寵姫はミズクラゲ(5)
当たり前のことだがミズクラゲは水まんじゅうではない。
水まんじゅうは葛粉が原料で、あのプルプルは言うまでもなく植物性だ。対してクラゲのプルプルはコラーゲン、動物性。
そして、たまに食材として売ってあるクラゲはビゼンクラゲやエチゼンクラゲという大型のクラゲであり、それもいくつかの工程を経て食べられるようにしている。
特に皮膚が弱いわけではない人間であれば、多少触ったところで痛くも痒くもないことが多いミズクラゲといえども一端の刺胞動物として刺胞を持っているのだ。そのまま食せば皮膚ほど刺激には強くない内臓の粘膜は大変なことになるだろう。
――が、しかし、別に構いはしないのだ。いそもがミズクラゲを食して大変なことになる分に関しては。
自分とまったく同じ顔が、ミズクラゲを食したことが原因で激しく苦しむさまというのは見たくない。だが、いそもの場合はむしろ一度それくらい苦しんでおいた方がいそも自身のためになるのではないかと思う。
もっとも、我々の身体は人間の肉体に近い組成らしいものの、普段のいそもの様子からして、食しても何もないような気がしないでもないが。
ともあれ、私がおそれるのはいそもが海中をふよふよしているミズクラゲにそのまま齧り付くことではない。市杵嶋姫命が御寵愛されるみづき殿に対して余計なアクションを起こすことだ。
みづき殿に関しては、一にも二にも姫命の御寵愛が篤いということばかりが先に立ち、みづき殿自身が何を思い何を考えているかが話題に上ることはない。なので、みづき殿自身が前身であるミズクラゲにどんな感情を抱いているのかわからない。
自分がかつてミズクラゲであったことをはたして気にしているのか――だが、いずれにしても「ミズクラゲって美味しくない」とか「水まんじゅうっぽいのに食べられない」とか、そんなこと言われたら多少なりとも腹が立つのではないかと思うのは私だけだろうか。
結果、腹を立てられて市杵嶋姫命にそれを申し立てられるのは……何というか、すごくいやだ。
いそもが悪意をもってみづき殿に害をなすようなことがあれば、私もいそもの教育係として謹んで罰を受けるが、食欲過剰な天然のせいで咎められるのは勘弁願いたい。
もちろん悪いのはいそもにみづき殿の話を振った私なのだが、
「そういえばぁ、みづきちゃん色白くってぇ、ぷにぷにしてるのが水まんじゅうっぽいってぇいうかぁ」
いや、だからこそ止めねばなるまい。口の端から涎垂らしそうになりながら中空を見つめているいそもを。
「あぁん、もったいなぁいぃ! みづきちゃん水まんじゅうっぽいのにミズクラゲだなんてぇ!」
「いや、その言い方おかしいだろう」
おそらくここが正念場だ。
私は軽く咳払いをして、いそもの視線をこちらに引き付け、言葉を選びながら切り出す。
「大体だ、その……みづき殿がかつて何であったにせよ、今は人の
――それは私が穴子飯を食べることになってしまったあの日のいそもの台詞。
その時のいそもは別にかつての同族食ってもいいだろうというようなことを主張していた。なので、現状で持ち出すには少なからずそぐわないどころかまったくそぐわない気がする言葉だが、そこはいそものことだ。ほとんどその場のノリで吐いた台詞など覚えていないだろう。
「うーん……そんなことぉ言ったような言ってないようなぁ、よく覚えていないんですけどぉ、でもでもぉ、確かにぃみづきちゃんはみづきちゃんであってぇ今はミズクラゲではないしぃ」
案の定、覚えていない様子。おまけにこれでどうにかこうにか上手くおさまりそうな――と、思ったら、
「……い、いそもさん?」
突然いそもはすくっと立ち上がり、くるりと踵を返した。
「ど……どちらに」
そのまま局を出て行きそうな気配にいやな予感を覚えて訊ねると、いそもは肩越しに振り返った。
「市杵嶋姫命とぉかきさんにぃ教えて差し上げるんですぅ。みづきちゃんはもうミズクラゲじゃあないからぁ、かわいがってもぉ嫉妬してもぉ美味しいものにはありつけませんよぉって」
「……は?」
あの、その……いったいどうしたらそんな結論に。
凍りつく私を置き去りにして、それじゃあ行ってきますねぇ、といそもは眩しい笑顔を残し元気よく局から出て行った――い、いや、ちょ、ちょっと本当に?
「ま、ま、待ちなさい! 待て! 待たんかい! このたわけがぁぁぁあああ!」
ああ、何でこんなことに!
喚きながら泣きながら私はいそもを追いかけた。
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