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「浅海、はいりまーす」


 呼び出しに応じて、職員室の二年生の入り口をがらりと開ける。すると私に目を止めたまっちゃんが、「こっちこっち」と片手を上げた。手の上げ方までスマートな理科教師なんてものがこの世に存在するとは、高校に入るまで知らなかった。


「おー浅海。お前、会議室な」

「うっわ、先生話長引かせる気満々でしょ」

「今日の昼休みは消えたと思え」


 しかしこの男、生徒への接し方は全然スマートではないようだ。まっちゃんは第一会議室の鍵を取ってにやにや笑い、私は盛大に顔をしかめた。

 職員室のすみっこでちょっと立ち話して解散、で十分なのに、こんなもの絶対長引くに決まってる。


 職員室のすぐ向かい。木目調のドアを開けて会議室に入る。

 座れと促されて、私はしぶしぶ妙にふかふかで座り心地のいい椅子に腰かけた。


「今日は何の話で呼び出されたのかわかってるな?」

「三者面談です」


 即答した私に、まっちゃんが頭を抱える。


「わかってんなら話は早い。おまえ、これからどうするつもりだ」


 ―――これからって、どこから?

 ぼんやりとその言葉を聞き流そうとした私に、まっちゃんはさらに続けた。


「これから進路決めて受験だなんだって時期に、お前の保護者を抜きにしてとんとん話を進めるにはいかんのよ」


 その言葉に軽くうなずく。まっちゃんの言葉は正論だ。

 このままじゃだめなんだろう。勉強しなくちゃな、とはずっと思っている。大学に行きたい気持ちも少しだけ。でも違う。

 私の進学を決めるのは私でもなければ進学先の大学でもない。そこをはき違えるから、こじれる。


「……でも、先生。私、大学行けないと思うんです」


 静かにそういった私に、彼は天井を見上げてあのなぁ、とあきれたように言った。


「……今から勉強すれば、ここらの私立ならどこでも通るぞ」

「たぶん父はお金を出してくれません」


 間髪入れない返事に、まっちゃんは少し目を見開いた。

 でも、そうだ。お金がなければ大学へはいけない。この世の真理だ。


「おふくろさん、相変わらずか」

「そうですね」

「親父さんは……」

「生活費だけ。最近はほとんど会ってません。でもお金には不自由させてもらってないですよ。携帯の通信料まで払ってくれるから、ありがたいとは思ってます。ほんと、ほんとのはなし」


 ―――でもたぶん、あの人は私を大学に行かせてはくれない。それはずっと前から、なんとなく察していた。


「父も私の面談なんかには来ないはずです」

「あー……、でも就職にしろ、三者面談は義務付けられてるからな」


 どうしたものかとまっちゃんが頭をかきむしりながら、勢いよく机を叩いた。


「しゃーない、俺もなんか代わりの案考えとくわ」

「ありがとうございます」

「おう。お前も、なんか身の回りで変わったことがあったら言えよ」


 もう一度お礼を言って、うなずいて。

 そこで、私ははたと気が付いた。


 永見君。


 本人には聞けない。横井なんかもってのほか。クラスメイトは我関せず。

 でも先生になら、永見君のことが聞けるんじゃないか。

 私はおずおずと口を開いた。



「先生、私の変わったことじゃないんですけど」

「お?」

「永見君がいじめられていることは知っていますか」



 私の言葉に、一瞬の沈黙が室内に降りた。

 そののち、まっちゃんがぐっと椅子に深く腰掛けた。お前もピンポイントで微妙な話題をついてくるよなぁ、なんてぼやきながら。


「――知ってるよ。当然だろ。職員会議でも何度も話題にはなってるし、俺もちょこちょこ面倒見てるしな。横井なー……、あいつ、幼稚なうえにねちっこいんだよなぁ」

「確かに幼稚ですね」

「でも永見は永見で受け入れてるしなぁ」


 そうなのだ。永見君は、自分がいじめられて当たり前だとでも言わんばかりに堂々とされるがままになっているのである。私はぎゅっとこぶしを握り締めて、思いきって先生に尋ねた。


「先生。なんで永見君はいじめられてるんですか」


 その問いに先生はなにをわかりきったことを、とでも言いたげに目を見開いた。


「……それは、お前、あいつが」


 ずっと聞きたかったこと。それに対して先生は、あいつが、と何か言いかけたのに、やっぱり口を閉じた。あんたもか。あんたもなのか。私はさらに手を握り混む。

 しかし、話はそこでは終わらなかった。彼は逆に私に質問を吹っ掛けてきたのである。


「浅海。お前、去年の夏に一年生で騒ぎになったこと覚えてないか」

「いえ。私、全然……」


 口ごもると、先生は軽くうなずいて見せた。


「そうだろうなと思った。お前、いつも魂半分抜けてるみたいなんだもん」

「え……」

「あんなに騒ぎになったことをわかってない。同学年ならだれでも知ってるはずの『永見朔』を知らない。お前、学校に興味ないんだよ。学校にいる間のお前は、体がここにあるだけで気持ちは伴ってない」


 ふしくれだった指がとんとんと机を叩く。


 すごく厳しいことを言われているのかもしれない。すごく、すごくすごくひどいことを言われているのかもしれない。それなのに私は心の奥の深いところで、そんな先生の言い分にひどく納得してしまったのだ。


「お前、貝坂と立花に聞いたろ。なんで永見はいじめられているのかって」

「……はい」

「教えてもらえなかったんだろ」

「はい」


 先生はがたんと椅子を引いて立ち上がった。




「俺が二人でも教えられないと思うわ。責任なんて、とれないから。知りたきゃ自分で本人に聞くしかないと思うぞ」




 責任って、なんの責任ですか。そう聞こうとしたのに、先生はもう話は終わりだとでも言わんばかりに会議室のドアを開けて外を顎でしゃくって見せた。呼び出しも突然だし、終わりだって突然だ。


 ドアを潜り抜けると、私の背後でかちゃかちゃと鍵を閉めながら先生がこんなことを言った。


「永見なぁ。あれで案外したたかだから、ちゃんと居場所つくって逃げてるよ」

「居場所……」

「第一理科準備室。俺の小部屋よく占領されて参ってんの」


 閉め終わった鍵を何度か宙に投げてもてあそびながら、先生はにやりと笑った。




「永見に用があるなら、穴場かもな」




 穴場と言われましても。

 先生はそのまま、鍵を宙に放り投げては捕まえて、という動作を繰り返して職員室に吸い込まれていき、その場には呆然とたたずむ私だけが残された。




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