数日後、フユは真花といっしょに、同じように放課後の音楽室にいた。

 その日数のあいだ、魔法使い調査のために何度か奈義と街を探索していたが、めぼしい成果は得られていなかった。噂話はともかく、魔法の揺らぎを感知することも、特異な現象が発生することもない。もしかしたら、その魔法使いはもうどこかに消えてしまったのではないか、とフユは想像したりもするが、何の指示もない以上はこのまま捜査を続けるしかなかった。

「――まあ、気長にやることだな」

 と、奈義のほうではひどくのん気そうに言った。

「この街にいることだけは確かだよ」

「根拠は?」

「俺の勘」

 その答えに、フユはさすがにため息をつかざるをえなかった。犬が棒に当たる確率のほうが、ずっと高そうである。

「――どうかした?」

 そんなフユを見ながら、真花が訊いた。音楽室には二人だけで、ほかの部員はいない。

「いいえ、何でもない」

 フユは無表情に答える。

「……もしかして、恋をしてるとか?」

 言われて、フユは顔をしかめるよりもむしろ、まじまじと真花のことを観察してしまった。いったいどういう発想で、そんな推測をしているのだろう。

 音楽部へ所属してから、フユは大抵の時間を真花と音楽室で過ごしていた。過ごすといっても、ただ話をするだけである。楽器の練習をするわけでも、楽譜の読みかたを勉強するわけでもない。用事があると言えば、真花は理由も訊かずに簡単にフユを解放した。

 同じ音楽部である渚と陽奈子のほうは、最初の話のとおり音楽室に姿を見せることはない。本業のほうが忙しいのだろう。例の先輩にも、フユはまだ直接会ったことはなかった。

「一応、話はしてあるんだけどね」

 と、その件については真花は苦笑している。三年生なのだからそれどころではないのかもしれない、とフユは勝手に思っていた。もっとも、特に会いたいという気持ちはなかったが。

 そんなわけで結局、放課後の音楽室にはいつもフユと真花の二人しかいない。フユは自分が何のために入部したのか、見当もつかなかった。

「――そりゃ、意味はあるよ」

 と、以前にフユが二度目になる質問をすると、真花は自信を持って答えた。

「どんな意味?」

 いつかとまったく同じ答えに、フユはやはりため息をつかざるをえない。

「…………」

 今も、真花はフユの無言の否定など気にもしないように、にこにこと笑っている。いつも、そうだった。この少女はフユがどんなにそっけない態度をとっても、それを苦にする様子はない。寒空の下で冬の星座を観測する天文学者みたいに。

「でも、フユは恋をしたほうがいいんじゃないかな?」

 真花はまるで、今日は帰りが少し遅くなるから、というくらいの気軽さで言った。

「どうして?」

 あくまで無表情に、フユは訊きかえす。

「似あってると思うから」

「…………」

 フユにはよくわらからない。弓村真花は話をしていると、不意にそんな、よくわからないことを口にした。当人はいたって平気で、それが自然だと思っている様子だったが、フユにしてみれば内心で渋面を作らざるをえない。そのうち、知らないうちに表情に出ているかもしれなかった。

 表面には出さずにフユがそんなことを考えていると、真花はいつのまにか窓の外を眺めていた。朽ちかけた蔦についた葉っぱの数を数えているみたいな視線だったが、もちろん窓の外にそんなものはない。

 それから不意に、真花は囁くような声で歌を口ずさんでいた。冬になって初めて空から落ちてきたひとひらの雪みたいな声で。その雪は、白い色をした何かの種子みたいに、そっと地面の中へと消えていく。

 彼女のその歌は、とてもきれいだった。

 歌そのものはどこかで聞いたことがあるような、そんな程度のものにすぎない。だいぶ昔に流行った、ある犬種の名前がつけられた有名なバンドの曲だった。大抵の人間は、そんな歌のことはもう忘れてしまっているだろう。

 けれど――

 弓村真花は大切に、そっとしまっておいた箱の中身を確かめるみたいにしてその歌をうたっている。

 別にうまいというわけではない。特別な声や響きをしているわけでもない。

 けれどそれは、子供が色の着いたあめ玉を空にかざして、それから口の中に入れるのと似ていた。それはごく普通のあめ玉にしかすぎないのに、とても特別な味がする。

 窓の下では暖房用のスチームだけが、いつもと同じ音を立てていた。

「――――」

 ふと我に返ったみたいに、真花は口を閉ざした。歌はまだどこかで続いているかのように、静かに消えていった。そっと手をのばせば、空にでも飛んでいったその切れはしに触れられそうな気がする。

「……ごめん、つい癖で歌ってたみたい」

 と、真花は赤くなって弁解した。確かにそれは、あまり誉められた癖ではない。けれど珍しく、フユは首を振った。そして無表情に告げる。

「別にかまわないわ、真花には似あっていると思うから」

 真花はそんなフユににこっと笑ってみせてから、言った。

「私ね、歌をうたってると幸せが集められる気がするんだ。機械の中で棒をぐるぐる回して、綿あめを作るみたいに」

「だから歌が好きなの?」

 彼女がいつかそんなことを言っていたのを思い出して、フユは訊いた。

「うん――そうやって幸せを集めて、交換するんだ。天使へのお願いと」

 まるでポイントカードだった。

「だとしたら、歌うのも悪くないかもしれないわね」

 珍しく冗談めかして、フユは言う。

「そう、だからフユも歌うといいよ」

 言われて、フユは自分が歌っているところを想像してみたが、それはあまりぞっとしない光景だった。

「私は遠慮しとくわ。似あいそうにないから」

「そうかな? 私だけが歌うなんて、ちょっと不公平な気もするけど」首を傾げながら、真花はふと何か思いついたらしい。「だったら、代わりに私のお願いを聞いてくれるかな?」

 どう不公平で、何が代わりなのかはわからない。

「それは例の、取り引きの範疇に含まれているのかしら?」

 フユは冗談でもなさそうな口ぶりで、そう訊く。

「ううん、違うよ」真花は無邪気に首を振った。「友達として、かな」

「…………」

「断るつもりなら、取り引きってことでもいいんだけど」

 どちらにせよ、断らせるつもりはないようだった。

「わかったわ。それで、何をすればいいの?」

「私といっしょに、あるところに行って欲しいんだ」

「どこに?」

 フユが訊くと、真花は短く答えた。

「――病院」

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