あ。って、口が開いた。京子が不思議そうに首をかしげる。


「どしたの小春」


言えるわけがない。彼を知ってます、真夜中の河原で一緒に猫の死体を埋めました、なんて。口が裂けても言えるわけがない。

私は勢いよく首を振ることしかできなかった。


「......ううん、なんでもないの」

「……そ。まあ、あれが永見。永見はね……」


 京子が何かを口にしようとして、一瞬迷った顔をした。その顔に違和感を覚えた瞬間、何かをごまかすみたいに大きな釣り目が不自然に細められた。


「まあ、永見はちょっとクラスで浮いてたんだよ」


 何で浮いてたの。今、何を口にしようとしたの。それを尋ねようとした、まさにそのタイミング。


「おーい、自分の席確認したら集会あるからとっとと体育館にいけー」


 私達の後ろから担任が教室の中を覗き込んでめんどくさそうに怒鳴った。私と京子は顔を見合わせて、それぞれの机の上に荷物を置きに行く。

 私は自分の机の隣に鞄をひっかけながら、横目で後ろの席に座る永見君を盗み見た。

 永見君はまだ開いたままの本を閉じず、立ち上がる気配もない。友達、いないんだろうか。みんながなんとなく誰かと固まりながら教室を出ていくのに、誰も彼を誘わない。

 永見君のすぐそばでは、京子が慌ただしく部活のユニフォームを入れているエナメルから体育館シューズを引っ張り出している。そんな京子に、ドア口からほかクラスの女の子が声をかけた。


「京子ぉ!なにしてんの、春季大会の表彰あるって言ったでしょ!さっさと来て!」

「わかってるって!悪い、小春!部活表彰で呼ばれてるから先に行くねっ」

「はいはい。いってらっしゃい」


 慌ただしく駆けていく京子の後ろ姿を見送る。気づけば周囲にほとんど人はおらず、私が体育館シューズをトートバッグから引っ張り出すころには、教室内には私と永見君だけになっていた。

 永見君は動かない。やっぱり、動かない。集会があるってわかってるだろうか。そもそも今日が始業式だってわかってるんだろうか。

 恐る恐る、私は永見君に話しかけた。


「……永見君」


 少し前の河原の後ろ姿を思い出す。あの時も、永見君はこんな風に気が付かなかった。


「ねえ、永見君」


 仕方なくこつこつと机を軽くたたく。これで気が付かなければ意図的に無視されているに違いない。そうだと若干へこむなぁ、なんて考えながら彼の顔を覗き込むと、ようやく永見君はのそりと本から顔を上げた。


「なに」

「……もう、集会なんですけど」

「……ああ」

「行かなきゃ、鍵係になっちゃうよ」


 教室の鍵を閉めるのは、教室から一番最後に出た人だ。鍵を持っている人は集会が終わるなり全力疾走で教室まで戻って鍵を開けなくてはならず、少しでも遅れると教室から締め出された生徒からブーイングを受ける羽目になる。正直かなりめんどうくさい。永見君もそれはわかっていたらしく、しぶしぶといった感じで体を起こした。しかし本は絶対に手放さない。集会でも読むつもりだな、お前。

 体を起こした永見君は、周囲をぐるりと見渡してから半目で私を見た。


「いかなきゃ鍵係になっちゃうって、もう俺と……」

「浅海だけど」

「もう俺と、浅海さんしかいないじゃん」

「今なら私が鍵しめてあげるって言ってるの」


 永見君が目をきょとんとさせた。


「親切」


 なんと雑な誉め言葉だろうか。私は肩をすくめて、教室の窓の鍵を確かめようと窓に近づく。すると、さっきまでぼんやりとしていた永見君の口から、思いがけず鋭い声が飛び出した。


「やめろ!!」


 思わず手を止める。


「……え?」


 しかし永見君はぶんぶんと首を振っている。何故だ、と思った瞬間。


「あ、まだあいてた」


 坊主頭の巨体が一人、後ろのドアから現れた。


「小春、おまえまだこんなとこにいたの。京子、今日表彰あるだろ。遅れたらあいつ面倒だぞ。見てほしかったのにーって」

「大輔」


 さっきまで野球部につかまっていた、大輔だった。どうやら時間ぎりぎりまで玄関ホールで騒いでいたらしい。廊下の向こうをさっきまで大輔といた男子たちが駆け抜けていくのが見えて、思わずあきれてつぶやく。


「自分のこと棚に上げてあんたは……」

「俺は俺、お前はお前。もう時間ないし、ここは俺が閉めておくから先に行けよ」

「……わかった。じゃ、任せる」


 体育館シューズを肩にかけて、私は永見君の背中を軽く押した。


「いこ」


 永見君は無言のまま、体育館シューズと文庫本をもって体育館のほうへと歩き出した。

 しかし、一緒に歩きだしたはいいものの、話題らしい話題もない。結局無言のまま、階段を下りていくことしかできない。すると、二階の踊り場で唐突に永見君が足を止めた。


「……永見君?」


 永見君は目を見開いて私を見つめている。そうして、ようやく彼の口からひねり出された言葉が、たった一言これだけだった。





「……もしかして、猫、一緒に埋めてくれた人」




 もしかしなくてもそうです。気づいたの今ですか、永見君。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る