第15話 山の向こう

 飛び立った城はあっという間に小さくなったものの、青く見える山々はなかなか近づく気配がなかった。昼ごろに一回休憩を取るために地面に降りるとき、揺れているのが地面なのか自分なのか分からずに体勢を崩しながら地面に転がる。やはりまだ地に足が着いていなければいけないようだ。地面を歩いていただけのころは空を飛ぶ鳥は自由だという表現に対して何も思うことは無かったが、今ならそんなことはないと言える。空を飛ぶ鳥にも鳥なりの不自由がある。


 水をもらい、焼しめられたアジムに齧り付くと、香ばしい木の実が混ぜられていた。使われている酵母も私が最初に使ったアンシとは別の果物のようで、違う甘い香りがした。既に文明が一人歩きを始めていることを実感する。食べながらまだ遠い山並みを眺めてため息をついた。


「今日のうちに山のふもとまでたどり着けるのかなぁ……」

「たどり着けないと、明日の朝の上昇気流を掴めないでしょ。そしたらまた丸一日待ちぼうけか、山を歩いて登ることになるよ。それだけは勘弁ね」


 イビスや兵士たちはすでに食べ終わっていた。そもそも彼らは食べる量が少ない。彼らの生活に体が順応しているのか、徐々に食べる量が減って言ってるが、それでも私は大飯食らいの分類だった。


「いっぱい食べたら重たくて飛びづらいけど、食べないと体力がもたない。どうしたものか……」

「燃費悪すぎじゃないの?」


 食べ終わった兵は草原にごろりと横になっている。体力温存のために小休止の間は睡眠をとってもよいことになっていた。最後まで1人食べている私の隣へきて、少女はころんと横になった。


「この辺は草が生えているんだね」


 私は周囲を見回す。アベス周辺は岩と砂の乾いた土地で、南下するにつれてぽつぽつと緑が増えてきたように思う。今は見渡す限り草原だった。


「南の方が土地が豊かなの。この辺は家畜を放牧してるのよ。土地も、木もたくさんある」


 顔に受ける風も熱く乾いたものではなく少し湿り気を含む風だった。


「ここは草原だけど、それでも烏族クーウの土地は痩せてる。城自体だってリンネ川の川べりにって、そういう約束だったらしいし」

「他の種族との?」

「竜との盟約だとか、なんとか言ってるけど、結局は他の種族との交渉にきっと負けたのよ。シナバリに一番近い土地をやるから痩せてても小さくても我慢しろとか。何であたしたちのご先祖はこんな土地を選んだのかしら……」


 イビスは恨めしそうに顔の前をくすぐる草の穂をちぎった。外界と接するようになれば、アベスの乾いた土地を有効活用する方法だって手にできる。それまでの辛抱ではあったが、彼女にとっては青々とした草原ですら羨望の的のようだった。


 小休止の後、飛び立った私たちは予定通りちゃんと山のふもとへ着くことが出来た。意外とやってみるものだなと思いつつも、さすがに飛び続けて疲労困憊している。夜の食事をとると夢を見る間もなく眠りに落ちて行った。


 起こされたのは早朝、日が出る前。いささか早すぎる出発に首を傾げたが納得がいく。朝日が出ると冷やされた地面から強い上昇気流が立ち上がるのだ。


「先頭はあたしが飛ぶ。山が越えられるぐらい高度を上げるから、頑張ってついて来てね」


 少し軽くなった荷物を背負って、岩の斜面をイビスが飛び立った。私たちもそれに続く。不思議と風の流れが目に見えるようだった。大きく円を描く風の流れに身を任せ、時々羽ばたきをする。らせん階段を駆け上がるように、あっという間に山の頂の高さへと舞い上がった。そこからは一路南へ、山の向こうへとV列の隊を崩さないように飛ぶ。


 山を越えたとき、私は思わず、あっと声を上げた。濃い緑の森林が広がっていた。山のこちらとあちらでこれほどまでに違うのかと目を疑う。イビスがスッと速度を下げて私の隣へ飛んできた。


「あっちに見えるのがマーメリア」


 顎で指した先には森の中に何か建築物の集合体が見える。さほど大きく見えないが、近づくと圧巻だった。大都市だった。


 中央に立派な大路を備え、碁盤の目のように区画整備された町並み。街並みは未だに拡張し続けているらしく、街の周囲は木々が伐採されて平地が拓かれており、道路が整備されている途中のようだ。 家々は木造平屋建てが主で、色とりどりの布がぬるい風に揺れている。大路の行きつく先にはひときは大きく荘厳な建物があった。見るからに王城というべき建物だった。


 くるりと町並みを上から一周して眺めると、街の外に降り立つ。丁度昼ごろであった。


「2人、アルタイカ様へ使いを。先日、うかがう旨の書簡は出してあるけど、一応この書簡を裏門の門番に渡してちょうだい。そしたら通してくれる刻限を教えてくれると思うから。あたしたちは先に食事でもしてましょ。集合場所は西の33番6号小路」


 粘土板の手紙を渡された二人の兵士は一礼をして北の方へ飛び立つ。


「アルタイカ様というのは?」

「獣王様のお名前。今代の獣王はアルタイカ・オグ・レオガといって、虎の方よ」


 私たちは街の中へ向かって歩き始めた。烏族クーウが住むアベスとは違い、空を飛んでいる姿は非常に目立つらしい。街の外に降り立ったはずだが、好奇の目がいくつもこちらを見ていた。イビスは全く気にする様子はなく、慣れた様子で小路をいくつか曲がって行った。


「ずいぶん慣れてるみたいだけど……」

「友達がいるから、何度か遊びにきてたことがあるの。今から行く店もそいつに教わったところ。変わってなきゃいいんだけどな」


 仮にも烏王の妹姫。その友達、というと諸侯の子供かそれに準ずる地位を持っている者なのだろう、普通に考えるならば。だがいま歩いている方向は、身分の高い者に行く雰囲気が微塵も感じられなかった。


 空から一周してこの大きな街並みを見る限り、北へ行くほど家は大きく、南へ行くほど雑多な雰囲気の路地が目立った。西の33番6号小路というのがどこなのかは不明だったが、彼女が迷いなく歩いていく方向はどう考えても雑多な街並みだ。一体どんな友達にどんな店を教わったのか、老婆心ながら少し心配になってくる。


 ここだよ、と言われてついたのは街のほぼ一番南に位置する場所だった。ボロボロの屋根、長さの足りない木材同士を継ぎ合せて作った屋台に近い店。一人だけ客が見えた。尻尾がゆらゆらとしている。ネコ科動物の尻尾だった。尻尾が見えているということは子供なのだろう。


「マーメリアは南に向かって成長し続ける街だから数字が大きいほど中央から離れているってことなの。逆に東西と横軸の番号、縦軸の号数さえ言えば場所が通じる。とても画期的だと思うんだけど、アベスを区画整理するには少し難しいわよね」


 そういいながら暖簾をくぐろうとすると座っていた客がくるりとこちらを向く。


「おっす。やっぱここ来ると思った」

「フェーあんた何してんの……」


 茶色い縞模様尻尾をふよっと動かす少年がいた。イビスよりも少し背が低い。ヒトの耳ではなく髪の毛と同じ色をした三角形の茶色い耳が頭の上で忙しげに動いている。こちらを見る目は緑色を帯びた金で、瞳孔が縦長だった。


――完全に猫だ……。


 言葉には出さなかったものの確信が持てるほどの猫感。許されるなら耳と尻尾を触らせてもらいたいと思うばかりだ。彼は葉で作った器から香辛料がたっぷり入った何かを手づかみでほおばる。尻尾は上を向いて、耳もピンと前向きにニカーっと笑った。左上の犬歯が一本抜けていた。


「何って、イビスが来るって聞いたから多分ここに立ち寄るだろうなと思ってメシ食いながら待ってた」

「尻尾や耳が隠さないで、牙まで出しっぱなしって、また転化できなくなったわけ?」

「へたくそなお前と違って俺はわざと出してんの。こっちの方が音とか匂いとか拾いやすいだろ? お前が来るのなんか随分と前からわかってたぜ?」


 彼は奥の椅子に座りなおして、手前の長椅子に座るように促した。


「じっちゃん、俺と同じのこいつらに」


 屋台の主人は目と目の脇のしわが区別なくなるぐらいに笑いながら頷いて、青々とした大きな葉を器用に折りたたんで器を作って無造作に料理を盛り付ける。湯気と美味しそうな香りが立ち込めた。もちろん食べたいのだがその前に、彼はいったい誰なのだろうかと首を傾げた。それを見て、思い出したかのようにイビスが口を開く。


「コイツは四肢族オグの王子フェリダ、あたしと同じ誉れ子」


 出てきたのは彼女とは思えないようなそっけない、乱暴な言葉だった。


「フェーって呼んでね、おねえさん」


 彼は先に食べ終えて指を舐めながら笑う。あまりそれらしくないが、彼はこれから会うアルタイカ王の息子に当たる人らしい。確かに烏王の妹姫と知り合っても可笑しくない立場ではある。しかし何となく、そうではない違和感があった。


 彼をしり目にイビスはいつも以上にツンとすまし顔で、黙々と手を動かして食べている。香辛料で味付けした肉を香ばしく焼いて、米を煮たものと一緒に食べる。アベスでは食べたことが無い初めての料理だった。


「こいつはね、尻尾と耳をずっと仕舞えない振りをして、シナバリの地に3年間も居座り続けた問題児よ」

「2年間も羽が仕舞えないで苦戦したどっかの姫様ってのもいたけどね。夜になると泣いてる声がピヨピヨ聞こえてさぁ」

「うるさいクソネコ」

「吠えてろ鶏頭」


 なるほど。確かにオトモダチのようだ。


 なかなかおいしいこの甘辛いタレを指にとって舐めていると、フェーが面白そうな顔をして私の横顔を眺めている視線に気が付く。彼について何も説明を受けていないが、果たしてカルセラは彼と面識があったのだろうかとふと考えた。あるいはイビスのように私の中身についてすでに見通しているのだろうか。初めましてと言うべきか、お久しぶりというべきか、偽るべきか偽らざるべきか、思考をぐるりと回転させる。だが私が答えを出す前に彼が回答をくれた。


「なるほど変わったね、おねえさん」


 これは偽っても無駄であるということだろう。私の背後にいる兵士2人がはてと首を傾げている。さすがにイビスの息がかかっている者とはいえ、私がカルセラではないことは二人だけの秘密のはず。慌ててそれ以上言わないようにと、何とか取り繕おうとしたが。


「おっぱいが大きくなった!」

「汚い手で姉様に触るなクソネコ」


 イビスに威嚇されると、にやにやしながら少年は万歳をした。それからスッと真顔になる。


「でもしかし、イビスの『姉様』ね……」

「そうよ、カルセラ姉様よ」


 憮然としながら彼女は手を振る。後ろで兵士が席を立って屋台から少し離れたところまで歩いて行った。人払いを済ませたのを見ると、少年の方が口を開いた。


「アルタイカ様に聞いたけど、なんだってあの気味悪い洞窟に行こうってんだい? しかもその人、昔お会いしたカルセラ様とは見た目は一緒だけど匂いが全然違うじゃん? イビス馬鹿になった?」


 面白そう3割、心配2割、小馬鹿にしているのが5割といった表情で彼は言った。


「やっぱり誉れ子にはばれるものなのか」

「舐めてもらっちゃ困るね。俺たちは姿かたちだけが違うんじゃない、感じるものすべてが普通の人の数倍なんだ」


 こちらを見つめる顔が一瞬、猫その物になり、また一瞬で元の人の顔に戻る。手品か映像作品でも見ているような、一瞬の出来事で私は目を丸くして彼を二度見した。屋台の主人は気を聞かせて席を外しているし、他に客はいない。通りで子供たちが遊ぶ声が聞こえるぐらいだ。この光景を見たのは私とイビスの二人だけだった。


「空からの使者の遺物探しに行こうと思って」

「何でそんなもんを探しに行くのさ。あの洞窟の緑族イリュフが気持ち悪いのは有名だろ?」

「歴史を覆しに行くつもり」


 真顔でイビスは言い切った。一拍、間が空く。フェーがけたけたと笑い始めた。

 脆そうな机を平手でバンバンと叩く。座っている椅子まで揺れた。笑われた方の金色の少女は当たり前だがむくれていた。


「イビス、お前馬鹿だと思ってたけどやっぱ馬鹿じゃん!」

「馬鹿に馬鹿と言われたくないわ!」

「だって、何であんなところで歴史が覆るんだよ! 鳥頭の考えることはこれだから!」


 腹を抱えて涙目になりながら彼は息が上がるほど笑う。きっとこの分なら兵士たちからも機密性の高い話をしているようには見えないだろう。そこまで計算しつくしてやっているなら彼は天才だが、それはあるまい。屋台の主人から水を一杯もらって彼に渡した。


「ありがとおねえちゃん」


 飲み干してから、彼は上質そうな服の裾で口を拭った。


「マーメリアにはまだ情報が来てないの? 空返しの儀式で姉様が異形の転化をしたこととか、不思議な新しいものを作る話とか」

「噂話は聞いたよ。でも本当か分からないし、だいたいそれが何だっていうんだよ」

「馬鹿はあんたの方でしょ。不思議に思ったことはないの? 私たちの世界の外側に何があるのかとか、私たち以外に人はいないのか、とか」


 昨日と今日と、空を飛ぶのに邪魔な長い金髪は綺麗に後ろでまとめられている。私は後ろからその頭を眺めた。小さい頭が右往左往している。身振り手振り、彼女は言葉を選びながら必死に目の前の少年と話していて、後ろ不注意だった。私の頼もしい味方のかわいらしい後姿を後ろから隠れて応援する。それには全く気が付いた様子はなくイビスは喋り続けた。


「この人の匂い、雰囲気、感じてみて何も思わない? 全部繋がってるってことでしょ。私たちの世界の外にも、人はいるんだわ」

「……」


 少年の顔はこちらからよく見えた。まなざしは真剣なものに変わっていて、瞳孔が少し広がっていた。もしひげが生えてこようものなら前向きになっているだろう。かわいい耳はぴんと私の方へ向けられていた。


「イビス、それが本当なら大変なことになるぞ?」

「あんたには多分姉様……いいえ、オルティリアのことは隠し通せないだろうから、素直に事情を話そうと思ってたの。お願いだから黙っていて。あたし、何としても外の世界の力を手に入れて、烏族クーウを豊かにさせたい」

「そりゃぁ、俺はいいけどさぁ。烏族クーウ四肢族オグも知ったこっちゃねぇし、アルタイカ様が困らないんなら何でもいい。でもばれたらイビスの立場が危うくないか?」

「そんなもの覚悟の上よ!」


 鼻息荒く少女は、机の下でコッソリ拳を握りしめている。その力の入った手が震えるのが見えた。彼女がどれぐらいの危ない橋を渡ろうとしているのか、奮い立たせているのか改めて思い知る。フェーの方からは見えないようにイビスの小さな拳を手で包み込んだ。


「んじゃあ俺も洞窟ついてっていい?」

「将来、交易になったとしても一番は譲らないわよ?」

「そんなのどうでもいいよ。王子だけど俺にとっては飾りみたいなもんだし、興味ない。強いてほしいならアルタイカ様が2番目になるようにがんばる」

「じゃあなんで着いてくんのよ」


 少年は腕を組んで大仰に首を捻って見せた。耳がピコピコと元気に動き、尻尾がゆったりと左右に揺れていた。


「城や城下にいるより楽しそうだから」


 ニヒヒと笑って見せた顔は猫その物だった。イビスが憮然として口を挟もうとする。それを指で制して彼は立ち上がった。


「あとな」


 お代を机の上に置く。アベスではほとんど流通していない小銭が、山のこちらではこんな末端部まで流通しているようだった。興味深くそれを見ていたが、彼に促されて立ち上がってゆるやかに歩き始めた。


「おねえさんところの兄貴、あの黒い人。あの人がなぜかアルタイカ様を何度も訪ねているんだこの一年間。おかしいと思わねぇ?」

「ペレグリが?」


 彼は歩きながら無言で頷く。これまで生活していて、他のレグナムと交流が盛んであることはわかっている。だが、他の王族と一介の諸侯が、頻繁に顔を合わせることが普通であるかと問われると、あまり自然とは思えなかった。


 通りの向こうに見慣れた烏族クーウの兵2人と、見慣れぬ四肢族オグの兵士が1人こちらを発見して走ってくる。彼は、あの兵士たちの足音と声を聞き分けて席を立ったのだろうか。仔細は不明だったが、なるほど確かにすばらしい耳の持ち主のようだ。尻尾が自慢げに天を向いている。


「あんな辺鄙な場所へ行くのは襲ってくれと言われているようなもんだ。だから俺をつれて行け。そしたら四肢族オグの兵士を堂々とつれて行けるし、やつらもさすがに別のレグナムの王子には手出ししないだろ」


 適当そうな顔をしていても、考えることはちゃんとしているらしい。ただ笑った顔だけはいたずら少年そのものであった。

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