9
「京子ぉ……、そろそろ仲直りしなよ」
「やーだ。あっちが悪いんだよ」
昼休みが始まったばかりの教室。
私の後ろの席を陣取った京子が、購買のイチゴミルクをぎゅるぎゅると飲み干しながらそんなことを言った。
大輔との喧嘩勃発から五日、仲直りをする気は未だにこれっぽっちもないらしい。どうしようもない友人たちだと少し呆れてしまう。
私はフルーツオレを飲みながら、そんな京子に何度目かわからない質問を投げかけた。
「喧嘩の理由は何なの?」
「お互いの方向性の違い―」
驚きで目を瞬かせる。
「五日目にしてようやく喧嘩の理由の一部を聞けた……」
「全部話す気はさらさらないわよ」
「そうでしょうね」
困ったように笑った京子を見つめながら、私は頷いて続きを促した。少しだけうつむいた、黒髪のショートカットがさらりと揺れる。
「私にとっては本当に悩んで考えて出した結論だったの」
よく日に焼けた手が、からっぽになったイチゴミルクのいれものを手元でもてあそんだ。
「でも、大輔に『それはただの逃げで、責任転嫁だ』って怒られたのよ」
「大輔もきっついなぁ」
「大輔はおとなびてるから」
京子の言葉に、そっと眉を寄せる。それは、始業式の朝に私が言った言葉だった。
「おとなびてるから、悲しくなるのよ。私は大輔ほど大人になれないんだなぁって」
京子がふっと腕を振りかぶって、教室の隅にあるごみ箱に勢いよく空いたパックを投げた。ピンク色のパッケージは綺麗な放物線を描いてゆっくりとゴミ箱に吸いこまれていく。
「やった、シュート」
京子がにやりと笑った。
「外してたら拾いに行くほうが面倒だよ」
「外さないもの」
「うっわあ、自信満々……、あ」
横目でごみ箱をにらみつけた、その横を、すっと背の高い影が通り抜けていった。
永見君だった。
図書室帰りらしい彼は、また小難しそうな本を二冊わきに抱えて、黙って私の席の横の通路を歩いていく。
そんな永見君の頭に、ぽーんと紙屑があてられた。
こないだの朝見かけた男子数人が、ゲラゲラと笑っている。続けて二個、三個と永見君に充てられる紙屑は増えていく。
彼は何も言わないで、黙って落ちた紙くずを拾ってごみ箱に捨てると、机の中に手を突っ込んで何やらごそごそ探し始めた。そんな永見君の背中に、また紙屑が当たる。
五日前から、ずっとこんな調子だ。
永見君はいじめられている。クラス中からの無視と、男子生徒数名からの直接的な嫌がらせを受けている。
一度は止めに入ろうと思った。けれど、立ち上がりかけた私の手をつかんで京子が何度も首を振るから、何も言えないまま席に着いた。
その日、私は尋ねたのだ。永見君はどうしていじめられているのって。
京子は答えなかった。ただ、「永見に近づかないほうがいい」とだけ言った。大輔にも聞いたけれど、「京子がそういうならそうなんじゃないの」という曖昧な回答だった。
仕方なく他のクラスメイトに尋ねても、みんな「永見のことをあまり話したくない」と首を振る。そして、全員が全員、判で押したように最後に付け加えるのだ。
「横井なら答えてくれると思うけど」
横井って誰。
そう、あの隅っこの席で永見君に紙屑をぶつけて笑っている性悪男である。あの朝すれ違った、赤ペンを持っていた男が彼だ。なかなか思い出せなかった名前は横山でも、横尾でも、横谷でもなく、横井だったらしい。
そりゃ、確かにいじめている本人に尋ねればいじめのきっかけなんてすぐにわかるに決まってる。
しかし平気な顔でげらげら笑いながら人をいじめるような男と会話なんてしたくないかったし、だからといって永見君に直接「あなたはどうしていじめられているんですか」とも聞けるわけがなかった。そもそも彼は「お互いのためだよ」なんてかっこをつけたあの日から、私のことを徹底的に無視している。八方ふさがりだ。
肩を落として、ちらりとスマートフォンの画面を盗み見た。
昼休みはあと半分ほど残っている。この半分を教室で過ごすのも居心地が悪い。困って無意味に人差し指の爪をパチンパチンとはじいていたら、後ろからクラスの女子に声をかけられた。
「浅海さーん、まっちゃんが呼んでたよー」
「まっちゃんが?」
振り向いて尋ねる。
「そ。四月末の三者面談どうするつもりか相談しなきゃいけないから、呼んでこいだって」
「まじかー……、伝言ありがとね」
ドア口に立ったままのクラスメイトに軽く手を合わせて拝む。
変なところから、救済だか何だかよくわからない呼び出しがきた。
まっちゃん……、松山先生は私のクラスの担任だ。一年生の時に担任をしてもらって、今年も引き続き先生のクラスになった。
先生は変な人だ。言い方がぞんざいで、自分はぐっしゃぐしゃのシャツなんか着てるくせに生活指導なんかやってて、目つき悪いくせに背筋はピシッと伸びていてかっこいい。
実のところ、私は、結構まっちゃんが好きだ。
しかし、この話題ばかりはいくらまっちゃんからの呼び出しと言えども喜んでほいほい飛びつくことはできない。
「……小春、こればっかりは私も援護できないわよ」
「わかってますー」
私は大きくため息をついて立ち上がった。そんな私の背中に、京子の声が追いすがる。
「お母さん、相変わらず?」
軽くうなずいて見せる。そんな私に、京子は少しだけ眉根を寄せて、さっさといけとひらりと手を振った。
ドアから出る間際、ふっともう一度教室の後ろの席に目を走らせる。永見君は気づけばもういなくなっていた。どうやら、忘れ物か何かを取りに来ただけだったらしい。
よく考えなくてもこんな状況の教室に平気な顔でいられるわけがない。
昼休み、教室に居場所のない永見君はどこにいるんだろう。
なんとなく、そんなことを思った。
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