第1話 父の失踪

 空の色はオレンジ。その奇抜な色を映す私の瞳は明るい青だった。

 少し息苦しくなってきて、ふーっと酸素吸入を行う。隣で作業している先輩は黙々と地表の苔を採取していた。腰に付けたメーターを見ると針が注意域の少し手前を指示している。


「先輩、そろそろ酸素切れそうです」

「もうそんな時間か」


 実年齢が300余年も年上の先輩は、しかし見た目はほとんど変わらない。腰を伸ばして首を左右に振って音を鳴らした。


「それじゃ、そろそろベースに帰ろう。残置物の確認怠るなよ」


 採取した黄色く光る苔を手のひら大のケースから飛び出たループの部分に通すと小さくなってケースの中へ消える。私の方も同じように、採取物を縮小移動ケースの中へ仕舞うと、機材を背負った。


 空のオレンジ色はこの惑星独特のもので、一か月前に調査のために訪れた当初は目がちかちかして落ち着かなかった。今では調査機材の大型ライトを持ち歩かなくていい幸運を、夜が無い明るい空に感謝している。特殊な大気が空の高いところを層状に覆っているせいでオレンジ色に見えるらしく、重力が小さいこの惑星の薄い酸素が逃げられない原因でもあった。


 ぽんぽんと飛び跳ねるように歩きながら時々止まり、先輩と私は地形を見て方角を確かめる。山立てと言って、大きな目標物2つとの角度と距離で現在地を割り出す、とても昔ながらの方法だ。多くの入植者があってインフラが整備され、位置情報が確立されている都市惑星ならまだしも、こういった無人の辺境惑星の調査では一概に機械情報を信用してはならなかった。


 遠目に見える山と簡易の三次元地図を見比べながら、私はまた酸素吸入を行う。やはり歩くと酸素消費が激しいようだった。


「この大気の薄さに1か月でだいぶ慣れたみたいだな」

「どんなに慣れても、やっぱり機材が一つ増えるから不便ですよ。私もそのうち、長命用の疑似細胞でなくても、せめて高機能の疑似細胞化したいんですけど」

「お父さんが許さないんだっけ?」

「面と向かっては口に出しませんけど、いい顔はしませんね」


 苦笑しながら東へ30度転進する。後はまっすぐ歩いていけばベースにつくはずだ。


「それだけ環境適応力が高ければ、無理に天然の細胞を疑似化させることもないと思うよ。俺なんか脳以外は全部疑似化させてるけど、金ばっかりかかるって嫁さんに文句言われっぱなしだからな。それに高機能疑似細胞となると維持費も馬鹿にならんからなぁ」

記録者クロニスタの試験に合格できたのは、この環境適応力の高さあってのことですから、私。足の事故みたいに換えが効かない状態にならない限り、完全に歳食うまでは当分このままがんばりますよ」


 はっはっはと先輩は笑いながら飛び跳ね歩いていく。私もそれに続くが、話しながらだと息が上がって辛い。これはまたベースに着くまでにもう何度か酸素吸入の必要がありそうだ。


 気温は肌寒いぐらいだったが、ぴったりと体に吸い付くスーツのおかげでそれほど寒さは感じない。それでもコートを着ているのは気に入っているから、というのが一番の理由であった。肩にはペンの紋章、様々な惑星を巡って万象を記録する記録者クロニスタの証が誇らしかった。


 というのも私の父というのが大層有名人で、自己紹介をすれば『まあ、あの博士の娘さんなのね 』と言われるのは日常茶飯事。その父から独立すべくようやく自分の力で掴んだ職がこのペンの紋章だったので、三年たってもなお最初に給付されたコートを大事にしている。辺境へ行くたびに擦り切れていくコートを、同期たちは途中で新しくてもっと性能の良いものに買い替えてしまった。だから未だに最初のコートを羽織っている私は、よく新人と勘違いされる。もちろんキャリア100年以上の先輩たちと比べれば新人には間違いないのだけれども。


 父の名はエトレと言った。エトレ博士、と名を出せば誰でも分かるほど有名人だった。父は体を疑似細胞に取り換えながら生き続けている齢1万年齢の科学者で、母はデータ上でしか知らない。二足歩行より古く、星間飛行より新しい時代に私は生を受けた私は、偉大な人を父に持ちながらも、ただの凡庸な娘でしかなかった。


 17の年齢で社会に出るまであまり人と接する機会がなかったが、面識がある人たちはそろって300歳程度までの比較的年齢が若い人が多い。体の細胞を疑似細胞に置換し、どんなに薬で永らえても、その年齢は長くて3000年。そんな人たちの中でも私の父は恐ろしく高齢だった。8割強の人が記録上の親の遺伝子から生まれる昨今、両親が何歳であろうと不可能ではないのだが、並外れたの年齢であるのは事実だ。それを不思議だと思ったことはあっても、なぜそんな高齢になってから子供を生成しようとしたのか、当然のことながら子供のころは考えたこともなかった。今では逆に聞きたくとも聞けずにいる。


 だから自己紹介をする際に、父の名を出して『その娘です』というのが一番説明として手っ取り早いのを知っている。ただ、この話をすると根掘り葉掘り聞かれて非常に面倒になることも身をもって知っているので、必要な場合以外は私はただのオルティリア・マンジャロアという名前の一個人であるように振る舞うようにしていた。先輩はこの事実を知っており、すでにその面倒事を乗り越えた後であったので、気軽に話ができる数少ない知人の1人だった。


「んで、そのお父さんにくっつけてもらった疑似細胞の足は?」

「もちろん良好ですよ」

「流石は開発者ってところか」


 これについては苦笑しか返せない。疑似細胞を星間航行時代に入ってすぐに開発したのが何を隠そう私の父だった。これを自身に適用させ、最初は腎臓の片方、次いで肝臓の一部、骨、筋肉……と徐々に生体細胞を疑似細胞に置換していき、最終的に脳幹まですべて死なない疑似細胞に置き換えて行った。私の父は人類で一番最初に不老を得た、まさしく特権階級というべき人だった。


 疑似細胞は移植された場所と命令に従って疑似代謝を行い、体の部分を形成していく。クローンでもなく無機質な部品とも違う、生きている人工物と呼ばれている。拒絶反応もなく、細胞分裂による遺伝子の劣化もない。


 開発の当初は事故や疾患で損傷した体の一部を補完する医療目的で扱われていたが、次第に『重要な人物の延命』と『強化素材』としての意味合いが強くなりつつあった。父のような稀有な才能の保護、あるいは私たちのような記録者クロニスタにとっては、見知らぬ惑星で原因不明の疾患や事故への予防に使われるようになった。


 ただ、脳幹まで疑似細胞化させることは一部の特権階級を除き禁止されている。いくら疑似細胞で体を補強し続け、薬物で延命させたとしても今の医療技術でも脳自体の限界が約3000年。この既知世界では、政治、経済、科学、宗教、あらゆる社会構成上のトップを掌握する一部の人たちだけが、広くなったこの世界の維持存続のために生きながらえていた。そして彼らの家族も全身の疑似細胞化、つまり不老が得られる長命手術が認められていた。


 偉大過ぎる父の功績により、もちろん私もその恩恵に与かることが可能な立場ではあった。だが星間歴11629年、ちょうど20歳の現在に至っても私は長命手術を受けていない。3年前仕事で失った足以外は、政府中枢がある中央星系では珍しい半分以上生身の体だった。長命手術を受けていない理由を問われれば、それは父が長命手術を受けてほしくないと言っていたのが大きい。 きっと自分の娘を手術するのが自分以外の医者であるのが嫌なのだろうとその時は思い、そのうち父自身の手で手術してもらうつもりで、当分は無くならない権利を先送りにしていた。


「ただいま。全員帰還してる?」

「全員帰って来てますよ。隊長たちで最後です」


 ベースに戻ると今回の調査できている12人全てがそろっていた。今回の調査隊のメンバーは未入植惑星の自然環境調査ということもあって、自然科学を専門にした人が多い。歳は様々だが一番若いのが私で20歳、最年長は500歳ぐらいの女性だった。正確な年齢を聞いても本人もあいまいに笑うので、それぐらいとしか知らない。意外と忘れているのかもしれない。


 調査は2人一組で行うことになっていて、一番経験の浅い私はこの調査隊の隊長である先輩と組んで、地表面の苔および植物の採集に連日明け暮れていた。持ち帰った標本は劣化を抑えるためにまた別のケースへと移す。一つ一つデータと照合しながら作業していると結構な時間がかかった。これが人文学的な調査の場合には映像データなどをそのまま送ればいいだけなので早いし簡単でいい。何より文明があるというのは人が住んでいる証拠なので、調査に行っても身体的負荷はそれほどで大きくない。しかし今回のような人の手が入っていない辺境の調査は、周囲に人工物がないところで長いと数か月も暮らすことになるので、なかなか辛かった。


 作業がひと段落するころには、今日の食事当番が呼びに来てくれる。食事の全てがレーションでも健康上は問題ないのだが、精神衛生上という名目で食事当番で回ってくる。この稀な規則は、この先輩が隊長になる調査隊では必ず設定される。中央星系は調理などせずとも食事にありつける環境なのだが、おかげさまでちゃんと調理に関する知識が蓄えられている。先輩に言わせれば、風土や文化の理解に料理は切っても切り離せないものなのだとか。レーションと何か一品、これが基本的な食事の形だった。


 豆のスープの塩気が足らないなと思いながら、携帯端末に届いた1週間前のニュースレターを展開させる。ほとんどの領域でリアルタイムに繋がるのが売りであるはずのニュースレターのはずだが、一番近い入植惑星との距離か、はたまた磁気嵐の影響か、さすがに届くのが遅れていた。もっと近くに中継地点があれば少しは早く送られてくるのだろうが、だからと言ってあと2か月先まで帰宅しないのだから結局生活への影響もない。ただの習慣、そして気晴らしだと思って、一通り目を通そうとした。おもむろにトップニュースに目をやって、私の咀嚼が止まった。


『エトレ博士 前代未聞の失踪 生体板の記録は****空域にて消失』


 目立つ大見出しと宇宙座標データが光る。

 書いてある文字は読める。だが指でなぞり、何度も読み返しても、意味が脳みそにしみこんでこない。


「どうした?」

「父が……」


 そう言って、そこから先をどうやって言葉にしたらいいのか分からなくなった。まず父が失踪するということ自体がおかしい、不可能に近い。父という才能ほど厳重に監視された生活を送っている者は、犯罪者を除けばそう多くない。だからこそあの父が失踪することなど、石がパンになるぐらいありえないと断言できる。だとしたら、このニュースレターが嘘をついているのだろうか。なぜ、何のために、と考え始めたところで自分の考えがどこか狂っている気がして、ブンブンと頭を横に振った。


 混乱しているのを見て取ったのか、先輩が私の手からニュースレターをもぎ取り、あわてて空域の詳細を示す電子情報を展開した。ベースキャンプの中に広がる宇宙地図、そしてはるか遠くを指し示す三次元座標を、私は唖然として眺めていた。


 軍が規定している危険空域というものがこの宇宙には何カ所かある。その中で中央星系から比較的近い、と言っても数千光年の距離にある、かなり古くに設定された危険空域付近に点滅する光が映し出されている。これが父が確認された最後の居場所らしかった。それに手を伸ばすが、指は何も引っかかりを感じずに空を掻いた。唖然と見やるその手を、先輩に掴まれて強引に揺さぶられた。


「早く帰る準備をしろ! 本部には俺から連絡をしておく」

「いや、でもしかし……」

「いいから早く帰るんだ」


 頭を打ったような衝撃が走って、ようやく私は頷く。周囲の事情を理解していない調査員たちは一様に首を傾げていたが、隊長である先輩の血相を変えた顔と、顔面蒼白な私の様子からただごとではないのを察して水を差す人はいなかった。


 さして多くもない荷物を一まとめにして背負う。いまだ頭の中が整理できないまま、シャトルはオレンジ色の空に飛び立った。見送る他の調査員たちを窓越しに、残置物のチェックが、と混乱しつつも頭を振って現実を手元に引き戻す。こうして私は一人、帰路に着いたのである。

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