27



「どう?」

「まだ何も変化はございません」


 本来はやっちゃいけないことなんだけど、その日、私たちは夜中に体育館横の用具倉庫に忍んで、体育館横の花壇を見張っていた。

 いきなり今日からかよ!?とミケは騒いでいたが、大輔の予想ではイヤリングが見つかる前に来たいはずだから、事件が起きた今日か明日が山場だという話だった。


 そのせいで、佐和さんの手伝いが終わってから、私は学校へとんぼ返りする羽目になったのである。ここに至るまでの疲れは半端なものじゃなかった。


「……もう、走ってここまで来たから疲れたよ。大輔が教えてえくれた、ブロック塀の崩れた穴から侵入するのもめっちゃ緊張したし」

「家族に嘘ついて家を出てきた私たちも十分疲れたけどね」


 ――まあ、大輔と京子に至っては、二人で家に帰ってからお互いの家に泊まりに行くと嘘をついて出てきたらしいので、お疲れ様ですありがとうとしか言えないんだけど。

 しゃがみ込んだまま、明らかに「疲れ切っています」という顔をするふたり。そんな二人に向けて、私は紙袋から秘密兵器を取り出した。


「じゃじゃーん、これ、なーんだ」


 紙袋から取り出したのは、赤いリボンがアクセントになっているバスケット。それを軽く揺らして見せると、大輔と京子は小さな歓声を上げた。


「どしたのこれ!」

「友達と夜に集まってすることがあるから、今日は晩御飯食べずに帰るって言ったら夜食にって持たせてくれた。中身は佐和さん特製サンドイッチだよ」

「やった!ちょっと、大輔私もベーコンのやつ食べたい!」

「お前なんかキュウリで十分だ」

「大輔こそキュウリかじってろ!」

「ベーコンのサンドイッチはまだあるから大声出さないで!」


 一応警備のおっちゃんが裏門にいるから、こんな体育館横の倉庫に人目を忍んで隠れているのである。それなのに大声なんて出したら見つかるでしょうと叫ぶと、口いっぱいにほおばったサンドイッチをどうにかこうにか飲み込んだ大輔がこういった。


「問題ない。あの警備、役立たずだから割と夜は見回りもせずに寝てる」


 その言葉に顔をしかめる私と京子。


「その言い方、なんだか何度かこういうことしてるみたいに聞こえるんだけど」

「わりとやってる。宿題忘れて深夜に忍び込んだりとか」

「この馬鹿!!」


 京子が丸めた雑誌で大輔の頭をはたき倒した。しかし大輔は平然としている。


「今までばれたことも捕まったこともないから問題ねぇよ。むしろ俺がそうやって危ないことしたおかげで、今犯人捕まえにここに乗り込むって暴挙に踏み出せてるんだから、罵倒するんじゃなくて感謝してほしい」

「あんたっ、ほんとに……、ほんとにこの馬鹿……っ」


 京子が怒りなのか呆れなのか自分の中にある感情を制御できずに口ごもったので、そのすきに私はベーコンとトマトのバケットを京子の口に押し込んだ。


「まあまあまあまあ!あれ?そういえばミケは?」


 室内には、文句を言いながらもここに残ると言っていたミケの姿がない。不思議に思いながら首をかしげると、大輔は次のサンドイッチに手を伸ばしながらこう言った。


「『俺にしかできないことを思いついたから、一度帰る。朝の五時、正門が開く頃にはここに来るから夜中は悪いけどパス』ってさ」

「ミケにしかできないこと……?」

「なんだろなー。でも、まあミケが大丈夫っていうなら大丈夫じゃねぇの」


 大輔に食わねぇのか、と玉子サンドを口に押し込まれて、私は黙って佐和さんお手製の玉子サンドを咀嚼しはじめた。

 室内に、沈黙が降りる。けれどその沈黙からまた言葉を繋いだのは、先にサンドイッチを食べ終えた大輔だった。



「永見ってさぁ、小春のことどう思ってんのかね」



 それに思い切りよくむせると、京子はけらけら笑った。


「確かに!朝のあれなんて、かんっぜんにただの焼きもちだったもんね。小春的にはどうなのよ?」

「私?」

「永見とどうにかなる予定はないの?」

「予定って……」



 出会ってまだ数日の相手を前に、そんなことを考えられない――……。

 横井に言ったその言葉を言おうとして、言葉に詰まった。




『はるがすき』




 泣きながらそう言った、その言葉が頭をよぎる。




『言えなくてごめん、言わなくてごめん、すき、ずっと、好きだから。はる、はる、はる、はる、……貴晴』




『好き』は世界の中で一番強くて怖い呪いだと、お兄ちゃんは言っていた。相手を簡単にその言葉で縛り付けられてしまうから、と。

 だからお兄ちゃんは、誰にも好きと言わなかった。実の妹の私にさえ、好きと言わなかった。どれほど乞うても、兄から愛情を手に入れられなかった。

 佐和さんも、私も、母でさえもだ。


 私の中で、『恋』は京子や大輔が想像しているような、綺麗でキラキラしたものなんかじゃなかった。

 黒くて暗くてどろどろした、おなかの底を見にくくのたうち回るような、そんなものが私の知っている『恋』だった。


 そんなもの、私は抱えたくない。そんな怪物、私にはいらない。


 ふっとうつむく。そして、そのまま勢いよく、自分に言い聞かせるみたいに短くこう叫んだ。


「知らない」


 そんな私を見て、笑いながら京子は言った。


「でも、どうでもいい子が怪我をしていて、永見、あんなに怒るかな?」

「友達だもの」

「横井と手をつないでいたって指摘したのは?」

「自分をいじめていたやつと自分の友達が並んで歩いていたら、さすがの永見くんだって気にするでしょう」

「この強情っぱり」

「恋愛体質は黙ってて」


 大輔を挟んで、京子とにらみ合う。すると、大きくため息をついた大輔が、私を横目で見ながらこう尋ねた。


「……まあ、永見と小春がどうなろうとかまわんけど、お前、逃げるなよ」

「逃げるなって」

「いつだって小春はそうだから。大事にされたいくせに、大事にされたら怖くなって距離を置くんだ。今だって、俺たちが今以上に小春に踏み込んだら距離を置かれるのは目に見えてる」

「大輔……」


 自分でも意識したことがなかった、私の悪癖だった。


「好きかどうかはわかんないけど、永見は小春のこと大事にしたいんだと思う。さすがに俺でもそれくらいはわかったぞ」


 答える言葉を失って、また黙り込む。大輔はひとりごとみたいに勝手にしゃべり続けている。永見がどうとか、小春がどうとか、最後には京子と大輔が二人でこの間見たお笑い番組の話をし始めて、私はそんな二人をぼんやりと見つめながら、壁にもたれて目を閉じた。

 うつらうつらと、体が揺れているような感覚がする。このまま眠りについたら二度と目を覚ますことはできないような気がして、しがみつくように大輔の来ていたセーターの裾をつかんだ。大輔は私のしたいようにさせてくれた。


 ――それから、五分後、十分後、もしかしたらもっと長い時間がたっていたのかもしれない。

 そのつかんだ裾に急激に引っ張られて、目が覚めた。バランスを崩して床に崩れ落ち、したたかに肩を床に激突させ、うめく。

 そんな私を心配もせずに放置して、大輔は外の音に耳を澄ませた。そして、呟く。




「人の足音だ」




 用具倉庫の窓から体育館の横の花壇を見る。

 明らかに警備のおっちゃんではない。細くて、小さな影が花壇のわきにしゃがみこんでいた。

 人影は何やら必死に腕を動かしているが、途中、何かにイラつくように花壇にずかずかと上がり込むと折れたまま花壇に置き去りにされていた、紫陽花を勢いよく蹴っ飛ばした。その動きは私たちが思い描いていた、花壇破壊犯の動きと完全に一致した。

京子が抑えた声で囁く。


「……間違いない、あいつよ!」

「どのタイミングで行く」


 私と京子でぼそぼそと話をしていると、私たちの手に懐中電灯を押し付けた大輔が、花壇の人影から目をそらさずにこう続けた。


「いち、にい、さんの、さんのタイミングで俺が用具室のドアを開ける。そしたら京子と俺で、外へ走り出る。俺はここから見て犯人の向こう側、犯人から見て右側へ。京子は犯人を挟み込むみたいにして、犯人からこちらに近いほうのサイドに立つ。犯人から見て左側へ。そして、二度目の合図が出たら懐中電灯で顔を照らす。

 小春の仕事は証拠写真の撮影だ。顔が出た瞬間、問答無用でとれ。永見をこのまま犯人にしないための、証拠写真と取引材料にする。いいな、顔を隠される前に撮れよ。いっそ、俺たちが走り出した瞬間から連写し続けてもいいくらいだ」

「わかった」

「……じゃ、逃げられる前に行くか。行くぞ、京子」

「オーケー」


 京子と大輔が、息を整える。


「いち」


 大輔と京子が手元で懐中電灯のスイッチの入れ方を手触りだけで確認する。


「にい」


 大輔の手が用具室の扉にかかる。私も息を吸って、スマートフォンのカメラ機能を立ち上げる。


 そして。



「さん」



 ばんっと用具室のドアが跳ねのけられた。京子と大輔が走っていく。その後ろを追いかけて、私も走る。いち、にい、あと二歩。あと二歩で犯人に一番近い場所に来る――……。そして一瞬ののち、京子の短い合図が聞こえた。


「せぇのっ!」


 ぱあっと花壇のわきが白い光で満たされた。その瞬間、犯人に向かってカメラを向けて、シャッターを切って……、驚いた。



 真っ黒で長いストレートの髪。大きな猫目。小さな輪郭。

 どこをとっても美少女だと言う表現しかでてこないような少女が、光の中にまぶしそうに眼をすがめて立っていた。




 ただ、何よりも奇妙で目を引いたのは、彼女の首から頬にかけて、花咲病特有の緑色のあざが、その白い肌を覆っていたことだった。






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