24

 室内に飛び込んできた京子は、三つくらいクエスチョンマークを頭に浮かべたみたいな、そんな顔をした。

 時刻は朝の八時前だった。こんなに長い時間、横井とふたりでいたことに驚く。八時半からHRが始まるから、もう生徒は登校を始めているんだろう。保健室の外から、朝特有のざわめきが聞こえていた。

 私の置かれている状況が本気で理解できなかったのか、しばらく動きを止めていた京子は、はっと我に返ると頭に浮かんだクエスチョンマークを一から順に早口で並べていった。


「なんでこんなに早いの、朝起きたら先にいくって連絡来ててびっくりした!あとその顔なに!?なんで怪我してんの!?最後になんでここに横井がいるの!」

「怪我と先にいった理由はあとで話す。横井はたまたま校門で会って、手当てしてくれるっていったからお願いした」


 京子はその顔にまざまざと「横井が小春に手当てする理由がわからない」と言った表情を浮かべたけれど、私だってそんなのに構ってられなかった。


「京子?どしたの、私今日は先に行くって言ったよね。部活は?今、朝練じゃ……」

「いや、そんな場合じゃないの!永見が!」

「永見がなに」


 横井が尋ねる。そんな横井をちらりと見て、京子は外を指し示した。



「大騒ぎになってる。見に行った方が早い」



 私と横井は顔を見合わせて、ふたり同時に立ち上がると京子の指し示す方へ走り出した。






「見つけたのは、なっちゃんだったの」


 園芸部で、修学旅行で同じ班を組むかも知れなかったあのなっちゃんである。


「体育館横に紫陽花、咲いてたでしょ。あといろいろお花が綺麗に配置されてて。あれ、管理してたのなっちゃんで」

「うん。昨日永見くんと二人で見たよ。綺麗だねって......」


 それを聞いて、京子はさらに不思議そうな顔をした。


「じゃあなんで、あんなことになるのよ」

「だからあんなことって」


 なに、と。

 尋ねようとしたところでちょうど体育館の横に到着した。人だかりになっている。その隅で、永見くんがぼんやりと立ちすくんでいるのが見えた。こんな朝に、傘も差さずん立っていて大丈夫だろうかと思ったけれど、空はどんよりとした曇り空で、少しほっとした。

 けれどほっとした直後に目を引いたのは、その脇で泣いているなっちゃんだった。永見君はなっちゃんの向井で、群集をにらみつけるようにまっすぐに突っ立っている。


「なっちゃん…?永見君?」

「浅海、そっちじゃない。あっちだ」


 思わず二人のほうへ駆け寄ろうとした私の腕を、横井が乱暴につかむ。その腕に導かれるまま、目を向けたのは体育館の脇の花壇。それを見て、私は思わず両手で口元を押さえた。押さえていなくちゃ、悲鳴があふれ出てしまいそうだったから。


「……なんで、こんなことっ」


 なっちゃんが育ててきた綺麗な花壇は、見るも無残なまでに、ぐちゃぐちゃに荒らされていた。

 鮮やかな紫陽花の花弁はレンガにべったりと張り付き、他の花も踏み荒らされ、地面に頭をもたげている。なんでこんなことを、だれが、と思ったそのタイミングで、甲高い女子の声がした。


「あんた、なつがどんな気持ちでいるのかわかってんのっ!」


 なっちゃんの周りにいた、他のクラスの園芸部の女子たちだった。


「永見ッ!なんでこんなこと!」

「最低!」


 その言葉を聞いて、私は思わず京子を見た。京子は軽くうなずく。


「見ての通り、永見が疑われてる」

「なんでよ!?」


 食ってかかる相手が違うと頭の中で自分に言い聞かせながらも、私は京子に詰め寄る体を止めることができなかった。


「永見君はしてない、そんなの、絶対にしない!」

「私だってそう思いたいわよ。でも証拠がそろいすぎてる」

「証拠って!」


 さらに叫ぶ私に、京子が何かを言おうとした。けれどその瞬間聞こえたのは、園芸部の女子たちが発した、永見君をさらになじる声。



「花咲病だからこんなことをしたんでしょ!?花咲事件の大半は、花に恐怖心を持った患者が起こしてるもの。私、今でも覚えてるわ。花咲病の男が桜の木に火をつけたんだって事件!」



 かっと顔に血が上るのが分かった。


 花咲事件。花咲病の人が起こした暴力事件、傷害事件の総称。たしかに花咲病の患者は、花を極端に嫌う人が多い。自分の死体を見ているような気持ちになるから、らしい。患者が桜の木に放火した事件も実際にあった。

 でも、永見君がそんなことする?昨日、なっちゃんの花を見て綺麗だねってあんなに穏やかに笑っていた彼が、そんなことをする必要性はどこにあるの?


 永見君は絶対にそんなことしないって、証拠はないけど確信だけはしっかりあった。


「……もういい」

「ちょっと待って、小春!今の状態を何も知らないで何ができるつもり!?」

「なにもできなくてもあんなところに永見君を一人で置いとけないよっ!」


 私は京子が引き止める声すら振り切って、群集の中に足を進めようとした。言わなきゃ。永見くんじゃないって。永見君はそんなことしないって、私が言わなきゃ。

 けれどぐいぐい進んでいく私のその腕を、右と左から同時に勢いよくつかまれた。

 なにすんの、と睨みつけようとして、さらに自分をきつくにらみつける目に思わず動きを止めた。



「計画性なさすぎにもほどがあるんだよお前、マジでふざけんな」

「横井」



 左手に、横井。



「まあ落ち着けって。ミケが今、まっちゃん呼びに言ってるから。今お前が割って入ったらさらに場が紛糾するに決まってる」

「大輔……っ」



 右手に、高校ジャージを着た大輔が立っていた。二人に制止されて身動きが取れなくなった私は、身をよじりながら永見君を見る。止められはしたけれど少し永見君に近づいたおかげで、いつもより、ずっと彼の顔色が白いことに気づく。

 その顔からすっと視線を下ろして、永見君の手に目をやって、そこでようやく私は「証拠」の意味が理解した。



 永見君の手のひらは、土でべっとりと汚れていたのだ。



 二人の後ろから、京子が早口で状況を説明し始める。


「なっちゃん、結構朝早くに学校に来て水やりしてるんだけど、今朝来たらもう花壇はぐちゃぐちゃで。花壇のわきに立って、永見が花をわしづかみにしてたんだって。おもわずなっちゃんが永見に食って掛かったらしいけど、ずっと永見は返事もしないでだんまりを決め込んでる。それで、さっきからあの状態」

「この状態で永見をかばったら、お前も永見も大炎上だぞ。今、永見が犯人だって言える状況証拠しかそろってない」

「そんな……」


 永見君は汚れた手を隠そうともせずにさらしたまま、なっちゃんをじっと見ていた。そこへ、慌てたような足音と、低い男性の声が女子たちの怒号を抑え込んだ。


「お前らどけっ!」


 まっちゃんと、生活指導の先生たちだった。まっちゃんは生徒たちに下がるように言うと、永見君に駆け寄った。

 そんなまっちゃんに、園芸部の女子が口々に、永見くんが花壇を荒らしたのだと叫ぶ。

 その言葉だけを拾って、生活指導の先生が永見君の肩を勢い良くつかんで揺らした。


「またお前か永見!」


 まっちゃんが、生活指導の先生を慌てて止めに入る。


「葉山先生、いきなり永見が犯人だと決めてかかるのは……」

「でもこいつは前科持ちだ、そもそも松山先生、あなたの指導がなってないからこんなことが起きるんでしょうが!」


 あんまりな言い分だった。大輔の、私の腕をつかむ手にさらに力がこもるのが分かる。私もふざけるなと叫びそうになった言葉を、無理やりかみしめることで飲み込んだ。

 混沌とした空間の中で、ただ一人、まっちゃんだけが冷静だった。


「俺の指導の甘さについては後でいくらでもお叱りを受けます。そんなことより、まずは状況の説明をちゃんと双方から聞きましょう。八巻、来れるか?」


 まっちゃんの静かな声に、なっちゃんがこくりと頷いた。それを受けて、園芸部の女子たちもざわめき始める。


「私たちも行きます!」


 けれどまっちゃんは、そんな声も一蹴した。


「その場に居合わせなかった人間がいても話が混雑するだけだ。とりあえず、八巻と永見から話を聞く。永見、職員室に行くぞ」


 ――正直に言うなら、私はちょっと、ほっとしていたんだと思う。まっちゃんならちゃんと永見君の話を聞いてくれる。永見君が一方的に加害者になることはないって、そんな油断をしていたんだと思う。


「……永見?」


 永見君が無言でずっと何を考えていたのか、知りもしないで。


「おい、永見、行くぞ」


 まっちゃんが永見君の腕を引いた。けれど、永見君はその腕を振り払って、なっちゃんのほうを振り向いた。永見君と目が合ったなっちゃんは、明らかにおびえた目を見せる。けれど、そんな彼女を意に介した様子もなく、永見君は淡々とこう言ったのだ。




「おれがやりました」




 ざわめいていた生徒たちの、空気が冷えた。

 永見君はぽつりぽつりと言葉を続ける。


「そこの花壇の花が、あんまり綺麗だったから。俺は花咲病だから、花を見ていると、自分の死体を見ているようで気持ち悪くて、踏みつぶしました。おれがやりました」


 まるで台本でも読んでるみたいに、永見君は淡々と言葉を連ねていった。そして、ゆっくりと頭を下げた。


「すみませんでした」


 止まった空気と時間の中で、真っ先に動いたのはまっちゃんだった。


「……行くぞ永見っ!」


 今度は、永見君は抵抗しなかった。まっちゃんにひきずられるようにして群集をかき分けて歩いていく。その時、私の近くを通った永見君と目が合った。


 永見君は大きく目を見開いて、私の顔を見ていた。


 足も、手も、無様なくらいに震えていた。何がどうなってしまったのか、永見君がこれからどうなるのか、全く頭が追い付いていない。

 ただ、私の後ろで横井がぼそりと呟いた、


「まずいことになったな……」


 という、その声だけが、がらんどうの頭に何度も反響しては消えていった。


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