧倒的に分からないことの方が多い状態で考えようというのが無謀なのかもしれない。同時に、そこまで考えたところで頭痛が頂点に達する。痛みに耐えられず、胃の中身が逆流してくる。気持ち悪い。


 気が付くと嘔吐していた。ノヴァエが水と拭く物を慌てて持ってくる。しばしの間、私は考えることを中断せざる負えなかった。


 ガルゼッタの伝言を携えた侍女が、部屋を訪れたのはそれから少し経った頃だ。ベッドに横になっていたので直接の対応はノヴァエに任せていたが、明日の儀式というのは王族はすべからく出席するようにという旨だった。


「明日は黒染めの服ですから」


 彼女が用意したのは喪服のような黒い布だった。帯もまた黒い。


「凶事は黒なの?」

「凶事が黒、吉事は赤が通例ですね」


 つい先日は赤、明日は黒、どちらも好きな色ではなかった。


「明日のって、私出なきゃいけないのよね……」

「嫌ですか?」


 低い土壁の天井を見やる。地面の下にいるわけでもないのに、なぜ鳥が土の中で生活しなければならないのか、これまでは不思議でならなかった。


 ここアベス周囲には、例えばこの城を作るぐらい大量の木材が供給できるような森はない。だがこの土地自体は、力が無い烏族クーウにとって過去の栄誉によって他族から唯一手に入れたアドバンテージ、手放すわけにはいかない。だから無い資源を補うためにリンネ川の周囲で泥を使って土づくりの街を築いたのだろう。


 不思議な話だが、簡単な牧畜の技術を持つ彼らだが、農業の技術はほとんど発達していない。川べりに張り付くように麦の畑があるが、それも桶で水を運ぶことができる範囲内のみ。川から用水路を引くことさえできれば、農業によってアベスは急速に発展を遂げるだろうし、烏族クーウは強くなるだろう。


 私自身、その技術を教えることはできるかもしれない。数日前の私ならきっと手を付けていた。だが、今それをすると私と『カルセラ』がまた乖離しまいそうで、これ以上は何もやりたくなかった。今は静かに従っていくべきなのだろう。だからこそ今回の儀式、烏族クーウの現状を維持するには非常に大事だというのは理解している。


「大丈夫……ちゃんと出る」


 明日の儀式は対岸に祭儀場を作って行われるらしい。リンネ川の向こう側はすでに禁足地であって、儀式以外では立ち入ることはできない。本来であれば烏族クーウの城まで調停者が空からの使者を連れてくるまでに祭儀場を整える余裕があるのだが、使者が捕えられたのが城下だったので相当時間が押していた。仕方がなく徹夜で祭儀場の修理をしているらしい。


 日の入りからほんの少し経つと辺りは真っ暗になる。 川の対岸で動物の脂の灯がいくつも動いていて、人魂が踊っているように見えた。これほどまでに世界は暗い。歪な形をしたとても明るい星を見つけ、私は星明りに手をかざして影を見る。


「この世界はまだ黎明期なのね」


 人魂たちの作業は夜を徹して行われた。私は眠れず、明るい星が沈んで東の空が白むまで、人魂ではなく人がそこにいるのだと見えてくるまで、ずっとその様子を窓べりから見ていた。いつ瞼が落ちてしまったのか記憶は定かではない。


 窓べりの堅い土の椅子で壁にもたれて寝ているところをノヴァエに起こされる。すでに日は昇りきっていたがまだ中天に達するほどではない。太陽の動きで大体の時刻を計るので正確ではなかったが、儀式は正午。簡単な食事をとってからすぐに黒い服へと着替えた。ノヴァエも、侍女たちもまた黒い服を着ていた。


 声がかかって階段を下りていくと、広間にはガルゼッタとイビスの姿がすでにあった。黒い服に金の髪が綺麗に映える。兄妹そろって何を着ても綺麗で、こんな時にもかかわらず、思わず感嘆のため息が出た。


 逆にこちらは黒服黒髪。王妃への声掛けだけわざと遅らせたのだろうか。大勢が階段から降りてくる私を見ていた。 死神のような私の姿を認めるとガルゼッタが駆け寄ろうとしたが、イビスが衣の裾を引いた。こちらを睨み付けてくる少女と、哀愁漂う美人。残念ながら、その関係は犬と飼い主のようだった。


 城の一階の広間、多くの諸侯たちも黒い服をまとって集まっている。その中でペレグリは珍しく壁際ではなく、王のすぐ横にいた。彼は布に包まれた長い包みを持って王の傍に控えている。彼の表情からは何もつかめなかった。


「刻限でございます」


 兵士の声が広間に朗々と響く。私は侍女に促されてガルゼッタの左側に立たされた。後ろに続くのがイビスだった。私の前に立つのはペレグリ。彼は包みを開いた。剣、だった。


 そういえば、と思いを巡らせる。ここまで槍のようなものは見てきたが、剣は初めて見た。弓に至ってはいまだに見たことがない。武具の類はあまり発展していないこの世で、無骨ではあるものの剣を見たのは初めてだった。つまりこれは、儀式にとって非常に重要なものであると、そういうことなのだろう。彼はその剣を高々と掲げ、城の正門へ向かう。王と王妃、妹姫とそのほかの王族、そして諸侯、この順に城を出た。


 沿道には案の定人だかりができていた。人々の目線が私であることは間違いがなかった。何せ誉れ子たる妹姫が成敗した悪い王妃という評判だ。それにこの凶事。民衆はこの2つを結びつけずにはいられない。王妃が凶事を招いた、と。


「化けの皮を剥いであげる」


 後ろから小さな声が聞こえた。黒く分厚い日よけの布のせいで、お互いに顔は見えない。涙が眼尻から零れないよう、なるべく静かに歩くことだけに集中するしかなかった。


 城の北側の浅瀬をわたって足を踏み入れた祭儀場は、上から見るよりもとても広く感じた。一晩での用意にしてはとても綺麗に仕上がっている。地面のひび割れも全て泥で塗り固め、王族の座る座には黒い布で屋根が付けられている。正面には薄布が垂らされて座の中が直接見えないところまで来て、ようやく黒い日よけ布を下した。昨日と同じように二つずつ鐘が鳴らされる。カンカーン、カンカーン、カンカーン。それが何回か繰り返されると、あの集団が来た。


 大きく不気味な目の文様。その集団の中央付近で一人だけ顔を布でまかれた男が引きずられる。もはや足が動いていないのか、綺麗に塗装された地面に長い足跡を残した。中央にある祭壇と思しき壇上にその男が座らされる。この祭儀場で一番高い場所、天に近い場所。そこで男の顔を覆っていた布が取り外された。


――ッ!?


 私は身を乗り出した。男の顔はやつれていたが、見た目は40ぐらい。だが私はその人の歳が40どころの騒ぎではないのを知っていたし、見た目の年齢を止めたのが50を過ぎてからだったというのも知っている。白髪交じりの頭は伸びきった植木のようにぼさぼさして風にゆられ、頬は影が見えるほど痩せこけている。


 ガルゼッタがペレグリを伴って席を立ち、檀上へと昇る。初老の男と若年の烏王、目があった。背後のペレグリから剣を受け取り、ガルゼッタが不器用に鞘を払う。周囲に控えた人々から悲鳴にも似た声が上がった。


 剣は錆びていた。しかもその錆び方は尋常ではない、血の付いた錆。その刀身を見て気弱そうな彼は剣を取り落した。一瞬驚いた顔をしていたが、ペレグリは瞬時に苦々しそうな顔になって剣を拾い、金髪の彼に再度握らせなおした。


 だがその様子も然ることながら、私はそれよりも壇上でうな垂れる男から目が離せなかった。


「嘘……」


 座から身を乗り出しただけならばまだしも、私は目の前に垂れ下がる目隠しの薄布に手が伸びる。隣でふてぶてしく座していたイビスも驚いた様子でこちらを見ている。


「うそ、うそ、うそでしょ……?」


 苦しいのとも違う、悲しいのとも違う、涙が頬を伝う。目の前では錆びた剣に怯えたガルゼッタがまた剣を取り落とす。重い金属音が乾いた空に鳴り響いた。諸侯たちのざわめきが酷くなる。薄布を鷲掴みにしたままの私の手は自然と力が入り、引き裂く音が短く鳴る。


「何やってるの!?」


 腰のあたりの服を強く引きながら、イビスにらみながら声を上げる。だがそんなものは関係ない。私にとっては今目の前に広がる光景が現実なのか夢なのか分からず、ただ困惑したまま口から声が零れ落ちた。


「父さん……?」


 怯えきったガルゼッタに剣を持たせ、ペレグリが苦々しい顔で横からそれを支える。振り上げようとするがなかなか力が入らない。


 もたついている間に、私はついに目の前の薄布を引き裂いて座から転がり出た。イビスも何か喚きながら走り出てくる。壇上の男の目に私が映った瞬間、男の目が見開いた。


 同時に剣が振って降ろされた。


 ゴッという音がして、切れるというよりは叩き折られるようにして転がり落ちる頭部。鮮血が地面に弧を描く。


「いやああああああああああああああああああああ」


 声が自分の物だと気が付くにはしばらくかかった。


 力なくへたり込むガルゼッタ、介添えをするペレグリ。私に掴みかかるイビス。転がる頭、止まらない血しぶき。ざわめく周囲の人々。


 全てを見て、認識する。全身の血が早瀬のように流れる音が聞こえる。体のいたるところから血が噴き出るような感覚。腕が翼になる時よりもずっと熱い。熱い、熱い。


「何……これ?」


 唖然としたイビスの声が聞こえる。


 腕は翼に、体には鱗、足は獣、背には鎧のような殻、蜥蜴のしっぽ。異形を寄せ集めの私がいた。それは確かに恐ろしい姿なのだと思う。しかしどうでもよかった。そんなことは些細な問題だった。おぼつかない足取りで首が飛んだ男の方へ歩く。頭を拾う。


 紛うことなく、それは父のエトレだった。


「ああ……ああああああああああああ!!」


 声にならない叫び声が澄み切った空に消えていく。どうしたらいいのかわからなかった。何をすればこうならなかったのか、どうしてこうなったのか、何が起こっているのか理解ができなかった。こんな姿になってまで頭痛がこめかみに這い寄る。頭を抱える腕は翼になっている。こんなものなければいいと思うと、翼の中に手と指が生まれた。


「鎮まりたまえ!」


 イビスの甲高い声が空気を割いた。そして私の後頭部に鋭い一撃が入る。さしもの少女も顔に恐怖を張り付けていたが、腕と足を鳥に転化させた少女の果敢な攻撃は、私に会心の一打を与えた。


 するりと体から力が抜けていく。全身から血が噴き出る感覚が消えていく。その場に倒れる瞬間、体を抱きとめてくれたのは黒い影だった。


「見つけたぞ……!」


その影はかすかに笑って、そう言っていたように記憶している。

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