5-3 幼き姫の拒絶

「――下から入りこめばどうってことなかったわね」


 真っ暗な倉庫の中で、ミーナがひそひそと囁く。


 竜の死骸を基盤にして築かれた都市の地下には、岩のように硬い竜骨の地層が埋まっていて、場所によっては巨大な空洞ができている。

〈魔導宮〉の真下にもちょうどそんな空洞があり、アドラメレク配下の家来が実験で生まれたゴミを廃棄しているという。


 おかげで地区の中心部にまで悪臭が漂ってきているらしいのだが……匂いが伝ってくるということは、〈魔導宮〉と地区の中心部は空洞の内部で繋がっているということになる。

 そんなわけで俺たちは、ゴミ溜めのような抜け道から〈魔導宮〉に入りこんだわけだ。


「しかしひでえ匂いだったな」

「ミーナさんはなんで平気そうなの……」


 そりゃ育ちが違うからだよ。

 借金地獄を生きたエルフ女子は悪臭に強い。


 ひとまず汚れよけの外套を脱ぎ捨て、ゴミ溜めに繋がっていた〈魔導宮〉の倉庫を出る。周囲は驚くほど静かで、人の気配はまったくなかった。


「おかしいわね。警備兵の一人はいるかと思ったけど」

「建物の外れだからかもしれないな。先に進めばウヨウヨいるはずだ。油断せずになるべく慎重に歩けよ。見つかると面倒だからな」

「ちょ、ちょっと緊張するね……。心臓がばくばくしてきた……」


 リオが挙動不審気味なので、俺は不安になってくる。

 ミーナも肝心なときにヘマをするポンコツ気質だし、大丈夫だろうか。


 ナーザの〈雲砂廟〉に潜入したときは俺一人だけで心細かったが、あるいは単独行動のほうがスムーズに計画を実行できるのかもしれない。

 当たり前の理屈として人数が多ければ多いほど、敵に気づかれやすくなるのだから。


 ところが〈魔導宮〉の奥に進んでいくと、俺の不安は杞憂だとわかった。

 入り組んだ通路を歩けど歩けど巡回する警備兵に遭遇することはなく――代わりに目にするのは、今にも動きだしそうな悪魔像と、巨大なホルマリン漬けめいた装置の中で眠る異形のモンスターたちだけだ。


「アドラメレクが実験で作った魔術兵器なんでしょうけど、今は起動してないわね。ほとんど侵入者が来ないから、コスト削減のために休眠させているのかしら」

「い、意味ねえ……。なんのために作ってんだよ……」

「この建物はかなり古いみたいだし、侵入者の排除ってより大規模の戦闘を想定して作られてるのかな。要するに休戦前――魔皇アスラたちが激しく争っていた時代の遺物ね」

「なるほど。だから平和ボケした今は警備がザルなのか」

「でもラッキーだったねえ。これなら早くルウちゃんを助けられるかも」


 リオは能天気にそう言ったものの、俺はそこまで楽観的になれなかった。

 いくら警備が手薄とはいえ、さすがにルウが囚われている場所には強力な守護者が配置されているはずだ。激しい戦闘になるのは間違いない。


「あ、そろそろ近いかも……。ルウちゃんの気配を感じる……」


 リオが意識を集中させながら、歓喜と緊張の両方をにじませた声で呟く。

 距離が近いと大がかりな魔術を使わなくても、相手のプラナを探知できるらしい。


 入り組んだ通路はやがてシンプルな一本道になり、その先に豪華な装飾が施された扉が見えた。

 とくに警戒せず近寄ろうとしたリオとミーナを、俺は慌てて制す。


「待て待て。考えなしに突っこむバカがいるかよ。……扉に細工がしてあるんだ。リオをさらったとき、開けようとしたらモンスターが襲ってきて大変だったんだから」

「言われてみればカイくんが助けてくれたとき、部屋の前ですごい音してたかも」

「そうなの? じゃあ早いとこ退治しちゃって」


 ミーナが気軽に言ったので、俺はやれやれと肩をすくめる。

 まあ力仕事は俺の担当だから別にいいけどな。

 モンスターが襲ってくる前提で警戒しながら、ゆっくりと扉に手を伸ばす。


「……あれ? 普通に開いたな。鍵もかかってねえや」

「もしかして空き部屋なんじゃない? 探知の座標がズレたのかな」

「そんなことないよお。ルウちゃんの気配を感じたもん」


 リオとミーナはそう言って、俺を押しのけて部屋に入ってしまった。

 二人の警戒心のなさに呆れながら、慌ててその背中を追う。


「ルウちゃん……ルウちゃんいるの?」


 部屋の中は真っ暗で、妹に呼びかけるリオの声だけが響く。

 すると片隅の燭台にぽうっと灯りがともり、小さな少女の影が浮かびあがる。

 いた。

 やはり探知の座標はズレていなかったのだ。

 リオが一目散に駆け寄っていく。


 ほっと息を漏らした直後、俺は状況の不自然さに気づいて背筋を凍らせる。

 ――ルウが囚われているなら何故、部屋に鍵はかかっていなかった?

 建物のザルすぎる警備にしてもそうだ。

 ここまで簡単に侵入できるというのは、逆に怪しい。


 俺の不安に応えるように、開けっ放しにしておいた背後の扉がバタンと閉まる。

 そして、リオの悲鳴が響く。


「きゃああっ! な、何が起こってるの?」

「……おやおや、甘美な響きだね。小鳥みたいにさえずるじゃないか」


 場違いに陽気な声が聞こえてくる。

 少女の影だったものがうねうねと蠢き、黒い触手に姿を変えてリオを拘束していた。いち早く状況を察したミーナの、切迫した声が響く。


「カイ、早く!」

「わかってるさ! ……この野郎、リオを放せっ!」


 しかし一気に加速しようとした直後、俺の足首に影の触手がからみつく。

 見ればミーナの細腕にも蛇のごとき影が巻きついていて、小さく悲鳴を漏らしている。

 最悪だ。

 俺たちはまんまと罠にハメられたのだ。


「やあやあごきげんよう。わざわざ会いに来てくれるなんて嬉しいなあ」

「嘲弄卿……アドラメレクッ!」


 触手のような影を操る主は、身動きが取れない俺を嘲笑う。

 燭台の灯りに照らされて、山羊のような角を生やした悪魔の姿が浮かびあがる。


「君たちのことはよく覚えているよ。召喚されたときはもちろん、ボクの使い魔を焚火みたいに焼いちゃったこともね」


 アドラメレクはアハハと、楽しげな笑い声をあげる。

 その容姿はどことなく、かつてミーナを口封じに殺そうとした妖魔によく似ていた。


「やっぱりあんたが黒幕だったのね……」

「おかげさまでね、約束は守ったほうがいいと学んだよ。ボクも反省したからさ、これまでのことは水に流さないかい」

「はあ? お前は何を言ってるんだ?」

「キミたちを許すと言ってるのさ。今後は錫姫シャクティともどもボクのために働くといい」


 アドラメレクはふざけた言葉を吐きながら、影のような触手で俺の足を強く締めつけてくる。

 リオは今や四肢を縛られて宙吊りになっており、ミーナは両手を後ろに回されたまま、もがき疲れたのか床に膝をつけている。


 俺だけなら逃げられるかもしれない。

 しかしそれでは二人の少女を見捨てることになる。

 現状をどう打破すべきか。

 考えあぐねる俺の心を砕くように、アドラメレクは言った。


「ボクのお姫さまを奪いにきたんでしょ? でもねえ……ああ、同情しちゃうよ。まさか手を差しのべようとしたものに、なんて」

「どういう……こと?」


 宙吊りになったリオが、苦悶の声を漏らしながら呟く。

 アドラメレクは彼女に向き直ると、とっておきの冗談を披露するように告げる。


「数多の恋物語が悲劇で終わるように。家族の情愛が血肉の争いと紙一重であるように。固く結ばれた絆ほど、張りつめた糸のようにたやすく断ち切れるのさ」


 沈黙が下りる。

 魔皇が紡ぐ言葉はまどろっこしく、いまいち要領をえない。


 いや、違う。

 俺たちは気づいていた。

 だけど信じられないでいたのだ。

 他でもない。

 助けようとしていた少女の――に。


「ではでは。キミたちの来訪を教えてくれた、忠実なお姫さまをご紹介しよう」


 アドラメレクが告げると、部屋の片隅を覆っていたらしき影の幕が立ち消え、リオによく似た少女が現れる。


 漆黒のドレスを身にまとい、わずかに肌が透けた布地は、幼いわりに妖艶な色気を感じさせる。

 喉元に無骨な首輪を嵌められた姿は、どことなく背徳的な色気を漂わせていた。


 冷たいまなざしを向ける妹を見て、リオは泣きそうな声を出す。


「なんでなの……わたしはルウちゃんと……いっしょに帰りたいって……」

「お姉ちゃんってほんと何もわかってないよね」


 ルウは感情を一切表情に現さず、淡々とした調子で告げる。

 幼い妹が姉に示したのは救いを求める言葉ではなく。


「だってルウは、おうちに帰りたくないんだもん」


 明確な拒絶だった。

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