第六章

6-1 魔封じの牢獄

 冷たい鉄の牢獄に、俺とミーナは囚われていた。

 救おうとしていたルウに裏切られたあげく、リオはアドラメレクに囚われてしまった。

 そして逃げ場を失った俺たちに用意されたのが〈魔導宮〉の最奥に位置する牢獄である。


 牢獄の構造はいたってシンプルだ。

 正面に頑丈そうな扉があるだけで、ほかには何もない。

 扉と壁はマーブル模様が浮きでた不思議な質感の金属板で、血の匂いとよく似た金属臭と換気の悪さからくる息苦しさは、打ちひしがれた心をきつく締めあげてくる。


 隣を見るとミーナが険しい表情を浮かべて、くるくると手を動かしていた。


「……参ったわね。魔術が封じられているみたい」


 俺は首をかしげる。

 何をやっているのかと思ったら、魔術を使おうとしていたらしい。


「聞いたことがあるわ。アドラメレクはプラナの作用を妨げる材質を手にいれたって」

「てことはこの牢獄を覆ってる金属が……」


 ミーナはうなずく。

 つまり俺たちが収監されたのは、魔術を封じる特殊な牢獄なのだ。


「どうせなら携帯性のあるもの――手錠とかに使うほうが便利そうだけど、そうしないってことは、四方に張り巡らせるくらいじゃないと効果が発揮されないのかな」


 ミーナは長い耳をぴょこぴょこ動かして、やや興奮気味に壁面を観察しはじめる。

 研究者気質だから妙なスイッチが入ったのだろう。


 彼女にならって扉と壁を覆う金属に目を向けると、マーブル模様の表面に漢字やアルファベットなどの地球の文字がうっすらと混じっていることに気づく。

 これはいったいどういうことだろう。

 不思議に思ってミーナにたずねると、


「なるほどね。カイがいた世界の金属が魔封じのタネなわけよ。プラナがうまく作用しない世界で生まれた物質なら、そういう性質を帯びていても不思議じゃないわ」 

「だとしたら、アドラメレクはどうやって地球の金属を手にいれたんだろ」

「都市の外周に〈奈落の海〉って次元の渦があってね、たまに彼方の時空から漂着物が流れつくことがあるの。たぶんその中から見つけたんじゃないかな」


 ミーナはそう言ったあとで大きなため息をつく。


「……壁抜けの術を使おうとしたんだけど、そんなわけで無理っぽい」

「じゃあ騒ぎが大きくなっちまうのを覚悟で、扉をぶっ壊すしかないか」

「でもこれって竜骸の骨とかけあわせてあるから、かなりの強度があるはずよ」

「拾った金属をそのまま使ってるわけじゃないのか。つっても地球じゃ無価値の鉄くずが魔封じのアイテムに変わるんなら、ずいぶんとお得なリサイクルだけどな」

「そうでもないかな。漂着物って相当なレアだから、現物はここにあるだけだろーし」


 てことはこの牢獄さえ破壊してしまえば、魔封じされる心配はなくなるわけだ。

 ならば二度と囚われないように、完膚なきまでに扉を叩き壊しておくとしよう。


 俺は内に溢れるドラゴンの力を解放し、両腕を巨大化させようとする。

 ――ふんぬっ!

 しかし変化は起こらない。 


「あれ? おかしいな。うまく力が働かないぞ」


 たとえるならクシャミが出そうで出ないときみたいな。

 巨大化する! と思った瞬間に、ドラゴンの力が奥に引っこんでしまうのだ。


「魔術じゃないからプラナの阻害は関係ないはずだけど。……あ、もしかしたらアレのせいかな。ほら、上を見て」


 天井付近に目を向けると、通気口のような小窓に四角い装置がついていた。

 なんとなくエアコンを彷彿とさせるが、竜骸都市マハーカーラにそんなものがあるとは思えない。


「あの装置で霊素をろ過してるのよ。ドラゴンって未知の部分が多いから推測するしかないけど、大気中の霊素が薄いと本来の力を引き出せないのかしら」

「参ったな。普通の金属だったら今の状態でもイケそうなんだけど」


 一応ぶん殴ってみるものの、かなりの強度があるという魔封じの金属はビクともしない。

 アドラレクが単に念を入れて霊素も封じたのか、あるいはドラゴンになった俺の弱点を熟知していたのか――何にせよ魔術とドラゴンの力の両方を阻害されている以上、俺とミーナに牢獄を脱出する手立てはなかった。


「リオさんなら体内で凝縮された霊素で、強引に魔術を使えるはずなんだけど。凡人のわたしはプラナを阻害された時点で、ただのちんちくりんなのよ……」


 ミーナがさじを投げたように自虐ネタを披露しはじめる。


 魔封じの金属を破壊して脱獄するには、どうにかして霊素を補充するしかない。

 しかし牢内の天井はかなりの高さがあり、霊素をろ過する装置を破壊するどころか、たどりつくことすら困難だ。

 壁を登れるか試してみるものの、ドラゴンの力がうまく引き出せない状態だと、細胞変異でファンデルワールス力を発揮することもできなかった。


「はあ……。いよいよ無理な気がしてきた……」

「あんたにしては珍しく弱気じゃないの」


 疲れてぐったりと座りこんだ俺の膝を、ミーナがぺちんと叩いてくる。

 言われてみりゃ確かに俺らしくない。

 しかしそうなったのは、ドラゴンの力が封じられたからではないはずだ。


「……あんなこと言われるとは考えもしなかったな。帰りたくないだなんて」


 自然と口から本音が漏れていた。

 ルウの言葉を聞いて、俺は思っていた以上にショックを受けていたらしい。


「俺は地球に帰りたい。学校帰りにコンビニに寄って買い食いしたりさ、ファミレスで友だちと騒いだり、家でマンガを読んだりゲームをしたり……とにかくまあ、そういう何気ない生活が好きだったんだ」


 ファンタジーに憧れて中二病をこじらせたりするときもあるけど、結局は普通に平和にダラダラと日常を過ごすのが一番だ。


 リオだって俺と帰るって言ってくれた。だからみんなそうなんだと思っていた。

 だけどルウは「おうちに帰りたくない」と言ったのだ。

 救いの手を差しのべた姉を――拒絶して。


「錫姫が生贄になる事実をリオは知らなかったわけだし、同じような境遇のルウも知らないと考えるのが自然だ。だからもし自分が食われると理解していたなら、ルウはあんなふうに俺たちを拒絶しなかったかもしれない。でも……」


 それは単に身を守りたいだけの話で、元の世界に帰りたいと望んでいるわけじゃない。

 実際問題として魔皇の手から救いだしたあとで、ルウは帰りたくないと主張するかもしれないのだ。

 もしそうなったら、俺はどうするべきなのだろう?

 錫姫たちが力を合わせなければ――元の世界に戻ることはできないというのに。


 黙りこくっている俺を見つめて、ミーナがぽつりと言葉を漏らす。


「おうちに帰りたくないってきもちも少しわかるかな。……そりゃそうでしょ? わたしはこの世界でずっとひどい暮らしをしてきたんだからさ」


 借金地獄を生きてきたミーナの言葉は、恐ろしいほど説得力がある。

 しかも彼女が明かした生い立ちは、想像していたものよりはるかに壮絶だった。


「わたしって捨て子だったの。実はお爺ちゃんと血は繋がってなくて、最初から天涯孤独の身なわけね。魔術の才能をあったから拾ってもらっただけで、実際のところ家族として愛されてたかどうかも自信がないわ」


 俺は何も言えなかった。

 自分と環境が違いすぎて。

 朗らかな彼女が抱える闇の深さを知って。


 もし同じ立場だったら逃げたいと思うはずだ。戻りたくないと思うはずだ。

 誰もが故郷を愛しているとはかぎらない。帰りたいと願っているとはかぎらない。

 錫姫シャクティにしたってそうなのだろう。


「ルウは……自分の世界が嫌いだったのかなあ」


 打ちのめされた俺の膝を、ミーナが再びぺちんと叩いてくる。


「あの子は帰りたくないって言っただけでしょ。他に理由があるかもしれないし、そもそもこの世の全てを嫌うなんて難しいわよ。……わたしだって今いるこの世界が大嫌いだけど、それでも好きなものはあるんだからさ」


 そう言って屈託なく笑うものだから、俺は両手を広げて降参の合図を送った。

 ミーナは本当に強い女の子だ。

 不幸のどん底に落とされても前を向いて、何度だって立ちあがる。

 おまけに笑顔一つでドラゴンを骨抜きにしてしまうのだから、手に負えない。


「ちなみに好きなものってなんだよ。やっぱりお金と肉?」

「他にもあるってば! わたしをどんな目で見てんのよ!」

「じゃあ俺か」

「あーはいはい……」


 彼女は呆れたようにそう言って、またしても膝を叩いてくる。

 それから聞かれたくないのか聞いてほしいのかわからないくらいの微妙な小声で、


「でも、あんたのおかげで好きなものは増えたかもね」


 ……テンションを上げるには十分な一言だ。

 力を封じられているくせに、今ならどんな無茶だってできる気がしてくる。


「だったらアドラメレクをぶっ倒して、お前の嫌いなものを減らしてやるさ」

「お願いね。あいつを見てると虫唾が走るから」


 二人で顔を合わせて、悪党みたいに笑ってみせる。

 俺たち竜賊はこれくらいのノリがちょうどいい。思い悩むなんて後回しだ。


 と、そこで牢獄の外からパタパタと足音が聞こえてくる。

〈魔導宮〉でこんな軽めの音を響かせるのは、ミーナのほかはルウしかいない。

 いったい何が目的なのか。

 牢獄に囚われた俺たちに面会するつもりらしい。


 もしかしなくても、チャンスが巡ってきたかもしれない。

 俺は今しがた思いついたアイディアについて、ミーナの意見を求める。


「たぶんできるとおもうけど……あんたってほんとに最低よね」


 彼女にものすごく軽蔑されてしまった。

 だけど他に手段がない以上、試してみる価値はあるだろう。

 俺はドラゴンらしく獰猛に笑う。


「お姫さまを奪うためなら、だってしてみせるさ」

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