永見くんに花が咲く
鮎
プロローグ「これは結婚式なんだと思った」
これは結婚式なんだと思った。
彼の高校の知り合いだという人がたくさん並んでいた。友人の多い人だったんだな、とぼんやりと思う。当たり前と言えば当たり前だ。私はあんなに優しい人を他に知らない。
けれど私にとって彼はずっと、彼でしかなかった。
彼の背に広がる人間関係なんてものを考えたことは一度もなく、だからこそこんな大きな建物に彼を知る人たちが集まっていく光景を、不思議だとしか思えなかった。
綺麗な白い受付。飾られる花束。思い出ブースには彼と彼女の笑顔の写真。
「式」と名のつくものはなんとなく雰囲気が似通っているのだろうか。お祝い事とは正反対の会場にいながら、ふと以前出席した親戚の結婚式を思い出していた。
花嫁と花婿。飾られる写真。白い受付。たくさんの友人たち。
状況としては似ているのかもしれない。始まりの式か、終わりの式かという違いはあるが、人生の節目に違いはないのだ。
結婚式、結婚式、そう思えばこの会場を歩いて行ける気がして何度も胸の内で繰り返す。まだ頭に残るまともな自分が、そんな考えは不謹慎だと怒鳴っていたが、聞こえないふりをした。
立ち止まったら思い込みが解けてしまう。思い出ブースも廊下も横目で流してするりと通り抜ける。
会場の中は廊下と同じように黒い服の人であふれていた。みんな一様にうつむいている。泣いている人もいる。それを無感情に見渡しながら、私はまっすぐ前を向いて歩いた。
結婚式。これは、結婚式。幸せな日。
私の番が回ってくる。
ご友人の席を立って、親族の席の横を抜けて、最前列……、家族席の横へ並ぶ。
そこへ立った瞬間、下を向く人たちの中唯一まっすぐに前を向く彼女の横顔が見えた。
「この人、僕の好きな人なんだ」
「恋人じゃなくて?」
「恋人じゃなくて、好きな人」
彼の言葉を思い出す。
「ねえ、ほんとはあの人のこと、どう思ってるの?」
「……好きだよ」
「付き合わないの?」
「付き合わない」
「あっちは好きだよ、絶対、好きだよ」
「それは、ちょっと嬉しいかも」
彼女の言葉も思い出す。
彼女も、彼も、いつかこうなるとわかっていたから付き合わなかったんだろうか。だとしたら、それはなんて悲しいことなんだろうか。
彼女は泣きもしないで、ただまっすぐに前を向いている。小さな唇をぎゅっとかみしめて、彼の写真を見つめている。
だれかが後ろから私の背を小突いた。私の番。わかっているけれど動けない。
これは結婚式だ。彼女と彼の結婚式だ。幸せな日なんだ。そう思い込んでいたい。だから進みたくない。あの箱の中には現実が横たわっている。見てしまえば、もう思い込みなんて無意味だ。
会場に波のようにざわめきが広がっていく。その声に気が付いたのか、彼女がふとこちらに目をやった。私は思わず、彼女のもとに歩み寄る。
驚いたように見つめる親族を無視して、私は家族席の隅っこに座る彼女に向けて、静かに静かにこう言った。
「ご結婚、おめでとうございます」
言った瞬間、誰かが私を大きく突き飛ばした。
「バカ!動転しているにしてもこんな場でそんなことを言うやつがあるか!」
「すみません、こちらへ……」
「落ち着かせてやってくれ」
突き飛ばされた勢いで、棺の前に立って中を覗き込む。焼香のにおいが鼻について、こんなものは結婚式にはふさわしくないなんて性懲りもなくそんなことを思う。吐き気がする。頭痛もする。
ご結婚おめでとうございます。
ご結婚おめでとうございます。
ご結婚おめでとうございます。
ご結婚……。
『死亡が確認されました』
このたびはご愁傷様です。
うずくまった私を抱きかかえるようにして、誰かが出口のほうへと歩き出した。
その一瞬、もう一度彼女のほうを振り向く。彼女はやはり微動だにせずに正面を見つめていた。
背筋を伸ばして、まっすぐに写真の中の故人を見つめて、大きな目からはらはらと涙をこぼしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます