5-2 魔導宮へ

「来ないで」と言われたからといって、素直に受け取るバカはいない。

 むしろルウを早く救いださなければと、焦燥感だけが募っていく。

 もしかすると彼女は俺たちが思っていた以上に、危機的な状況に置かれているかもしれないのだ。


 俺たちは慌ただしく〈竜の具足ティルナノグ〉を出発し、遠く離れた〈朽ちた喉笛ゲヘナ〉へと向かう。

 目的地までの移動手段として、交易のために各地区を巡回する飛空艇を利用することにした。

 都市の港である〈ポートサイド〉が近くにあるため、陸路で向かうよりずっと時間を短縮できるのだ。


 個人的には都市の上空を飛ぶかう飛空艇や、十二の世界を行き来する転移船が並んで係留されている様をじっくり観察したかったが……あいにく時間の余裕がない。

 俺はロマンあふれる〈ポートサイド〉の光景をほとんど目にすることなく、ミーナとリオに手を引かれて、あれよあれよという間に飛空艇の狭い船室に押しこまれてしまった。


 その後は三人で計画について話しあう。

 落ち着いたのは、飛空艇が離陸してからしばらく経ったあとだった。


「ふう……。ようやく上空からの景色を堪能できるな」

「遊びにきたわけじゃないけど、せっかくだから眺めてみたいしね」

「わたし、竜骸都市マハーカーラを眺めるのってはじめてかも」


 俺たちは今、飛空艇の甲板にやってきている。

 空を飛んでいるのだから本来ならびゅうびゅうと風が吹いているはずなのだが、周囲はいたって静かである。

 たぶん魔術で風を防いでいるのだろう。

 俺たちは柵がついた甲板の縁に近づいていく。


「わあああっ! すっごいいいっ!」


 ミーナの黄色い声が響く。

 リオは「うわあ」と短く感嘆を漏らし、俺は黙って甲板の下に広がる光景を眺める。


 ミーナの反応がやたら大きかったせいで、異世界から来た俺たちが驚くタイミングを逸してしまったのはどうかとは思うが――飛空艇の甲板から眺める竜骸都市は、元々この世界に住む人間だろうと驚嘆してしまうのも無理はないほどの絶景だった。


 前に塔の上から都市を眺めたときは、巨大な竜の上に築かれていると言われてもピンと来なかった。しかしはるか上空から全景を一望してみると、それがまぎれもない真実なのだと実感できる。


 都市を縦断する山脈のように見えていたものは、竜の長い背骨だ。

 崖と崖の間に挟まれた盆地にカーペットを敷いたように華やかな街並が広がっているが、上空から眺めてみると都市が築かれた場所は巨大な竜の翼膜であることが判別できる。

 翼の起点に視線を移せばエアーズロックのような肩甲骨が二つ並んでいて、その間を縫うように続く背骨の山脈は、やがて空に向かって大きく反りかえっていく。

 背骨の先は飛空艇の高度よりさらに上で、霊素のモヤに包まれていてよく見えない。


 しかし目的地である〈朽ちた喉笛〉は、あのぼやけた薄紫色の先にあるのだ。


「ルウちゃんにも見せてあげたいなあ……」


 眼下に広がる幻想的な光景を眺めながら、リオが寂しそうに呟く。

 プラナを探知したときにルウの幻を見てからというもの、彼女の表情は曇りがちだ。気丈に振るまおうと努力しているようだが、今の精神状態では難しいのだろう。

 ミーナが少し気を使ったふうに、不自然なほど明るい声で問いかける。


「ルウちゃんてどんな子なの?」

「優しくてしっかりした子ですよお。お姉ちゃんのわたしよりしっかりしてるかも」


 リオはそう言って照れたように笑う。

 召喚されたときに会った印象だと生意気そうに見えたものの、お姉ちゃんについた悪い虫(俺)をけん制していたのなら、本当にしっかりした妹なのかもしれない。

 だとすれば、ルウの好感度を上げるのは大変そうである。


「最近はルウちゃんのことを考えるとき、すごく後悔しちゃうんです。もっと優しくしておけばよかったって」

「俺からしたら優しいお姉ちゃんに見えたけどな。ルウだって懐いてたみたいだし」

「違うの、カイくん。地球にいたころのわたしって部活が忙しくて、ルウちゃんに構ってあげられなかったから。いつもお家で絵を描いてるような子だったから気にしていなかったけど……今になって思うの。本当は寂しかったんじゃないかって」


 リオの言葉を聞いて内心で首をかしげる。

 俺から見た感じ、そんなふうに寂しがる子のようには思えなかった。

 むしろテニスの全国大会で優勝する姉を、やたらと自慢して応援しまくるタイプではないだろうか。

 たぶん彼女が抱えている過去の後悔は、現状の不安から来ているものだ。だから、


「……早く連れだして、いっしょに遊んでやらないとな」


 これから先の話をして笑うと、曇りがちなリオの表情にわずかな晴れ間がのぞく。

 すると横で聞いていたミーナが、俺をからかうように言った。


「カイが言うと変態っぽい」

「言っとくけど俺はロリコンじゃないぞ、たぶん」

「え、じゃあミーナさんはタイプじゃないの?」

「リオさん……それはどういう意味かしら」

「ていうか、そもそもミーナは何歳なんだよ」

「聞いたらダメよカイくん。六百歳とか言われたら反応にこまるもん」

「あの、わたし十六歳ですけど……」


 ミーナがジト目で答える。なんだ、わりと普通じゃないか。


 そのあとは何故か、二人に好みの女性のタイプを聞かれるハメになる。見ためだけならナーザ様かなと正直に答えたら、危うく甲板から突き落とされそうになった。

 さすがに飛空艇から落とされたら、ドラゴンだってタダじゃ済まないぞ……。





 飛空艇でちょっとした観光気分を味わったものの、目的地の〈朽ちた喉笛〉にたどりつくと、とてもじゃないが旅行先に選びたいとは思えないような街並みが広がっていた。


 一言で言えば汚い。

 もっと言えば暗い。


 地区の中心部は煤けて灰色になったレンガ造りの建物が並び、巨人の亡霊のように道ゆく人々を見下ろしている。

 通りのいたるところに正体不明な生ゴミや鉄くずが散乱しており、路地裏では身体中に触角をつけた野良猫とカラス並の大きさの蛾が、カビの生えたパンを奪いあっていた。

 空気はひどく汚染されていて、腐った肉と強い薬物が混ざった悪臭で満ちている。通りを歩く人々の目は虚ろで、荒廃した都市らしい陰気で殺伐とした雰囲気に支配されていた。


 十九世紀のロンドンを魔改造したら、こんな感じになるだろう。

 石炭燃料による大気汚染や、排水の垂れ流しで水源の汚染が進み、歴史上でも類を見ないほど公害が蔓延していたころのイメージだ。

 しかし地区を荒廃させているのは産業革命ではなく、嘲弄卿アドラメレクだ。かの魔皇は環境に甚大な被害を及ぼす怪しい魔術実験を、頻繁に行っているという。


 俺たちは揃って外套のフードを目深にかぶり、口元にハンカチを当てて歩く。


「あんまり長居したいところじゃねえな」

「都市の中でもトップクラスに評判の悪い地区だしね。アドラメレクは住人たちを無実の罪でとらえて、刑罰と称して人体実験に使ってるって噂まであるのよ」

「ひどい……。ルウちゃんを早く助けなくちゃ……」


 リオが青ざめてしまうのも無理はない。

 話を聞けば聞くほど、危機感が募ってくる。よりにもよって小学生の女の子が、こんな地獄のようなところに囚われているのだ。


「探知の魔術で割りだした座標から推測すると、ルウちゃんがいるのは郊外にある〈魔導宮〉みたいね。例によってアドラメレクの本拠地――難攻不落の魔術要塞よ」


 ミーナの説明を聞いて、俺とリオは息を呑む。

 いかにもヤバそうな場所だ。

 しかしだからといって、引き返すわけにはいかない。


 俺たちはルウが囚われている〈魔導宮〉に潜入するべく、さっそく行動を開始する。

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