第2話 私の消失

  帰り道に何を考えていたのか、よく思い出せない。ただ数十時間もの間、端末で情報収集と頭の中で何かを反芻していたように記憶している。そういう作業を繰り返すことで、自分では冷静になったと思い込んでいた。そういう状態のまま帰宅したところで、自宅の捜査をしていた生体管理局の捜査員と出くわし、ようやく事態の詳細を聞くに至る。


 そして今の私の頭の中は怒りだった。考えれば考えるほど怒りが湧いてきた。何に対して怒っているのか、自分でも判然としていなかったが、ともかく怒りを感じているのは間違いない。漠然と何か、例えばこの状況に怒っていたのかもしれないが、もしかしたら怒りで不安を隠していたのかもしれない。自分でも心のありようというのが、この時うまく理解できなかった。


「所在が掴めないってどういうこと!?」


 特定の職種や長命手術を受けた者、あるいは犯罪者は、必ず生体板が埋め込まれて監視の対象となる。それは行方をくらまされたら困るほどの重要人物、または所在不明になりやすい職業の者とも言い換えることができる。所在地や健康状態といったものが1秒の狂いなく見られているのだ。私の場合には職場である記録者クロニスタの管理担当部署が生体板の管理を行っているが、父は当局によって管理されていた。 万が一、身の危険が及ぼうものなら当局が感知する。それさえなく父は姿を消したというのだから、今回の失踪がただ事ではないのが分かった。


 現政府を支える最重要人物の所在が1週間も分からないなどというのは、前代未聞の事態と言えよう。だが事実、父の居場所はようとして知れず、自宅には捜査関係者が連日出入りしているようだった。


 物々しい雰囲気の自宅を出て、ある人の自宅へ向かう。報道陣に見つからないようにこっそりと出たのもあったのだが、誰も私を追いかけては来ない。幸いなことに父エトレ・マンジャロアは顔も名前も有名であるのに、どうやら娘の方は無名であるらしい。捜査員と間違われた程度で、簡単に外に出られてしまった。


「不幸中の幸いというやつか」


 つぶやきながら、私は乱れた黒髪を撫でつけた。向かう先は父が失踪する前に最後に会ったという人物の家。しらばっくれようが暴いてやる、と唇を噛んだ。


 相手方へ赴く旨はすでに連絡を入れてあった。はいどうぞと返信は無かったが、どうにも衝動が収まらなかった。私は仕事着のまま目的の建物に正面から入る。コートの腕にあるペンの紋章を隠そうともせず、扉の前に立つ2人の男と対峙した。これがあれば、私がどこに所属しているのかは口で言うよりも簡単に通じる。記録者クロニスタは政府から独立した機関のためか、少し困ったように男たちは顔を見合わせた。


「エトレ博士のお嬢さん、ですか?」

「分かっているならそこを通してください。ミズシマ博士にはすでに連絡済です」


 目的地、ミズシマ博士の自宅前で立ちふさがったのは自分よりも背の高い男二人。勝手に来たのだからしょうがないと思ったが、ふと彼らが軍の制服である気が付いて内心で首をひねる。


 今回の失踪事件、自宅に出入りして捜査していたのは生体管理局だった。しかし最有力容疑者、父の同僚であるミズシマ博士の家の前で立ちふさがっているのは、治安維持を管轄とするいわゆる軍部。違和感はあるものの、しかし私にとっての一番の問題はそこではない。


「申し訳ありませんが、ミズシマ博士には誰とも接触させないようにと命令が出ています。ご連絡もおそらく回線ごと切られているかと」

「父は最後にミズシマ博士と会ったのでしょう? 話を伺うことぐらいさせてくれてもいいのでは」


 自分の言っていることが無茶苦茶である自覚はどこかにあったが、そんな自覚はどこかに投げ捨ててしまえと声がした。門前にいた守衛は振り切って中に入ってしまっている。広い敷地で声を張り上げても、私たち以外には誰も聞こえていないようだった。ただ相手も一向に退く気配はない。数秒間にらみ合いが続いた。


 その均衡が破られたのは、家の扉が内側から外側へ、勢いよく開かれたためだ。


 屈強とはいえさすがに前ばかりに気を取られていた隊員。不意打ちで後ろからどつかれれば前によろける。その少し空いた扉の隙間から、青白い不健康そうな腕が伸びて、私の腕を掴んで扉の中へ強引に引きずり込んだ。引きずり込まれた私にとっても、本当にあっという間の出来事だった。


 一瞬の後、私はミズシマ博士の家の中に入れたことに気が付く。外では扉をたたく音、ノブを力いっぱい回そうとする音が聞こえてくる。だが、そんな外の喧騒より私は目の前の不健康そうな中年の男から目が離せなかった。男は決死の覚悟だったのか肩で息をしている。特にこれと言って特徴のない男である。白髪交じりでメガネをかけた、おそらく道端ですれ違っても気が付かないような男。


「あなたが……ミズシマ博士?」

「君がオルティリアだね?」


 会うのは初めてだった。


 ミズシマ博士は父の弟子であり、とても長い月日一緒に研究している同僚だと、映像記憶を見ながら話を聞かせてもらったことがある。父の映像記憶と今目の前にいる彼の外見は一切変わっていない。彼もまた長命手術を受けられる程度には、現在の世界にとっては重要人物なのだ。


 ただ、父の映像記憶ではもっと生気のある顔をしいていたように記憶している。同じ人物ではあるのだが、全く違う人物のように見えた。何かに打ちひしがれたようにも見える。


「ああ……やっぱりだ。君がオルティリアか」


 博士は残念そうに、ただどこか愛おしそうに私のことを見てつぶやいた。その様子を純粋に気持ち悪いと思って、吐き捨てるように要件を叩きつけた。


「博士、父はどこです」

「……」


 博士は、ドンドンと叩かれる扉を背にその場にへたり込んで頭を抱えた。


「答えてください、父がここに来たんでしょう? その後どうしたんです?」


 私は博士に一歩詰め寄った。採光用の高窓から午前の柔らかい日差しが、木の葉ごしに落ちてくる。緊迫した雰囲気とは裏腹に穏やかな、調整された天気だった。


 しばらくして彼は、あぁという悲壮な声と溜息が混ざったような音を出しながら息を吐いた。次いで立ち上がり、私に背を向けてとぼとぼと家の中へ歩き始める。


「立ち話もなんだから、こっちへおいで。ここの扉はそう簡単には破られないよ」


 そう言って家の奥の方へと私と手招きをする。誰もいない静かすぎる家に少し気圧されたが、ここまで引き返す理由もなく、意を決してついていくしかなかった。彼の書斎と思しき部屋、そしてその隣少し広めの実験室に通された。個人の実験室としては非常に広い印象を受ける。


 幾つも機械が置いてあったが、何に使うものかは門外漢過ぎてさっぱり分からない。ひんやりと気難しそうに並んでいる機械というのはどうも苦手で、私は少し距離を置いて彼と対峙した。口火を切ったのはミズシマ博士の方。


「確かに、エトレはここへ来た。私と口論になったのだ」

「そのあとはどこへ行くと言っていました? まさかここで殺したわけではないのでしょ?」


 自分でその言葉を使ってしまうと、父が死んだのを認めてしまうようで怖かった。しかしそれ以外の言葉がとっさに思いつかなかった。しかしその言葉もすぐさま反論が飛んでくる。


「違う! 殺してなどいない!!」


 彼はまさか私が『殺した』などという言葉を使うとは思っていなかったのか、人が変わったかのように声を荒げた。確かに生体板の情報では死亡とは出ていないと各情報誌も取り上げている。ここを出て、ある危険空域へ達した後、忽然と反応自体が消滅した、ということだった。


「殺してなどいない。大事な先生だ、家族をとうの昔に失った私にとっては、エトレはもう家族みたいなもんだったんだ。これは信じてくれ……」

「じゃあ」


 思わず手に力が入る。グローブ越しにでも手のひらに爪が食い込んだ。その拳を振り上げないように必死に腕に力を込める。


「じゃあなんで父はここへ来て、それから消えたんですか! 生体情報が突然消えるなんて普通じゃないのに、あなたはずっとだんまりだ。なぜ消えた父の情報を提供してくれないんです? どうして父が失踪したのに、あなただけ無事で、何も言わずにここに居続けているんですか?!」

「……君を」


 口を開いて閉じてまた開いて。わなわなと震える下あごは、彼が言葉を紡ぐことを恐れている証。一つ一つ言葉を選びつつも、これでいいのだろうかと自問しながら文章にしていく様子はじれったくもある。


「君の、全てを公開するから、一緒に付き合えと言われたんだ」

「私?」


 唐突に自分に話題が飛んだことに驚きが隠せない。なぜ、突然私の話題が出てくるのか見当がつかず、口から言葉を出そうとしてそのまま固まる。なぜと問うのは簡単だが、何についてなぜと問えばいいのか分からず、眉根をひそめて首をかしげる。 逆に一旦しゃべりだした彼の方は堰を切ったようで、言葉が次から次へと芋づる式に出てきた。


「君は自分が何者なのか知らないだろう。知らずに育てられたはずだ」

「それは、どういう……?」

「君がここに存在しているのは私たちの罪を暴露するためなのだ。エトレはを罪だと、そう言い切った」


 ぞわりとした。

 自分のことなのに、自分の預かり知らないことが知らないところで進行している。怒りの外側へ不安が染み出してくるのを感じた。立っている地面がゆらゆらと不安定になるような感覚。強張っている筋肉にさらに緊張が走る。


「確かに罪なのかもしれない。しかしな、もう少しで上手くいくかもしれないんだ。そしたら世界から争いが消える! そうなってからなら罪だなんだと責められてもいい!」

「あなたは何を言っているんです……?」

「分からなくてもしょうがないことなのだ。君自身には罪はないのだから。エトレも大したものだよ、20年間私たちによく、そうとは悟られずに……」

「分かるように、私に分かるように説明して!」


 違う言語で会話しているようだった。全く彼が何を言っているのか理解が出来ない。


 最初は殺したのだと認めさせるために問い詰めるつもりでいた。もちろん父の遺体の場所だって吐かせるつもりだった。しかしどうだろう、本人と直に会ってみて、話すほどに父ではなく自分の事で不安が高まっていく。正体不明の胸騒ぎに、ゾロリと心を舐められたようだ。


「これがなんだかわかるかい?」


 そう言って彼は背後の機械に手を触れる。人一人が十分に入れるぐらいの大きさのポットがあった。私は首を横に振る。


「これは、疑似細胞の転送器だ。ほんの試しにと思って自作したんだが……。ほら、開腹せずに体内に臓器移植するだろう? あれのまぁ、人間一人分というところだ」


 私の中で何かが切れる音がして、気が付くと両手で彼の襟首をつかんでいた。


「これで……父さんを」

「いや、待て違う! これは軸になる細胞がある場所へしか転送できない。それは臓器移植と同じだ! エトレと同質の細胞なんてものは、生体管理局にあるクローンぐらいだろう」


 ではなぜこんなものを彼は指差したのだろう。答えは私なのだろうが、この時私はその回答を分からないふりをした。分からない顔をしたままミズシマ博士を締め上げる手に力を込める。


 だがそんな気持ちも、何千年と生きる彼にとっては簡単に見通せたのだろう。私が考えまいとした答えをあえて言葉で突きつける。


「だが、君はどうなんだオルティリア」

「私……?」


 一瞬怯んだ私の腕を、ミズシマ博士がまたありえないぐらい強い力で引っ張る。自暴自棄になったとでも言おうか、火事場の馬鹿力と言うべきか。よろけた拍子に後頭部に何かを叩きつけられ、そして背中を蹴られた。押し込まれたのは先ほどのポットの中。外に這い出るよりも早く、その扉が落とされた。


「ちょ、何すんの!」


 鈍い痛みの後頭部を抱えながら、私は暗いポットの中で壁に爪を立てた。爪は何も引っかからず、むなしく滑る。


「頼む、エトレを助けてくれ……。彼は自分の手で終わらせると言って行ってしまったんだ……!」


 半分以上泣き声みたいなミズシマ博士の声が聞こえた。静かにモーター音が鳴り響く中、私は閉じた扉をガンガンとこぶしで叩く。


「出して! 私、長命手術受けてないから足以外は生身なの!」


 大声が聞こえてないわけではなかろう。ただ見えない扉の向こう側からは何も返ってこなかった。


「やめてッ」


 外よりも自分に意識が向き始めたのは、体の末端から『自分』がほどけて消えていく感覚が這い上がってきたからだった。

 そう、全身から。


 最初に落ちたのはグローブ。中身が無くなってポスっと力なく床へ落ちた。コートの袖も平たくなり、ふわりと宙に揺れる。足が無くなり立てなくなってバランスを崩し、冷たい壁面に肩を擦っていたがその肩すらなくなり冷たさが頬を撫でる。

 

 痛みは一切ない。ただ存在するはずの肉体を脳が認識できなくなっていく。麻痺にも似ているが、実際に無くなっていく自分の手を見ながら愕然とした。


「なんで私、分解されていくの……?」


 外のことなどどうでもよくなっていた。この瞬間は父の事も忘れていた。

 自分を認識できる限界まで自分が消えたとき、私は『オルティリア』を観測できなくなった。私がポットの中で記憶しているのはそこまでであった。

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