いつかきっとハマグリになる(9)

 私は男に洗いざらい説明することにした。

 我らが何か、おおよそ把握し、疑っていないにもかかわらず――

「え? いそもさんのお仕事って全国津々浦々の食を網羅することですよね? え?……違うんですか? 本当に?」

 ――なあ、どうして肝心の部分がこれなんだ?

 我らが主は宗像三女神が一柱、市杵嶋姫命。海の神であり水の神。さらに大陸に坐すサラスヴァティーと縁を持ち、その御姿を映すことで芸術の神としても信仰を集めておられる。

 なお、食には関わっていらっしゃらない……いらっしゃらないはずだ。なんだが自信がなくなってきたが。

「いや、だが、さっきお前言っていただろう? 私がここへ来たのはいそもの食の楽しみを奪うためだとか何とか」

「いえ、まあこさんはストイックだといそもさんから聞いていたので、てっきり楽しみながら仕事をするのは絶対にダメだという考えの持ち主なのかと」

 ――とにかく、もはや曖昧な説明ではすませられないだろう。

 溜息をついて周りを見る。

 観光地の真ん前にあるショッピングセンターの出入口付近。踏み込んだ話には不適だろう――いそものアホのせいで、今までの話も大概だったが。

「……歩きながら話そうか」

 海沿いを並んで歩く。

 人間と並んで歩くなど、女官候補の頃以来だとふと思う。

 晴れて女官となり、女官候補管理室所属が決まってから、もう二度とないだろうと安堵していたのだが。

 傍らの男を見る。少し見上げる。

 男はこちらを少しばかり見下ろし、話を促すように笑んだ。

 ああ、ひょっとしていそももやはりこうしてこの男と並んで歩いているのだろうか――なんとも言いがたい心地になって視線を逸らし、切り出す。

 この世界に漂う『想い』、それを『玉』に封じ、集める我ら。

 集めた『玉』の数と重みで女官の卵は孵る。

 女官候補から、女官へ――なれなかったら――

「なれなかったら元に戻る」

「……ということは」

「いそもはアサリだな。私はなれなかったらマアナゴに戻っていたところだった」

 リミットは二十年から三十年といわれているが、大体、半ばで放り出す。

 人のかたちで、『想い』に心をすり減らされていくうちに、元に戻れるならば、と思うようになるようだ。

 元に戻れば、あとはあるべき姿で余生をすごす。


 いつだったか一度言ったことがある。

 ――いそもさん、あなたこのままではアサリに戻ってしまうのですよ。

 ――えぇ……、アサリですかぁ? それはちょっといやですぅ。それなりにぃ夢とかありますしぃ……。

 その夢とやら、どうせ食べ物絡みだろうと、深く訊かなかったのだが。


「女官になれば元の姿に戻ることはなくなる。とはいえ、女官として功をなし、その褒賞として女官を辞し、たとえば人の容を捨てるなどということもできるが、まあ、何にせよ、まずは女官にならなければならない――食べ歩きではなく、『想い』を封じた『玉』を集めて、だ」

 大して面白くもないのに笑い声を立てた男は、大体わかりました、と頷いた。

「要は協力してほしいと、そういうことですよね?――僕はたぶん、その『想い』というのが見えますし」

 きらは言っていた――男は我らが人間ではないと見抜いた上でいそもに声をかけた、と。

 だから、我らに関する理解も早かったのだろう。

 しかし、三十リットルのクーラーボックスを短時間でみっしり埋めるほど魚を釣る人間ではない女になぜ声などかけたのか。

 好奇心か、それとも。

「お前の話は諜報部の女官から聞いている。いそもは私が主からおあずかりしている大切な女官候補なのだ――協力してはくれないか。代わりにそちらの希望に最大限応えよう」

「いいですよ」

 男は笑顔のまま、あっさりと首肯した。

 思案した様子もない。

「……何が望みだ、言え」

「え?」

「いそもに無体を働くつもりならこの場で叩き切る」

 海の傍なら局に置いた愛刀を呼ぶことができる。

 ショッピングセンターからは十分に離れた。周囲に人間はいない。

 次の瞬間、私の手におさまった抜き身の刀に目を見開き、それから私の顔に視線を移した男は、どうしてか少し怪訝そうな表情になって、困ったように笑んだ――何だ?

「今後も変わらずいそもさんとの釣りや食べ歩きを許していただけたら、それでいいですよ。というか、それでお願いします。特に無体なんて働くつもりもありませんし」

「……本当だろうな?」

 構え、切っ先を喉元に当てる。

 男は苦笑したまま、首を左右に振った。

「その、さすがにあの食欲見ていると……色々あったとしても失せます」


 ――……まあ、確かにそうかもな。

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