3-7 決闘晩餐会【前編】

 月明かりだけを頼りに、うす暗い夜道をひた走る。


 轍の跡やまばらに生えた草花に足を取られないよう気をつけながら、リオは時折、俺がどこにも消えていないことを確認するように、繋がれた手をぎゅっと握り返してくる。


 当初は俺の腕に抱かれていた彼女は、警備兵の追撃を振りきって建物の外に出たあと自らの足で走ると告げた。

 おとなしそうに見えて、こういうところは根っからの体育会系なのである。


「これから別行動を取っていた仲間と合流する」


 と、リオに説明する。

 向かっている場所は〈雲砂廟〉の裏手にある共同墓地だ。

 夜はほとんど人気がないことから、ミーナとはぐれたときに備えて合流ポイントを決めておいたのだ。


「そこまでたどりつけば安全なの……?」

「たぶんな。あとはミーナが無事に晩餐会を抜け出せたかどうかだ」


 連れ出すときにドラゴンになった経緯は説明してあるので、リオもミーナがどんな人物なのかは知っている。

 ひとまずリオの安全を確保することが最優先なので、今はミーナがうまく立ち回ったことを信じるほかない。

 もしそうでなかったら、俺がまた一人で殴りこみに行くだけだ。


 しかし内心の懸念が伝わってしまったのか、リオが表情を曇らせる。

 せっかく助けだしたのだから、今は彼女の笑顔が見たい。

 俺は慌てて話題を変えることにする。


「なあ、元の世界に帰ったら何がしたい?」

「え? カイくんは……?」

「俺はカップめんが食いたいな。とくに今は運動したばっかで腹が減ってるから」

「わたしは……テニスかなあ。しばらくラケット振ってないし」

「やろうと思えばこの世界でもできるぞ。いっそテニスを広めてやればいい」


 俺が冗談交じりにそう言うと、戸惑い気味だったリオも笑みを見せる。

 目先の不安に思い悩むくらいなら、明るい未来を思い描くほうが力になる。

 正直なところ気を張り詰めて戦い続けていたから、俺の体力は限界に近いのだ。


 だから共同墓地にたどりついて、ミーナの姿を視界にとらえたとき――俺は心の底からほっとした。

 計画は見事に成功し、リオを無事に取り戻した。

 早くアジトに戻って身体を休めたい。


 そんなふうに油断したのがいけなかったのかもしれない。


 手を繋いでいたはずのリオと距離が開き、俺は慌てて立ち止まる。

 リオは何故か走るのをやめていて、ぎょっとしたように目を見開いていた。


 遠くから、ミーナが切迫した声で何かを告げている。


 そして俺の右腕がぽとりと。

 


「――晩餐会はまだ終わっていませんよ、ドラゴンさん」


 背後から聞き覚えのある声が響く。

 甲冑姿の騎士が美麗な装飾が施された一振りの剣を携えて、静かに佇んでいる。

 俺は激痛に顔を歪ませながら、不意打ちを放ってきた相手の名を呟く。


「銀腕卿……ナーザ」

「せっかくご招待したというのに、挨拶もなしに帰るなんてひどいじゃないですか」


 ナーザは穏やかに語りかけてくる。

 その声は顔を覆うヘルムの中で反響し、年齢はおろか性別すら判別できない。

 当然ながら表情を知ることもできないが、ナーザはきっと余裕の笑みを浮かべているだろう。


 右腕に目を向けると、噴出した血が赤褐色の鱗をより鮮烈な色に染めている。

 ドラゴンの驚異的な再生力によって、斬り飛ばされた腕の断面は早くも塞がりかけているが、この状況で利き腕を失ってしまったのは致命的な痛手である。

 しかも研ぎ澄まされた全身の感覚は、目の前の脅威に全力で警鐘を鳴らしている。


「――カイッ! 大丈夫なの?」


 共同墓地の入口で待っていたミーナが駆け寄ってくる。

 とても大丈夫とは言えない状況だ。

 しかしだからといって、弱音を吐いてもいられない。

 俺は残ったほうの腕でミーナに「来ないでいい」とジェスチャーを送ると、青ざめた顔で呆然と佇むリオに告げる。


「ちまっこいやつがこっちに来てるだろ。今すぐあいつのところに走れ」

「でも……」

「早くっ!」


 俺が声を荒げると、リオはためらいながらも走りだす。

 一方のミーナは右腕を失った俺を心配そうに見つめていたものの、自分の役割は理解しているらしく、リオと合流するとさっそく彼女を守るべく魔術の障壁を張った。


 ナーザは二人の少女を悠然と眺めている。

 やがて俺のほうに振り返ると、相変わらずの慇懃な態度で語りかけてきた。


錫姫シャクティを返してくださるなら、あなた方のことは見逃してあげましょう」

「リオはに帰るだけさ。お前に返すも何もない」


 右腕を失った痛みをこらえ、背筋を伸ばしてナーザと向かいあう。

 銀色に輝く甲冑をまとった騎士と、額に角を生やした片腕のドラゴンだ。

 何も知らないものがこの場にいたなら、間違いなく俺が悪役だと思うだろう。


「今ならまだ間に合います。どうか冷静にお考えください」


 ナーザが良識ある人間のように言ったので、俺は牙を剥きだして笑う。

 ……お上品ぶった態度がいちいち癇にさわる野郎だ。

 怒りに駆られて足を前に踏みだすと、視界の端できらりと銀色の筋が光る。

 十分に警戒していたから、今度はナーザの攻撃に反応することができた。

 とっさに鋭いかぎづめを伸ばして、残ったほうの腕で装飾過多な刃を受け止める。


 受け止めた。

 はずだった。


 焼けるような痛みを感じて飛びのく。

 幸いにも両腕を失うことはなかったが――かぎづめが根元からなくなっている。


「くそ、なんだってんだ……」

「この刃に斬れぬものはありません。〈絶空剣アンサラー〉とはそういうですから」


 甲冑姿の魔皇アスラは剣を掲げ、薄紫色に輝く刀身を見せつける。


 あらゆる不可能を実現する奇跡。

 それを秘術と呼ぶならば――万物を無条件で切断する術が存在したとしても、意外なことでもなんでもない。

 使い手が異世界を総べる超常者、すなわち神に等しき存在だとすればなおさらだ。


 はるか高みから見下すように、ナーザは淡々と告げる。


「もう一度だけ言います。錫姫を返してください。右腕を失ったあなたに何が出来ると言うのです? ……私は無益な殺生を好みません」


 状況は絶望的だ。

 ドラゴンの鱗が持つ圧倒的な防御力は、目の前の魔皇に通用しない。

 そのうえナーザはどう見ても凄腕の剣士である。

 ドラゴンになった影響で怪力を得たとはいえ、実戦経験の乏しい俺がまともに太刀打ちできる相手ではないはずだ。


 しかしリオの人格を否定し、自分の所有物のように語るナーザを前に。

 俺の心に絶望なんて弱々しい感情が宿ることはなかった。


「お前はそのうちリオを――霊素を体内で結晶化させた錫姫を、秘宝として食っちまうつもりなんだろ? それだって無益な殺生じゃねえのか」

「お言葉の意味がわかりません。力を取り戻すことのどこが無益なのです?」


 ナーザは平然と語る。

 そろそろ我慢の限界だ。


「私には果たすべき責務があるのですよ。白き森と塩の海に満ちた〈白枝界〉の化身たる超常者にして、竜の左脚を所有する魔皇であるがゆえに」

「……魔皇だかなんだか知らねえけど、俺からしたら女の子を拉致監禁したクソ犯罪者でしかねえんだよ。自分が何をしても許されると、本当にそう思ってるのか?」

「ある程度のことは許されるでしょう。私にはそれだけの力がありますから」


 甲冑姿の魔皇はどこまでも傲慢だった。

 無知な子どもに社会の常識を教える大人みたいな口ぶりで、自らの考えを語る。


「残念ながらそれが世界の真実です。弱者が語る理想はただの夢想でしかありません。飽くなき欲求を満たすために、あるいは他者によってもたらされる不都合を挫くために、何よりもまずは力が必要となるのです」


 ナーザの言葉の全てを否定することはできない。

 何故なら俺だってドラゴンの力を得なければ、リオをさらうことなんて不可能だったからだ。


 強いものだけが欲しいものを得る。

 強いものだけが願いを叶える。


 理不尽で不愉快な世界の理屈は、魔皇にもドラゴンにも例外なく適用されるのだ。

 ナーザは自嘲気味に笑い、俺に問いかける。


「私だけが錫姫を生贄にせず、衰えたままでいたとしたら? 本来の力を取り戻した他の魔皇は私を破滅に追いやり、この〈竜の具足ティルナノグ〉に攻めいるでしょう。そして次は私の愛する世界――かの〈白枝界〉すら蹂躙してしまうのです」


 早口でまくしたてる姿は、まるで自らの行いを弁明しているかのようだ。

 異世界を総べる超常者でありながら、その一点だけは人間臭く感じられる。


「一人の少女と、数多の民が暮らす大きな世界。天秤にかけるとするなら、どちらを選ばなければならないか。……あえて考えるまでもないと思いますが」


 とびきり愉快な質問だった。

 不愉快すぎて笑いがこみあげてきそうだった。


 だから俺の答えは決まっていた。


「確かに考えるまでもねえな。自分の世界は自分で守ればいいだけの話じゃねえか。俺だって自分の大切なものを、可愛いクラスメイトを守りたいだけなんだからな」


 右腕の断面を掲げると、ピキピキと音を立てて肉が盛りあがっていく。

 欠損した部位が再生していくことに、不思議と驚きを感じなかった。


「だからお前の不愉快な理屈は――俺がこの手で握り潰してやるよっ!」

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