6
フユは自分の部屋で、机の前に座っていた。目の前には二つのものが置かれている。一つは携帯端末、もう一つは例の追跡で奈義が見つけたという犬のストラップだった。かつては沢谷ゆずきの持ち物だったものだ。
窓の外には夕闇が迫りつつあった。冬の日没は早くて、暗い。まるで何かの実験でもするみたいに、気がつけば暗闇があたりを満たしている。夏の宵闇とはまるで違う、何かを拒むような輪郭のくっきりとした暗闇だった。
奈義に連絡をとろうとしたのだが、携帯は何故か通じなかった。それも電波の都合や電源が切られている、ということではない。まるで回線がつながらないのだ。そもそも、そんな相手は存在していない、というように。
フユはストラップに手をのばして、ぼんやりとそれを見つめる。
あの時、ゆずきの〈孤独証明〉でつながりを切られて、追跡不能にされた代物だった。そのあと、「これやるよ」と奈義が言ってフユに渡している。そんなものいらない、と言うと、「じゃあ預かってるってことでいい」と言われた。そのストラップを、フユは捨てずに保管していたのである。
以前に見たとおりの、つぎはぎだらけにされた犬をデザインしたものだった。自分でないものをくっつけられながら、そういう自分でしかいられない存在。体の一部になってしまった異物を、もう切り離すことはできない。
しばらくしてから、フユはストラップをポケットに入れて立ちあがった。外出の用意をしてから、部屋を出る。
リビングの横を通るとき、フユは中にいた夕葵に声をかけた。夕葵はスケッチブックに向かって、また何かのアイデア画を描きこんでいる。
「倉庫から、魔術具を一つ借りたいのだけど」
と、フユは言った。夕葵は興味というほどのものではないがちょっと意外だ、という顔でフユのほうを見る。
「あんたが自分で勝手にそんなことを言うなんて、珍しいわね」
いつもなら、魔術具の持ち出しは誰かに指示されたから、とフユは言うはずだった。
「何に使うつもりなの?」
「昔の自分に会いに行くのよ」
夕葵は首を傾げたが、結局はそのもの言いに笑った。立ちあがって鍵を取ってくると、二人は工房の奥にある倉庫へと向かう。
本来なら魔術具の持ち出しには結社への申し立てが必要なのだが、特に監査機関があるわけではない。結社の関係者でさえあれば、実質的には夕葵の一存で中の物を自由に貸しだすことができた。
いくつもの棚にガラクタのように積まれた魔術具の中から、フユは丸いわっかのようなものを選んだ。魔術具はどれも奇妙なデザインをしているので、夕葵にはそれがどんな用途のものかはわからない。
倉庫を出て、電気をつけていない工房に戻ってから、フユは夕葵に言った。
「二人のこと、ある人に話したわ」
「…………」
「その人も姉妹で、同じように魔法を受けた。一人が犠牲になり、一人を救った」
霞のような暗闇の中に、二人の姿は急速に薄れつつある。声だけが、その向こうから確かな存在を伝えていた。
「でもその人は、それを呪いだとは言わなかった。悲しいし、怒りたくも恨みたくもなるけど、でもそうじゃない。それは失ったんじゃなくて、大切なものをもらったからだって――」
「あたしは朝香からそれを奪ったのよ」
「ううん、違う」
フユは言った。
ずっと昔、雪の降るブランコにたった一人で座っていたとき、この世界の外側に弾きだされそうになったその時。たった一人だけ声をかけ、手を差しのべてくれた人――
だから、フユにはわかる。
「あなたは――母さんは、やっぱりそれをもらった。もらっても、いいんだと思う。例えそれに憎しみや後悔しか抱けないのだとしても。母さんはそうやって、世界とつながっている。それは決して、間違ったことじゃない」
「…………」
「少なくともあなたは、そうやって私を救ってくれた」
それだけのことを伝えると、フユは入口からその場所を出ていこうとした。夕葵がそれをどんなふうに受けとったのかはわからない。それでも、渡すべきものは渡したつもりだった。
夕葵はけれど、そんなフユに向かって声をかけている。
「――フユ、あんたは決してガラスじゃないけど、ガラスみたいにあたしの心を惹きつけた」
彼女はまるで、本当の子供にするみたいに優しく言った。
「あんたはやっぱり本当に、あたしによく似ている……だから、できるだけ遅くならないように家に帰ってきて」
フユは入口で後ろを向いたまま、ただ黙ってうなずいた。
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