第一章

1-1 目が覚めたらドラゴンになっていた

 俺は薄暗い部屋で目を覚ました。

 身体がやけに重くて、関節のあちこちが軋むような音を立てている。

 幼女のバケモノにぶっ殺された気がしたけど、今もこうして生きている。

 硬い床に横たわった姿勢のまま、深々とため息をつく。


 ……やっぱり夢だったんじゃねえか。

 どうりでベタな展開だと思った。


 ただちょっと不安なのは、またしても今いる場所がどこかわからないってことだ。

 蛍光色の液体が入った小瓶。今にもバラバラになりそうな古びた本。

 鈍い光を放つメスのような刃物。真鍮のパイプで繋がれた用途不明の器具。

 まるで悪い魔女の部屋か、マッドサイエンティストの研究室である。


「ほんとになんなんだよ、もう……」


 俺はふてくされて、鋭いかぎづめで頭をポリポリとかく。


 鎧戸の隙間から差しこむわずかな光を浴びて、ほこりがチラチラと舞っている。

 部屋はあまり掃除されていないのか息苦しく、様々な匂いが入り混じった悪臭が充満している。

 ひとまず窓を開けて換気して、ついでに外の様子をうかがってみよう。


 俺は気合いを入れるように尻尾でベッドを叩いてから、ゆっくりと起きあがる。

 天井が低いので、うっかり額に生えた角をぶつけそうになった。

 危ない危ない。

 俺は中腰の姿勢をとりながら、窓のほうに歩きだす。


「……ちょっと待てや。角と尻尾ってなんだ」


 思わず自分にツッコミを入れてしまった。


 視線を下に向けると、腕に鋭いかぎづめと赤褐色の鱗が生えている。

 慌てて乱雑に置かれた品々の中から金属製のトレイをつかみとると、光沢のある銀の表面にゲームに登場するようなドラゴンの姿が映しだされた。


 翼を生やしたワイバーン系ではなく、特撮系の怪獣みたいな竜人タイプだ。

 蛮族みたいに腰布を巻いた半裸の状態で、全長はざっと二メートル半くらい。

 たぶん肉弾戦が強くてブレスとか吐く。

 ていうか驚いたときにちょっとだけ口から火が出た。


「まるでドラゴンになったみたいじゃないか」


 バカげた考えを笑い飛ばすと、トレイの中のドラゴンもいっしょに笑う。

 ハハハ。ハハハ。

 ハハ……いや、笑えねえって。


 天井が低く感じられたのは身体が巨大化したからだ。

 どうやら不条理は周囲の空間だけでなく、俺自身にまで及んでしまったらしい。

 ……頼む! 

 誰かこの状況について説明してくれっ!


「ようやく目を覚ましたようね。ドラゴンさん」


 タイミングよく響いた声にぎょっとして振りかえる。

 いつの間にか背の低い女の子が後ろに立っていた。


 くせのついた金髪と淡い藍色の瞳は、くすんだ部屋の中で沼地に咲く花のようにきわだって見え、ピンと尖った長い耳は彼女がファンタジーな存在だと主張している。

 身にまとうのはふわっとしたシルエットの黒いチュニック。

 片手に年季の入ってそうな木の杖を持っている。

 その姿はどう見てもエルフの魔女っ娘だ。


「わたしはミーナ。あなたに危害を加えるつもりはないから身構えないで。……それとも美の女神がいきなり現れたから、ついつい見惚れてしまったのかしら」


 ミーナと名乗る少女はそう言うと、上目づかいで見つめてくる。

 中腰の姿勢が地味にきつかったので、俺は無言のままベッドに腰を下ろした。


「返事くらいしなさいよっ! わたしがバカみたいじゃないの!」

「ああ、ごめん。どう反応したらいいかわからんかった」


 ……こいつ、自分で言っておいて照れていやがる。

 とはいえ相手がバカ丸だしだったおかげで、さほど緊張せずに話すことができた。


「何がどうなってるのかわからなくて、とにかく困ってるところなんだ」

「ここはどこ? わたしはだあれ? ってわけね」

「記憶喪失じゃないから『だあれ?』を『どうなってんの?』に言いかえれば、より正解に近いかな。……ちなみに俺の名前はカイだよ」


 投げやりな調子で身体をくるりと回して赤褐色の鱗と尻尾を見せてやると、ミーナはテーブルの小瓶や本を乱暴に押しのけて空いたスペースに腰を下ろす。

 それから俺の姿をじっくり眺めて、


「あなたが混乱しないように、順序だてて説明してあげる」


 彼女はそう言って杖を振るう。

 すると周囲にぽわっと、様々な色の光を放つ無数の球体が浮きあがった。


「うわっ! なんだこれ!」

「驚くようなことは何もしてないけど?」

「んなわけねえだろ。いきなり光の玉が出てきたんだぞ」

「……あ、そっか。あなたがいた〈秩序に満ちた世界 地  球 〉に魔術は存在しないんだっけ。そんなところでどうやったらモンスターに食い殺されないで暮らせるのかしら」


 そりゃモンスターも存在しねえからだよ。

 エルフだからといって、魔術が使えるのをさも当然のように語られては困る。

 しかしミーナは戸惑う俺をスルーして、


「色の違う玉が全部で十二個あるでしょ? それぞれが一つの異なる世界だと思ってね。わたしたちは十二界って呼んでるけど――」


 彼女は宙に浮かぶカラフルな玉をたぐりよせると、はしっこが重なるようにひとまとめにする。そして十二個の玉が重なったポイントをとんとんとつついた。


「ここがわたしたちのいるところ」


 しかし何を言わんとしているか、俺はいまいち理解できない。

 ミーナもそれを察したのだろうか。杖を脇に置いて立ち上がると、部屋の隅にある窓の鎧戸を背伸びして開けた。

 外の様子を確認しろということなのだろう。俺は窓をのぞきこむ。


「へえ……。ここって塔の中だったんだな」


 しかもずいぶん高いところにあるらしく、窓から外の景色を一望できた。


 まず視界に飛びこんできたのは――鮮やかな緑に包まれた草原と、背後にそびえる荘厳な山々だ。

 北欧の大地と表現すると近いかもしれない。

 しかし空は青ではなく奇妙な薄紫色で、背後の山々は象牙のような乳白色だ。

 視線をさらに遠くへ向けると、色味のおかしい北欧っぽい景色がいきなり途切れて、その先に南国のリゾート地のような、華やかな町並みが広がっている。


 まるでかのように。

 大地は一つの境界線を区切りにして、まったく雰囲気の異なる景色に切り変わっている。


「十二界が重なりあう〈交差空間〉に存在し、あらゆる奇跡を実現するパワースポット。それがわたしたちのいるところ――竜骸都市マハーカーラよ」


 ミーナが下からにゅっと顔を出して、呆然とする俺に語りかける。


「わたしたちが立つ大地は竜の死骸を基盤にして築かれているの。ちなみに今いるところは尻尾の部分ね」

「ちょっ……ちょっと待ってくれ。竜の死骸ってどういうこと?」

「ほら、山みたいなのが遠くに見えるでしょ。あの辺りは霊素の濃度が薄くて骨が露出してるところだから」


 牧草地の背後に連なる、乳白色の山々に目を向ける。

 確かに骨のようにも見えるが、まさかアレが竜の一部だと言うのだろうか……?


 だとすれば、やはりここは異世界なのだ。


 しかも――とんでもなくカオスなところ。


 あまりの不条理さに、俺の口から自然と乾いた笑いが漏れてしまう。


「都市といっても小さな国くらいの規模があるんだけど、うまくイメージできないかもね。わたしだって竜の上に住んでる自覚なんてないし」


 ミーナは『地球が丸いなんて信じられないよね』と語る女子高生のように、さもおかしそうに語る。


 ……そうだ。竜の身体といえば、変わり果てた俺の姿もドラゴンのようだ。

 もしかするとそれは、今いるこの世界と関係があるのだろうか。


「俺の身体の変化についても教えてくれないかな。その感じだと知ってるんだろ?」

「ショックを受けると思うし、あんまり言いたくないんだけどなあ」

「そんなふうに言われたら余計に気になるじゃないか」

「だよねー……」


 ミーナはいかにも気が重そうにそう言うと、ふよふよと浮いたまま放置されていた光の玉のところに向かう。

 それぞれが竜骸都市と重なりあう十二の世界を表しているというが――彼女が触れると、カラフルな玉はまったく別のシルエットに変化する。


 炎の巨人。悪魔の公爵。銀の騎士。

 巨大な蛾。闇の渦。一角の白馬。


 うまく形容できない姿も六つほどあるが、炎をまとった魔神のシルエットはとくに見覚えがあった。


魔皇アスラ……」

「そうね。十二界のそれぞれを総べる超常者。強大な力を持つ不滅の存在」


 うめくように呟いた俺を見つめながら、ミーナは淡々と説明を続ける。

 じわじわと、不穏な空気が広がっていくようだった。


「彼らは竜骸都市の所有権をめぐってずっと争っていた。数百年とも数千年とも言われるけど、当人たちですら覚えてないらしいから、正確な数字は誰も知らないかな」


 その言葉に反応して、十二の魔皇を模したミニチュアが空中で戦闘をはじめた。

 ところがしばらくすると、ミニチュアの姿が徐々に小さくなっていく。


「だけど争いの結果、魔皇たちの力は衰えてしまったの。事態を重く見た彼らが休戦協定を結んだことで、竜骸都市にようやく平穏が訪れたわけ」


 ミーナが両手を広げると、ミニチュアが収束して別のかたちに変わっていく。

 次に現れたのは複雑に捻じ曲がった細長い棒で、装飾品というより自然の手で作られた結晶のように見える。

 

「魔皇たちが求めているのは〈竜の錫杖ウロボロス〉と呼ばれる秘宝よ。もし作りだすことができれば、彼らは失われた力を蘇らせることができる」

「……秘宝って呼ばれているからには、ものすごく貴重だったりするのか?」

「貴重なんてレベルじゃなくて、いわば伝説級の代物よ。作りだすには特別な資質が必要なんだけど、んだから」


 ミーナの説明と召喚されたときの記憶が、俺の中でピッタリと重なりあう。

 彼らは確かこう言っていた。

 秘宝を生みだす少女を――求めていると。


「だからを、地球から呼び寄せたのか」

「まあそんな感じかな。彼女たちは錫姫シャクティと呼ばれて、今はそれぞれの魔皇のところで丁重に扱われているわ」


 ミーナはそう言ったあと、俺からわずかに視線をそらす。

 異世界に召喚されて囚われの身になったとはいえ、十二人の少女は直接的な危害を加えられることはないという。


 ――だけど、俺は。

 まったくの手違いで召喚された、魔皇が求める力を持たなかった俺は。


 無意識のうちに忘れようとした悪夢の記憶が、より鮮明に蘇っていく。


「俺はやっぱり、あのとき殺されたんだな……」


 不思議なもので認めてしまうと、意外とすんなり諦めがついた。

 心配そうに様子をうかがうミーナに、俺は苦笑いを浮かべてみせる。


「今もこうして生きていることと、この角や尻尾は関係があるんだろ?」

「わたしはドラゴンを復活させる方法を研究していたの。あなたは実験の副産物ね」


 ミーナの返答によって、俺の想像は確信に変わる。

 額に生えた角。鋭いかぎづめ。

 爬虫類のような鱗や尻尾。

 目が覚めたとき、変わり果てていた己の姿。


 俺は生きかえったのだ。

 ただし人間ではなく――ドラゴンとして。


「命の恩人にお礼を言うべきなのかな」

「気にしなくていいってば。かわいそうだし助けてあげたいなとは思ったけどさ」


 ミーナはそう言ったあと、俺を復活させた方法について説明してくれた。


「あなたは手違いで召喚されたけど、実は少女たちとは異なる稀有な資質を持っていたの。秘宝を生みだすことはできないにしても、ドラゴンを復活させる実験には有用な存在だったわけね。だから竜骸の一部をあなたに移植して――」


 ミーナがこちらを指さしたので、俺は笑う。

 諦めや絶望を通りこして逆に愉快だった。

 ただ、一つだけ言えることがある。


「死んだままでいるよりはマシだな」

「ドラゴンの姿も悪くないと思うよ。だって今のあなた、けっこうかっこいいもん」


 あまり他人のことは言えないが、ミーナもわりと軽いノリで返してくる。


 バカみたいに単純だけど、可愛い女の子にかっこいいと言ってもらえるのなら、ドラゴンになってよかったかもしれない。

 だって俺は、異世界ハーレムに憧れていたような男なのだ。


「ひとまず喉が渇いたから休憩しましょ。下に降りるからついてきてくれる?」

「わかった。あと俺のことはカイでいいよ」

「じゃあわたしのことも名前で呼んでね」


 ミーナはそう言いながら、出口のほうに向かう。

 小さくて可愛らしい彼女の背中を、角と尻尾を生やした俺が追っていく。


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