6-4 さあ、絶望をはじめようか

 山羊のような角を生やした魔皇アスラは、口元をほころばせながら語りかけてくる。


「……生贄は姉だけで十分なんだけどね。それでもボクの愛に背くつもりかい?」


 気安げな態度を保ちながらも、アドラメレクは全身から不穏な気配を漂わせている。ナーザが大仰な騎士なら、こいつは人々を堕落に誘う悪魔の役だろう。

 壇上の魔皇は俺たちを見下ろしながら、飄々と告げる。


「絶望とは甘美なもので、後悔とは愛でるべきものさ。キミが望むというのなら」


 瞬間、周囲の大気が揺れる。

 そして嘲弄卿アドラメレクの身体から、薄紫色の輝きが放たれた。


「――その命をもって償わせてあげよう」


 くそ、いきなり秘術を使うつもりなのか!


 俺はすぐさま戦闘態勢に入る。

 続いてミーナとルウも魔術を使う構えをとった。

 ところがアドラメレクは漆黒のマントをひるがえし、壇上をくるりと舞っただけだった。

 俺たちをおちょくっているのか、それとも何らかの狙いがあるのか――直前に秘術を使っていることからして、深く考えるまでもなく後者だと察しがつく。


 アドラメレクがひるがえしたマントは天井の鏡から光を浴びて、舞台に大きな影を落とす。すると床に描かれた黒いシルエットから、ぽこぽこと何かが湧きでてくる。

 影から現れたものの姿が明らかになると、ミーナが皮肉っぽく言った。


「あら、どこかでお会いした顔ですこと」

「お前をバーベキューにしようとしたやつらだな」


 マントの影から湧きでたのは、かつてミーナを口封じに殺そうとした妖魔だった。

 真っ黒に塗りつぶされた、オーソドックスな悪魔のシルエット。

 つまりこいつらはただの使い魔ではなく、アドラメレクの秘術で生みだされたゴーレムだったわけだ。


「影より生まれし黒き眷族。これがボクの秘術〈宵闇の狂宴サバト〉さ」


 ご丁寧な解説とともに、アドラメレクの妖魔が一斉に襲いかかってくる。ドラゴンになったばかりのころに戦ったときより数が多く、おまけに統率が取れている。


「なるべく俺が敵を引きつけるっ! お前らは危ないから前に出るなよッ!」


 慌てて声を張りあげるが、返事の代わりにミーナの雷撃が真横をかすめる。

 いきなりぶっ放された魔術に驚く間もなく、ルウの作りだしたクマのゴーレムが妖魔の群れめがけて勢いよく突っこんでいく。


 ……おいおい、役割分担はどうしたんだよ。

 呆れて二人を見ると、


「忘れたわけじゃないってば。だけど足手まといみたいに扱わないでほしいわね」

「そうそう。ルウだってやるときはやるもん!」


 あんまり威勢よく言われたものだから、俺は言い返す気にもなれなかった。

 まあいいや。

 ミーナやルウだって鬱憤が溜まっているのだろう。

 ならば発散させてやろうじゃないか。


 アドラメレクとの直接対決まで巨大化の切り札を温存しておくにしても、普段の二割増し程度なら本気を出しても支障はないはずだ。

 俺は身体の一部に力を込めるのではなく――全身にまんべんなく力を注ぐことで、普段の倍くらいのサイズまで巨大化する。

 言うなれば平時と本気モードの中間といったところだろう。


 五メートルほどのドラゴンと化した俺が猛々しく咆哮をあげると、妖魔たちがさっそく攻撃を仕掛けてくる。

 炎の魔術と黒い腕が無数に迫るのを感じて、俺は口元を緩めてしまう。

 スイッチが入ったように、エンジンがかかったように――心が激しく燃えあがっていく。


 ドラゴンのこぶしがうなりをあげる。魔術の炎は赤褐色の巨腕になぎ払われ、紙吹雪のように散っていく。視界が良好になったところで、俺は術を放った妖魔を踏みつける。

 続けて左右から同時に黒い腕が迫る。俺は両手で器用に受け止めると二匹まとめてつかみあげ、シンバルを鳴らす要領でグロテスクな頭を打ちあわせた。

 背後ではミーナがアーク放電めいた光で妖魔を爆散させ、ルウが生みだしたクマのゴーレムが二人を守るように丸太のような腕を振り回している。


 俺たちの猛攻は凄まじく、数分も経たずに妖魔の群れは半数まで減った。


「お前の宴はずいぶんとしょぼいな、アドラメレクッ!」

「ボクだって満足していないさ、ドラゴン。キミの力はその程度なのかい?」


 アドラメレクはそう呟いた直後、再びマントをひるがえす。

 すると影からぽこぽこと、新手の妖魔が湧きでてくる。


「太古の竜を身に宿しておきながら、凡百の魔物とさほど変わらないというのなら――ボクがあえて相手をするまでもないよ」


 新しく生みだされた妖魔の数は、さきほどの倍以上だ。

 イナゴのようにうごめく妖魔の群れを見て、ミーナとルウの顔が青ざめる。


「ちょっ……復活なんて卑怯でしょ!」

「やだやだ! 多すぎるもんっ!」


 パワープレイでヒャッホイしていた二人が慌てて俺のそばに寄ってくる。


 敵のほうが圧倒的に多いなら、こちらは密集して防御を固めつつ、地道に数を減らしていくほかない。

 しかし妖魔は律儀に隊列を組んで交互に襲ってきた。

 アドラメレクは妖魔の群れで壁を作り、こちらが疲弊するのを待っているのだ。

 手前の列を崩したところで、マントをひるがえすたびに補充されてはキリがない。

 俺たちはリオを助けるどころか、壇上に近づくことすらできなかった。


「……ちょいと厄介なことになってきたな。復活するペースが速すぎるぞ」

「カイのブレスで一掃できないの?」

「巨大化すればいけるけど、アドラメレクと戦うときの切り札に取っておきたいんだよ。むしろミーナの魔術に頼ろうかと思ってたくらいだ」

「攻撃系は苦手なんだってば。専門はサポートとヒールだし。……カイは大丈夫だと思うけど、ルウちゃんは怪我したら言ってね。治してあげるから」

「じゃあルウはゴーレムでミーナさんを守るの」


 話の流れで役割を再確認することになるが、現状を打破するきっかけはつかめない。

 こちらの隙をついて敵が迫ってきたので、俺は炎のブレスでまとめて焼き払う。

 しかしまたしてもマントがひるがえされて、妖魔は補充されてしまう。

 影から妖魔を生みだす魔皇を見すえながら、ミーナが小声で囁いてくる。


「ねえ、あいつの〈依代アヴァター〉ってマントじゃない?」

「言われてみれば……あからさまに怪しいな」


 アドラメレクは見ためからして闇属性っぽいし、力の源泉が漆黒のマントだとしても違和感はない。

 しかもマントの影から妖魔を生みだす秘術まで使ってくるのだ。


 となると嘲弄卿アドラメレクを象徴する力は影であり――〈依代〉はというわけか。

 理屈としては筋が通るかもしれない。


「影だったら弱点は光なのかも? ゲームだとよくあるじゃん」

「なんだよ、ルウ。お前ってわりとゲーマーなのか」

「だってお外に出るの苦手だし。去年のお年玉もガチャで消えたし……」


 しかもけっこうガチでハマってやがる。

 小学生から課金てのは末恐ろしいな。

 横で話を聞いていたミーナが、雷撃の魔術で妖魔を蹴散らしつつ言った。


「ゲーム? はよくわかんないけど、影から生まれたのなら光に弱いってのはありえるかな。魔皇の秘術によって作れたとはいえ、しょせんは仮初の存在だから」


 改めて妖魔の動きを観察すると、心なしか燭台の灯りを避けているように見える。

 前に襲われたのは塔だったし、ミーナを抱えて逃げたときは鬱蒼と茂る草原を横断した。

 光を避ける物陰はいたるところにあったし、弱点を探るまでもなくぶちのめしていたから、今まで気づかなかったのかもしれない。


「……試してみる価値はあるかもな。何にせよこのままじゃジリ貧だ」


 ミーナとルウが力強くうなずく。

 あとは具体的な作戦を立てるだけだ。


 俺は壇上で嘲笑うアドラメレクを見すえながら、腕を振りあげてきた妖魔を蹴り倒し、その頭をペットボトルを潰すように踏みしめる。


 さあ、反撃の狼煙をあげるとしようか。





 俺は深呼吸すると、息が続くかぎり炎のブレスを吐いた。

 燃えたぎる劫火は視界いっぱいに広がり、迫ってきた妖魔の群れをねめつくす。

 しかし焼きつくされたのは最前列だけで、間髪をいれずに背後から第二陣、第三陣と、妖魔は次々と群れをなして近づいてくる。


 アドラメレクは目を細め、俺の無力かつ無意味な攻撃にため息をつく。


「あくびが出そうだよ、ドラゴン。ボクを退屈させないでおくれ」

「だったら派手な見世物を披露してやるよっ!」


 俺は吠えると同時に、ルウを背負って一直線に駆けだした。

 アドラメレクはあくびを止めると、眉をひそめてこちらを注視する。


 俺が突っこんだのは妖魔の群れの真っただ中だ。やつからすれば、ルウを巻きこんだ無理心中に見えたかもしれない。

 だけどもちろん、俺たちは勝利に向かって進んでいる。

 妖魔にぶちかましを浴びせ、群れを後退させつつ叫ぶ。


「――今だっ!」


 合図を受けたミーナが手をかざすと、小さな身体が薄紫色の輝きを放つ。

 そして彼女の周囲に、十二色のカラフルな球体がふわふわと浮かびあがった。


 俺がこの世界ではじめて見た魔術――光の玉を作るだけの初歩的な術だ。

 しかし今はあのときと違って、霊素によって極限まで強化されている。

 いわば光の爆弾だ。


「荒っぽいのは苦手だけど……目立つのは好きなのよ、わたし!」


 俺は目をつぶる。

 背中のルウもそうしたはずだ。

 直後、極彩色の輝きがスパークする。

 まぶたを閉じていても光が通過して、目がチカチカするほどだった。


 狙いどおりと言うべきか、光の爆弾は効果てきめんだった。一拍の間を置いて目を開けると、うじゃうじゃといたはずの妖魔たちは、霞のように消え失せている。


 影から生まれた存在が――閃光によって打ち消されたのだ。


 背負われていたルウが勢いよく飛びだし、壇上のリオを救いに走る。

 その雄姿を横目で追いながら、俺は内なる力を一気に開放した。


「ハハ……ッ! 面白くなってきたじゃないかッ!」


 瞬く間に十メートル超まで巨大化した俺を見て、アドラメレクが驚嘆とも歓喜ともつかない声をあげる。

 十数トンはあろうドラゴンの重みに耐えきれず、赤一色の床がプラスチックのように砕けていく。額に生えた角がガリガリと天井を削り、身体の動きを妨げる。

 俺は膝をついて四つん這いになると、見下ろすほど小さくなった魔皇に吠える。


「お前のほうがよっぽど退屈だな、アドラメレクッ!」


 重機のクレーンさながらに巨腕を振りあげ、壇上のアドラメレクめがけてお見舞いする。

 ところが魔皇は小枝のような細腕を伸ばし、俺の拳を受け止めてしまった。

 ――さすがは超常者。並外れた強敵だ。


 とはいえ俺とて魔皇の力を侮っていたわけではない。すかさずもう片方の手でマントの袖をつまみあげ、殴られた衝撃で後退するアドラメレクと逆方向に引っ張った。

 意外なほどあっさりと、魔皇の〈依代〉を奪うことができた。


「お前の弱点はこれだろ。つまり象徴する力は影ってわけだ」

「……いったい誰に教わったんだい? ボクらの秘密を」


 マントを奪われたことで、アドラメレクの声に剣呑な殺意が混じる。道化じみた笑みの奥に隠されていた、残忍な本性が一時あらわになる。


 俺と魔皇が火花を散らしあう中、ルウは囚われの姉を救いだしていた。

 今は舞台から離れてミーナと合流し、リオに向けて必死に呼びかけている。


「お姉ちゃん! お姉ちゃん!」

「んん……。ルウちゃん……?」

「よかった! 気がついたの!」


 ルウは顔をくしゃくしゃにしながら、安堵の息を漏らす。

 一方の目覚めたばかりのリオは、今の状況をまったく理解できていないはずだ。

 しかし互いに想いあっていた姉妹に、多くの言葉は必要なかったらしい。


「……そっか。ルウちゃんが助けてくれたんだね」

「ごめんなさい! ルウは……っ!」

「大丈夫だよ、わかってるから……」


 泣きじゃくるルウの頭を、リオは愛おしげに撫でる。

 ……この様子なら二人は大丈夫だろう。

 目の前の相手に視線を戻すと、アドラメレクは不気味なほど静かにリオとルウの様子を眺めていた。


「感動の再会というわけか。ボクとしてはあまり好みな演目ではないがね」

「余裕ぶっていられる状況じゃないだろ? お前はもう無敵じゃない」


 奪ったマントを放り投げると、舞台袖にいたミーナが魔術のロープで回収する。

 しかしアドラメレクは微動だにせず、飄々とした態度を取り戻して笑う。


「キミは大きな勘違いをしているよ。ボクを滅ぼすことなんてできやしないさ」

「やってみなくちゃわかんねえだろ、クソ野郎」


 アドラメレクがまだ余裕でいられるのは、一応の理由がある。

 力の源泉である〈依代〉を奪われて不死性と本来の力が封じられたとしても、具現化した魔皇の肉体はその場に残るのだ。

 だから最後にトドメを刺さなくては、アドラメレクを完全に倒すことはできない。


 俺は再び、鉄骨のような剛腕を振りあげる。

 すると次の瞬間――レーザーのような鋭い閃光が顔面をかすめる。

 思わず舌を巻いた。


「力を封じられて……これかよ!」


 アドラメレクが矢継ぎ早に閃光の一撃を仕掛けてくる。

 魔術で生みだした光の槍らしく、ノーモーションで放たれるがゆえに回避できない。巨大化して的が大きくなったことも災いし、無防備な四肢に次々と突き刺さる。


 自衛隊に攻撃される怪獣の気分を味わうのは勘弁だ。俺は鈍い痛みと焦りを抱きつつ、光の槍を振り払うとアドラメレクに尻尾の一撃を浴びせてやる。

 肋骨を砕く心地よい感触に満足し、内なる衝動が愉快に笑う。

 そこでアドラメレクと視線が交錯する。


「キミに弱点を教えたのは……銀腕卿あたりか。彼女は度し難いほど酔狂だから」

「知ったところで意味ねえだろ。お前はここで倒されるんだから」

「ハハハ。おかげで肝を冷やしたよ。さて――」


 場違いなほど陽気な笑い声を聞いて、俺は強烈な違和感を抱く。

 マントを奪われたアドラメレクは、本来の力を封じられているはずだ。

 それなのにドラゴンの感覚は今も、底知れぬ威圧感に警鐘を鳴らしている。


 これではまるで――。


「もう一度だけ言おう。キミは大きな勘違いをしている……とね」


 アドラメレクの輪郭がぐにゃりと歪む。

 一瞬、何が起こったのかわからなかった。

 耳障りな哄笑が響き渡るとともに、周囲の景色までもが捻じ曲がっていく。


「ボクが影を支配する力しか持たないとでも思ったのかなあ。マントが〈依代〉だなんてさ、もいいところだよ」


 俺は絶句する。

 嘲弄卿アドラメレクは――今なお力を封じられていないのだ。


 空間を支配する〈神域化サンクチュアリ〉が発動されたことで、壮麗な劇場のような天守塔は、朽ち果てた古代の神殿めいた空間に様変わりしていく。

 赤一色だった床は苔むした石床に変貌し、俺が立つ舞台もまた邪悪な神を祀る祭壇へと化する。天井の鏡が燭台の灯りを反射し、空間のあちこちに出現した奇怪な模様が掘られた柱を妖しく照らしだす。


 空間変異と連動するようにアドラメレクの歪んだ輪郭が収束し――まったく別のシルエットに変貌していく。


 悪夢のような光景だった。

 まるで自分がもう一人現れたかのように。

 が――俺を見ながら嗤っている。


「竜骸の力を得たのが、自分だけだと思っていたのかい?」

「まさか……お前も……」


 あまりにも予想外な展開に、俺はうめいてしまう。

 そもそもミーナにドラゴン復活の研究を依頼し、俺をドラゴンにしたきっかけを作ったのは、他でもないアドラメレクなのだ。

 だとすれば俺と同じように――。


 こちらの思考を読んだのだろうか、漆黒のドラゴンは囁く。


「勘違いしないでおくれよ。キミと同じ、ではないさ。今のボクはドラゴンであると同時に――十二界の一つ〈黒煌界〉を総べる魔皇でもあるのだから」


 俺と同じ姿をしたアドラメレクが、漆黒の鱗に包まれた右腕を掲げる。

 すると鋭く伸びたかぎづめの一本一本から眩い光を放つ槍が生みだされた。

 つまり目の前の敵は、ドラゴンと魔皇の力を併せもつ――最強最悪の存在なのだ。


「――さあ、絶望をはじめようか」


 アドラメレクのかぎづめから放たれた光の槍が、鋭い軌道を描いて迫る。ほとばしる膨大なエネルギーを察知した俺は、両腕のかぎづめを使って必死に防ぐ。


 それがいけなかった。

 気がついたときには手遅れだった。

 光の槍はただの囮でしかなく。

 狙われていたのはのだから。


「ミーナ……?」


 信じられなくて、十メートルを超える背丈から不釣り合いにか細い声が洩れる。

 アドラメレクの尻尾に吹き飛ばされた彼女は、悲鳴をあげることすらできなかった。


 驚いた顔で。

 口から血を吐いて。

 そのまま床に転がった。


 まるで本物じゃなくて、彼女によく似た人形みたいだった。

 オイルが漏れた機械みたいに、華奢な身体を中心にして赤い塗料が広がっていく。

 リオが真っ青な顔で駆け寄っていく。ルウはその場で立ちすくんでいる。


 倒れている彼女は本物だ。

 ついさっきまで生きていたはずなのに。

 今はぴくりとも動かない。


 巨大なアドラメレクは俺と同じ目線に立ち、期待に満ちた声で囁いた。


「聞かせておくれよ、キミの慟哭を」

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