2
冬の公園に、人の姿はほとんどなかった。
それはそうだろう。もう十二月で、おまけに昨日には雪さえ降っている。いくら天気がよいからといって、誰も好きこのんで寒風に身をさらしたりはしない。
草むらの上にはまだうっすらと、昨日の雪が残っていた。真冬日というほどではないが、空気は晴天のぶん、上空と直接つながっているかのような冷たさである。口元からもれる息は白く、意外なほど長く痕跡を残してから消えていった。
「…………」
フユはコートにマフラーを巻いて、ポケットに手を突っこんだまま砂利道を歩いている。足元で鳴る石音は、氷塊でも踏んでいるような寒々しさだった。薦巻きされた松の影に入ると、世界の裏側にでも侵入してしまったように空気が冷やりとする。
指定されたその城址公園の一角にやって来たのは、まだ約束の時間までには間がある頃だった。
城址といっても、天守閣はかつての火災で焼け落ち、堀も水が抜かれて道路に使われている。その空掘りにそって作られた公園には、大小の池や散策路が設置されていた。フユが歩いているのも、そうした散歩道の一つである。
やがて松林に囲まれた広場があって、いくつか遊具が置かれていた。夏は気持ちのよい日陰を作って格好の遊び場になるのだろうが、今はただひたすらに底冷えのした、うら寂しい場所でしかない。当然、人は誰もいなかった。遊具だけが、その場から動けもせず、見捨てられたようにじっとしている。
フユはそのうちの、ブランコを見ていた。神様の慈悲にもあやかれそうにない、ただその場で反復運動を繰りかえすだけの器械――
「もしかして」
と、声をかけられたのは、その時だった。フユが顔を向けると、そこには男が一人立っている。二十になるかならないかといったくらいの、知らない男だった。
「君が、志条芙夕か?」
一瞬、フユは相手のことを凝視する。
「あんたが、奈義真太郎?」
「――正解」
男はにやりと笑って、ポケットから携帯を取りだしてみせる。フユの所持しているのと、同型のものだった。特に奇抜なデザインではないが、見ればすぐにわかる。
男がポケットに携帯をしまいなおすのを、フユは黙って観察していた。
奈義真太郎というその男は、ぱっと見には誰もが好感を抱きそうな風貌をしていた。髪は中途半端にくしゃくしゃだったが、服装はきちんとしている。目鼻立ちには、その辺の木や草と同じ自然さがあった。喜劇役者を思わせるような、どこか人を油断させてしまう屈託のなさをしている。
そして――
どこか、不思議な瞳をしていた。部屋の片隅にある陽だまりが、そのまま滴になってしまったような。
「……約束の時間までは、まだ間があるみたいね。それに、指定されたのは中央広場の噴水だったはずだけれど?」
フユはポケットに手を入れたまま、詰問するように訊いた。彼女のそういう口調はただの癖のようなもので、別に相手のことを非難しているのでも、疑っているのでもない。
「ついそこで見かけたんでね、声をかけてみた」
奈義は何の拘泥もなさそうな顔で笑ってみせる。どうやら、相手の細かい態度は気にしない性格らしい。フユは何となく顔をしかめながら、言った。
「でも、どうして私だと思ったの? 目印の携帯を持っていたわけでもないのに」
「何、簡単な推理だよ」
と奈義は何故か得意そうな顔をする。
「君のブーツに付着した泥を見れば、それは一目瞭然だ。この辺の砂利道を歩いていて、そんな汚れが着くはずはない。ということは、君はこことは別の、泥跡の着くような場所から来たということだ。街からは少し遠くなるだろう。そんな場所からわざわざここに来るということは、ただの散歩じゃない。おそらく、何か用事があるんだろう――つまり、俺に会いに来るという用事が」
滔々としゃべり続ける奈義に向かって、フユは一言だけ口にした。
「嘘でしょ、それ」
「本当だって」
「いいえ、嘘よ」
断言されて、奈義は肩をすくめるように口を閉ざした。
「あんたの話で一番おかしいのは、私が遠くから来たことを前提にしているところよ。泥跡一つで遠くから来たなんてことにはならない。なのに、話をそこからはじめている。つまり、あんたは私がどこに住んでいるのか知ってた、ということよ。私に話しかけたのも、私のことを事前に聞いていたから。こんな人気のない公園じゃ、間違えるほうが難しいでしょうしね」
言われて、奈義は手品に失敗した道化師のような情けない顔をした。
「やっぱり、わかるかな?」
「ええ、あんたの頭があまり良くないことも」
「……手厳しいな」
軽く嘆息した。
「それより、仕事のことを教えてちょうだい。ここには、そのために来たんでしょう?」
「親睦を深めてからのほうがいいかと思ってね」
「必要ないのはもうわかったでしょ?」
「……らしいな」
奈義はおどけた仕草で肩をすくめた。
それから奈義は、ちらりと広場のほうを見る。より正確には、その片隅にあるブランコの方角とおぼしきところを。
(もしかしたら、この男は私のことについて聞いているのかもしれない――)
とフユは思ったが、可能性としては十分にありえる話だった。が、だからといってどうということでもない。それはもう、終わったことだった。そのことが、彼女を傷つけることはない。
「……どうせだから、噴水のところまで行くことにしよう。ここで話をするのも何だからな」
フユはとりあえず、黙ったままうなずいた。内心では、目の前の男のことを多少、疑いながら。
二人は砂利道を移動して、中央広場までやって来た。遠くまで視界の開けた広場には、ガラスを何枚か通したような、弱々しい冬の陽射しが注いでいる。噴水の近くには鳩が群れて、親子連れの子供が餌を撒いては嬉しそうな歓声をあげていた。
「そこのベンチに座ろう。と、その前に――」
奈義は指示してから、広場の隅にあった仮設式の屋台に一人で向かう。
噴水を見すえるベンチに腰かけて、フユはぼんやりと空を見あげた。どこかから、飛行機の音が聞こえてくる。その音は、透明な怪物の咆哮みたいにあたりに響いていた。
やがて奈義は、何か温かそうなものの入った袋を抱えて戻ってくる。
「甘栗、食うか?」
その表情を見るかぎりでは、会話を怪しまれないためのカモフラージュ、というわけではないらしい。たんに自分が食べたかっただけのことだろう。
「お腹は空いてない」
フユは簡単に首を振った。
「そうか? じゃあまあ、勝手に食わせてもらうぞ」
言葉通り、奈義は買ってきたばかりの甘栗の袋を開けた。
「フランスのどっかの村じゃ、栗を使って村おこしをしたらしいな。特産品として」
「甘栗で村おこしは無理でしょうね」
フユはにべもなく言った。
「お前は現実的なんだな」
「夢がない、と言いたいのかしら?」
「いや、しっかりしてるってことだよ」
そう言う奈義の口調に、からかっている様子はない。
「……それで、仕事っていうのは何なの?」
フユはほんの少しだけ不機嫌そうな声で言った。といって、自分でもその理由が今ひとつわからずにいる。どうも、調子の狂う相手だった。
「簡単に言うと」
と、奈義は皮を剥いた甘栗を口に放りこみながら言った。
「魔女狩りだな」
「魔女?」
フユは顔をしかめる。
「いや、女だというわけじゃないんだが、要するに魔法使いを捕まえろってことだな。性別は不明だ」
「どんな魔法使い?」
「まだよくわかっていない」
奈義は甘栗を飲みこんだ。
「ただ、街に魔法使いがいるらしいと思われる噂が流れている。その正体を突きとめて、捕獲するのが俺たちのミッションだな」
「本当に魔法使いがいるの?」
フユは疑わしそうに訊いた。
普通、魔法使いとしての素質がある者は、魔法委員会の人間が見つけだして教育を施すことになっている。ただ、実勢としては委員会が訓練する必要のあるほど強力な魔法使いはおらず、簡単なレクチャーのみですまされるか、放置されるか、同じ魔法使い同士での相互互助のような形をとることが一般的だった。委員会にそれほどの組織力がないせいでもあるが、それで問題にならないほど、魔法使いの数が少ないというのも事実である。素質はあっても結局は魔法を使えない、という人間も多い。
「――委員会も結社でも把握していない魔法使いが、街にいる?」
「話としては、そういうことになるな」
奈義はのん気そうに甘栗の皮を剥いている。
「そんな正体不明の魔法使い、どうやって捕まえるつもりなの? どこかの名探偵みたいに、足跡でも探るわけ?」
「まあ近いな」
皮肉のつもりだったが、奈義は至極まじめな様子でうなずいている。
「どういうこと?」
「俺の魔法〈
「そんなにうまくいくかしら?」
「相手は野良の、おそらくはろくな訓練も受けていない魔法使いだろう。今まで見つからなかったのは、魔法が使えるようになったのがごく最近だからだという可能性が高い。とすると、本人にもまだうまく魔法を使いこなせていないはずだ」
限りなく怪しい推理だが、間違っているとはいえない。
「だったら、怪しい噂や現象を追っていけば、魔法使いの痕跡か、うまくすれば本人に遭遇することもありえる。そうして見つけだしたら、お前の魔法で拘束してしまおう、というわけだ」
「…………」
フユの魔法〈
それは、〝任意の空間に透明な平面の壁を作る〟という魔法だった。その魔法で作られた壁は、基本的にはいかなる力によっても破壊されることはない。つまり、その壁に捕らわれた者は脱出不可能というわけである。フユが自身で解除しないかぎり、その壁を越えることができるものはどこにも存在しない。
「――話を聞くだけだと、明日にでも見つかりそうだけど?」
「まだそれほどの情報は集まっていないし、その手の噂をどれだけ信用していいのかもわからない。実際には、地道に調べていくしかないのが現状だな」
そう言って、奈義は皮を剥いた甘栗を無造作にフユの手の平に乗せる。
「……食べない、と言ったはずだけど」
「受けとったからには食べてもらうしかないな」
釈然としない表情のまま、フユはその甘栗を口にした。雨滴で薄められたような自然な甘味が舌先に感じられる。
「うまいだろ?」
ひどく嫌味のない声で、奈義は訊く。
「――さあね」
フユは無表情に答えた。
「仕事のことは、これで概ね理解できただろう。魔法使いの発見と拘束。ただし、委員会の関係者、例の千ヶ崎朝美なんかには勘づかれないようにしろって話だ。まだこの街にいるらしいからな」
「彼女にその魔法使いを見つけられたら、どうするの?」
「……奪う、しかないんじゃないか」
あまり自信はなさそうな顔だった。今聞いた説明では、奈義の魔法はあまり戦闘向きとは言えない。
「その時は、誰が活躍してくれるのかしら?」
「少なくとも俺じゃないことは確かだな」
今度は自信たっぷりに、奈義は言った。
フユはほんの少しだけ眉をひそめて、蜘蛛の糸より軽そうなため息をついた。どうも、この男といると調子が狂ってしまうらしい。
向こうでは何かに驚いたのか、鳩の群れがいっせいに飛び立っている。子供はその小さな手を宙にのばして、残された羽音に触れようとしていた。
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