第5話 猛る翼

「何か見たいものはありますか?」

「これと言ってないけど……そうね、色々見て回りたいから全部案内して欲しいかな」

「かしこまりました。では参りましょう」


 侍女に連れられた私は雑踏の中へ一歩踏み出した。むせ返るような土埃、そして汗の臭いが鼻腔をつく。思わず長い衣の袖で鼻と口を押えて目を細めた。


 そして侍女の後ろを歩いてみて、日よけ布が必要であることを思い知る。肌が白く、日焼けしていない私たち一向はひどく目立つのだ。普通の生活をしていれば自然と日に焼けていくが、裕福で外に出なくてもいい私のような立場の者は暑ければ室内にいればいい。自然と肌の色が社会ステータスになっているのだと分かった。日よけ布を担ぐのは、単純に日焼けをしないためだけではなく、隠す意味合いもあったのだと実感する。


「本当に前時代的な市場ね……」

「この時期ですと、鱗族ホヌが乾物を売りに来ているかもしれませんよ」

「何でこの時期だとなの?」

爬虫類サホヌは暖かい時期しか動けませんからね」


 ああ、冬眠するのか、と一人で納得する。

 市には布を引いて品をその場に並べて売っている。土埃などお構いなしであった。侍女に言われた通りで鱗族ホヌが来ていたが、首に鰓を持っていたのでおそらく爬虫類ではなく魚の方の一族だろう。彼らは魚の乾物を売りに来ていた。


「共食いって言う感覚は無いのかな……?」

「私たちは竜を共通の祖先に持つレグナムですから、やはり他の動物よりも知能が圧倒的に高いですわ。でも鳥を見ると私は親近感が湧きますけどね」

「やっぱりそういうものなの?」

「さあ、さすがに他種族までは存じませんわねぇ」


 ふむふむとうなずきながら、並べられた品々を横目に見る。特に魚に詳しいわけでも何でもなかったが、知っている魚は無い。他に売っている食物は、主食である麦の仲間の植物、それから野菜という名の野草のようなもの、それから肉や魚は乾物か塩漬けが一般的のようだった。食べ物以外だと塩、家畜、毛皮や布、おそらく土壁修理用の干し草、薪などが一般的で、それ以外は荒削りの木製食器、珍しいものだと石や骨を使ったアクセサリーを扱っている店もあったが、生活必需品が大半を占めていた。


「そういえばお金は?」


 貨幣の存在があれば政府との繋がりがあることを証明できると、ふと思い出す。逆に貨幣が独自の物である場合には、政府との繋がりが切れていると推測していいはずだ。これに対して侍女二人は顔を見合わせている。


「お金は南の四肢族オグが作っているものが流通していますが、この辺ではあまり使われていませんね」

「私もあんまり手にしたことがありませんわ」


 2人とも首を傾げていた。ではどうやってここで売られているものを買えというのだろう。考えてみるに、お金がない場所に人がこんなに多く暮らしている現場に赴いたことがなかった。人が多くいるということは即ち物流が盛んであることであり、つまりその場には物の価値を決定、共有するためのお金が集まるのが道理。そして私が知っている一般的なお金と言えば、地方自治組織が違ったとしても惑星間で貿易に差支えが無いようにと政府が管理しているので一種類だ。それがないとなると、このアベスという土地柄自体が、私にとっては疑問符になる。なぜ政府との繋がりが見当たらないのに、これだけの人が集まってくるのだろうか。


「えっと、そしたら、ここで何か欲しいものがあったらどうすればいいの?」

「カルセラ様が望まれるものなら民たちは捧げねばなりません」


 質問を間違えたな、と少し顎を引いて頭をひねる。


「そうね、そしたら普通の民たちは? どうやって物を得るの?」

「物々交換です。行商相手ですと麦となら大体のものは交換で手に入ります。周辺の村々から食べ物を売りに来ている者たちには、加工品の方が喜んで交換してくれますね」

「ぶつぶつこうかん……!」


 目も口も丸く開けて感嘆の溜息をもらす。時代から取り残された、という言葉がこれほどふさわしいのも珍しい。私が知る限り、どのような形でも貨幣が流通していない惑星は連邦政府の管理下には存在しない。管理下にある惑星でも地域が違えば、政府の管理を受け入れない民族がいないわけではなかったが、そういう場所はコミュニティ自体が閉鎖的で非常に小さいものだ。基本的に大きなコミュニティは、イコールで政府の影響が及んでいる場所と認識していい。そうでなければ多種多様な種族が入り乱れる市場は共通言語貨幣を持つことができず、そもそも存在自体が難しいだろう。だとするとこの市場には何とも言えない違和感があった。


 確かにいま宇宙の全域を見回してみると、科学技術の分布傾向にバイアスが観測されているのは事実だ。それが地域格差だ文明格差だなどと管理側の政府に責任を問う声もあるのだが、この土地の文明の程度を考えればそれは問題にすらならない。ここはまさしく、忘れ去られた飛び地のようなものなのだ。


「通貨が違うってことは、たぶん見逃しよねここ……。惑星一個見逃してるんだとしたら、政府も記録者クロニスタも間が抜け過ぎだわ」


 この惑星へ私をすっ飛ばしたミズシマ博士よりも、今は政府の方へのいら立ちの方が優勢だった。それ同時に、ふと私の中で一つの野望が鎌首をもたげる。


「帰ったらあの博士一発殴って、それから私がこの惑星を新しい管轄域に登録すればいいのか……!」

「カルセラ様……?」

「ああ、うん、なんでもない!」


 鏡があればどんな悪い顔をしていたのか見えたのかもしれない。ところが幸いなのか不幸なのか、この土地に鏡などという上等なものは存在していなかった。しいてあるといえば、水鏡程度。慌てて繕ったように笑顔を見せて手をひらひらと振って見せる。


――こんな新米の記録者クロニスタが文明保有惑星を発見したなんてことになったら、歴史に名を刻むような偉業になるじゃない! そしたら、そしたら自己紹介でエトレの娘って言わずに堂々と自分の名前を名乗れるようになる……!


 内心で大きく拳を振り上げる。一方、満面の笑みだけは隠しきれていなかった。


 記録者クロニスタは、生物や風土、文明の波及状況を統括的に記録しておくことや、時には疾病の原因を保管することもある極めて危険で、そして地道な作業の仕事だった。その中でも一番の華々しい栄誉が、新しい文明の発見である。連邦政府の管轄から一時離れて忘れられた結果、特異な発展を遂げた文明を再度発見することは、特に大きな功績として認められている。これまでに数例見つかっているだけの特にまれなケースだ。


 持続的な記録が大変重要な仕事であることは理解しつつも、記録者クロニスタになった大方の若者は、やはりその栄誉を妄想するものだ。恥ずかしながら、私もその一人。そのためにも今は出来る限り生活様式や技術を記憶しておき、再度この星を訪れた際に円滑に調査できるようにしておこうと思った。


 もし次にちゃんと調査に来られる機会があるとすれば、今度は全くこの土地を見も知らぬ調査員たちを連れてこの人ごみに溶け込まなければならないのだ。それがどれほど難しいことなのか、先輩に連れられた側を何回か経験した私は知っている。たとえば手の形、腕の動き、例えば服装の合わせ一つとっても、危険な人間を呼び寄せる可能性もある。一つ間違えば相手を侮辱することにもなりかねない、それが違う文明というものだ。だから今のうちになるべくさまざまなことを記憶をしておきたくて、周囲の人や物を舐めるように観察し続けていた。


 だが、あるところで侍女がすっと止まった。


「ここより向こう側は奴隷市ですので、行かない方がよろしいかと……」

「奴隷制度なんてものがまだ存在してるわけ? 信じられない」


 奥の方に何人も繋がれているのが見える。遠目でどんな種族がいるのか判然としなかったが、近くの男たちがぎろりとにらみを利かせている。奴隷商人にとっては聞きづてならなかったのだろう。侍女がいるからと不注意になっていた。誰かに手首をつかまれる。


「おい、ねぇちゃんよォ」


 その人物は、優に頭二つ分は背の高い男だった。ごわごわした髪が体毛のように首まで続いているのを見て、直感的にこの人は四肢族オグなのだろうと分かった。内心に冷や汗をかく。目の前の男がこちらを振り向く間に、周囲に同じような恰好の男が3人ほど。じわりと距離を詰めていた。


「ごめんなさい。私、急いでるの」

「ねぇちゃんちょっと付き合ってもらおうか」

「お嬢様!」


 侍女たちが名前を呼ばずにいてくれたことで、正体がばれることはなかった。が、無理に腕を掴まれてどんどん路地裏の方へ入っていく。男の仲間が道をふさいでいて、真っ青になった侍女たちの顔がどんどん小さくなる。


「バカなお嬢様もいたもんだ。烏族クーウは愛玩用の奴隷としては価値が高いもんでね」


 腕をつかんでいる感触が、人間の五本指からもっとかたくて広いものに変わった。振り向くと、男の手足は猿のそれになっていた。人間の腕は消え、毛むくじゃらで太い腕と大きく平たい掌、そして人よりもずっと鋭い爪が生えている。長く自由自在に動く黒い毛におおわれた尻尾をこれ見よがしに振って見せながら、男がニッと笑うと人型の時よりも太く長く伸びた犬歯が見えた。


 爪と牙、抵抗したら簡単に肉に食い込む想像は容易だった。恐怖にすくんで、思わず足がもつれる。転びそうになったところをくるりと受け止めるようにして、猿男は片腕で私の体を脇に抱え込んだ。


「はな、して!」

「まったく楽な仕事だよ」


 軽く助走をつけて猿男は跳躍した。自分の身長の3倍ぐらいはあろう土壁の上へと着地する。それからバランスを取りながら土塀の上を走っていく。人間離れした身体能力。幾つもの細い道を飛び越え、走り抜ける様は、大きな猿そっくりだった。


 その後ろから羽ばたきが聞こえたのは三つ目の路地の壁の上走り出してからだった。どうっと風を起こす音が背後で聞こえ、土埃が舞って洗濯物が飛ぶ。


「その方を放しなさい!」


 背後にあの上背がある方の侍女が飛んで迫って来ていた。


 草で編んだサンダルは脱ぎ捨ててあり、足に鉤爪が付いた足が見える。大きく開いた濃い茶褐色の翼は、風切り羽に白い斑点が目立つ。あまり羽ばたかずに滑空してくるが、一たび羽ばたけば先ほどのようにどうっと風の音がした。


 猿男は少し後ろを見て舌打ちをしたが、足を止めることなくむしろ走る速さを増す。


――私が本当のカルセラだったら、飛んで逃げるんだろうけど……!


 ふと飛ぶように流れる地面に目を落とした。気が付くと自分を追う影が増えている。


 上空を見上げると小柄な方の侍女が切れ長な翼を羽ばたかせ、真っ黒な翼をもった城の兵士たちを引き連れてこちらを捉えていた。


「何で城の兵士まで追ってくるんだ……! お前何者だ?」


 猿男の表情にひどい焦りが見えた。正体を明かすべきか、否か、一瞬迷う。ただ、正体を知れば人質にされるだろう。今は何も答えず、奥歯を噛みしめて逃げる機会をうかがうしかない。


 上空から高度を落としてきた黒い羽の兵士たちはかわるがわる猿男を棒で小突き、先回りをし、逃げ道を限定させていく。明らかに上空から集団で一匹の獲物を狙う『狩り』になっていた。鳥と猿なら猿の圧勝だと考えるのが普通。ただ集団になるとこうも変わるのかと、連係プレーに目を見張った。追い込んだ先は川べりの建物の上だった。


 2階の屋根に舞い降りた隊長と侍女2人は静かに羽をしまった。他の兵士たちは上空を旋回し続けている。するすると腕の中へ消えていく羽は、近くで見るとやはり手品にしか見えない。


「その方をこちらへ渡せ!」


 隊長の怒号が響く。猿男は人質の首に鋭い爪を突きつけながら後ろの一歩下がった。


「くっそ、何がどうなってんだ!」


 猿男が吐き捨てる。次の瞬間、私は空中にいた。ぶん投げられた、というのが正しかった。


 猿男の方は川へと飛び込んでいる最中。目があった一瞬だけ互いに空中で時が止まったように見えた。だがこれでは確実に、落ちる。


 暑い季節で水もそんなに冷たくはない。泳ぎも得意ではないができる。それよりも高さへの恐怖だった。猿男としては、烏族なのだから飛べて当然と思って、自分が逃げるために放り出したつもりだろう。ところが事実は、正確には違うのだが、飛び方を忘れた烏族クーウを川に投げ捨てたということになる。


 上空を旋回していた兵士たちが急降下してくる。


 翼を一度しまった侍女たちと隊長が、また一瞬で翼を開いて飛び上がる。


 しかし、彼らよりも自分の方が早く落ちる、私の目にはそう見えた。


――落ちるッ!


 無意識に体を小さくして腕と足を折りたたむ。だが腕に熱いものを感じて力が入った。早瀬のように血が 流れる音がする。その血が腕から噴き出るように感じた。


 まばたきの一瞬、大きな抵抗を感じて腕を開くと、体が下ではなく斜め前へと進んだ。


「……え?」


 斜め下ではあったが、明らかに落下とは違う物理法則が働く。勢いはついているが、滑空に近い。腕には白と黒のまだらの羽がきれいに生えそろっていた。見知らぬ翼が自分に生えていた。


 呆気にとられた次の瞬間、水柱を上げて私は川の中へ不時着した。

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