28
シャッター音を確認した瞬間、立ちすくんでいた少女の表情が豹変した。
「今、写真撮ったわね」
「……あなたに聞きたいことがあるんです」
「消しなさいよ」
「答えてくれるなら、消します」
「答えないなら、匿名で学校に送り付ける」
彼女はこちらをにらむと、大きなため息をついた。そして、少し後退する。その一瞬、左肩を引くのが横目に見えて、思わず私は叫んだ。
「京子っ!ふせて!」
反射的に京子が少女から顔を背けるのと、少女が左腕を振りぬくのが同時だった。
「……っ!!」
「京子!」
彼女は手に砂を握りこむと、思い切り京子の目をめがけて投げつけたのだ。少し目に入ったらしく、京子が目を押さえてよろめく。大輔と京子から挟み撃ちにされていた彼女は、よろめいた京子を突き飛ばすと、勢いよくこちらに向かって走ってきた。そして、片手に持っていた花咲病患者用の大きな傘を振りかぶる。
あ、と声を出す間もなく、彼女はそれを私の脇腹に叩き込んだ。
「小春っ!」
おなかの底からじわじわと痛みがたまっていく。思わずしゃがみ込んだ瞬間、手からスマートフォンが滑り落ちた。それを拾い上げて、彼女は自分のポケットにしまうと、もう片方の手で反対のポケットから何かを取り出した。
それがカッターナイフだと分かるまでに数秒。
彼女はそのカッターの刃を限界まで出すと、私の髪をつかんで顔をあげさせ、のど元に突き付けた。そして大輔をにらみつけて、小さく吠える。
「それ以上近づいたら、この女を刺すわ」
私たちを助けようとこちらへ走り寄ろうとしていた大輔が、その言葉の本気さを感じとったのか、興奮させるのはよくないと思ったのか、手前でぴたりと動きを止めた。
それを横目で確認して、彼女は私に向き合う。
「花咲病の女の末路を写真にとって、学校中にばらまきたかったの?あたしが病院を抜け出してるってどこから聞いたの?あたし、あなたたちなんて見たこともないけど……。誰に頼まれた?高野か?井立か?」
「私たちは……っ」
「私たちは花壇を壊した犯人を捜しに来ただけよ!」
京子が叫ぶ。
「花壇の隅にイヤリングが落ちていたから、きっとこの持ち主が犯人だろうって、ここにイヤリングを探しに来るはずだって推測を立てて待ち伏せをしただけ」
その言葉に、少女は突然興味を失ったみたいに、ああ、そうとつぶやいた。
「花壇を壊したって……、そこに咲いてた花を踏み潰した人を探しているのなら、それは間違いなくあたしね」
彼女がきりっとカッターナイフをもう数ミリ絞り出す。そして、独り言でもいうみたいにこう言った。
「花があんまり綺麗だったから、全部壊してやろうと思って。まあ、中途半端なつぶし方になっちゃったけど」
「どうして……」
「私、学校って嫌いなの」
彼女はにこりと笑って言う。
「そこに咲いてる花なんてもう最悪の組み合わせよね。ねえ、イヤリング。探してもないのはあなたたちが持ってるから?誰が持ってるの?」
「……俺だ」
大輔がポケットから、青い石のイヤリングを取り出す。彼女はふわりと微笑んで、こう続けた。
「返せば、とりあえずこの子には危害は加えない。それ、形見みたいなものなの。返して」
大輔は動かない。彼女はイラついたように、さらにカッターを私の首に近づけた。
「なにしてるの……?ほら、この子がどうなってもいいの?」
それでもまだ、動かない。少女がもう少し大きな声で、大輔に呼びかけようとした瞬間だった。
「……沙穂、やめて」
大輔の後ろから低い声の制止がかかった。暗闇の中、月明かりに照らされてぼうっと光っている、永見君がそこにいた。
彼女が片方の眉を上げて、永見君をにらみつける。
「朔。何しに来たの」
「それはこっちのセリフ。嫌な予感がしてきてみたら、案の定これだ。……沙穂。浅海さんを放して」
舌打ちをしながら、少女が私を見おろす。けれど、永見君の発した『浅海さん』という言葉に、綺麗な顔をさらにゆがませた。
「そういえば、さっき小春って……、あなた、浅海、小春?」
どうして、私の名前を知っているの。
驚きで正面にある白い顔を凝視すると、根元から私の髪をつかんでいた彼女が、なにやら私の顔を覗き込んで、首のあたりをちらりと見た。そして、なるほど、と笑う。
「……浅海小春。あなたにはまた、会うかもしれないわね」
また会うって、どこで――……。
しかし彼女はそういうなり、カッターナイフをしまって、私の髪から手を放した。その勢いにあらがえず、地面に崩れ落ちる。それを見て、彼女は満足げに長い髪を翻した。
「朔。この子たち、あなたの何?」
「……友達」
「へえ。朔に友達なんかできるんだ」
ねっとりとした声が、彼女の笑い声が、永見君を巻き取っていく。
「ね、花壇壊したの、騒ぎになったの?」
「なったよ。なったって、だからもうここへは来るなって言っただろ。イヤリングはおれが捜しておくからって。たった数時間前のことじゃないか」
「そうね。朔が本を借りてくるのを忘れなければ、それに読みふけって今日はここへは来なかったかもしれない」
あなたが悪いのよ、と彼女がさらに笑う。永見君は懇願するように彼女に続ける。
「沙穂……、友達なんだ。ひどいことはしないで」
「学校でできる友達なんてたかが知れてるクズばっかじゃないの。それに先に私の写真を撮ったのは、この子よ。花壇壊しの犯人探しに来たって言ってたけど、どーだか。今の私のあざだらけの顔をさらして笑いものにするかもしれない」
「浅海さんはそんなことしないよ」
永見君は怒ったように、でもどこか困ったように、所在投げに立ちすくんでいた。そんな二人を見ながら、ここへきてようやく、大輔が口を開いた。
「……聞けよ。永見は、あんたをかばって花壇を壊した犯人になった」
「立花君!」
「黙ってろ永見。俺たちは永見はそんなことはしないって自信があった。だから、真犯人を突き止めて、写真を撮ることで永見の疑いを晴らそうと思った」
「……真夜中の写真なんか、証拠物件になっても忍び込んでたことがばれたら終わりじゃない。あなたたちも罰則ものよ」
「それでも、永見が黙って悪者になってくのを見てられないって泣くやつがいたからな。写真はそのためのツールだ、あんたを傷つけようとは、これっぽっちも思ってねぇよ」
「……あっそ」
彼女はするりと京子のわきを抜けると、永見君と大輔の前に立って二人を見上げた。
「朔、あたしのことかばったんだ。ほんとうに馬鹿で愚直だよね」
「……うるさいな」
「あーあ、なんだかつまんないな」
彼女がポケットから私のケータイを取り出す。そして少し操作して「やっぱロックかかってるよね」と苦笑いした。
「これ、返してあげる。だから朔、データ消しといてよ。消さなかったらあたし、次は夜中じゃなくて日中に外に出るわ。傘も差さないで。この意味、朔ならわかるわね?」
「……やめて、沙穂」
「さすがにそれは止めるのね」
くるりとお姫様みたいにその場で一回転して、少女はひどくたおやかに笑って見せた。
「ねえ、朔。私以上に大事なものができたなら、早めに教えてね」
殺してあげるから。
彼女は最後にそういって、大輔の手からイヤリングを掴むと手を振って去っていった。
後には、私と大輔、そして京子と永見君だけがその場に残される。
「……あの人、誰?」
「前に言ったでしょ、本を読む幼馴染」
彼女が見えなくなった後で永見君に尋ねると、そんな返事が返ってきた。
何度か永見君が話題にしていた、あの幼馴染が彼女だったらしい。永見君はぽつりぽつりと言葉を探しながら、彼女について語り始める。
「あの子は、
たぶんなにもしなければ――、なにもしなくても、半年もたたずに死ぬんだと思う」
永見君が淡淡という。
「荒れてるんだ。かなり。病院をどうやって抜け出してるのか、まったくわからないけど……。時々夜中に病院を抜け出してるみたいで、昨日はここで何を考えたのか、花壇を踏み潰したみたい。朝、ここでイヤリング見つけて、足跡も、すぐに沙穂だってわかった。隠そうとしたけど、一回拾い上げたイヤリング、落としちゃって。探してる間に八巻さんが来ちゃって……」
大方、大輔が想像していた通りのことの流れを永見君は淡々と語って見せた。その最後に、ぽつりと言った。
「……でも嘘をついたのは、沙穂のためだけじゃなかったんだ。八巻さん、こう言ったんだよ、俺を見て」
『永見君、なにがあったの?』
『え?』
『永見君がしたんじゃないでしょ、こんなこと、永見君はしないでしょ』
『どうして……』
『小春たちといる永見君、最近すごく楽しそうだったもの、小春たちとせっかく今築けているいい関係が全部台無しになるかもしれないのに、こんなことする理由がないわ』
「俺のこと、信じようとしてくれたんだ」
でもほかの園芸部の女子がそれを許さなかった。永見君はどんどん窮地に立たされた。その糾弾の中で、なっちゃんの笑顔はどんどん曇っていった。それを見てられなくて、永見君は――……。
「八巻さん、今にも俺じゃないって叫びそうだったから。あんな中で、俺の味方したら園芸部にいづらくなるだろうし、俺が犯人になるほうが『かわいそうな八巻さん』で丸く収まって、沙穂のこともばれなくて、全部円満解決だっていうのにさ。浅海さんは明らかに自分も何かあったってわかりやすい顔してるのに、自分のこと後回しで俺のこと見てくれるし、信じようとしてくれるし、なんだかもう、やってられなくて」
「永見君」
「横井の言う通りなんだ。自分で捨ててきた『おれ』を、みんなが大事にしてくれるから、もうどうしていいかわかんないんだよ。俺はもう、自分を大事にする方法なんて、わかんないんだ」
途方にくれた、迷子みたいな顔の永見君を見て、私たちは思わず噴き出した。
「永見君、ばっかだなぁ」
「なんで」
「自分が周りに大事にされてるって受け止めるだけで、十分、自分を大事にできてるんじゃないのかな」
そうだ。
自分を大事にするのなんて、実はすごく簡単なことなのだ。
「誰かに大事にしてもらった時に、笑ってありがとうって言えたら大丈夫だよ」
そっか、と、永見君がつぶやいた声が、するりと風に乗ってほどけた。
「さーて。永見犯人説はどうしようかな。犯人はわかったけど、あの写真は消さないと後が怖いし、証拠として提出は難しいし。永見も、椎名先輩が犯人になることは望んでないんだろ」
白みだした空の下で、大輔が大きく伸びをしながらつぶやく。その言葉を聞いて、犯人は見つけ出せたものの、根本的な解決には何も至っていないことに気が付いた。永見君が意を決したように言う。
「……うん。沙穂がやったことだから、本人が償わないのはおかしなことかもしれないけど、俺もよく言って聞かせるから今回は許してやってほしい。それに、沙穂が病院から抜け出してるのがばれるのはまずいし、俺が犯人ってことでやっぱり納められないかな」
「でもそれは、永見君を信じてくれたなっちゃんに対してかわいそうじゃない?」
「そうなんだよね。永見は犯人じゃないと否定しつつ、何とか全体的にいろんなことをなあなあにする方法はないものか」
朝、もうすぐ五時になる。どうしたものか、と話していた時、パッパーと正門の向こうでトラックのクラクションの音が鳴った。その音を聞きながら、何かを忘れている気がして、私は思わず三人に尋ねた。
「……ねえ、なんか忘れてない?」
「俺も、なんか忘れてる気がする」
「そうよね。確か、昨日のお昼休み、ここにもうひとり……」
いたよね、と。
言いながらおそるおそる正門のほうを見た瞬間。
大輔のケータイが鳴った。大輔が電話を受信にした瞬間、響いたのは男子のがなり声だった。
『お前ら!!犯人は見つかったんだろうな!!』
その声を聴いて思い出した。
そうだ、いたよ。私たち、完全に忘れてたけど、ここにもうひとりいたんだよ。
「ミケ!忘れてた!」
「ミケ!存在感薄いわね!」
「ミケ君!どうしたの、こんな朝早くから」
「ミケ、ここまで反応してもらえてよかったな。切るぞ」
『待て待て待て待て!お前らさらっと暴言吐きすぎな!あと今の声永見混じってなかった?さらっと俺の事三池くんからミケ君にレベルアップさせてなかった?』
「マジでどうでもいいから切っていい?」
『あーーーっ!いいから待てよ!あの、侵入経路まで来てくれ!』
そういってミケの電話が切れる。私たちは全員で顔を見合わせた。
侵入経路は、私たちが夜中の学校に忍び込む際に使った、体育館裏の崩れたブロック塀である。外の道路は人通りが少なく、植え込みの陰になっているので外から見ても内から見ても死角になっており、大変侵入しやすい穴場スポットになっている。
主に大輔にとって。
私たちは首をかしげながらも、体育館の裏へと潜り込んだ。すると、ブロック塀の透かし模様から、ミケがひらりと手を振るのが見えた。
その奥に、軽トラも見える。ミケが軽トラを振り返って、小声で何やら会話をしている。
「ありがとな、父ちゃん」
「おう、貸し1だからな」
「バイト一か月給料抜きにしといて、さらに貸しまでつけるつもりかよ。えげつねぇ」
ミケが顔をしかめる。
その奥に、見えたのは、大量のかご。
「……ミケ?あんた、なにしてんの」
「言っただろ。俺にしかできないことを思いついたってさ。そんで、親父に頭下げて協力願い出たの。マジで大変だったんだからな」
ミケがため息をつきながら次々とかごを軽トラから降ろしていく。
「まあ、今ほど自分の親父が義理と人情が大好きでよかったと思ったことはないわな。
永見のこと、八巻のこと、全部素直に話して、俺がしたいことを伝えて、そうしたら協力してくれた。ほらここ、大輔が通れるくらいの穴なんだから、このくらいのかごは通せるだろ?正門まだあいてなくってさぁ。ってか永見も来てんの?内緒にするんだと思ってたけど、教えたの?」
「いーや、永見が状況に気が付いて勝手に来た」
状況を理解し始めると、おなかの底からふつふつと笑いが込み上げてきた。それは大輔も京子も同じだったみたいで、三人でくすくす笑い始める。永見君だけが、状況を飲み込めずにきょとんとして私たちを見ていた。
ミケが怒ったように叫ぶ。
「ちょ、なんで笑うんだよ」
「だってミケ、永見君状況理解してないよ。ちゃんと説明しなよ」
そんな私の言葉に、ミケは半ばやけくそみたいにして叫んだ。
「花屋の三池、体育館横の花壇の応急手当てに参りました!大量のお花のお届け物です!おら、お前ら、生徒が来る前にさっさとダメになった花片づけて、新しいの植えるぞ!永見、お前も強制参加だ!」
ミケは、でかでかと「花屋の三池」と書いてある軽トラから、綺麗なブルー系統の花々を下ろしながら、にやりと笑った。
「ごめんなさいをいうだけならサルでも出来んだよ。悪いことが起きてからのフォローまでして、初めて人間様の知能が生かされるってもんでしょう」
そういった彼の笑顔を見ながら、私はそっと隣の永見君の顔を盗み見た。
永見君の顔は、うれしいような、今にも泣きだしそうな、一言で言えばとっても間抜けな表情でいっぱいになっていた。
永見くんに花が咲く 鮎 @kotonohasarara
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