いつかきっとハマグリになる

岡野めぐみ

郷土料理の憂鬱

 レプトケファルスの頃はもう思い出せない。

 ――アナゴ筒の狭さは何となく思い出すことができるけれども。


 宗像三女神の一柱、市杵嶋姫命の思し召しで姫命に伺候する女官となってから一年余り。

 私は元々広島湾に住まうマアナゴだった。

 アナゴ筒にそれと知らず入り込んでいたところを市杵嶋姫命に見出され、女官候補として姫命より人のかたちと「まあこ」という名を与えられた時から数えるとすでに七年は経っている。

 マアナゴから市杵嶋姫命に伺候する女官になる――それは言うまでもなく身に余る栄誉だ。

 しかし、そんな栄誉を噛み締めるとともに私が思うのは、かつての住処のこと。

 私は神に近しい容を得て、神に仕える身となった。けれども、かつての私の同胞はどうであろう。

 アナゴ筒から救い出してくださった市杵嶋姫命にはどれほど感謝してもし足りない。そして、女官候補からいくつかの試練を経て女官になったのは私自身の努力だと、胸を張ることはできる。

 だが、思うのだ。どうして私だったのか、と。

 選ばれたとうぬぼれるのはたやすい。しかしながら、幾本も沈められていたアナゴ筒に詰まるようにして入り込んでいたたくさんの同族からなぜ私が選ばれたのか。

 市杵嶋姫命は私に何を望まれたのか。

 私は神に伺候する女官として何をなさねばならないのか。

 先日思い切って姫命に申奏すると、姫命は柳眉をひそめられた。

 さらに、汝まだそのようなことを思い悩んでおるのか、とおおせられ、汝がそのような余事に心奪われることなきように、と、このたびお召し抱えになった女官候補の一人を私にあずけてくださったのだ。

 それを真っ当に育て上げながら己の内面を磨け、と、そういうことなのだろう。

 今日、私のもとにその女官候補がやってくる。

 元々はアサリの身で、私と同じく広島湾を住処としていたらしい。

 もっとも、ここ――厳島の宮に伺候する女官や女官候補は皆、この広島湾一帯を住処としていた者ばかりなのだが。

 名は「いそも」。与えられた容貌はほとんど、むしろ瓜二つといっていいほど私に似ていると一足先にかの女官候補を見た者が言っていた。

 そこに姫命の思し召しがあるのか――

「はじめましてぇ! えっとぉ、あたし、いそも、っていいますぅ」

「……まあこ、といいます」

「まあこさん? わっかりましたぁ。ヨロシクお願いしますぅ」

「よろしく――」

「ていうかぁ! まあこさんアナゴだったんですよねぇ? だからあたしぃ、まあこさんのことよく知りたいなぁって思ってぇ、チャレンジしてきましたぁ!」

「……何を、ですか」

「宮島名物あ・な・ご・め・しですぅ~」


 レプトケファルスの頃はもう思い出せない。

 けれどもアナゴ筒の狭さは何となく思い出すことができる。


「超美味しかったですぅ! 噛めば噛むほど味が出るっていうかぁ。キュッとしまって濃厚?」


 ――どうやら市杵嶋姫命は私に大いなる試練を与えてくださったようだ。

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