6-5 ドラゴンは独りじゃない

 自分を支えていたはずの心が、枯れ枝のようにぽきりぽきりと折れていく。

 だけど俺があげたのは慟哭ではなく――咆哮だった。


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――ッ!」


 全身を震わせて叫ぶごとに。

 苔むした床を踏みしめるごとに。

 内なる怒りが身体からあふれだし、燃えろ燃えろと内なるドラゴンが囁く。


 体力の限界はとっくに越えている。

 このまま戦えば、俺はきっと燃え尽きてしまうだろう。

 だけどそれがなんだと言うのか? 

 心という名の枯れ枝を炎にくべた今、考えられることはただ一つ。


「殺してやる……殺してやるぞ……アドラメレクッ!」


 両腕を乱暴に振りあげ、石柱をなぎ倒しながらアドラメレクにつかみかかる。愚かしいほど原始的で、理性の欠片すら感じられない単純な攻撃だ。

 アドラメレクは鱗に包まれた面を歪ませて笑みを浮かべると、まるで力比べをするかのように俺の両腕をつかみ返す。


 衝動のままにブレスを吐くと、憎悪に塗り固められた劫火が吹き荒れる。ところがアドラメレクも同時に口から黒い炎を噴出させて、俺のブレスを打ち消してしまう。

 ドラゴンと化した魔皇は自らの優位を示すようにかぎづめから光の槍を伸ばし、手刀のように俺の脇腹へとずぶずぶと突き刺してくる。


 内臓をかきむしられ、耐えがたい苦痛にもだえながら――それでも俺は赤褐色の腕を伸ばし、額の角を振り下ろし、尻尾を叩きつけ、なんとしてでもアドラメレクを殺そうとあがく。


 しかし不死の力を併せ持つ魔皇アスラは、俺から受けた傷をまったく意に返さない。


「忘れたわけじゃないよね。ボクを滅ぼすことなんてできやしないのだと」


 そうだ。マントは〈依代アヴァター〉ではなかったのだ。

 アドラメレクを倒すためには、象徴となる力の根源を探さなくてはならない。

 なのに俺は、目の前の不愉快な姿を壊すことしか考えられない。

 かぎづめでその頭を引き千切り、劫火で四肢を焼き払いたくてたまらない。


「ボクの言葉が聞こえていないのかな。怯懦な感情を捨てられないのならば、いっそ心を捨てたほうが幸福を得られるかもしれないがね」

「幸せ……だと……?」

  

 力を制御できず暴走していく俺に、アドラメレクは憐れみの言葉をかける。

 それがどうしようもなく悔しくて、心の奥に残るわずかな理性が炎を灯した。


「悲しいかな。今さら人のように生きようとしたところで、キミが得られるものは何もない」

「ふざけるなっ! 俺は……っ!」


 リオは必死に叫んでいる。

 ルウは泣きじゃくっている。

 なのにミーナの声が聞こえない。


 こんなはずじゃなかった。

 望んでいたものは、暖かくて穏やかな日常だった。

 大切なものが零れ落ちてしまうような、陰惨で殺伐とした世界ではなかったのに。


「はてさて……キミが錫姫シャクティを連れて故郷に帰ったとして、目を覆いたくなるほど醜悪なドラゴンを、誰もが温かく迎えてくれるかな?」


 アドラメレクが残酷な運命を予見する。ずっと目を背けてきた現実が、考えないようにしてきた真実が、俺の心を執拗にえぐりだす。

 同時に光の槍を帯びたかぎづめが迫り、俺の巨躯に突き刺さっていく。赤褐色の鱗がドス黒い血で染まり、身がよじれるほどの激痛に苦悶の叫びをあげる。


「強大な力を持つものは忌避され、孤独の中で生きることになる。望むとも望まずとも敵を作ってしまうなら、自衛のために誰よりも貪欲に力を求めなければならない。それがボクらに課せられた宿命であり、本質なんだ」


 漆黒のドラゴンが、自分によく似た姿が、純然たる力によって俺を組み伏せる。

 駆け引きすらない。戦いですらない。

 もはや獣と変わらない。

 俺たちは力を求め、衝動のままに暴れるバケモノなのだ。

 誰かを救うことも、誰かに救われることもなく、壊すことしかできないのだから。


 泣きたかった。

 だけど俺は人間じゃないから、力をぶつけることしかできない。


「グアアアアアアアアア――ッ!」

「自らの姿を顧みなよ、ドラゴン。キミだって凶暴で凶悪な、ボクらと同じバケモノさ」


 あえて否定するつもりはなかった。


 だけど。

 それでも声は響く。


「――違うっ!」


 俺の代わりに答えたのは、ちっぽけなエルフの少女だった。

 数倍にふくれあがった巨躯から見下ろすと、普段より華奢な存在に感じられた。

 しかしそのまなざしは力強い輝きを放ち、醜悪なドラゴンたる俺に注がれている。


 ミーナ。


 失われたものは戻らない。

 奪われたものは取り返せない。


 だけどがあるとしたら。

 助からないはずの命を――救えるのだろうか?


 自らの血で衣服を染めたミーナの傍らで、リオが薄紫色の輝きを放っている。


「マジ死ぬかと思った……。リオさんに治癒の秘術を教えておいてよかったわ……」

「無茶しないでくださいよお! まだ治りきってないんですからっ!」


 リオが慌ててミーナを寝かせようとする。

 しかし強情なエルフはその手を振り払い、小刻みに震える両脚で仁王立ちした。

 見れば彼女たちが立つ床の手前は無残にも焼け焦げていて、ルウが必死の形相で凝縮された霊素で強化した魔術の障壁を張っている。


 俺の口から放たれた劫火は、守るべき少女たちをも巻きこもうとしていたのだ。

 今さらながらその事実に気づき、背筋が凍るような思いを味わう。


 しかし暴走したドラゴンに殺されかけたにもかかわらず――リオとルウは、そしてミーナは今も変わらず、キラキラとしたまなざしで俺を見あげている。


「安心して。カイは嫌われないよ。だってわたしたちがいるもの」


 ミーナの言葉を聞いて、アドラメレクが呆れたように言った。


「それこそ唾棄すべき世迷言じゃないか。キミたちが誓ったところで他のものたちは認めない。やはりドラゴンはボクらと同じく疎まれ、恐れられる運命にあるのさ」


 ありもしない幻想を嘲笑う哄笑が、空間全体を震わせる。

 しかし彼女は揺るがない。


「バカ言わないでよ。なんでカイと同じになるの? 言っとくけどね、わたしはあんたみたいなやつが大嫌いなの。だからといっしょにしないでっ!」

「な、なんだと……?」


 あまりの言い草に、さしものアドラメレクも意表を突かれたらしい。

 その姿を見て、ハラハラとした表情を浮かべていたリオとルウがクスリと笑う。

 

「もしカイを嫌うやつがいたら、そいつらを全員ぶっとばしてやるわよ。わたしだってカイの嫌いなものを減らして、好きなものを増やしてあげるからさ」


 ――さっさとそいつをぶっとばしちゃってよ。


 ミーナはそう言うと、再び豪快に倒れてしまう。


 アドラメレクがそうであった以上に、俺はあっけに取られていた。

 ミーナが生きていた。助かっていた。

 それがなによりも嬉しかった。

 しかしその事実を受けいれきれていないうちに、彼女はアドラメレクを鼻で笑い、どさくさにまぎれて愛の告白なんぞしてきやがったのだ。

 可愛い女の子に好きだなんて言われたら、そりゃ怒りなんて吹き飛んでしまう。


 俺は笑った。

 ドス黒い憎悪を、バカみたいなピンク色に染められて。


「かなわねえなこりゃ……。俺なんかよりよっぽど最強じゃねえか」


 大の字でぶっ倒れている彼女を見つめながら、俺は素直に感服する。


 そこで体力の限界を自覚し、巨大化していた身体が収縮していく。戦力としては大きく弱体化してしまったものの、それでも俺は勇ましくアドラメレクを見すえた。


「ようやく冷静になれたぜ。仕切り直しになったところで、ちょいと教えてくれないか。お前が本当にドラゴンの力を得たのなら、どうしてこうも俺に執着する?」

「……何が言いたいのか、よくわからないな」


 二メートル半のサイズに戻った俺とは対照的に、いまだ見上げるほど巨大なアドラメレクが言葉を濁す。

 思いのほか嘘がつけないタチらしい。

 おかげでペテンに気づくことができた。


「要するに今のあんたはな、


 眼前に佇立するアドラメレクは本気を出した俺にそっくりで、まるで白黒印刷したコピーのように見える。

 事実、そのとおりなのかもしれない。

 何故なら推測が正しければ、

 アドラメレクの真の力は――対象の能力を模倣コピーすることなのだから。


「超常者のくせにクソだせえスキルじゃねえか、このパクリ野郎ッ!」


 吠えると同時に宙を駆け、俺は岩盤のような竜頭に飛び蹴りを放つ。アドラメレクはその一撃を寸前で受け流すと、漆黒の面を憎悪に歪める。

 しかしすぐに飄々とした態度を取り戻して言った。


「確かに〈月読フェイタル〉はキミが言ったとおりの秘術さ。空間を完全に掌握しないと使えないから、ボクと同じように〈神域化サンクチュアリ〉を持つ他の魔皇と相性が悪いのが問題でね」


 看破されたところで問題はないと示すように、アドラメレクは笑う。

 確かに依然としてこちらが圧倒的に不利な状況だ。

 アドラメレクが今もドラゴンと魔皇の力を併せ持つ最強最悪の存在であることに変わりなく、一方の俺は体力の限界を超えていて、あきらかに疲弊している。


 しかしそれでも果敢に、アドラメレクめがけて疾駆する。

 怖くはなかった。

 何故なら今の俺は――独りじゃないからだ。


「ルウちゃん! わたしたちでカイくんを守らなくちゃ!」

「しかたないからやってあげるのっ! ドラゴンさん!」


 リオが氷の弾を放ち、俺の胸に突き刺さる寸前だったかぎづめの一撃を弾き飛ばす。ルウが生みだしたクマのゴーレムはエアバッグのように身体を膨らませると、俺の身代わりとなって巨木のような尻尾に吹き飛ばされて霧散していく。


 守ろうとした存在に守られて。

 救おうとしていた存在に救われて。

 俺の心は激しく燃えあがっていく。


「ミーナにさっさと倒せって言われたからな。ワンパンでぶっ飛ばしてやるっ!」

「アハハハッ! 威勢がいいのは結構だけど、今のキミに何ができるのかな?」


 俺にトドメを刺すつもりなのか、アドラメレクは両手のかぎづめから無数の光の槍を生みだした。


 確かにルウはプラナを酷使しすぎたのか肩で息をしているし、リオは魔術を連発したにもかかわらず、光の槍を弾いたのは最初だけだ。

 彼女たちの援護が期待できない以上、次に攻撃されたら防ぎきることはできない。


 たぶん俺たちのことを、アドラメレクは


「さあ、フィナーレの時間だ。キミたちの終焉を盛大に祝おうじゃないか!」

「……いいや、終焉を迎えるのはお前さ」


 俺の言葉を聞いて、アドラメレクはようやく異変に気づいたようだ。

 周囲の空間は元に戻り、荘厳な劇場めいた天守塔の光景が広がっている。


 今や魔皇の〈神域化〉は解除されていた。

 


「あんたは知らないだろうがな、リオが狙った的を外すなんてありえないんだよ。つまり光の槍を弾くためだけに、あいつは氷の弾を撃ったわけじゃないってことさ」


 壮麗な劇場のような空間に戻った天守塔。最奥の舞台は燭台に照らされているが、灯りが全体に行き渡らず、どことなくうす暗い。

 天井に吊るされたの表面が凍てつき、燭台の光を反射していないからだ。


「ルウちゃんが気づいてくれたの。魔皇の〈依代〉がどこにあるのかを」

「光を照らして影を弄び、光を欺いて分身を映しだす――嘲弄卿アドラメレクを象徴する力の根源は鏡だったのっ!」


 ルウはそう言って、アドラメレクをビシッと指さす。


 リオが放った氷の弾に表面を曇らされ、アドラメレクの〈依代〉はその役割を奪われた。

 漆黒のドラゴンと化していた魔皇の身体は風船のようにしぼんでいき、山羊の角を生やした悪魔の姿に戻っていく。


「手品の時間は終わりにしようぜ。自分の真似をされるってのは不愉快なもんでね」


 さあ、これでようやく対等になった。

 そう思った矢先に疾風のような手刀が頬をかすめる。

 

「調子に乗るなよ、ドラゴン! いずれにせよボクを倒すことは不可能だッ!」


 本来の力を封じられたとはいえ、やはり超常者は侮りがたい。息つくヒマなく繰りだされるアドラメレクの猛攻に、俺の鱗はさらに赤く染められていく。


 ……さすがにワンパンで倒すのは難しいか。

 とはいえここまでお膳立てされたのだから、最後はバッチリ決めておきたい。

 俺は意識を集中し、再び内なる力を解放しようとする。


 心が燃えるごとに。魂が震えるごとに。

 胸と背中が盛りあがり、肩の付け根からコウモリのような翼が生えていく。

 角と爪と牙は鋭く長く伸び、口は真横に裂け、顎はガチガチと鈍い音を奏でる。

 赤褐色の鱗から紅蓮の炎が噴出し、全身がマグマのようにたぎっていく。


 赤々と煌めきながら巨大化していく俺を見て、アドラメレクが驚愕の声をあげる。


「バ、バカな……。それが真の姿だとでも言うつもりか……!」

「自分でもわからないけど、もしかしたらそうなのかもしれないな。つまり力を引き出すために必要なのは、怒りだけじゃないってことか」

 

 限界を超えて力を解放しようとしたことで、俺はようやく気づくことができた。

 ミーナが言ってのけたみたいな、素面じゃ口に出すのが気恥ずかしい感情だって。

 内なるドラゴンを――燃えあがらせてくれるのだ。


「さようならだ、アドラメレク。あんたの言葉は反面教師として受け取っておくよ」

「ボ、ボクを見下ろすな……この下賤な存在があああああああ……ッ!」


 憤怒の形相を浮かべたアドラメレクが、連撃を放つ。

 飄々とした仮面を剥ぎ落とし、恐怖をにじませて吠える姿は哀れにすら見えた。

 俺はありったけの思いをこめて、右腕を限界まで引き絞る。

 そして空間全体を震わせながら、迫りくる魔皇めがけて渾身の一撃を放つ。


 理不尽な理屈を、不愉快な世界を、明るく楽しく塗りつぶすために。

 超常者気取りのクソ野郎を――盛大にぶっとばしてやろうじゃないか。

 


 そして耳ざわりな怒号は途絶え、天守塔に静寂が訪れる。

 うす暗い舞台の上で、アドラメレクとの死闘は幕を下ろした。

 あとに残されたのは、表面に霜が張りつき、本来の機能を奪われた鏡だけだった。

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