7
兄と話をしたその日、私たちはまた夜の街を歩いた。
歩いても歩いても町は暗闇に沈んだままで、夜明けなんていつまでたっても来ないような気がした。
もう二度と、朝日なんて浴びられないような気がした。
夜道をまっすぐに歩いていく、兄の背中に呼び掛ける。
「ねえ、川原に行こうよ」
兄は振り向いて、顔を軽くしかめて見せた。
「……今日はさすがにいねぇと思うけど?」
「だれも永見君に会いたいなんて言ってない」
「俺も永見君だなんて一言も言ってない」
兄が顔をそらす。私は無言で兄の背中をひっぱたこうとして、やっぱりやめた。けらけらと笑う今の兄には不気味さなんてこれっぽっちもなくて、なんだか不思議な思いがする。
住宅街を抜けて、土手へ。あの日渡り損ねた橋の真ん中。黙って見降ろした川原には今日は誰もいない。
ポニーテールにした髪をおろした。風に吹かれて、微妙な長さの黒髪がさらりと揺れる。
小学生の時、髪の毛をずっとポニーテールにしていた。きっかけなんて単純で、当時好きだった男の子が「髪の毛を結んでいるのがかわいい」だとかなんとか誉めてくれたからだ。
今では夜中出歩くときに結ぶだけで、学校にはずっとおろしたままでいる。どうして髪の毛をおろすようになったのかはよく思い出せないから、きっとたいした理由なんてなかったんだろう。ほどいたゴムを人差し指に引っ掻けて、くるくる回す。
三日前もこうして髪を結んでいたゴムをほどいて、指でいじって遊んだ。そのうち、勢いあまってゴムは宙へと飛んでいって、橋の下に落ちていったそれを目で追った先に、永見君がいた。
今日はゴムは飛ばない。橋の下にも、誰もいない。
「……降りようか」
「うん」
兄と二人で、意味もなく川原に降りる。街灯も遠く、暗いこの場所に、永見君は一人で立っていた。
階段を下りていくとき、目に留まった菜の花を数本詰んだ。それを髪の毛をほどいたゴムで束ねる。どうせ百均で数束セットになっているような安物だ、なくなったって何にも思わない。
高架下に近い、土手の真ん中。私は即興の花束をもって猫の墓へと向かう。少し盛り上がった土に花を手向けようとして、しゃがみこんで、そこではっと気が付いた。
「お兄ちゃん」
「おう。先客がいたみたいだな」
私が花を供えようと思っていたそこには、もうすでに菜の花が何本も無造作に置かれていた。しおれているものから綺麗なものまで混じる花に、数日前から毎日ここに通っているんだろうという察しはすぐについた。
「この無造作さは男だな」
「推理にもなってないよ」
二人で笑いあいながら、無造作に置かれた菜の花の横にそっと新しい花束を置く。手を合わせて目を閉じれば、瞼の裏で、あの無感情な白い顔の少年がこの場所にしゃがみこんでいる姿を容易に想像することができた。
優しい人なんだと、思う。
伝えるのが下手なだけで、きっと、彼は優しい人だ。
彼が怒ったように言った『友達なんかいらない』という言葉を思い出して、私はゆっくりと口を開いた。
「友達がいらないなんて、もったいないなぁ……」
私の中の最上級のエゴで呟いたその言葉。
「すっげぇ傲慢な言葉」
それを聞くなり、私の隣に立つ兄はそんなことを言って笑った。
明けないように思えた闇は、徐々に明るくなり始めていた。
翌日も当然、学校はあった。
中学生の時から、登下校は京子と大輔と三人でしている。
京子も大輔もばりばりの運動部で、私は帰宅部だったから、いっしょに登校する理由がわからないと高校の同級生には何度も言われた。朝は二人の朝練に合わせて早いし、帰りは日が暮れてからになる。
私もどうして二人と通学を始めたのかよく覚えていないけれど、習慣になっているその毎日を私は私なりに楽しんでいた。
楽しんでいた、んだけどなぁ……。
思わず苦笑いをしてしまう、通学路。
いつも真夜中に兄と歩く道を、朝、三人で歩きながら、私は気まずさから、むやみやたらに意味のない発言を繰り出していた。
「……きょ、今日英語の復習テストだよね!いやぁ、私勉強してないから大丈夫か不安だなー……、なんて」
「大丈夫だろ。俺のほうが多分ひどいわー」
「きょ、京子は……」
「私は問題ない。小春、隣の巨人に『テスト20点以下取ったら小遣い半分に減らすぞってあんたのお母さんからの伝言だ』って伝えてくれる?」
伝えても何も、三人並んで歩いているのに聞こえていないわけがあるまい。私は壁か。二人を隔てる壁なのか。
「……大輔ぇ。京子が」
困りきった私は、隣の巨人に助けを求めた。しかし、やつは真顔で一言。
「小春。隣の性格ブスに伝えてくれ。『そんな常套句に騙されてんじゃねぇ。今まで20点以下しかとってないけど小遣い減らされたことはないわ』」
「大輔!」
「小春。隣の脳みそが沸騰してるやつに伝えて!」
「伝えない!会話しろ馬鹿!」
どうやら二人は昨日、大喧嘩をしたらしい。
帰り道は普通だったから、たぶん私と別れて、二人で同じマンションに帰ってる途中もしくは帰った後のどちらかの家で喧嘩になったんだろうと思う。
そこまで察しはつくが、原因はふたりとも頑として言わない。私はあきれて大きなため息をつきながら、もう一度尋ねた。
「二人とも、なんで喧嘩したの?」
「京子が頭でっかちだから」
「大輔が後先考えないから」
やっぱり、答える気はなさそうだ。
「なんでもいいからさっさと仲直りしてよ」
ぼやくようにそう言ったが、黙り込む二人はおそらく当分この調子だろう。
喧嘩するほど仲がいいってやつなのかなぁ、と考えつつ、私はグラウンドへ向かう二人と別れて教室へと向かった。
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