休み明けの学校で、フユは休み時間に沢谷ゆずきのクラスを訪ねた。

 教室にいた生徒に訊いてみると、ゆずきは休みだという。その生徒はついでだからと、彼女のことをよく知っているというクラスメートを紹介してくれる。親切な生徒だった。

「あんたなの、ゆずきに用があるっていうのは?」

 現れたのは目の細い、顔にそばかすのある女子生徒だった。飛んできた小石が偶然あたったような、不機嫌そうな顔をしている。

「ええ、そうです。沢谷先輩のことで聞きたいことがあって」

「あんたは何、ゆずきの知りあい?」

 妙に居丈高な態度だった。それがこの女子生徒本来の性格なのか、ゆずきに関係することのせいなのかはわからなかった。

「音楽部の後輩です。今日は先輩と約束がありました」

 フユはしらっと、そんなことを言った。演奏も歌も一度もしたことはないが、嘘ではない。

「ふうん」

 と、女子生徒はひっくり返ったハエでも眺めるようなうさんくさげな表情だったが、

「で、何のようなの、沢谷に?」

「どうして休んでるのか、知りたいんですが」

 訊かれて、女子生徒は言うべきかどうか迷うような顔をしている。が、結局はそれをしゃべった。

「……あの子、ここんとこ友達の家を泊まり歩いててさ。私のとこにも来たことあるんだよね。いい迷惑だったけどさ。でも友達ってことになってるし、断わるのも何か気が引けるじゃん? だってそうしたら、私が薄情なやつってことになっちゃうでしょ」

「それで、沢谷先輩は?」

 少し話がずれてしまいそうだったので、フユは口を挟んで訊いた。

「その時は別の子の家に泊まってたらしいんだけど、昨日の夜になって急に家に帰ったって。訳わかんないよね。それまで、もう家族なんていないとか言ってたのに。あの子、受験勉強だってろくにしてないのよ。音楽だけでやってくって。夢見るのは勝手だけど、うちらまで巻きこまないで欲しいよね」

 女子生徒の放言はまだ続いていたが、フユはもうそれを聞いてはいなかった。

 昨夜の出来事を考えれば、沢谷ゆずきの行動は妙だった。居所を一定しないのは追跡を逃れるためだろうし、今になって家族の元に戻るというのもおかしい。彼女がわざわざそんな危険を冒すとは思えなかった。

「――だからさ、子供ってことなんだよね。いい加減、高校生になるんだからさ」

「どうもありがとうございました。もう十分です」

「え、ああ、そう?」

 なおもしゃべり足りないような女子生徒を置いて、フユはその場をあとにした。頭の中では、沢谷ゆずきのことを反芻しながら。彼女に何があったのだろうか。

 結局そのまま、下校時間がやって来ている。ともかくフユが帰ろうとすると、真花が声をかけてきた。

「今日、いっしょに帰ってもいいかな、フユ?」

 フユが座席から顔をあげると、そこには真花の姿がある。最後に部活で会ってから休みの日も挟んだおかげで、体調は多少よくなっているようだった。

「いいわよ、別に」

 フユが立ちあがりながら答えると、真花はにっこりした。

 二人は並んで、玄関へ向かう。二日後には終業式だった。何かがそっと終わろうとするような、そんな雰囲気が廊下にはあった。手を触れただけで壊れてしまうほど、繊細なガラス細工に似た――

 自分から誘っておきながら、真花はただ黙って歩いていた。何か用事があったのだろうが、それをフユに言おうとはしない。フユも無理にそれを訊いたりせず、ただ同じ速さで隣を歩いていく。

 廊下の角を曲がったところで、向こうに見知った二人の姿があった。小嶋渚と芦川陽奈子である。

「あれ、二人とも帰り?」

 フユと真花に気づいて、渚が駆けよってきた。

「うん、そうだよ」と、真花が答える。

「部活やんないの、今日は?」

「今日は、ちょっとね……」

 やんわりと微苦笑のようなものを浮かべる真花。渚は首を傾げたが、不審に思うほどのことではない。

「それより、二人は何してるの?」

 真花が訊くと、

「委員会よ、委員会」

 後ろから来た陽奈子が、実にうんざりした表情で言った。

「どうでもいいような集会があってね、それに出席しなきゃいけないの。それも渚とよ」

「それは誉めてる?」

「ほらね、言ったとおりでしょ」

 そう言う二人を見て、真花は笑った。

「じゃあ、私たちは先に帰るから」

「――ねえ、真花」

 と、急に真剣な顔つきをして、渚が言った。

「もし何か厄介事とか、困ったことがあったら、私たちに言いなよ。頼りにならないかもしれない、たいした力になれないかもしれない。でも私たち、友達でしょ?」

 真花は水滴が紙にしみこむのをじっと待つような、そんな顔をした。

「ありがとう」そして、笑う。「でも大丈夫、私のことは心配いらないから」

 二人はそんな真花に向かって、もう何も言えなかった。

 フユと真花はそのまま玄関に向かい、靴を履きかえて外に出た。冷たい風が吹いて、空は重い鉛色の雲に覆われている。今晩あたり、また大雪になるという話だった。

「そういえば、この前はごめんね」

 校門を抜けたあたりで、真花は不意に言った。

「……何のこと?」

「音楽室で、ゆずき先輩がいたとき」

 ああ、とフユは思い出した。いろいろなことがあって、ほとんど忘れかけていたが。

「フユがああいうの、好きじゃないっていうのはわかってたんだけど」

 真花は申し訳なさそうに言う。心配りの細かい少女だった。

「いいわよ、そんなの。結局あれは、私のせいなんだから」

「ううん、違うよ――」

 真花は首を振って、穏やかな口調で言った。

「あれはフユのせいなんかじゃない。ただ、フユにはちょっとあわなかっただけ。北風が吹いて、旅人が服をよせるみたいに。あれはただ、それだけのことだよ」

「…………」

 道を歩いていると、いつかの信号のところに来た。フユと真花が、最初に契約を交わした場所――

「それで」

 と、フユは言った。太陽の前では、やはり旅人は無力らしい。

「何の用なの、私に」

「これからいっしょに、行って欲しいところがあるんだ」

 真花はいつもの、天使そっくりの微笑みを浮かべた。

「どこに?」

 フユの問いに、真花はあの時と同じように短く答える。

「――病院」

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