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「猫、ありがとう」
「あ……、うん。たまたま通りがかっただけだから」
猫の話はそれっきりだった。
『真夜中に一緒に死んだ猫を埋めた』。たったそれだけの話がそれ以上広がるわけもなく、私たちはひたすらに体育館へと急いだ。
しかし結論から言えば、私たちは遅刻だった。
教室にあんなに長々と残り続けていて集会に間に合うはずもない。到着した時にはすでに体育館の中は学年順に整列させられた生徒でいっぱいになっており、そこを分け入ってど真ん中の二年生の席に乗り込めるわけもなく、私と永見君、そして少し遅れてやってきた大輔は体育館の後ろの入り口付近に突っ立つことになった。
「二年の初めから遅刻席かぁ……」
遅刻した人はみんなそこで待機させられるから、遅刻席。なんとも不名誉な名前である。
「……永見君は集会、出る気あった?」
「正直なかった」
「ですよね」
「浅海さんが声かけてくれなければあのまま教室で待機してた」
「声のトーンが平坦すぎて恨んでるのか感謝してるのかわかんないから感情こめて言ってくれる?」
左から永見君、私、大輔の順に並んで体育館のステージを眺める。あ、違う。永見君は眺めていない。通常運転の彼は、立ったままでもやっぱり文庫本を開いている。注意しても聞かないからすでに先生もスルーだ。
大輔が水泳部の部活表彰にぱちぱちと手をたたきながら、こちらを見て目を瞬かせた。
「小春と永見って交流あったの?」
「今日初めて名前知った」
「右に同じ」
「それにしては仲良いよな。永見が人と会話してるとこなんてそんなに見ないんだけど」
「そうなの?」
そういえば京子がクラスで浮いてるって言ってたな。そう思いながら永見君のほうを向くと、思いがけず冷めた調子の返事が返ってきた。
「おれが話さないんじゃなくて、周囲がおれと話したくないんだよ」
意味が分からない。
「何その『友達を作らないんじゃない、いらないんだ』みたいな理論」
「……浅海さんって無知だよね」
「今永見君が私を最上級にバカにしてることだけは知ってるよ」
「そう。それはよかった」
全体的に、冷たい。冷たいというか、冷めてる。思わず私はぼそっとこんなことを言っていた。
「めんどくさい男だな」
すると間髪入れずに永見君もこう返してきた。
「おせっかいな女だな」
こいつ、やっぱり変人で嫌な奴だ。ふんっとお互いに顔をそらすと、左隣の大輔が勢いよく噴出した。
「もういいじゃん。面倒な男とおせっかい女で仲良くしとけば?」
「友達とかいらないから」
「ほら!また思春期でちょっと意地はっちゃってるぼっち系男子みたいなこと言うでしょー」
「その細かいたとえやめて」
顔をしかめる永見君。笑う私と大輔。そのうち後ろから来た担任にいい加減黙らないと体育館からたたき出すと脅され、全員一瞬黙り込んだけれど、そんなに長い間沈黙は続かなかった。誰からともなく、やっぱりまたこそこそと話し始める。
「あ、京子もう終わっちゃったじゃん」
「春季大会、長距離で二位だっけ」
「さすが陸上部の時期エースだよね」
こそこそ大輔と耳を寄せ合って話し合う。そこにぼそぼそと永見君が口を挟んでくる。
「京子?」
「そ。貝坂京子。今舞台から降りたショートカットの子」
「……どの子かわかんない」
「舞台からちょっと遠いもんね。でももう降りてきたし、席に戻る前にあそこに賞状とトロフィー置きに来ると思うよ」
指差したのは私たちのすぐ近くにある長机だ。あんな大きなトロフィーを持って狭い席に戻れるはずもなく、予想通り京子は一度手に持ったものを置きにこちらへやってきた。ひらりと手を振って見せると、京子はありありと「なんで遅刻席にいるんだ」という顔をする。
ごめんごめん。そんな意味を込めて軽く手を合わせてみせるが、京子はこちらを見ていない。鋭い目つきで、私のすぐ隣をにらみつけている。
「……やっぱり、浅海さんはおれと仲良くしないほうがいいかもね」
永見君はさっきまで上げていた顔をまた下へ向けてしまった。私のすぐ隣で、大輔は珍しく厳しい顔で京子を見ていた。
「……それで?」
「それで終わり」
話は夜の自室へと戻る。私の目の前で、兄がありありと不満げな顔をした。
「もうちょっとなんかないの、永見くんも真夜中に出会ったのが小春だって気づいたんだろ」
「なかったよ。『真夜中に猫を埋めてくれた人?』『はいそうです』『そうですか』おしまい。そのあともなにも話さなかったし、京子も永見くんの話題を出そうとしなかった」
「なんだそれ、つまんねぇな」
兄が私のベッドに寝転がる。
「自分の部屋に戻ってよ」
「やだ。小春、外の話をもっとして」
明日着る制服のカッターシャツにアイロンをかけながら、兄のほうを見る。忙しい時に絡んでくるなこのシスコン。そう怒鳴ってやろうとして、振り向いて、
「ねえ、小春」
——ぞっとした。
いつもの優しい笑顔なんかじゃない、そこにあったのは底冷えするようなねっとりとした笑みだった。
「永見君のこと、なんとなく気が付いているんじゃないの?……俺と、同じかもって」
心臓の一番柔らかい部分を、何度も何度も冷たい手で撫でられているような感覚がする。踏むでもなく、刺すでもなく、撫でる。お前なんかいつでも殺せるんだと、その冷たい手が告げている。
「小春は知らない振りが得意だね。何も見ないふり、知らない振りでうまく生きていくんだ。ずるいね、小春はずるくて卑怯者だ。永見君が俺と同じで、似たような運命をたどっても、小春は知らないふりをして生きていくんだ。そうだろう?」
「違う……!」
「何が違うの」
息が、詰まる。
「何が違うんだよ浅海小春」
ぱくりと口を開いた。その瞬間。
ガタン!!!
隣の部屋から何かが倒れる音がした。女の啜り泣く声が、何度も兄の名前を呼ぶ。
タカハル、タカハル、貴晴......。
「......呼ばれてるよ」
「そうだね」
兄はすべての感情を削ぎ落としたような目で、壁の向こうを見つめて呟いた。
「ああやって俺を呼ぶから、俺はどこへも行けないんだ」
その言葉を聞いた瞬間、何故だか、兄が消えてしまうと思った。私のたどり着けない場所へ、ふわっと溶けて消えてしまうのだと。
思わずその背中にすがりつくように声をかける。
「......行こう。真夜中の散歩、行こう」
首を振りながら、何度もそう言う。
「行こうよ、お兄ちゃん」
兄の目が少しだけ、柔らかくなった。
「寒いからカーディガン羽織っていけよ」
柔らかいその目が、猫を埋め終えた瞬間の永見くんの横顔に、なぜだか重なって見えた。
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