「落ちこんでるな」

 と、奈義は古代の化石生物でも掘りだしたような口調で言った。

「……かもしれないわね」

 珍しく、フユはその言葉を素直に受けいれる。

「否定しないんだな」

「――ええ」

「相当みたいだな、どうやら」

 奈義はむしろ、感心してしまった。

 休日、駅の近くにある喫茶店でのことだった。以前にも来たことのある、細い路地に面した古い木造建築である。これも以前と同じく、奈義はコーヒー、フユはココアを頼んでいた。相変わらず、ほかに客の来る気配はない。

「何かあったのか?」

 コーヒーをすすりながら、奈義は訊いてみた。

「別に、話すようなことじゃないわ」

 奈義はじっとフユのことを見て、月がほんの少しだけ欠けるようなささやかさで笑った。

「まあ、お前ならそう言うだろうな」

 フユは黙って、ココアを口にしている。

 店内には風が木立を揺らすような、ごく小さな音でクラシック音楽がかけられていた。どこかで聞いたことのあるような気はするのだが、フユには題名を思い出せなかった。

「しゃべりたくないなら別に構わないが、話したほうが案外楽になることもあるぞ」

「それは、あんたの経験則?」

「ただの願望」

 フユは軽く鼻を鳴らした。

「……特にしゃべりたくはないわ」

「ふむ」

 と、奈義は新しい星でも探す天文学者みたにフユのことを見た。それから、いきなり手をのばすとフユの頬をつかんで引っぱっている。

「もうちょっと笑ったほうがいいよ、お前は」

 奈義は言って、頬を引きあげて無理やり笑った顔を作らせようとした。瞬間、鈍い打撲音が響いている。

「――いてえ」

「当然の報いでしょ」

 フユは頬をさすりながら、いつもの仏頂面で言った。

「何も顎を殴ることはないだろう、顎を。しかも拳で。脳震盪でも起こしたらどうするんだ」

「だったらよかったのに、と思ってたところよ」

「笑ったほうが似あってるぞっていう、善意による行為だろうが」

「私の前に、あんたのその性格を何とかするべきね」

「そんなに変か、俺って?」

 奈義は深く考えこむように、急に真剣な顔をしている。

「変じゃないけど、変だわ」

 会話を続けながら、フユは何だかばかばかしくなってきた。

「それより、今日は何の用なの? こんな不毛で、無駄で、些末で、意味のない話をするために呼んだわけじゃないんでしょ」

「コンビを組むうえでコミュニケーションを図るのは重要なことだ」

「じゃあ、そのコミュニケーションとやらはもう十分ね」

「みたいだな」

 奈義は吹きだすように笑った。そして、まじめな顔を作って言う。

「――例の魔法使いのことだが、やはり俺の〈境界連鎖〉でも、もう行方は探せない」

 ポケットから何かを取りだして、奈義はそれをテーブルの上に置いた。携帯か何かのストラップだろう。つぎはぎだらけの犬をデザインしたもので、どちらかというと女性向けのように見える。もちろん、ごく小さなものだ。

「魔法使いは女なのかしら?」

 ストラップを手に取りながら、フユは言った。

「何とも言えないところだ……まさか、棒じゃなくて犬のほうに当たるとはな」

「居場所を探れないのは?」

「もうそれは魔法使いの持ち物じゃない、ということだ。つながりの糸が切られている。どうやら、そういう魔法らしい」

「私の魔法を消したのも?」

 あの日の夜のことを思い出しながら、フユは言った。

「大雑把に考えると〝何かを消去する〟魔法、というところだろう。恋人の感情を消し、信号機の連係を消し、記憶を消し、魔法を消す」

「そんな魔法使い、捕まえることができるの?」

 理屈からいえば、どんな拘束手段でも無効化できる、ということではないだろうか。それが魔法的にしろ、物理的にしろ。

「そのことなら心配ない。もう一度本人を見つけさえすれば、あとは俺がうまくやる」

 奈義の口調はリンゴの皮を剥くくらい、ごく簡単なことを言うかのようだった。

「――ならいいけど」

 とフユは疑わしげな顔をしながら、

「でも、どうやって魔法使いを見つけるつもりなの? 追跡は不可能だし、私たちはまだ相手の顔さえ見ていない」

「〝共鳴魔法〟を使う」

 奈義が言うと、フユは顔をしかめた。

「それは確か、魔法の揺らぎを拡大して伝えるものでしょう。魔術具でも希少系レア・クラスの〝ヘイムダルの角笛〟とかいう」

 魔法に一般型と特殊型の二種類があるように、魔術具にも二つの種類があった。一つは汎用系コモン・クラスで、〝感知魔法〟のペンダントなどがこれにあたる。もう一つが希少系で、いわば一品ものの魔術具だった。当然ながら、数は少ない。

「そうだ、もう街のあちこちにしかけてある。俺かお前が魔法を使っても、すぐにわかるだろうな。もちろん、例の魔法使いが使ったとしても」

「魔法委員会のほうはいいのかしら?」

「ああ」

 と言う奈義の表情は、真剣だった。

「もうそんなことも言っていられないからな。魔法使いの確保が最優先だ。多少の目立った行動は仕方がない」

「…………」

 フユはココアを一口含んだ。もちろん、奈義がそういう決定をしたのなら、彼女はそれに従うまでだった。特に異論を持つ必要はない。

「それで、どうするの? 結局のところ、魔法を感知するまでは待機するしかないみたいだけど」

 〝共鳴魔法〟のおかげで感知できる範囲が広がったとはいえ、基本的には今までと状況は変わっていない。

「そうだな、せっかくだから――」

 奈義は間をとるようにカップを手に持った。

「何?」

「――デートでもするか」

 フユはどちらかというと、火星に住んでいるタコ型宇宙人でも見るような目をした。

「本気で言ってるの?」

「もちろん、俺はいつだってまじめな男さ」

 地球在住の陽気なヒト型宇宙人は、にこりとすると、そのままの笑顔で静かにコーヒーをすすった。窓の外には、昨日までの雪が融けもせずにそのまま積もっている。



 ――とはいえ、特に変わったことをするわけでもない。

 いつ魔法の揺らぎが起こるかわからないので、二人はいつものように駅周辺を散策していた。つまりは、これまでと同じである。表面的には、普段と何の変わりもない。

 ただ、どうせだからということで、奈義はフユをデパートに誘った。北銀百貨店という、駅前にある老舗の総合小売店である。クリスマスシーズンが近いので、店内はどこも華やかな赤と白で飾りつけられていた。パステルカラーのような明るい曲が流れ、あちこちに置かれた小さなツリーには金モールやカラーボールが吊りさげられている。その辺をトナカイが歩いていても、たいした違和感はないだろう。さすがに大勢の人で賑わっていた。

「どこに行くの?」

 と、エスカレーターに乗ったところでフユが訊くと、

「――六階、雑貨屋」

 奈義は上のほうを指さして言った。

 クリスマス用に品を揃えた雑貨屋は、けれどあまり賑わっているようにも見えなかった。子供たちは大抵おもちゃ屋に直行し、大人たちもそれについていくのだろう。親しい人間にプレゼントを用意する習慣を持った人間は、思いのほか少ないらしい。

 店の棚にはサンタやトナカイの置き物から、クリスマスをテーマにしたスノードーム、あめ玉のようなアロマキャンドルが並んでいた。外国製のものも多いらしく、人型の洗濯バサミや文字盤のほうが動く時計、目玉の形をしたスピーカーといった奇妙な品物も売られている。

「ちょっと、こっち来い」

 フユがトンボ玉を見ていると、奈義が手を振って呼んだ。何事かと行ってみると、奈義はフユの髪にヘアピンのようなものをあててそれを見ている。

「大丈夫みたいだな」

 と言って、奈義はそのヘアピンを元の場所に戻した。

「何のこと?」

「そりゃ、秘密だ」

 訊いてもごまかすだけで、奈義はまともに答えなかった。

 それからゲームセンターにあったクレーンゲームで何回か遊び(狙った景品は取れなかった)、レストランの前をひやかしながら歩き、途中にあった店でたい焼きを買う。フユが、それを食べたいと言ったからだった。

「珍しいな。そんなにたい焼きが好きなのか?」

 休憩所のイスに座りながら、奈義は意外そうな顔をした。

「誰かが、たい焼きは人類の宝だと言ったわ」

「誰だよそれ」

「どこかに一人くらい、そんな人間もいるでしょうね」

 奈義は苦笑しながら、たい焼きをかじった。世界遺産とはいかないにしろ、なかなかの味である。フユはカスタードクリームのほうを頬ばっていた。

 屋上まで昇ってみると、そこには小さな遊園地のようなスペースがあった。雪こそ降っていないとはいえ、寒風が吹きすさぶ中に人の姿はない。小型の電車や動物の形をしたカートも、見捨てられたようにその場にとり残されていた。時間ごと、何もかもに蓋をしてしまったような光景である。

 縁にある柵のそばまで行くと、街を大きく俯瞰することができた。道路を走るラジコンのような車や、解体工事中のビル。放送用の巨大なアンテナや、高層ホテル、さらにその上に広がる鉛色の空。指先を乗せただけの重さで、そこからは雪が降ってきそうだった。

「ところで、お前のところに沢谷ゆずきとかいう先輩がいただろう」

 と、奈義は不意に、空のすぐ隣でそんなことを言った。

「それがどうかした?」

「彼女はいつ頃ライブをしてるんだ? 夜になってからか、今日も演奏はするのか」

「……私は彼女のマネージャーじゃないわ」

 どちらかといえばため息をつくように、フユは言った。

 けれど奈義は、独り言でもつぶやくみたいに、

「いつも通りのスケジュールなら、そうだったかもしれないな」

 と、淡々と続けている。

「だが何かの都合でそれができなくなったとしたら? 彼女はそれをストレスに感じるだろうか? おそらく、そうだろうな。その結果、どうなるか。それはこれからわかることだろう」

「……何を言っているの?」

 フユの問いかけに、奈義は答えようとはしなかった。

 二人はデパートをあとにすると、暗くなって明かりのつきはじめた街を歩いていく。脇によせられたり踏みかためられた雪が、束の間の装飾を街に施していた。街灯が地上の星みたいに頭上を照らしている。歩きながらフユは心の片隅で、どこか見覚えのある懐かしい気持ちを感じていることに気づいていた。

 かつてそれを感じたのがいつだったかは、もう思い出せもしなかったけれど。


 ――魔法の揺らぎを感知したのは、それからまもなくのことだった。

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