あんこと餌付けと下心(2)
女官長のちょう殿に呼び出された。
この厳島の宮の実質上の最高責任者であり、宗像三女神の御信頼も篤いちょう殿は、公平を期すためと部下は置かず、友も作らない。
女官候補の頃に、この方のもとで女官となるべく学んでいた私も、晴れて女官となって以降、こちらから赴くことはあっても、こうしてお声がかかることはなかった。
珍しいこともあるものだと思いつつ、その一方で薄々理由を察していたりもする。
おそらく、というか間違いなくみづき殿のいそも絡みだろう。むしろ今まで呼び出されなかったのが不思議な気もする。
呼び出しがかかった具体的な理由はわからないが、十中十、食べ物のことだろう。何はともあれ平謝りに謝って、それから自分の力がいかにいそもの食欲に及ばないかをご説明申し上げるしかない。
幸いちょう殿もいそもの破壊的な食への執念についてご存知だから、話せばわかってくださるはず――と思っていたのだが、
「
事態は私の想像の斜め上を突き進んでいた。
ただでさえ険の強いちょう殿の顔は怒りと思しき感情に引きつり、口角が時折細かな痙攣を繰り返している。
これまで見たことがないわけではない、声を荒げる“直前”のちょう殿の表情。だが、それが“直前”で止まっているのは、きっと私に対して声を荒らげるのは筋違いだと感じていらっしゃるからだろう……うん、私はいそもの監督責任を負っているが、いそもの菓子のセレクトはその範疇外だと思う、さすがに。
さらにちょう殿は怒りに歪んだ表情のまま声音は殊更静かに――それが余計に怖いのだが――続けられた。
「上生菓子や水まんじゅう、水羊羹はスーパーの和菓子コーナーで購入したものではなく和菓子屋で購入したものを。郷土の名菓の類はなるべくその土地の老舗で購入するように。また原材料の産地にも注意を払うこと。白餡の菓子ばかり食べさせるのは黙認するにしても、できうる限り備中白小豆が使われているものにいるように――そして、それらの菓子を準備するのは今後まあこ、汝の仕事とすると」
「……はい?」
私の、仕事?――思わず上げてしまった語尾に反応して、ちょう殿の上向きに尖ったまなじりがさらにつり上がる。
「命の御命令だぞ」
「い、いえ、それは承知しておりますが」
私は元来女官候補管理室勤務で、今は女官候補いそもの教育係を兼任しておりますが、何で女官候補のみづき殿といそものための菓子を購入することまで曲がりなりにも女官である私の仕事になるのですか。それも何だかやたら面倒臭いオーダー。そもそもいそもに行かせればいいのでは――
「言っておくが、
――どうやらそういう御配慮があったらしい。
いや、何というかその、あのいそもにその手の御配慮は必要ないと思うのですが。あいつあれでも好みしっかりしてて舌肥えてるので自分で食べる菓子選びたいタイプです。それに安い菓子食べているのはほとんど質より量の問題で、資金さえしっかり与えてやればあいつヨーロッパの銘菓でも現地まで買い付けにいってしまうと思いますよ、間違いなく喜んで。その場合、みづき殿に感謝こそすれ恨むことは絶対にないと思われます。それよりむしろ私の立場というか仕事というかその辺りに大いなる御配慮をいただきたいのですが――ここ最近、皆みづき殿に刺激されたのか、やたら報告書の提出率がよくって審査に苦労してるのに、それらどうやって捌けっていうのですかね? ねえ?
「言い忘れるところであったが、ジュースは正しく百パーセント果汁で季節のものを。ない場合はミルクセーキでもよいが、牛乳と卵の産地と鮮度には十分気を遣うようにとおおせだった――耐えろ、まあこよ。泣くな。吾とて耐えておるのだ」
――市杵嶋姫命よ、これも試練ってことですか?
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