3-4 いざ、ナーザの本拠地へ
リオをさらう計画を実行に移すまでに一週間ほどかかった。
もう少し準備に時間がかかるかと予想していたものの、ナーザの本拠地に潜りこむチャンスは拍子抜けするほど簡単に転がりこんできた。
というよりターゲットである銀腕卿ナーザから招待を受けたである。
――
「アニキたちはオレの部下ってことになってます。つっても自警団の上下関係なんてアバウトなもんすから、いつものノリで話してもバレないとは思うすけどね」
今回の作戦に協力してくれたバニーボーイのクロックが説明する。
ヤンキーの舎弟みたいな敬語で話すようになった彼は、俺から受けた恩義を返すことができて嬉しそうだ。
実は晩餐会に招待されたのは俺たちではなく自警団で、〈アウトサイド〉の治安回復活動がナーザに評価された結果なのである。
……といっても彼の妹であるバニーガール三姉妹が、
「念のため目立たないようにしておくけどな」
「変なことして恥をかかせないでね」
ミーナが鼻で笑う。
今日の彼女は表通りで購入したドレスを着用していて、最近まで雑草スープで暮らしていたとは思えないほど、高貴な佇まいをしている。
「お前こそ気合い入れすぎて失敗すんなよ。そのドレスだってかなり無理を言って今日に間に合わせてもらったんだからな。ガキみたいに駄々をこねやがって……」
「だって着ていきたかったんだもん! 憧れの社交界デビューなのよ!」
「遊びに行くんじゃねえんだけどなあ」
俺が呆れているとハイヒールで小突いてきやがった。
見るからに動きにくそうな服装だけど、本当に大丈夫なのだろうか。
一抹の不安はあるものの、俺たちは晩餐会の会場に向かう。
銀腕卿ナーザは〈
そこは地区に存在する三つのエリア――〈インサイド〉〈アウトサイド〉〈ポートサイド〉が交わる地点に建設された巨大な楼閣で、その様相から〈雲砂廟〉と呼ばれている。
外観としては広々とした庭園を有した、インドの宮殿めいた建築物だ。
地区にある他の建物と同様に壁は白く、天辺に生えたドーム状の屋根だけが銀色で、薄紫から赤く染まりつつある都市の夕暮れを反射して、妖しく輝いている。
建物を外から眺めたときから、賭博場とは比べものにならない上流階級オーラに圧倒されていたが――いざ会場に入ってみると、今すぐ尻尾を巻いて帰ろうかと思いそうになるほど、ロイヤルでセレブで庶民には場違いな空間が広がっていた。
「あわ、あわわわわ……」
「お、落ちつけミーナ! 頼むから失神しないでくれ!」
会場のいたるところでドレスの宝石がきらめき、ワインの注がれたグラスや見たことのない豪華な料理がさらなる彩りをそえている。
貴婦人たちは優雅な身振りを交えて談笑し、純朴そうな貴族の若者は、おすまし顔で扇をあおぐ御令嬢にダンスを申しこんでいる。
……凶暴なモンスターに囲まれたほうがまだマシだ。
こんな場所にいたら、自分がまるでうす汚れたネズミのように思えてくる。
「すんませんアニキ。オレはこの辺で失礼しやす」
「おいこら待て! 一応はお前が主賓だろうが!」
しかし呼び止めたときには、クロックはまさに脱兎のごとく走り去っていた。
あの野郎……。受けた恩義は最後までちゃんと返せよ……。
瞳の焦点が定まらないミーナとその場に取り残されて、俺は呆然としてしまう。
「とにかくセレブっぽくしていよう。セレブっぽいがどんな感じかわからんが」
「う、生まれもってのセレブだから任せて」
そう言ってるわりに挙動不審な感じで、ミーナは談笑している貴婦人の輪に入っていこうとした。
めちゃくちゃ小さな声で「あ」「あの」「その」と話しかけていたが、そのうちにご馳走が並んでいるビュッフェのテーブルに逃げていった。
……貧乏エルフ娘にいきなりの社交界デビューは荷が重かったか。
ミーナの爆死っぷりを見た俺は招待客の輪に交じるのを早々に諦めると、飲むつもりのないワインを片手に孤高の紳士を気取り、さりげなく周囲を観察することにする。
晩餐会にターゲットの錫姫――リオの姿はない。
銀腕卿ナーザの姿も見えないものの、主催者である以上、いずれはこの場に現れるはずだ。今回はパレードのような示威行為ではなくただの晩餐会なので、大切な宝である
だから俺たちは頃合いを見て会場を抜け出し、この建物のどこかに囚われているリオを救出しにいかなくてはならない。
リオの捜索中にナーザと鉢合わせするリスクをなるべく減らしたいので、魔皇自身がやってきたタイミングを見計らって、すれ違うように抜け出すのがベストかもしれない。
さて、そろそろスタンバイしよう。
俺はミーナの姿を探す。
会場は身なりのいい招待客で溢れていたが、彼女をすぐに見つけることができた。
こんな上品かつ優雅な空間で、お皿にローストビーフを山盛りにして歩いている女の子がいたら、そりゃ目立つだろう。
恐ろしくハイレベルな社交界デビューすぎて、周囲の招待客がドン引きしている。
……今さらどうにもならないだろうけど、悪目立ちすんなと注意しておこう。
しかし俺はミーナのポンコツっぷりを過小評価していたらしい。
慣れないハイヒールで歩いていた彼女は、給仕のお兄ちゃんを避けようとして豪快にすっ転び、通りすがりの招待客の顔面に山盛りのローストビーフをぶちまけたのだ。
「ごっ! ごめんなさい……っ!」
ミーナは慌てて謝った。
とはいえ許してもらえるかどうかは別の問題だ。
ワインをこぼした程度なら場を収めることができたかもしれない。
しかし彼女がぶちまけたのは油でギトギトした肉の塊で、お相手は気難しそうな貴族風の若者なのである。
「いったいどういうことですかな、お嬢さん!」
「あ、その、ちょっとつまづいてしまったもので……」
「それで山盛りの肉を? 私の顔に? まるで狙いすましたかのように?」
若者はよりにもよって牛面のミノタウロスだった。
ローストビーフをぶちまける相手としては皮肉が効いていて、わざとやったのではないかと誤解してしまうのも無理はない。
剣呑な気配を感じた俺はミーナのもとに急ぐが、他の招待客が邪魔でなかなかたどりつくことができない。
ミノタウロスは今にも、彼女に食ってかかりそうな勢いだ。
「このような侮辱をっ! 公共の面前でっ! あろうことか私にっ!」
「ごめんなさいごめんなさい! だからわざとじゃないんだってばあっ!」
激昂したミノタウロスが腕を振りあげる。彼女のもとに慌てて向かうが間に合いそうになく、仲裁に入ろうとする者は俺のほかにいない。
――いや、違う。
ドラゴンの感覚が鋭い視線を察知し、俺は反射的に振り向いた。
ひゅっと風を切るような音が鳴り、目の前を何かが通りすぎていく。
そしてミノタウロスの足元に、銀色に輝く一振りの剣が突き刺さる。
「おやめなさい。お嬢さんはすでに謝っていますよ」
静まりかえった場内に、凛とした声が響く。
銀腕卿ナーザ。
晩餐会の主催者にあるまじきフルヘルムの甲冑姿で、かの魔皇が姿を現したのだ。
「あ、いや……ハハハ。申しわけない。わざとでないならいいんだよ」
「わたしのほうこそ本当にすみませんでした……」
冷静になったミノタウロスはバツが悪そうに笑い、ミーナは改めて丁寧に謝った。
二人の様子を眺めていたナーザは満足げにうなずき、驚くほど穏やかな声で告げる。
「――さあみなさん。晩餐会は礼節をもって楽しみましょう」
騎士のような姿の魔皇は深々と、しかし誰よりも優雅におじぎをする。
認めるのは悔しいが、遠くから眺めていた俺ですら見惚れるほどの佇まいだ。
銀腕卿ナーザの登場によって、晩餐会の空気はがらっと変わってしまった。
その存在感たるや凄まじく、今やほとんどの者が彼の一挙一動に釘づけである。
ところが床に突き刺さったはずの剣が消えていることに、気づいたものはほとんどいない。
いつのまに引き抜いたのか、注意深く観察していた俺ですらわからないのだ。
ミノタウロスの足元めがけて正確に剣を投げ放った腕前といい、あきらかにヤバい相手である。ドラゴンの感覚が俺に全力で警鐘を鳴らしている。
……囚われたリオの救出を第一に考えるなら、よほどのことがないかぎりナーザとの戦闘は避けるべきだ。やはり今のうちに会場を抜け出して作戦を実行しよう。
俺はさっそく、ミーナを連れだそうとする。
しかし困ったことに、彼女はさきほどの騒動でナーザの注目を浴びていた。
異形の超常者という肩書のわりに意外とコミュ力が高そうな魔皇サマは、
「緊張しなくてもいいのですよ、お嬢さん。晩餐会はもっと気楽に、そして優雅に楽しむものです。もし宜しければ少しの間、私と歓談してはいただけませんか?」
「えー、まあ……ちょっとくらいなら大丈夫かなあ?」
ミーナはこちらの様子をチラチラとうかがいながら、少し困ったような顔を浮かべる。
仕方がない。この状況を利用してナーザを引き留めておいてもらおう。
俺は「しばらくそいつの相手をしとけ」と彼女にジェスチャーを送ると、ナーザがこちらを見ていないのを確認してから、颯爽と晩餐会を抜けだした。
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