第21話 旅の道連れ

 温かい甲板を後にして揺れる階段を下りていくと、イビスがぷりぷり怒っている声が扉の外まで聞こえてきた。慎重に扉を開ける。


「イビス、声駄々漏れだよ」

「聞こえたっていいわ! 何よあの言い方! あんな言い方しなくったっていいじゃない、人間種側の見方なんてあたし知らないもん!」


 人間種の名付け様式が立場によって違う見方ができることを指摘するのに、サフィエンはイビスのことを世間知らずのお姫様と小馬鹿にした言い方をしていたとは思う。そして彼女が世間知らずのお姫様であるのはまた事実だ。


 だから今彼女が怒っているのは、おそらく自分に対しての八つ当たりだ。考えたこともなかったということを指摘されて、恥ずかしい気持ちの裏返し。そんなことで当たられているフェーはやれやれといった感じで、相槌を適当にかましつつ猫の耳を伏せて涼しい顔をしていた。


「サフィエンの言い方は悪かったけど、でも言い返せなかったじゃない」

「オルティリアまであの人間の肩を持つの?」

「ああいう手合いは、一個賢くなるためと思って噛み砕いて糧にすればいいんだよ」


 悔しそうに彼女は盛大に歯噛みしていた。これでは噛み砕くより噛み殺すなだと思いつつ、なだめすかして備え付けのベッドに座らせる。フェーはようやく八つ当たりが終わったと判断したのか、ごろりとベッドに横になってこちらを見ていた。


 あの洞窟前で拘束されて以来、実に2日ぶりに3人だけで話が出来る機会が得られたわけだ。これを無駄にしない手はない。私も割り当てられた自分のベッドに腰掛けて足を組んだ。


「おい、どーすんだよオルティリア」

「考え中……」

「レプで逃げ出しちゃおうよ」

「うーん……」


 きっと逃げ出すことは出来る。まさか人ごみの中であんな刃物を振り回すことは出来ないだろうし、陸上なら3人とも同時に転化して人間の足を振り切ることぐらい造作もないのだ。しかも相手はなんの力も持たない人間ときている。ただ、気になるのはそこではない。


「逃げてもたぶん、他の調停者に狙われるだけな気もするんだよね」

「王城に逃げ込めば調停者と言えどもそう簡単には手出しできないでしょ」

「そうかなぁ? 俺なら今度は正規の方法でまずオルティリアを殺す。カルセラ王妃が偽物で、空からの使者だって言い張ったら、多分諸侯は嫌がって差し出さざる負えないだろ。そしたらカルセラ王妃、つまりオルティリアは殺されるだろうし、俺たちは外界への足掛かりを失う」


 私の中身が外界の者だと知りつつも未だに告発されて殺されていないのは、殺せと言う意思がなかっただけ。だからいつまた殺すように働きかけられるか分かったものではない。これ以上相手を困らせると、殺される可能性が高まると考えた方が自然だ。自分の命大事というわけではなかったが、色々なことを知った以上私は生きてこれを世界に知らしめたかった。これが自分の義務ではないかという気さえしてきている。


 少し間があった。キイキイと船のどこかから音がする。二人が私を見て何か言葉を待っているのだが、確かに私は一つの案を腹の中で温めていた。どう言葉にすれば二人が納得してくれるのかずっと思案していたのだが、率直以外の言い回しが見つからず口を開く。


「二人を、次の乗り換えの時に逃がしたいと思ってるんだけど」


 森の中を歩き始めてから、ずっと考えていた一言だ。二人がまじまじとこちらを見てくる。


 結局のところ、この二人を巻き込む必要は無いという考えに達していた。そう、結局のところシナバリに乗り込むのもひと暴れして何とかという機械を壊すのも、ましてや外界の研究者と対峙するのも私一人でいいのだ。彼ら二人には何も責任は無いのだし、むしろその後、この星が外界と接した時にしっかりと対応してもらう人材は残しておきたい。だから私は二人同時に逃がせる機会を逸してはいけないのだ。


「彼らにとって害悪は私一人のはずだから、最悪私さえ捕えてあれば深追いはしないと思うのね。それこそ王城へ逃げ込みさえすれば、二人とも出生は確かなんだから嘘偽りで処刑はされない」

「でも……」

「私はこのまま捕まっていればシナバリへ勝手につれて行ってもらえる。旅費が浮いていいじゃないか」


 二人は黙りこくっていた。申し訳ないが彼らをこれ以上連れて行くことは私の良心にも反するのだ。賢く強くて頼りがいがある二人だがいかんせんまだ幼い。こんなことに巻き込んでいい子供たちじゃない、私が自分の手でどうにかしなければならないのだ。考えれば考えるほど手に力が入る。爪が食い込むほど手を握りしめた。


「二人は王城へ戻って、私と兵士たちが野犬にでも襲われて死んだということを伝えてくれればいい。あとは自分で何とかする」

「それで、オルティリアは独りでシナバリに乗り込んで死んじゃうつもり?」

「死なないつもりだけど、もう会えないかもしれない」


 正直なところ死ぬかどうかは分からない。むしろ死にたくない。ただ外界へ戻れたとしても、彼らとはもう二度と会えない気がした。この世界に接した私を、研究者たちは見逃すはずはない。となると、告発には随分と時間がかかるだろう。私は外界に戻れば疑似細胞で延命ができるが、彼らの体は時を止める術がない。それなら別離と大した違いはないのだ。


「それは、やだ」

「俺もやだ」


 きっぱりと言われた。この答えが返ってくるのは分かっていた。


「だって、まだ交渉の間に立ってもらうって約束、果たしてもらってないもん」

「俺んところは二番目って約束だったよな」


 フェーと約束した覚えはなかったが、二人は食い入るようにこちらを見ていた。これは多少無理にでも諭さねばならないかと口を開きかけると、それより先に二人が畳み掛ける。


「ダメって言っても着いていく」

「逃げる機会があっても俺逃げねーからな」

「約束守ってもらうまで絶対逃がさないから」

「そーだぞ」

「危険なの分かって言ってる?」


 むっと口を結んで頷き返された。ため息を禁じ得ない。首も傾げたくなる。私はともかくとして、二人にとってはリスクと見返りがあまりにも見合わないのだ。こういう時に戦略的撤退をしないのはまだ幼いからなのだろうか。


 ほとほと困り果てていると、ギィっと音がして扉が開いた。びっくりして三人ともが見た先には、青い顔をしたサフィエンが立っている。


「ごめん酔ったから寝かせて?」


 桶を片手に匂わせながら、彼が寝床に転がり込んだため話はこれっきりになってしまった。


 丸一日船に揺られて着いたのが南海の海に浮かぶスクァーマ諸島レプ島の都レプ、鱗族ホヌの中心都市だった。周囲にいくつもの小島が点在する。鱗族ホヌは鱗を持つ者と定義されたレグナムだが、彼らには大きく分けて二種類が存在した。魚類の因子を持つ部族と爬虫類の因子を持つ部族だ。


鱗族ホヌは二部族で構成されているからか、いさかいが多いんだ。血の気の多い奴が多いからあんまり離れんなよ」

「ローブで身が守られるんじゃなかったっけ」

「そう信じてもらってたら楽だろ、俺が」


 そういうと船を下りたサフィエンはするすると人ごみを抜けて歩き始めてしまう。私たちにすでに縄はなかった。小首を傾げてその背中に問う。


「逃げてもいいってこと?」

「お嬢さん方、俺に連行されるって方針に決まったっぽいじゃん?」

「盗み聞きしてたのね。趣味悪い」

「わりーわりー。ちょっと聞こえちまったもんでね。さー飯食いに行こうぜ! おっちゃんうまい店知ってるからよ」


 ぷーっとイビスが頬を膨らませる。少し可愛らしくてその頬をつついてみたかったが自重した。船で揺られている最中は水以外何も受け付けなかったサフィエンは、陸に足が付いた瞬間生き返ったように元気になっていた。


 レプには爬虫類の部族が多く暮らしている。魚類の方はレプの目と鼻の先にある島にもう一つの中心都市ピスケを作っていた。


鱗族ホヌは交互に王を排出するからな。今は爬虫類サホヌの方が王を排出しているから王が住む都がレプなんだ。魚類ウホヌが王を排出したら都はピスケに替わる」


 行きかう人々はうっすらと鱗の跡が見える。よく見れば指の間に水かきをもつ人がほとんどで、首に鰓の痕跡を持つ人も時々見かけた。非常に動物の痕跡が大きい種族のようだ。潮と汗の臭いで込み合う通りも、調停者のローブを着て顔を隠している私たちはサッと道を開けてもらえる。嫌われているのか敬われているのか判然としないが、歩きやすいことこの上なかった。


 通りは店が立ち並び、新鮮な魚が並べられている。白っぽい貝殻を使った装飾品の店も多かった。広場の方では他のレグナム出身の行商たちが敷き布の上に物を置いて売り買いしている。ここでは野菜や木製の道具の方が需要が高そうだ。


 市場は見ているだけで面白いのだが、足を止めようものならば構わずに置いていかれるほど足早でサフィエンは歩いていく。ちらちらと横目で見るだけで、なかば駆け足になりながら市場を通り抜けていった。その背中に追い付くと、彼は無言で私たちを静止させる。


「どうしたの?」


 目の前は少し開けた通りを、色鮮やかな貝の飾りを付けた一団が肩で風を切って歩いていく。いずれも大きい躯体のワニや大型魚類のような者ばかりで、いささか物々しい雰囲気だった。


「派手な色の貝飾りをつけるのは鱗族ホヌの戦士の証だって聞いたことがあるわ」


 私の後ろからイビスがひょっこりと顔を出す。


「貝飾りってお店で売っていたような?」

「お店のは浜辺に落ちているような白いので、戦士のは特別製のはず。深みに潜って自分の手で綺麗な貝を探してきて、自分の強さを表すんだって。大きくて、数が多くて綺麗な方が強い戦士のはずよ」


 確かに赤い色が特に目立つ貝飾りが多いような気がした。小柄な彼女からしてみると、大柄な体躯の鱗族ホヌは小山のように見えているだろう。少し怖いのか私の後ろから出てこようとはしない。


「でも争いは禁じられているんじゃないの?」

鱗族ホヌの戦士は、競技として自分の力を磨くんだ。かっこいいなぁ。俺もあんな風に強くなりたいなぁ」


フェーは目を輝かせて戦士たちの一団を見送る。呆れ顔でイビスは彼の横顔を小突いた。


「あんなガチムチが憧れなわけ?」

「男なら憧れるだろ!」

「あたしはいやー」

「これだから烏族クーウは華奢でいけねぇよ」


 あっかんべぇをした彼女のローブから金色の髪が零れ落ちそうになって、サフィエンが慌てて抱え込む。ここいらでは金色の髪はあまり見られないので目立ってしまう。


「どこかで小競り合いでもあるのかもしれないから、用心に越したことはないな。早めに飯食って船を待とう」


 一団が通り過ぎた道を渡って、彼はそそくさと歩いて行ってしまった。連れてこられた店は案の定の海鮮料理だった。思えばこちらに来てから初めての海の幸だ。潮のにおいに包まれて、運ばれてきた料理に舌包みをうつ。


「拉致されているとは思えない食いっぷりだな」

「開き直りが肝心。腹が減っては何とかってね」


 残ったスープは美味しいのだがいかんせん塩辛すぎた。白湯を飲みながら、私はサフィエンの方を向き直る。彼もまた私の顔をまじまじと見た。


「なんか顔についてる?」

「いや……」


 そういうと彼はしばらく私の顔を眺めつつ、らしくない小難しそうな顔をしてこちらを見ていた。


「なによ」

「あんたは何でこんなことやろうと思うんだい? こんなことっつっても、正確にはなんだかわかってねぇけどよ」


 伸びた顎鬚をかきながら、首を傾げている。心底不思議そうな顔、あるいは不可解と言った感じで私を見ているのだ。


「俺には外の世界とか別にどうでもいいんだ。だけどあんたらが相手取っているもの、俺たちに指示を出すものが、ばかでかいっていうのだけは分かる。なんでそんな無謀な張り合いをしようと思うのか、俺にはどうも理解できなくてな……」

「やっぱり変?」

「変というか、割に合った生き方じゃないという気がするんだよ。そりゃ素直について来てくれる方が、こっちとしてはありがたいが……」


 そう言うと彼は塩辛いスープの残りを一口飲んで、もう一度首を傾げる。おっさんの独り語りは止まらない。


「俺はよ、お前さんが一体何者なのかも、何をしでかしたのかも、どんだけ強いかもよくわからん。よくわからんが、それでも、もっと安全な生き方があったんじゃないのかと、そう思うわけだ」

「それは確かにそうかも」


 思わず即答する。思い返せば、私が自分の手で父を探し始めようとしたことが原因なのだ。治安維持の部署に捜索を任せられず、一人でミズシマ博士のところに乗り込んだのが間違いだった。そうすればこの惑星へ落とされることもなかったし、父の死を知らずにずっと待っていることもできただろう。私のせいでこの惑星の事実を知らされたイビスとフェーは、引っ込みがつかなくなってしまったのだからいい迷惑だ。そう考えると私を排除するというのが、至極まっとうな考えのように思えてくるから不思議であった。


 しかし結局無難には行かなかったから、今があると言えよう。残念ながら彼の言う安全や身の丈に合った生き方では満足できなかった。父が失踪すれば探したかったし、父が殺されればその原因を知りたくなる。この世界が実験場であると分かれば、それは間違いだと憤って壊したくなる。直情的と言えば聞こえは悪いが、ただやりたいことをやっているだけ。


「無難な選択肢が浮かばなかったのが一番の原因だけど、でも無難な方を選択していたら、多分私が私じゃなくなってたと思う」

「抽象的な言い方だなぁ」

「やりたいことやろうと思ってるってだけの話よ」

「ああもう、若いってうらやましい」


 わざと嫌味らしく言った彼は頭をかきながら塩辛いスープを飲み干し、私は白湯を飲み干した。金を払って席を立つと、市場で食料を少しだけ買い込む。船の中で食べるものを好きに選んでいいとイビスとフェーに小銭を握らせて、気前のいいおっさんは乾物屋の前で鼻歌交じりだ。


「再度こちらから確認するけど、私たちって拉致されている最中なのよね?」

「まぁ細かいことを気にするな」


 彼が小銭を所持していること自体が驚きだったが、彼は南から来たと言っていたから四肢族オグの領地内で旅をしていた時に手に入れたのかもしれない。私には小銭がどれほどの価値なのか分からなかったが、乾物屋の店主は小銭を珍しそうに眺めてこれなら五枚で一束でいいと言ってくれた。


 船に乗ると酔ってしまって水以外は何も受け付けないのだから、つまり今買ったのは、ほとんど私と年少二人の分という勘定になる。真水だけは随分と自分の分を買い込んでいたのだが、固形の食糧に関してはほとんど食べるつもりがないのだろう。特別問うつもりはなかったが、彼は嬉しそうに理由を教えてくれた。


「仲間の調停者たちは数人で徒党を組んで旅をするんだ。でも俺はほら、嫌われ者だからいつも旅が一人っきりでね。これでもちょっとうれしいわけよ」


 その後桟橋で干した果物をかじりながら船を待った。乗り継ぎの船が来るまで彼の軽口は続く。本当にひっきりなしに話題が飛び出てくるもので、話を聞くのは飽きが無かった。もちろん、船に乗り込むと酔ったと言って早々に寝てしまったのだから、世話がない。

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