同情はいらない
このたび市杵嶋姫命がお召し抱えになった女官候補は十名余り。
話題をさらったのは、姫命が厳島の宮の女官長「ちょう」殿にあずけられた女官候補だ。
「みづき」と名付けられたその女官候補は元ミズクラゲ。面立ちはおそれ多くも市杵嶋姫命と同じ、あるいは幾分幼いか――しかしながら、似通っていることには違いない。
我々「人にあらざるもの」が神々の御意思により人の
ただし、我々の容貌など姫命の御力をもってすればいくらでも変えられる。
現に私がおあずかりした女官候補のいそもは私に瓜二つであるが、それは姫命の御意思によるものであり、いそもが元来得るはずの容貌とはまったく異なるものであるそうだ――まあ、そうだろうが。
いそものことはともかくとして、そのみづきという女官候補。元々美しい容貌になる要素があったとしても、しかし、おそれ多くも市杵嶋姫命と似通うことはあり得ない。姫命の御姿は紛うことなく神の御姿。「人にあらざるもの」が得られるはずもないのだ。
ではなぜみづき殿が姫命と似通っているのか。
言うまでもない。姫命がそれを望まれて、みづき殿の人の容をお作りになったからだ。
はたして「人にあらざるもの」に神の御姿を与え、姫命はどうなさるおつもりなのか――
「可愛くて可愛くて仕方ないからとおおせだったよ」
みづき殿の教育を一任されたちょう殿に姫命の御心を訊ねると、ちょう殿はそう言って溜息をついた。
かつてはカレイだったというちょう殿はこの厳島の宮最古参の女官だ。姫命からあたえられた元々の任が女官の教育だったというちょう殿が育てた女官は数知れず。かくいう私もちょう殿のもとで学び、女官になった。
ちょう殿は教育者ではあるが、いやだからこそというか情けは多少あるがその分容赦のない方だ。
尖った針を連想させる細めの体躯。顎の尖った輪郭で最も目立つのはつり上った切れ長の目、そして、常に存在する眉間の縦皺――見るからに厳格な初老の女性の容姿を少しも裏切ることのない性格も相俟って、ちょう殿のもとで学んだ者もそうでない者も距離を置く。姫命さえもちょう殿の一喝に口を噤まれることもあるのだから、その威力推して知るべしだろう。
私とて同僚という名の先輩方に、懇願という笠を着た脅迫をされなければわざわざちょう殿のもとへ、それもたかだか新しい女官候補について訊ねるために赴いたりしない。
下世話な話は特に嫌われるお方だ。叱られることを覚悟してきたのだが、しかし、ちょう殿はいやな顔こそしたものの、あっさりと語ってくださった。
「
「衣や、玩具……」
そのようなものを抱えて御出でになる姫命――そ、想像が。
「にわかに信じられませんが」
「ああ、吾もこの目で見るまではそのような命の御姿思い浮かべたことなどなかったわ」
力なく応えたちょう殿は、
「あのような様子を人は『目に入れても痛くない』と申すのであろうよ。吾にはさっぱりわからぬが」
わからぬというよりわかりたくないと言った方が正しいのではと思わせるような口振りでそう言って再び溜息をついた。
そもそも溜息の多い方ではあるが、いつもより何というか、重い。
「それにみづき殿もなかなかに骨のある娘。とても元がクラゲであったとは思えぬよ。汝が身を竦めておった吾の叱責にも怯えぬどころか逆にどうして怒っておるのかと問い返すほどだ」
「え……」
それは骨の有る無しではなく神経が通っているかどうかの問題ではないだろうか。
声を荒らげるちょう殿は正視するに忍びない。むしろ不可能。
「長きに渡ってさまざまな女官やその候補を見てきたが、このようなことは初めてだ。女官になるのであれば早くなってもらいたいもの。身が持たぬよ」
そんな言葉とともに精も根も尽きたと言わんばかりのまなざしを中空に向けられるちょう殿。私はそっと視線を外して息をついた。
どうやらみづきという女官候補に対する姫命の御寵愛もさることながら、みづき殿自身も規格外らしい。
ちょう殿にここまで疲れた顔をさせる女官候補。同じく女官候補であった頃の私であれば迷わず拍手を送っただろう――正直なところ今でもちょっと拍手を送りたい。
しかし、だ。今はそれ以上に同情の念を抱いていた。
女官候補に振り回される教育係の女官――考えるまでもなく、私も似たような状況にある。
私が教育するのは私が元々マアナゴだということを知りながら穴子飯を食べてきたと笑顔で宣言する元アサリの女官候補いそも。
けれども姫命の寵愛を受け、かつ豪胆な元クラゲを相手にするちょう殿に比べたらば――
「しかし、訊いたぞ、まあこよ。汝が命より任された女官候補、みづき殿のはるか上を行くとか」
「え」
――今、何と? ちょう殿?
ちょう殿はこちらに向き直り、眉間の縦皺を半分くらい消した。その目はかすかに弧を描き、その、笑っていらっしゃいます?
まさかとは思いますがそれは同情の微笑?
「吾がおあずかりしているみづき殿、型に填まらない性格だが根は素直で――そう、赤子のようなもの。元はクラゲだ、仕方あるまい。命の御寵愛もあって非常に扱いづらくはあるが、いずれ年月が解決してくれる。ここが正念場であろうよ」
「は、あ……」
疲れた顔はしているがさすがは女官長、先の見通しは立っているということか、とうつろな返事しつつも感心していた私を見つめるちょう殿の眉間に再び長い年月を思わせる縦皺が。
「けれども汝の任された、いそも、だったか。あれはなかなかぞ、と命はおおせだった。あれと一日おるだけで精神を病む者がおるやもしれぬと」
我が主、市杵嶋姫命よ――
「あ! まあこさぁんまあこさぁん! 捜しましたよぉ! 何知らないおばさんとたそがれてるんですかぁ? ちょっと聞いて下さいよぉ! あたし見つけたんですぅ! 美味しいパスタ食べさせてくれるお・み・せ! アサリのパスタが最高なんですぅ!」
――元マアナゴの身で神に見出された意味を考えるのは、これほどまでに罪なことなのですか。
「も、申し訳ありません申し訳ありませんもうしわけありませんちょう殿! このッ! 頭下げんかいそも!」
「えぇ、アサリのパスタ美味しいのにぃー」
「アサリのパスタはどうでもいい! こちらに御座す御方は女官長のちょう殿だ! お会いしたことあるだろう! 胃袋ばかり鍛えるなバカモノッ! ていうかかつての同胞を食らうな! ましてや食らって美味しいと言うなこのたわけがぁ!」
――別れ際に見たちょう殿の微笑が、これまでになくやさしいものだったことに私は気付かない振りをした。
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