電話で連絡されたとおり、フユは駅のモール街にある休憩スペースで奈義のことを待っていた。

 時刻は学校が終わって少しした頃で、駅にはこれから徐々に人が増えていく時間帯だった。広場というには手狭なそのスペースは、まばらな人影で埋まっている。そこには近くにある売店のコーヒーを飲んだり、携帯を熱心にいじったりする人の姿があった。

 フユの座るテーブルの前では、控えめな音量で洋楽を流すCDショップが営業していた。今週のヒットチャートを示す看板や、販売促進用のポップなどで店頭が飾られている。時間帯が悪いのか、それとももう誰もCDなんて買わないのか、店内に客の姿は見られなかった。

 そのCDショップではつい先日、魔法の騒ぎが起こっている。

 もちろん、それが魔法だと誰かが気づいたわけではない。騒ぎというのは、店に貼られているポスターの文字列がでたらめになっていたことだった。

 そのこと自体は、誰かのいたずらでポスターが差しかえられたのだろう、ということで収まっている。落書きではなく、印刷位置そのものがずらされていたのだから、そう考えるしかない。とはいえ、すぐそばにいたはずの店員に見とがめられもせずに、何のためにそんなことをしたのかは不明ではあったけれど。

 たまたまその場に居あわせた奈義が、そのことをこっそりと調べていた。〝感知魔法〟には、確かに反応があったそうである。「棒に当たったな」と、奈義は得意そうだった。

 これで、少なくともこの街に魔法使いの存在する確証は高まったが、かといって事態そのものは何も変わっていない。魔法の正体も、魔法使いの身元も、何一つ解明されていないままだった。魔法の痕跡から本人を探しだすことはできていない。

(本当にこんなことで、その相手を捕まえられるのかしら――)

 と、フユには疑問だったが、奈義のほうにはあまり問題視する気配は見られなかった。性格の相違というべきかもしれない。

 休憩所の中央にある時計の針が、何かの壊れるような音を立てて先に進んだ。約束の時間からはすでに五分ほど遅れていたが、フユは気にしない。その五分のあいだに世界のどこかで何人かの人間が死んだことについても。

 それからさらにもう三分ほどしたところで、ようやく奈義は姿を現していた。

「いや、悪いな。待たせちまって」

 言いながら、この男にはあまり悪びれた様子はない。

「ちょっと所用が長びいてな。できるだけ急いでは来たんだが……」

「別に気にしてないわよ」

「そうか?」

の治療にでも忙しかったんでしょ」

「――違う。その話はもういいよ」

 さすがに少し反省したように、げんなりした声で言う。そうして同じテーブルに座りながら、

「しかし、こうしてみるとまるでデートの待ちあわせみたいだな」

 と、奈義は何気ない口調で言った。懲りないのか、ただ鈍いだけなのかは判断のつかないところである。

「誰が?」

 フユは短く問いかえした。

「俺とお前だよ。ほかに誰がいる? ……いや、わかったからまわりを見なくていいよ。何だか、俺が恐ろしく気の利かないことを言ったみたいじゃないか」

「みたいじゃなくて、実際にそうなのよ」

 フユは力なくため息をついた。この男といると、そのうちため息のストックが全部なくなってしまいそうである。

「……それで、今日は何の用なの? またいつもと同じで、四葉のクローバーでも探すみたいにあてもなくさ迷い続けるわけ?」

 どうでもよさそうに、フユは言った。

「何だかその言いかただと、俺が無能な人間みたいに聞こえるな」

「耳のほうは正常そうね」

「まあ確かに、どこかの探偵ほど頭が良くないのは認めるがな」

 奈義は大げさに慨嘆してみせた。

「けど実際のところ、それ以外にまともな方法なんてないのも事実だ。こっちには相手が誰なのか、さっぱりわかってないんだからな。駅周辺に出没するらしい、というだけじゃ何のヒントにもならん」

「それを何とかするのが、あんたの役目じゃないの?」

「あいにく、神様からの啓示がなくてな。素行が悪いせいで愛想をつかされてるのかもしれん」

「雷にでも撃たれれば何か思いつくんじゃないの」

「同時に死んでるよ」

「なら、やってみる価値はあるかしら?」

「……まだ命は惜しいんで、遠慮しとくよ。たいして価値があるとは言わないが、何しろ一つしか持ってないんでな」奈義は言って、憎々しげな顔をした。「まったく、魔法使いの関係者にでも会えればいいんだが」

「――やっほう」

 不意に声をかけられて、二人は同時にそちらのほうを見た。

 そこには少女が一人、立っている。見覚えのない顔だった。マフラーをして、頭にニット帽をかぶり、犬のストラップがついたギターケースを担いでいる。すぐそばに、キャリーバッグに似た簡易式の台車を引っぱっていた。

「よっこらせ、っと」

 二人の返事も待たずに、少女は荷物を置いてテーブル席に座った。敵意がないことを示すみたいに、その顔はにこにこと笑っている。

 年齢は、中学生か高校生のどちらかというところ。毬みたいな、ころころとよく動く表情をしていた。どこかのモデルを真似したような髪型と服装をしていて、それがちゃんと似あっている。流行に敏感な、センスのある女の子、という感じだった。おまけに物怖じしない、果敢そうな目をしている。

「あなた、志条さんだよね?」

 座って、少女はフユのほうを向いて訊いている。

「……そうだけど、どうして私のことを知っているの?」

 フユは名前のことよりも、この少女の傍若無人さのほうにやや辟易しつつ言った。

「ん、聞いてないかな――?」

 少女は特に態度をあらためようとはしない。

「ほら、音楽部に先輩がいるって聞いてるでしょ。それが、あたし」

 そこまで言われて、フユはようやく相手の正体に気づいた。

「沢谷ゆずき――先輩」

「ぴんぽーん、大正解」

 彼女はいかにも嬉しそうに言った。

「お初にお目にかかります。以後、どうぞお見知りおきを――」

「でも、どうして私のことを?」

 フユにはまだよくわからなかった。この先輩とは初対面のはずだ。名前はともかく、互いの顔を知っているはずがない。

「いや、弓村のやつからいろいろ聞いててさ」とゆずきは少しも湿ったところのない笑顔で言う。「何か、ぴんと来たわけ。うちの制服着てるし、雰囲気も似てるし。もしかしたら、近頃新しく入ったっていう、志条芙夕じゃないかな。ちょっと確かめてみるか……まあ、ここを歩いてたのは偶然なんだけど」

 それだけのことで、わざわざ声をかけたのだろうか。

「間違ってれば、謝ればいいだけのことだしね」

 と、ゆずきはけたけたと笑った。これも性格の相違というべきかもしれない。

「――何だ、知りあいか?」

 話が一段楽したところで、それまでなりゆきを見守っていた奈義が声を挟んだ。

「そう、同じ音楽部なんだな、これが」

 いたってフレンドリーな口調で、ゆずきは言う。初対面とは思えない口ぶりだった。たぶん相手が火星人でも、彼女の態度は同じなのだろう。

「――そっちは、志条の親戚か何かみたいな人でしょ」

「奈義真太郎」いささか自尊心を傷つけられたように、奈義は言った。「これでも一応、名前があるんでね」

「へえ、奈義さんか。確か、学校の近くにある本屋で働いてなかったっけ?」

 ゆずきの記憶は、真花のそれよりいくらか正確なようだった。

「しばらくバイトをしてた」

「なるほど。で、二人はこんなとこで何してんの? デートとか?」

 いささか返事が追いつかないほど、早いテンポでしゃべる少女だった。

「――まず、残念ながらデートではない」

 いくらか話のペースダウンを図りながら、奈義は答える。

「まだ雷に撃たれて死にたくないから、これは本当のことだ」

「ふうん、じゃあまた、何を?」

「……その前にこっちも訊くが、君は何をしにここに来たんだ?」

 質問攻めを避けるため、奈義はこちらから逆に訊いてみた。

「あたしはね、――」

 ごく当たり前のことのように言って、ゆずきは傍らのギターケースを叩く。

「こっちが相棒のギター。なかなかお高いやつだったけど、それだけの仕事はしてくれる。こつこつ貯めてたお年玉はきれいになくなったけど」

「ライブ?」

「路上の、ね。これでも、この辺じゃちょっとは有名なんだよ」

 そのセリフを聞いて、奈義は何かを思いついたようだった。

「じゃあ……ええと、沢谷さんは、この辺のことには詳しかったりするのか?」

「詳しいかどうかは、どうだろう。まあ最近、変な噂はよく耳にするけど」

 聞くと、奈義は一瞬フユのほうに目配せした。この男が何を考えているのかは大体わかったので、フユは黙っている。沢谷ゆずきから有力な情報を引きだそう、というのだろう。うまくやってくれれば、もちろんフユに文句はない。

「沢谷さん、実は俺たち……」と、奈義は話を切りだした。「ちょっとした仕事を頼まれててね。この辺の噂話を集めてるんだ」

 とりあえず、フユは口を挟まなかった。今のところ、問題はなさそうである。

「大学の民俗学的な調査でね、街の都市伝説について調べてるんだ。学部の教授から報酬も出てる。歩合制だから、その手の噂を多く集めるほどもらえる金額も増えていく。で、俺はこいつと協力して話の聞きとり調査にあたってるわけだ」

「ふうん」

 疑わしげではあるが、まんざら信じていないわけでもなさそうに、ゆずきはうなずく。

「そんなわけだから、沢谷さんも何かおかしな話とか知ってたら教えてくれないか? 特にお礼はできないんだが」

 言われて、ゆずきは少々考えこむようにしている。

「……そういえばさっき、おかしなことがあったかな」

「へえ、どんな?」

 ずいぶんタイムリーな話だった。

「自販機がさ」ゆずきは腹立たしげに眉をよせた。「お釣りを出しやがらなかった」

 それは、ただの故障ではないだろうか。

「二百円入れたのにさ、返ってこないんだよ。たださえ嫌なことがあってむかついてたから、思いきり蹴とばしてやったけどね」

「――ちなみに、その自販機はどこに?」

「あっちのほう」

 と、ゆずきは体の向きを変えて指さした。

「ちょっとから、すぐわかると思うよ」

「……それはどうも」

 コメントに困ったように、奈義は言った。不運な自動販売機にこそ、いい迷惑だったろうけれど。

 時計はいつのまにか、フユがここに来てから一周の半分ほどを回ろうとしていた。ゆずきはそれに気づくと、立ちあがってギターケースを担ぎなおしている。

「じゃあ、あたしはこの辺でそろそろお暇するわ。場所とりとか、いろいろしなくちゃならないんで――ああ、そうだ。暇だったら歌、聞きに来てね。今日のお礼ってことで」

 一方的にそれだけのことをしゃべってしまうと、ゆずきは手を振って行ってしまった。漂着した無人島から一人、元気よく出発するみたいに。

「それで、どうするの?」

 しばらくして、フユは訊いた。今の、ゆずきの発言にあった自動販売機のことだ。

「……まあいいだろう、たぶん。はわかってるわけだからな」

 奈義はわざと肩をすくめるように言った。物事はやはり、そう都合よくは運ばないらしい。



 ――次の日、昼休みでのことだった。

 フユは一人で階段を昇っていた。あたりに人影はない。体育館のほうからは、雪崩のような足音や、ボールが床を打つ音が聞こえた。いつも通りの昼休みである。

 階段を昇っている途中、上からやって来た男子生徒とすれ違った。同学年だが、もちろん知らない生徒である。フユは手すりによって、その少年をやりすごした。

「――あんたが、志条芙夕か?」

 声をかけられたのは、その時だった。振りむくと、下の踊り場のところにその少年の姿がある。

 平均よりやや背の高い、すらりとした少年だった。大抵のことは器用にこなしてしまいそうな風貌をしている。そのくせ、カメラのピントをあわせ損ねたような、どこかとらえどころのない様子をしていた。

「そうだけど、あなたは?」

 見知らぬ人間がこんなふうに声をかけてくるのは昨日に続いて二度目だな、と思いながらフユは訊いた。

「俺のことはどうでもいい」

 と、少年は言う。どうやら、自分のほうでは名前を名のるつもりはないようだった。

「あんたに忠告しに来た」

「……忠告?」

 フユは無表情に少年のことを見つめる。けれどからかっているのか、脅しているのか、その様子からはうかがい知ることはできなかった。

「…………」

 どういう意味だろうか。

「あんたは下手に手を出して関わらないほうがいい。これは。あんたはただ見てればいいんだ。余計な真似はせずに」

「いったい何を言っているのかしら、あなたは?」

「そう聞かれて、教えるとは思わないよな?」

 少年はあくまで、とぼけた態度を崩さなかった。もちろん、フユに対して何も教える気がないのは確かである。けれどこの少年のほうでは、フユのことを知っている――

 これではまるで、いつか自分がある少年にしたのとそっくり同じ状況だった。

「忠告はした、この件には関わるな。これはあんたの出る幕じゃないんだ」

 言いたいことだけを言ってしまうと、少年はそのまま階段を降りていった。あとにはただ、海の真ん中にでも取り残された格好のフユだけが、階段の途中でたたずんでいる。

 もうすぐ昼休みが終わるらしく、体育館からの物音はいつのまにか消えてなくなっていた。

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