6
棒に当たるかどうかはともかく、喫茶店をあとにした二人は、地図を頼りに駅周辺を歩いてみることにした。現場に行けば、何かわかることがあるかもしれない。
「操作の基本は現場百回って言うからな」
と歩いている途中で奈義が言った。
「この場合、必要なのはむしろ情報分析能力じゃないかしら?」
周囲を見渡しながら、フユは熱のない返事をする。
報告書にあった、明かりの消えた街灯や通話不能になった公衆電話のところに足を運んでみたが、めぼしい収穫は得られなかった。時間が空きすぎているのか、〝感知魔法〟を使っても何の痕跡も発見できない。公衆電話はすでに修理でもされているのか、普通に利用可能だった。
そのほか、二人は地図上の点を手近なところから踏査してみたが、変わったところは見つけられない。やはり、探偵小説のようにはうまくいかないようだった。
「本人の残したものでもあれば、そこから見つけられるんだがな」
奈義は自分でもたいして期待はしていないような口ぶりでつぶやいた。その隣でフユは、これでは本当に犬みたいだと思ったが、面倒なので口にはしない。
周回して駅前まで戻ってくると、フユは人の多さにやはりうんざりした。例えこの中の誰かが魔法使いだったとしても、わかるはずはない。時刻は砂山が崩れるように夕方に向かいはじめていて、人の出入りはますます活発になりつつあった。
二人は駅の構内を抜けて、東口から西口へと移動した。どちらかというと西口は駅の裏側にあたるような場所で、人通りはずっと少なくなる。空気の密度が急に低下したような感じで、風景は閑散としていた。
タクシー乗り場の近くにある彫像の下で、フユは〝感知魔法〟のペンダントを垂らす。カップルの一組が別れたというその場所だった。
「反応は?」
と言う奈義に対して、フユは首を振った。魔法の痕跡らしきものは感じられない。色の着いた水滴が、薄められて透明になっていくように、それはもう世界に溶けてしまっているようだった。あるいはそれは、はじめから魔法ではなかったのかもしれない。
(何とも言えないところね)
そう思ってフユがペンダントを引っこめようとしたその時、ふとかすかな気配のようなものを感じた。
遠くの鐘の、もう音にも鳴らないその響きを耳にするような、そんな感じの。
「どうかしたのか?」
フユの様子に気づいたのか、奈義が訊く。〝感知魔法〟を使ってこの程度では、普通の状態では何も感じないのも無理はなかった。
「……もしかしたら、魔法かもしれない」
意識はまだ魔術具に集中させながら、フユは言った。
「ここじゃなくて、ずっと遠くの場所。ただの気のせいかもしれないけど」
それは、魔法というにはあまりに小さな揺らぎのようにも思えた。髪をわずかに逆立てるくらいの、微弱な静電気にも似ている。気づいたのは結局その一瞬だけで、ただの勘違いの可能性も高かった。
「とにかく行ってみるか」と奈義は特に気にせずに言った。「棒が当たらないなら、棒に当たりに行かないとな」
フユはペンダントをしまうと、揺らぎを感じた方向へと歩いていく。
駅から少し離れると、高いビルは姿を消して住宅地に入っている。フユは念のために一度ペンダントを垂らしてみたが、やはり何も感知できなかった。それでも勘を頼りにして、探索を続けてみる。
しばらくすると、高台へとのぼる坂道の下に出た。並木が上のほうまで続いて、かなり急な道がつながっている。十字路になっていて、信号のついた横断歩道があった。通行人はどこにもいなかったが、信号は忠実にその光を点灯させている。
――奇妙なのは、その信号だった。
故障でもしているのか、自動車用、歩行者用ともに青信号になっている。どうやらおかしくなっているのは、一部の歩行者用信号機のようだった。いつまでたっても青から変わる気配がない。
フユの隣で奈義がペンダントを取りだした。少ししてから、そっと告げる。
「間違いない。ただ、揺らぎそのものはひどく小さいな。魔法の力が弱い、ということか。あるいはわざとそうしているのかもしれないが」
「けど、これで魔法使いがいるのは間違いないみたいね」
「ああ――」
うなずきながら、奈義はあたりを見まわす。人影はどこにもなかった。魔法使い本人らしき人物はどこにも見あたらない。
「このまま近くを探してみよう。何か見つかるかもしれない」
「ええ」
二人はそう言って、元の道を進みはじめた。
その時、運送用トラックらしき車が一台、道を走ってきている。
「――――」
フユは何気なく、その行き先を目で追った。例の信号は、両方とも青になっている。
急な坂道のほうから、自転車が一台駆けおりていた。乗っているのは、小学校四年生くらいの少年である。スポーツタイプの自転車で、オレンジのヘルメットをかぶっていた。坂道が怖くないのか、傍目にもわかるくらいスピードを出している。
トラックと自転車は、そのまま交差点に進入した。もちろん、どちらも衝突するタイミングである。
――〈断絶領域〉
瞬間、フユの魔法が発動した。世界に揺らぎを作り、それを自分の形にあわせて変化させる。
フユはすばやく視線の先、トラックの突っこんでくるすぐ手前に意識を集中した。揺らぎが世界の仕組みを変え、そこに不可視の壁を出現させる。すでに急ハンドルを切っていたトラックは、見えざる壁に衝突して軌道修正を行った。そして現実には不可能な角度で、自転車の鼻先をかすめてカーブする。
ほとんど直角に走行したトラックは、派手な衝突音とともに、歩道に大きく乗りあげてから停車した。自転車の子供はその時になってようやくブレーキをかけるのが精一杯で、目の前の事態に放心している。
フユは両者がともに無事であることを確認すると、何事もなかったように歩きだした。
「――見事なもんだな」
横に並んだ奈義が、賞賛しながらも半ば茶化すように言った。
「たいしたことじゃないわ」
言葉通りの口調で、フユは答える。
「正確で適確な魔法だった。決断も早い。下手をすると子供のほうは無事でも、車のほうが大破していた」
「できるからやっただけよ、私は」
フユはあくまで落ち着き払っている。奈義はさすがに、
「どこまでもクールだな、お前は」
と、苦笑した。
二人ともすでに、事故現場からは遠く離れつつある。背後では、トラックから降りた運転手が子供の安否を確認したり、電話でどこかに連絡を取ったりしていた。もちろんその男が直前の出来事を不審がっている様子はない。ましてや、それが魔法だなどとは――
「しかしこうなると、いくら野良の魔法使いとはいえ放ってはおけなくなったな。このままだと、いつか大きな被害が出る可能性がある」
奈義は苦慮するように言った。間接的にとはいえ、こうして魔法での事故が起きているのである。今回は幸いにも、被害を最小限に抑えることはできたが。
「……別れたカップルは、〝大きな被害〟とは言わないのかしら?」
冗談なのかどうか、フユは無表情に言った。
「実害とは言えないだろ、それは」
奈義はむっとしたように答える。
「ひがんでるんじゃないのかしら、その様子は?」
「……からかってるだろ、お前」
奈義の抗議を無視して、フユは話を変えた。
「でも、いったいどういう魔法なのかしら。ほかの噂話も同じ魔法使いによるものだとして、だけれど」
「さあな、わからん」
と言ってから、奈義は「――ただ」とつけ加えた。
「そいつが一般型ではなく特殊型の魔法を使っていることだけは確かだろうな。一般人が魔術具を手に入れる機会があるとも思えない。それにもしかしたら、本人には魔法を使っている自覚はないのかもしれない。でなけりゃ、こんな無意味なことをするとも思えないからな。半分は自動的、反射的に魔法を使っているのかもしれない」
「厄介ね――」
本人に魔法使いの自覚がなければ、それだけ魔法の使われかたは曖昧になる。つまりは、使用方法や場所を特定するのが難しくなる、ということだった。
「ああ、かなりな」
奈義は何故か、何かの蹉跌を見つめるような、そんな口調で言った。
「…………」
二人はそんなことを話していたせいで、すぐ近くからその様子を眺めていた人物のことについては、気づきもしていなかった。
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