第16話 若鳥と子猫と虎
報告を終えた
「助かりましたーいつもは帰ろうって言っても逃げられるもんで、こんなにすんなり帰れるのは初めてっす……」
「大げさだなぁ。俺だって用事があればちゃんとお城まで行くよ」
「出向くじゃなくってフェリダ様の家はあそこです!」
大路の幅は私の歩幅でも50歩分ぐらいは優にありそうだった。行きかう人々は色とりどりの衣を纏っている。どうやら周囲を森に囲まれたここマーメリアでは、周囲が砂のアベスよりも染色技術が発達しているようだった。子供たちは
「俺、城嫌いなんだよ。空気がびりびりしてて居心地悪いんだもん」
「そういえばまだお父さんって呼べてないでしょ」
「うるせー馬鹿イビス」
力なく垂れた尻尾が左右にブンブンと振られる。耳がキュッと後ろを向いて、見るからにフェーは不機嫌そうに低い声を出した。
「本当のお父上ではないの?」
私が彼の顔を覗き込むと、彼はプイッとそっぽを向いてしまった。代わりにイビスが私の方へ向く。
「誉れ子はどんな地位に生まれたとしても、そのほとんどがいずれは王族かそれに連なる家に加わるの。見合う年頃の王族がいればその伴侶、いなければ分家とかに嫁いだり婿養子になる場合もあるわ。あたしのおばあさまも平民の生まれだったけど、誉れ子だったからおじいさまに嫁いだようなものだったみたい。王家とそれに近い諸侯が強い血をどんどん取り入れるようにしているてことね」
「血統を大事にしてはいるけど、力が強い血を取り入れることには貪欲ってことなのかな。私の感覚とはちょっと違うかもしれないなぁ」
私は彼女たちの言う婚姻と養子縁組の制度は、遺伝を科学的にとらえられない時代にあったという血統という思考に近いものを感じた。美しい両親から美しい子供が生まれるかというと確率的にそうなりやすいというだけの話なのだが、遺伝子を直接いじることが出来る外界においては血統はあまり意味をなさない。必要な能力があれば後から疑似細胞で補完することもできるのだし、私のように母を知らなくても遺伝データさえあれば子供は生まれるし問題なく育つ。血が繋がっていなくとも一緒に暮らす家族という形を取る人もいれば、
ただこの世界においては血統とはすなわち両親であり、両親は大事な自分の証明書の一つなのだろう。イビスが美しく強いのは恐らく両親がそう望むべくして婚姻を結んだからであり、フェーが王家に養子として入ったのは強い血を王家に組み入れるため。どちらも遺伝子の存在を知らない人々の甲斐甲斐しい努力の結果とも捉えられる。この血統というものにこだわる家族観を前時代的と捉えるかどうかは人によるだろうが、彼らをデータではなく個人として知る私としては嫌いではないなと思う。
私は母を全く知らずに育ったが父には随分とかわいがってもらったので、それほど寂しいと思うことはなかった。肉親や血縁というものが希薄な外界においては結構まれなケースだと自認している。私自身にそういう背景があるからこそ、『血肉を分けた』という表現がぴったりな生き方をしている彼らを、素直に好意的に捉えているのかもしれない。
「王家は特に強い血筋を好むから、イビスみたいな王族出身の誉れ子が多いんだ。逆に俺みたいな貧民街生まれのが王の直接の養子として王家に入れたのは、養父のアルタイカ様が御子に恵まれなかったからで、超が三つぐらいつく特例ってわけ」
「でもフェーが生まれたとき、ちゃんと調停者が言祝ぎにあらわれて毛を一房持って行ったわけだし、間違いなく誉れ子なんでしょ」
「俺はなりたくって誉れ子になったわけじゃねぇもん。できることならアルタイカ様には側室を持ってもらって、子供が生まれてくれる方が数倍望ましいね」
力なく垂れた尻尾が力なく揺れた。そういう生まれならば、先ほどまでいた場所の方が居心地よく感じてしまうのも納得できる。だがそれだけが原因だけではないように思えた。何だろうと首を傾げると察したイビスが続ける。
「フェーは猫で、アルタイカ様が虎なの」
「巷じゃ俺のことは小虎だってさ」
彼はやれやれと言った風に肩をすくめて見せた。
「みんなアルタイカ様のことを可哀そうだっていうんだぜ。そんなの俺が一番わかってるっつの。もっと大きくて立派な動物の血を引いてりゃぁなぁ、そんなこと言わせねーのに」
「それがお父上に遠慮をし続ける理由なのね」
「この先もっと強くて大きい種族の誉れ子が生まれたら、俺失踪するつもり」
後ろで話を聞いていた兵士がヒィっとひきつったような声を上げたのがかろうじて聞き取れた。アルタイカ王という人となりはまだ分からなかったが、息子が心配で毎回兵士に探させるような人だ。きっと失踪したらこの兵士は見つけ出すまで帰宅困難になるだろう。
「もう少し大きくなったら親の気持ちってのが分かるんじゃない?」
私はどちらかというと逆だ。失踪したのが親の方。それでもたった一人の家族がいなくなるというのがどれほどのものかを知っている。彼には同じ思いをさせるようなことをさせたくないなと、どこかでおせっかいが働いた。
「言っとくけど、俺イビスと同い年だからね?」
やや憮然として彼に睨み付けられる。
「え、同い年? 14歳?」
「あのな!」
縞模様のしっぽが試験管洗いのように太くなった。
「
彼の向こうで、イビスが高笑いをしていた。
本来であれば非公式の来訪であったので裏口からこっそり入れてお会いするだけの予定だった。だが予定外に王子を連れていたので、そのまま正門から中へ通される。綺麗な木造の平屋、長い廊下をどこまでも奥へと連れまわされる。幾つもの角を曲がり、扉を開け、いったい自分が王城のどのあたりにいるのかすっかり方向感覚が分からなくなってしまった。ようやく着いた部屋で待っていたのは威風堂々という言葉がぴったりな壮年の男だった。
「申し訳ありませんが、初めまして、でよろしいでしょうか」
縞模様の鬣のような髪、蓄えられた髭が恐ろしげに映る。だが柔和な表情でこちらに手を差し伸べてくれたのがアルタイカ王その人の最初の印象だった。
「以前お会いしたことがありますが、記憶を無くされたとか。カルセラ殿も大変な目にあわれましたな」
「申し訳ございません……」
「あなたが悪いのではない。さあ、おかけになられよ」
しっかりとした木の椅子だった。
「イビス殿もすっかりお綺麗になられて、さぞや引く手あまたであろう。うちの息子とは大違いだのう……。ほれ、フェリダは尻尾と耳をしまいなさい」
「申し訳ございません……」
しゅぽっと尻尾が短くなって消え、耳が人の耳の形になって顔の横の方へ移動してくる。また魔法を見たような気分だった。
洞窟に同行したいとなれば王との交渉の場に彼は居ざる負えない。仕方なしとはいえ、ものすごい仏頂面でフェーは着席していた。少し機嫌をそこねたように見えたのか、王は慌てて甘い猫なで声で息子の頭を撫でた。
「あああ……。お前が悪いのではないよフェリダ。じきに大きくなろう、な?」
「お心遣い感謝いたします……」
プイとそっぽを向いていたが、思わずはみ出したのかまた縞模様の尻尾はふよふよと上を向いていた。それをポンポンと撫でられるとびくっとまっすぐになってまたしゅぽんと服の裾の中へ消えてしまった。尻尾はとても正直なのだなと私は笑いをこらえた。父は息子が好き、息子は反抗期だが大恩ありすぎて反抗しきれず、そういう構図のようだった。
ここではすでにお茶というものが発見されているらしく、香りがいい緑色のお茶が出てきた。こちらの世界へ来てから初めて飲むお茶だった。それを一口すすると王はイビスの方へ向き直った。
「さてイビス殿。ルスバデ洞窟へ行く許可をと書簡にはあったが、あの洞窟は王家の墓所に近い。いかような用事なのか理由をお聞かせ願えるか」
イビスは大きく一つ頷いて、用意してきた嘘八百を並べ立てた。カルセラに悪霊が取りついて記憶を奪ったこと、空からの使者が訪れたり、剣が錆びていたり、カルセラが恐ろしい転化を行ったこと。全て嘘だったが、彼女が言うと真実味が増す。私は不安そうにその様子をうかがって時々相槌を打つようにしていた。裏を知っているフェーは斜め上の方を見て素知らぬ顔をしている。王だけが真剣にイビスの嘘に耳を傾けていた。
「恐らく悪霊は使者から姉様に移ったものと思います。その使者が隠れていたのがルスバデ洞窟とのこと。姉様の記憶を元に戻すためにも、悪霊が住んでいた場所を調べさせてほしいのです。何か痕跡が残っているやもしれません」
「ふむ……」
さて、ここからが問題なのである。
イビスの予想では、許可が出る出ないに関しては恐らく何も問題なく許可を出せるはずだというのだ。だが王はそれを渋る様子をこちらに見せるだろう、と。つまり何かを寄越せと態度で示されるだろうというのだ。確かに予想通り、王は腕組みをして首を捻り、大仰にため息をついて見せている。イビスがサッとこちらに目配せをした。あれを出せという合図だった。
「アルタイカ陛下、僭越ながら手土産を持参いたしました」
「ほう?」
右の眉毛がぴょこんと跳ね上がる。食いついた証拠だ。
私は荷物から布の包みを取り出して開いて見せた。石鹸である。あれから下男と一緒に改良を重ね、色を付けたり香りをつけたりしていたのだ。これにはイビスも驚いたようで、物欲しそうな目でこちらを見ている。王は石鹸を手に取りその感触に首を傾げ、匂いを嗅いだ。おもむろに口を開けたところで慌てて止める。
「これは石鹸と言って、食べ物ではなく手を洗うのに使うものです。使い方をお見せしますので小さな桶に水を用意してもらってよいですか?」
すぐに水が張られた手桶が用意されて、私は目の前で手を洗って見せた。午前中飛んできただけあって、実は手には結構汚れが付いていた。泡立たせて擦って汚れを落とした手を、王も、そしていつの間にか食い入るようにしてフェーも見ていた。
「これは悪霊が残して行った記憶の欠片から姉様が作り出した新しい文明の利器です」
「悪霊がこれを……」
乾いた石鹸を手に取り、王は悪しきものを見るような、それでも喉から手が出るほど欲しそうな、そんな複雑そうな顔をしていた。これにどれほどの価値があるのか、一瞬で見抜いたのだろう。ひとまず3種類15個持ってきたのだが、流通を考えるならば作り方を知りたいはずだ。そこでイビスが畳み掛ける。
「追い払った悪霊のしっぽを捕まえて、姉上の記憶を安定的に戻すことが出来れば、悪しき記憶は封印して役に立つ技術だけを引き出せるものと考えております。その暁はぜひとも
悪霊云々以外はあまり嘘は言っていない。要は外界の技術を手に入れたときに、その一部を
「ふむ」
「いかがでしょうか」
依然として王は腕組みをして石鹸を矯めつ眇めつしている。だが不意に私の方へ眼を向けた。柔和そうではあるが、どこかでギラリと光るものがある。悪霊がいまだに憑りついていると疑われているのだろうか。目を合わせたまま笑い返すこともできず、息を飲んでいた。
「イビス殿」
「はい」
重たい口を開き、王は口角を上げた。
「嘘は、もう少し口数を減らして言った方が本当らしく聞こえますなぁ」
「……ッ」
初めて彼女が苦々しい顔をしているところを見た気がした。対する王は笑っているようで、目は笑っていなかった。
アベスでは彼女を手玉にとれるものはそうそういない。しいて言えばペレグリぐらいだが、あの二人が真っ向から対峙することはほぼない。予想外の事態に同席していたフェーはまた耳も尻尾もはみ出して、驚いた表情のまま固まっていた。私も内心では言い訳を考えようと頭が空回り始めていたが、そのあわてっぷりを顔には出さずにいられた。2人よりも年の功かもしれない。
「――とはいえ」
王は年少の2人を交互に見て、口元がにやりと笑う。
「そのお申し出はとても魅力的。将来的に我が一族、いや私の後を継ぐフェリダの有力な切り札となりえるならば、今回の洞窟探索を認めましょう。いかがかな?」
王にしてみれば、いつもは自分を避けている息子が同席している時点でおかしいと思ったのだろう。苦笑いをしながらイビスはため息をついていた。
「もちろん、彼がこの都でより良い治世を行うための技術も中には含まれましょう」
「うむ。ならば許可いたしましょう。存分に探索されるがよい」
王は豪快に笑ってお茶をすすった。私以下3名はそれ以上何も言えなかった。
「あー! 冷や汗かいた!」
「お前馬鹿だろ!」
4人とアルタイカ王の王妃で小さな晩餐会が開かれ、その夜は王の計らいで王城の一室に一晩泊まらせてもらえることになった。柔らかいベッドに転がるや否やイビスは頭を掻き毟る。なんやかんやと言い訳を付けて着いてきたフェーは、あろうことかもう片方の私のベッドに飛び込んで転がった。
「あんただって固まってたくせに! 尻尾と耳でてたわよ?」
「お前だって羽散らかす寸前だったくせにー」
「はいはい、そこまで。明日に備えて寝るよ」
今まではこの世界の常識を知らない私を、イビスの方が保護者のように支えてくれていたはずなのだが、ここへきて立場が少し逆転しつつあるように思う。編み込んで纏めていた彼女の髪を解いて櫛で梳く。灯し油の明かりがゆらゆらと金色の髪を揺らしていた。
「アルタイカ王のあれは、かま掛けたんだと思うけどな」
「あてずっぽうってこと?」
「いや、フェーがいる時点で何か感づいてはいたと思うけど、どれが嘘なのかは多分見抜いているわけじゃなかったと思う」
今度は私の髪をとき、自分で櫛を入れる。髪は肩少しぐらいの長さがちょうどいい。イビスやガルゼッタほど長い髪だと手入れの方が大変そうだ。くしけずりながら、王の目線時々私の方へと向けられていたことを思い出す。会って話した時も、晩餐の時も、視線を感じた方向を見ると王がいた。理由は分からないが、何か値踏みをされているようなそんな風に感じたのは確かだ。
「まぁ問いただされなかったわけだし、いいってことにしよう」
「うだうだ言ってても仕方がないか」
「そうだな! んじゃまた明日」
一応フェーは部屋を出て戻って行った。
たった一日ぶりだというのに、ベッドがとても柔らかくてふわふわに感じた。夢には何も出てこなかった。
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