エピローグ

7-1 十三番目のお姫さま

 穏やかな日常の中で、人は幸福を感じるのだと思う。

 それはたぶん、どこの世界だって変わらない。


 地球にいたころは学校帰りにコンビニで買い食いをしたり、休日に友だちとファミレスで騒いだりしたときだった。

 竜骸都市マハーカーラで暮らす今では〈インサイド〉の酒場で窓際の席に座り、表通りを眺めながらまったりと食事を取っているときに、俺はささやかな幸福を感じている。


 陽ざしは暖かく、ランチは美味しく、ネコ耳のウエイトレスさんは可愛い。


 リオに続きルウを奪うことができたという充足感が、いつもの幸福に極上のスパイスを加えてくれる。


「――ごいっしょしてもよろしいですか?」


 きれいなお姉さんにいきなり訊ねられて、俺の気分は一気に冷める。


 彼女が見た目どおりの存在なら最高のイベントかもしれない。

 ところが残念ながら向かいに席で微笑を浮かべているのは、どんなものでも切り裂く恐怖の銀腕卿サマである。


「今日は何の用だ?」

「あら、つれない態度ですね。あなたにご褒美を差しあげようと考えておりましたのに」


 ナーザはそう言って唇をぺろりと舐め、いかがわしい視線を注いでくる。

 俺は生唾を呑みこみながら、オウム返しで答えた。


「ご、ご褒美……?」

「ええ。私の望みをさっそく一つ叶えてくださったわけですから」


 ナーザはそう言ってコロコロと笑う。

 無邪気な笑顔の裏に漂う超常者特有の威圧感を察知して、俺は再び冷静になる。


「別にあんたのためにアドラメレクを倒したわけじゃないさ。だからいつものように情報だけ流してくれりゃいいよ」

「私とは仕事だけの関係ってことですか。冷たくされると泣いちゃいますよ?」

「だからそういうノリは勘弁してくれ……」


 俺が反応に困っていると、ナーザはにんまりと満足そうな表情を浮かべる。

 Sっ気たっぷりの雰囲気からして、彼女のご褒美はきっとろくでもないものだろう。だからもの欲しそうな上目づかいで見つめられても、絶対に屈してはいけない。


「まあいいでしょう。ねちっこく攻めるのは得意ですから。ひとまずあなた方が去ったあとの〈朽ちた喉笛ゲヘナ〉の情勢について教えておきましょう」


 さらっと恐ろしいことを言われた気がするものの、ナーザが提供しようとしている情報はぜひとも聞いておきたいものだったので、俺は無言でうなずいた。


「アドラメレクが倒されたために、かの地区は隣接する〈蒼穹の殻角シャンバラ〉に吸収されました。配下の魔物や彼が保有していた魔導兵器もそのまま、新たな地区の支配者に接収されたようですね。あなたにとっては皮肉なことかもしれませんが」

「そりゃどういう意味だ。〈蒼穹の殻角〉の主がアグニだからか?」


 ナーザは見るからにご機嫌な顔でうなずく。


 竜骸の頭頂部に位置する〈蒼穹の殻角〉の支配者アグニは、平凡な人間だったころの俺を虫ケラのように殺した魔皇アスラだ。


 ナーザの情報によると今回の件で誰よりも得をしたのは、何もせずに目下のライバルが排除され、その戦力を丸ごと手中に収めたアグニということになる。

 つまり俺はアドラメレクを倒したことで、もっとも憎むべき仇に塩を送ったのだ。


 もちろんただの結果論だ。

 とはいえあまり気分のいい話ではない。

 一方、向かいの席に座るお姉さんは怖いくらいに嬉しそうである。


「これでようやく、停滞していた都市の情勢が大きく動きだします。まさか第三者の手によって魔皇の一角が崩されるとは、誰も考えていなかったでしょうから。これから何が起こるのか……想像するだけでワクワクしてきませんか?」

「都市がどうなろうと関係ないさ。俺はやりたいようにやるだけだ」

「しかし嵐の中心は間違いなくあなたですよ、ドラゴンさん」


 ナーザがじっと見つめてくる。その瞳には得体の知れない熱が宿っていた。


 友好的に振る舞いつつも、彼女の狙いは今なお濃い霧に阻まれていて見えない。

 都市の実権を握るべく謀略を巡らしているのか、あるいは単に退屈だから俺を使って遊んでいるのか――はたまた本当に恋する乙女なのか、それすら判別がつかないのである。


 どちらにせよ、彼女の思惑に呑まれるわけにはいかない。

 俺は威勢よく言った。


「嵐をコントロールしようなんて考えないことだな。また足元をすくわれるぜ」

「肝に銘じておきますよ。……魔皇である私たちですら、ドラゴンがいったいどのような存在なのか、ほとんど知りませんからね。都市においては霊素の発生源という認識が強いですが、あなたを見るかぎりそんな雰囲気はなさそうですし」


 俺は無言で肩をすくめる。

 今の自分が常識の通用しない存在だってことは重々に承知しているが、ひとまず竜骸のように霊素を放出することができないのは、不幸中の幸いだったかもしれない。

 もしそんな力を持っていたら、俺をめぐる話はもっとややこしくなったはずだ。


 そこでナーザは分厚い紙束を投げてよこした。


「実は〈魔導宮〉を接収される前に、部下に命じてドラゴンの研究資料を回収しておいたのです。既知の情報しか記されていないと思いますが、念のため確認しておいたほうがよろしいかと思いまして」

「そりゃなんとも抜けめのない話だな……。あとでミーナに読ませるよ」


 俺が紙束を受け取ると、ナーザはドラゴンの研究にまつわる話を続ける。


「お渡しした資料によると、研究に出資したは人為的にドラゴンを生みだして霊素の供給装置にしようと考えていたようです。しかし実験によって復活したあなたにその能力がないと判明したので、彼らの多くは早い段階で興味を失ったのでしょう。ゆえに最後まであなたを狙っていたのは、ドラゴンそのものに強い執着を持っていたアドラメレクだけだったのだと思われます」


 なるほど。

 俺に利用価値がないと見切りをつけたから、途中で追手を差し向けるのをやめたわけか。

 そんなふうに納得しかけたところで、俺は大きな疑問に気づく。


「ちょっと待ってくれ。今のあんたの口ぶりだと、まるでドラゴンを復活させようとした魔皇がアドラメレクの他にもいるように聞こえたんだが……」

「ええ。ドラゴンの研究とそれにまつわる出資は、だったようですから」


 俺は言葉を失う。

 つまりミーナが言ってた『高貴なるお方』ってのは単なる共同名義で、実際は複数の魔皇が手を組んで行っていた極秘事業だったのだ。

 予想外の真実を受け入れきれない俺に追い打ちをかけるように、ナーザは言う。


「プロジェクトに参加した魔皇ならば、あなたがアドラメレクを倒したのだと気づくものもいるでしょうから、今後は再び追手を差し向けてくるかもしれませんね」

「要するに、まだ何も終わってないってことだな……」


 俺とミーナの戦いは、ようやくスタートラインに立ったところなのかもしれない。


 期待のまなざしを向けてくるナーザに、俺は拳を掲げてみせる。

 だったらあんたのお望みどおり、嵐の中心になってやるさ。





 ナーザとの会談を終えたあと、俺はまっすぐ帰路についた。


 いまだ十人の錫姫が囚われたままだし、残された時間だってそう長くはない。

 アドラメレクを倒したあとはルウの受け入れ作業でバタバタしていたが、それもようやく落ちついてきたころだ。そろそろ次の計画を立てたほうがいいだろう。

 とはいえ本格的に動きだす前に、一つだけやっておくことがある。


 俺がアジトに戻ってくると、リオとルウ、そしてミーナが出迎えてくれた。

 全員、姿で。


 ミーナが頬を真っ赤に染めながら、俺の姿を見るなり剣呑な声をあげる。


「朝起きたら服がこれしかなかったんだけど……ねえ、なんでわたしがこんな恥ずかしい恰好をしないといけないわけ?」


 ミーナは真っ赤なビキニから露出した肌を必死に隠そうとしているが、ちまっこいわりに豊満な果実は両腕から溢れていて、むしろ谷間を作って誘っているかのように見える。

 あられもない彼女の姿を堪能してから、俺は言った。


「ルウの歓迎会みたいなもんだよ」

「はあ?」


 まったく意味がわからないと言いたげな声で、ミーナが聞き返す。

 横をチラリと見れば、今回の主賓であるルウが誰よりも冷めた視線を注いでいる。


「ルウたちが水着になる理由になってないし。どう考えてもおかしいの」

「いや、リオを迎えたときにコスプレさせたから、いっそ恒例行事にしようかと」


 ルウはフリフリの水玉ビキニを着用していて、色気というより可愛らしさを感じさせる姿だ。

 しかし相変わらずの無愛想な態度で、不満げに頬をふくらませている。


「じゃあ俺もセクシーなふんどし姿を披露するか」

「いらないキモイ通報するしっ?」

「え、カイくんは着ないの? 見てみたかったのになあ……」

「お、お姉ちゃん……」


 リオが残念そうな表情を浮かべたので、潔癖な妹は姉のアブノーマルな一面を目にしてショックを受けていた。

 ほとんどの人間は知らないと思うが、リオは地球にいたころから俺の腹筋をペタペタ触ってくるような、隠れ筋肉フェチなのである。

 彼女は大胆な白いビキニ姿に身を包み、やや気恥ずかしげにモジモジしている。


「でも変な感じだよねえ。プールで泳ぐときは気にならないのに。えへへ」

「そう言いつつお前だけはやけに楽しそうだな」

「だってカイくんが見てくれるでしょ? そう思ったら嬉しくなっちゃって」


 生クリームのように甘ったるい空気を出して見つめてくるリオに、俺の口元は自然と緩んでしまう。

 するとミーナとルウがむっとして、二人がかりで蹴りを入れてきた。


「なんだよヤキモチか? そんなに愛されてるとは思わなかったぜ」

「ルウはミーナさんとは違うの! 純粋にお姉ちゃんを守ろうとしただけだもんっ!」

「ちょっと待って! わたしがヤキモチ確定みたいに言わないでよっ!」


 ミーナが頬をふくらませて、ルウの言葉に異議を唱える。

 するとルウは首をかしげて、手足をばたつかせているエルフの魔女に言った。


「今さら何を言ってるですか。あんなに大胆な告白しておいて……」

「だよなあ。こちとらお前の言葉を思い出すだけで恥ずかしくなるんだぞ」

「あ、え、あれはその、えっと……」


 ルウと俺の両方からツッコミを入れられて、ミーナは途端に言葉を詰まらせる。

 するとリオが尊敬と羨望が入り混じったような声で言った。


「大好きな人かあ。先に言われちゃったなあ……」

「やめてやめて復唱しないで! あれは違うの、そう、気の迷い。ほらあのときわたしって怪我してたし意識が朦朧としてたからさ」

「つい本音が出ちゃったです?」

「そう、そうなの! ――じゃないってば!!」


 羞恥心のあまり混乱してめまぐるしく表情を変えるミーナを見て、一同が笑う。


 重傷を負った身体で立ちあがり、あれだけ威勢よく告白しておきながら――彼女はあのときの言葉をかたくなに認めようとしない。

 だけどたった一言で俺の心を救い、そしてアドラメレクを倒すための力をくれたのは、決して忘れようのない事実である。


 思えば最初からそうだった。

 もしミーナがいなければ、俺はドラゴンになったことに絶望し、自らの足で歩くことをやめていたかもしれない。


 彼女がいてくれたから。支えてくれたから。

 俺はこうして二人の少女を救い、そして残された十人の錫姫を奪い返すために、恐るべき魔皇と戦うことができるのだ。


「お前には今後もそばにいてもらうからな」

「な、なによ、急に……」

「言っておくけど、地球に帰るときもいっしょに連れていくぞ。嫌だと言って暴れても、俺は絶対にお前を離さない」


 あくまで自分の都合でミーナに故郷を捨てさせるつもりなのだから、アドラメレクの言うとおり、本質的な部分でドラゴンと魔皇は大差ないかもしれない。

 だけど俺が手を握ると、ミーナは同意を示すようにぎゅっと握り返してくれた。


 十二の魔皇が支配する竜骸都市において、錫姫をさらう俺は略奪者だ。

 ならば奪われたものを取り返すだけでなく、この世界でもっとも価値ある宝を奪っていくとしよう。


 見惚れるような彼女の笑顔を見つめながら、ドラゴンは告げる。


「だから俺は、十三人のお姫さまと元の世界に帰るんだ」

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