21.黄金の手がかり

「まったく!」


 ギヨームは首を振った。その目には既に疲れの気配が見えはじめている。


「吸血鬼が死んで、ハンターが襲撃されたあとは死体だと。いったいこの町はどうなっとるんだ」


 あれからギヨームを引っ張りだすまでまた時間を要した。シスター・エリスの死体はグースの手を借りて診療所に運びこまれたが、放心状態のヨハネスを宥め、これまた棚に入ってきた気付け用のウィスキーを飲ませても、ギヨームが手術を終えるまでおあずけとなった。

 時間はかかったが、シェリーに撃ちこまれた弾丸の摘出手術が順調にいったことだけが救いだった。当の本人は大騒ぎをしたあげくに鎮静薬を撃ちこまれ、隣の部屋で寝かされているらしい。ルードヴィッヒがちらりと覗きこむと、ベッドの隣に置かれた装置の歯車が規則正しく周っていた。繋がれたチューブの先は、細長い硝子管へ続いている。中で青色の液体が時折こぽりと音を立てた。

 ヨハネスを二階に送っていったグースが降りてくる。


「神父どのは上で眠ってます」


 誰にともなく報告がなされる。グースは今やギヨームの助手であるかのように使われていた。その頭の包帯は、ルードヴィッヒが手当を行った時から変わっていなかった。

 ルードヴィッヒは彼にうなずき、自身の懐を探った。取り出した懐中時計を見る。時計に目をやらなかったのは、単なる癖だ。その表情には何もなかったが、焦っていたのは事実だ。あと三十分もすれば日付が変わる。ため息をつき、再び懐中時計をしまいこんだ。

 グースは居心地悪そうに隅の椅子へと座りこみ、ため息をついた。


「昔も死体はよく出た」


 唐突に、ギヨームがぽつりと言った。


「だがな、そのほとんどは鉱山でくたばった連中だ」


 ギヨームはストレッチャーに乗せられたエリスに近づいた。神妙な顔つきをして、永遠の眠りについた若いシスターを見下ろす。今は体に白い布がかけられているが、その布も赤く染まり始めていた。黒い衣服だから目立たなかったぶん、今のほうがずっと痛々しい。

 ギヨームはエリスに向かって十字を切った。今度は無言になり、目を閉じる。ほんの数秒そうしていただけなのに、ひどく長いあいだ祈りを捧げているようだった。

 アドルフの死体とはうってかわった扱いだ。

 事件性があるというのもそうだが、その死体に”異様”な点がないというのがその要因だろう。つまりは、聖水で焼け焦げた跡や、銀のナイフで火傷をしたような跡といった類のものがないのだ。彼女はただ痛ましく殺された――その言葉がどんなに間違っていようとも、彼女は人間として殺されたのだ。

 ギヨームはやがてゆっくりと目を開き、大きく息を吐いた。


「喧嘩の末に殴り殺された奴も、刺された奴だっていた。そうでなきゃ寿命でおっ死んだ爺か婆ばかりだ」


 ストレッチャーから離れ、今度は解剖の準備に取り掛かる。


「死体、死体、死体……、ここは死体ばかりだ」


 ギヨームはぶつぶつとつぶやく。


「それが今になって、なんだ? 鉱夫の喧嘩どころの騒ぎじゃあない」


 部屋の中を歩き回って、文句を言いながら準備を進めている。

 ルードヴィッヒは視界の中を行ったり来たりする彼を眺めながら、壁に預けていた背を離した。忙しない彼へと近寄る。


「アドルフ氏の遺体も調べていただきたいのですが」


 ギヨームは立ち止まり、振り返った。眉を寄せている。


「これ以上仕事を増やす気か?」


 批難するような、信じられないものを見るような目だ。しかし仕事を増やされることへの批難でない。


「無茶を言っているのはわかります」


 ただでさえ勤務時間外にシェリーを運びこみ、手術を頼んだうえに、死体を持ちこみ、さらにもう一つ死体を調べろというのだ。

 どうしようもないこととはいえ、人出が足りないにもほどがある。だがルードヴィッヒもまた、そういった仕事量への説得ではなかった。

 ギヨームは虚ろな目でルードヴィッヒから視線を逸らした。


「やってやれといわれればできんことはない。しかしな」


 深い息は宙に消えていく。

 もはやわかりきった事実。


「――奴は吸血鬼だ」


 それが、わかりきっていた答えだった。


「どうしてもですか?」


 ルードヴィッヒは食い下がった。

 その問いに、ギヨームは虚ろな視線を返すだけだった。

 ギヨーム老が怯えているという表現には語弊があるだろう、とルードヴィッヒは思った。彼は確かに、その心の中さえ覗ければ怯えを秘めていたかもしれない。だが、現実に彼の言葉となって出てくるものは諦めにも似ていた。

 やっても仕方がない、わかりきったこと。

 あまりにも明確な現実。

 目の前に提示された事実。

 覆せない絶対的なもの。


「僕はやっていただきたい」


 なおも食い下がると、ギヨームは眉を顰めた。


「なぜだね?」

「それがアドルフ氏が人間だという証明になるかもしれないですから」

「奴は吸血鬼だろう」

「では、違ったらどうです? あなたは医者でしょう、調べることはできるはずです」

「だが、人間の体は聖水でも銀でもあんな風になりはしない」


 二人は無言で対峙した。

 グースは気まずそうに気配を消して縮こまった。奥の部屋から、歯車のかみあう音がする。スチームの排出音がかすかに聞こえる。時計の秒針の音が混じる。窓から小さな音がした。

 コツコツと指先で窓を叩くような音に、全員がぎょっとして振り返る。

 窓の外から、金の目が二つ覗いていた。それは小さな嘴で窓をいっしょうけんめいに叩いている。そのたびに、コツコツという音がした。吸血鬼でも眷属の蝙蝠でもなく、小さな梟だ。ギヨームは目を剥いた。

 ルードヴィッヒは正体に気が付くと、親指で窓を示した。


「ちょっと失礼。開けても?」

「お前さんの鳥かね」

「ええ、まあ」


 ギヨームは目線だけで許可を示した。

 ルードヴィッヒは片手をあげて礼を示すと、窓に近づいた。鍵を開け、窓を開けてやる。フクロウはそのまま中にぴょいと飛びこむ。夜闇の中から茶色い雑多な色が鮮やかに。フクロウは近くのテーブルの上にとどまった。その小さな足に括りつけられた荷物を外してやると、ふるふると羽根を震わせる。

 フクロウが持ちこんだのは、箱が一つと封筒が一つだ。

 箱はひとまず置いておき、手早く封筒を破る。折りたたまれた手紙を取り出して広げる。数枚の紙に書かれている文章へ順に目をとおす。ルードヴィッヒはそのまま黙り込んだ。

 ギヨームはしばらくその様子を見ていた。


「窓は閉めておいてくれ」


 踵を返し、奥の部屋へと進む。


「グース、手伝ってくれ」


 準備の続きに入りながら、後ろを見ないまま声をかける。


「なに、死体を見せようってわけじゃあない」


 グースはしばらくギヨームとルードヴィッヒを見比べていたが、やがて立ち上がるとのろのろとギヨームについていった。

 ルードヴィッヒはというと、文章を読み進めるにつれて手がわなわなと震えはじめた。震える文章をさらに読みこみ、二枚目へと目を滑らせる。肩をいからせ、憂いに満ちた灰色の目が見開いた。


「これを待っていたんだ!」


 叫びが口をついた。

 歓喜の震えだった。

 小さくガッツポーズをしてから、急に憤る。


「遅い! 遅すぎる――この答えが早く出ていれば――けれどもいいほうだ。今更いってもどうしようもない」


 ギヨームが声に驚き緩慢に振り返ったとき、ルードヴィッヒはすでに動いていた。


「いいですか、ギヨームさん!」


 ルードヴィッヒはいぶかしげなギヨームに飛びつき、彼を困惑させた。


「僕はこれを待っていたんです、もし僕が間違っていると思うなら、それこそぜひともアドルフ氏を解剖していただきたい。いえ、そうでなければ、いますぐアドルフ氏の遺体をきちんと供養して埋葬するべきだ。でなければ――」


 ルードヴィッヒは興奮を抑えた。

 その表情は一瞬にして硬くなる。


「吸血鬼は再びこの町に現れるでしょう」


 アドルフは吸血鬼であり、既に斃された身であると確信する人間を説得するにしては、いささか奇妙だった。

 だが冗談でもなければ何かをほのめかしているわけでもない、ただ事実だけを述べている。そう信じさせる程度には真摯で、いっそ冷徹でもあった。そのただならぬ迫力にギヨームは気圧され、しばらく告げるべき言葉を見つけられないでいた。この男をこれほどまでに真剣に――あるいは喜ばせる事実とはいったいなんなのか。ギヨームははかりかねていた。ああ、とか、うう、とかいう唸りばかりで声にならない。


「いったいどうしたっていうんだ?」


 ようやく声が出たときには、ありきたりな言葉しか出なかった。

 しかしルードヴィッヒは、そんな困惑をものともしなかった。


「この証拠によって、アドルフ氏が人間である可能性を示唆することができる――つまり、あなたにもっと精密な調査をしてもらうことができると僕が思っているからです」

「なんだって?」

「たとえアドルフ氏が人間であっても、ああいった状況を作ることができる。そういう物質が使われたという証拠がここにあります」


 ルードヴィッヒは飛び跳ねるようにフクロウへと取って返した。その近くに置かれた箱を、躍るように手にとる。


「そもそも彼は衣服ごと溶けていたんです。これもそのひとつです。これはアドルフ氏の死体の、ナイフ近くの焼けただれた周辺についていたものです。犯人はボタンのことなど頭になかったか、もしくは――まあ、そこはおいおいわかるでしょう」

「犯人だと?」


 ギヨームは叫んだが、ルードヴィッヒはまるで意に介さなかった。手紙をテーブルへと置くと、片手に乗せた箱を開く。その中に安置されたボタンを見せた。


「これはアドルフ氏の衣服から採取したものです。特に火傷の激しかった場所にあったものですが、不思議なことに金が溶けてしまっています。元々このボタンには意匠が掘りこまれてあったようなのですが、それがすっかり無くなって消えている。大切なのは、このボタンはまちがいなく上の――表面は金で作られているということです。なんとまあイカレた趣味――いや、申し訳ありません。とにかくこの金のボタンは、なぜ溶けてしまったのでしょう? 聖水によって衣服まで溶けてしまったというのでしょうか? いや、それだけではありません! あなたは本当に死体をはっきりと見たんですか? なぜこのボタンだけは溶けているのか――なぜナイフは変質していたのか? 体から出ている部分もが!」


 次第に興奮していったルードヴィッヒは、そこで言葉を切った。

 冷静さを取り戻してから、静かに続けた。


「金を溶かし、銀は溶けていない。吸血鬼ならばともかく、物質に対して作用するなど――聖別されたとはいえ、塩水でしかない聖水の反応ではありませんね。ではこれはいったい何なのでしょう。その解答がようやく返ってきました」


 確認するようにルードヴィッヒは畳みかけた。

 箱を置き、代わりに手紙を手にとる。それをそっと目の前で開く。解析の結果が羅列されている中で、その文字に赤い線が引かれていた。


「王水です」

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