第五章

5-1 不穏な幻影

「準備できたよーっ!」


 遠くからミーナの声が聞こえてくる。

 数十メートルほど先にいる彼女の周囲には、風船のような玉がふよふよと浮かんでいる。


 何事もなく十日ほど経過したある日。

 俺はミーナとリオに呼びだされて、地区郊外の閑散とした荒れ地にやってきていた。


 隣のリオはやや緊張した面持ちで、遠くに見えるミーナと風船を見すえている。

 今日の彼女はいつものテニスウェアではなく、ミーナと同じような藍色のチュニックをまとっている。尖端に網がついた杖を右手に握っており、その佇まいはまるで魔法少女とテニス女子を強引にミックスしたかのようだ。


「よく見ていてくださいね、カイくん」


 リオがそう言った直後、遠くのミーナが魔術で作ったと思わしき風船を飛ばす。

 赤、青、白、黄色、緑――カラフルな風船は荒れ地に吹きつける風を浴びて、自由気ままに空へと舞いあがっていく。


 俺が見守る中、リオは杖を構える。

 すると彼女の身体が薄紫色に輝き、杖の尖端からピキピキと奇妙な音が鳴った。

 ――氷だ。

 魔術によって空気中の水分を寄せ集め、凝固させることで氷の弾を作りだしたのだろう。リオが杖を振りあげると、先端の網から勢いよく氷の弾が射出される。

 すると遠くに浮かぶいくつものカラフルな風船が、またたく間に弾けて霧散していく。


 ミーナの手で次々と風船が生みだされていくが、リオが杖を振り上げるたびに弾けていく。その作業が数分ほど続いたものの、氷の弾は一度も外れることはなかった。

 まさに百発百中だ。


「的を狙うのって得意なの。これなら誰にも負けないかも」


 リオは額の汗を拭きながら得意げに語る。ラケットで氷の弾を飛ばす魔法テニス少女がそこにいた。

 俺がその腕前に感心していると、遠くからミーナがパタパタと駆け寄ってくる。


「最終テストも合格ってところかしら。初歩的な魔術なんだけど、リオさんなら体内で凝縮させた霊素で強化できるから、実戦でも十分な威力を発揮できると思うわ」

「わたしもカイくんをサポートするから、よろしくね」


 リオが瞳をキラキラさせながら言ったので、俺は困って苦笑いを浮かべてしまう。

 どうせ止めたところで聞かないだろう。

 いざとなったらミーナともども守ってやるしかない。

 ともあれリオが魔術を扱えるようになったのなら、俺たちはようやく竜賊として動きだすことができるわけだ。


 そのあとはさっそくアジトに戻って、ルウの居場所を特定することになった。

 ミーナがプラナを探知する準備をしておいたらしいので地下室に向かうと、乱雑に置かれていた実験用具や古書の類が片づけられており、室内の中央に広々としたスペースができていた。

 石造りの床には巨大な魔法陣が描かれていて、真ん中に大きな鏡が立てかけられている。ミーナが前に可愛く見える表情やポーズのチェックをしていた、あの鏡だ。


「ずいぶん大がかりな魔術なんだな」

「精度を上げるなら入念にやったほうがいいと思ってね。難しいところはわたしの作った装置が補佐してくれるから、リオさんは魔術を使う要領で意識を集中するだけでいいわ」


 ミーナに案内されて、リオが鏡の前に立つ。

 俺は魔術の修練を積んでいないから、目の前の装置がどのような仕組みなのかわからない。

 念のため魔法陣の中に入らないように、少し離れたところから見守ることにする。


 やがて周囲の空気が揺れ、リオの身体が薄紫色に輝きはじめる。

 ミーナいわく霊素によって強化した探知の魔術で、竜骸都市マハーカーラ全域をくまなく走査するのだという。

 薄紫色の光はやがてリオから鏡の表面に移り、ぽうっと光の像が浮かびあがる。

 翼を広げた竜のシルエットだ。ミーナが光の像を指さして言った。


「竜骸都市の地図が投影されたわ。リオさん、探したい相手を強くイメージして。顔や仕草、あとは声。いっしょにどんな話をしたとか、どんなことをしたとか」

「わかりました……ルウちゃん……ルウちゃん……」


 リオは祈るように呟く。


 妹を探そうと必死に集中する彼女を見て、俺は胸を突き動かされる。

 どれだけ心配しているか。どれだけ会いたがっているか。

 彼女の強い感情そのものが、周囲の空気を伝って俺の心に響いてきたかのようだ。


 そして――鏡に浮かぶ竜の細長い首が、小刻みに明滅をはじめる。

 

「ルウちゃんの居場所を特定できたわ。竜骸の首に相当する地区――〈朽ちた喉笛ゲヘナ〉ね」

「今いる場所が左脚だから、距離的にけっこう離れてるな」

「プラナを探知できなかったらすぐに見つけられなかったかも。あの地区を支配しているのは嘲弄卿アドラメレク。魔術の実験に執着する研究者の魔皇アスラよ」

「どんな相手なんですか? ルウちゃんはひどいめにあってないですね……?」


 リオの問いに、ミーナは一瞬だけ眉をひそめる。

 なんとなく不穏な空気が漂う。


「命の危険はないと思う。でもリオさんが囚われていたときほど快適に暮らしているかどうかはわからないわ。ナーザほど常識が通用する魔皇じゃないから」

「そんな……」

「アドラメレクってのはかなりヤバイのか?」

「そうね。好奇心が旺盛で知識欲を満たすためなら手段を選ばないって評判なの。あとは私を口封じしようとした黒幕として、もっとも疑わしい魔皇とも言えるかな」

「なるほど。じゃあ早くルウをさらいにいって、実際のところを確かめてやろうぜ」


 ミーナとリオが力強くうなずく。

 やるべきことは決まった。あとは行動に移すだけだ。


 ところがそこで唐突に、表面に浮かぶ竜のシルエットがぐにゃりと歪む。

 設置したミーナにとっても予想外の出来事だったらしく、小さく悲鳴をあげていた。


 鏡はさらに激しく薄紫色に発光し、表面にうねうねとサイケデリックな模様を描く。そして異変が収まると、竜のシルエットとはまったく別の像が現れた。


 ――漆黒のドレスを身にまとう、あどけない少女。


 鏡に映し出されたその顔に、俺は見覚えがあった。

 リオをそのまま幼くしたような、だけど少し生意気そうな面構え。


「嘘……ルウちゃん……」


 探し求めていた妹の姿が映し出されたのを見て、リオは小さく呟いた。

 そして鏡の中から引っ張りだそうとするように、震える手を大きく伸ばす。

 しかし……。


『――ダメ! 来ないでっ!』


 唐突に、甲高い声が響く。

 鏡に映し出された幼き妹が、姉の手を拒むように叫んだのだ。


 その場にいた全員が呆然とする中、薄紫色の光が徐々に弱まっていく。

 鏡の表面にはもはや、ルウの姿は映し出されていなかった。

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