4.依頼人と疑惑
執事に案内された食堂は、豪華そのものだった。
豪奢なテーブルが部屋を突っ切るように配置され、その周囲に置かれた椅子も細かな装飾がなされている。床はすべてワインレッドのカーペットが足音のほとんどを吸収し、壁紙も視界の邪魔をしない。豪華な食堂の見本のようでありながら、この家独自の空気と華やかさがあった。
だが、それらの品の良い調度品もすべて暗く沈んだように見えるのは、この町をとりまく事件が影を落としているからに違いなかった。
テーブルの上座で、青年は待っていた。焦げ茶色の髪に、頑丈な逞しさにあふれた目鼻立ちは、今ではすっかり青白くなっている。灰色のスーツに身を包んだ体もがっしりとしていて、健康的だ。しかし今ではその顔色と同じく、肩を落としてすっかり縮こまってしまっていた。彼はルードヴィッヒの姿を見て少々驚いたように目を見開いたが、やがてその表情をいくらかやわらげると、顔色もいくぶんか良くなったように思われた。
「はじめまして。グリム探偵協会より派遣されてまいりました、ルードヴィッヒ・エインです」
ルードヴィッヒが名乗ると、彼は勢いこんで立ち上がった。通路を足早に向かってくる。
「お待ちしておりました、探偵さん――ルードヴィッヒ……アインさん?」
彼は聞き返したが、ルードヴィッヒはあえて訂正はしなかった。綴りは同じであるものの、このあたりではそう発音するのだから訂正するほどではないと思ったからだ。
「ルードヴィッヒで結構です。あなたが依頼人のテオバルト・ヴェンデルス卿ですね?」
片手を差し出すと、その見た目に似合わずに両手で強く握りしめてきた。縋るようだと思ったが、口には出さなかった。
「はい。お会いできて光栄です。さあ、こちらへお座りください」
勧めに従って椅子に座ると、ようやく彼は落ち着いたように見えた。
テオバルトが向かい側の席につくと、入口の方でシェリーが監視でもするかのように見つめているのに気が付いた。
受け取った依頼書の内容を思いだす。
確か、テオバルト自身も吸血鬼という疑惑を向けられていたはずだ。自然と、さきほど強く握られた手の感触を思い返す。
それから視線だけを戻し、慎重に事の次第を聞きだすことにした。
「手紙でも軽く読ませていただきましたが、詳しいことをお聞かせ願いたいのですが」
「ほとんどは電話でお話したとおりです」
テオバルトは咳払いをすると、両手を揉み合わせながら言った。
「今朝がた、旧聖堂で父の遺体が発見されました。発見したのは、エリス・ガードナーというこの町のシスターです。彼女は発見と同時に意識を失い、まだ目覚めてはいないはずです。今は叔父であるヨハネス神父が現聖堂の方で面倒を見ているようですが」
「遺体の状況は、確認されましたか?」
「一度だけ。顔の確認のために行きました――間違いなく父でした。遺体と、遺体のまわりには聖水があちこちにばらまかれていました。それから銀のナイフが胸に刺さっていて――、ナイフの周りの皮膚は、衣服ごとすっかり焼けただれていました」
そこで言葉を切ると、シェリーをちらりと見てから続けた。
「まるで吸血鬼の心臓を抉ったかのようでした」
淡々と説明を続ける様子は、父親が殺されたにしては酷く落ち着いているように見えた。しかしちらりと手に目をやると、指先が何度もテーブルを叩き、それをやめたかと思えば両手を何度も絡め合わせていた。
「それ以外は、現場も遺体も、朝のままです。誰も気味悪がって触ろうとはしませんし、何より、彼の――シェリーさんが来訪していたのはある意味で幸運ともいえました。私もまた吸血鬼であると疑われている身ではありますがね」
「では、調査の類はどうなのですか? この町にだって医者はいるでしょう」
「ギヨームという老人がいるのですが、すっかり怯えてしまっている始末で、どうしようもないのです」
ルードヴィッヒは息を吐きだし、椅子の背にもたれた。
「せめて死亡した時刻が大体でもわかれば良いのですがね――まあ、そこはおいおい説得するとしましょう。あなたが最後にお父様の姿を見たのはいつです?」
「ええと――確か、昨夜十一時くらいです。父は使用人たちもすぐに引き払ってしまいました。そのあと、私もすぐに眠ってしまったので……」
「わかりました、あとでまた幾つかお尋ねしたいことがあるかもしれません。続けてください」
「はい。捜査に関しては、ラインマーという警察署長が――署長といっても彼一人で切り盛りしていますけども――主導はしていますが、彼はどちらかいうと吸血鬼だと疑っているようです」
ルードヴィッヒはうなずいた。
「ですが、私は――私は、父は殺されたものだと思っております。そして何より、吸血鬼などではなくれっきとした人間であると信じています。あなたには父を殺した犯人を見つけていただきたい。むろん吸血鬼だというのなら……それなりの処理をして――いただきたい」
最後の方は小さく沈んでいた。
ルードヴィッヒはしばらくその様子をじっと観察していたが、やがて息を吐きだして両手を組んだ。
「わかりました。依頼をお受けしたからには充分に調査させていただきます」
「お願いします。私は此処を移動するわけにはいかないので」
テオバルトはそう告げると、懐から一枚の新聞紙を取り出した。号外のようだ。テーブルの上を滑らし、ルードヴィッヒへと差し出す。
「これはさきほど、ばらまかれたものです」
テオバルトは肩を竦めた。
今日の午前中のものにしては妙に皺が寄っていたが、その理由はあえて問わないことにした。他よりも大きな文字で、センセーショナルな見出しが躍っている。
吸血鬼城の後継者!
文責/マルク・オベール
ノースウェア発、三月五日。吸血鬼伝説が今再びよみがえる。
早朝のノースウェアにうら若き女性の悲鳴が響き渡った。
第一発見者である彼女の名はエリス・ガードナー。数年前より町の聖堂に従事する修道女である。若くして敬虔な彼女を襲ったのは、恐ろしい出来事だった。
彼女は朝の日課として、旧聖堂に安置された守護剣”吸血鬼殺し”に祈りを捧げている。
”吸血鬼殺し”とは、ノースウェアの住人なら誰もが知っているだろう。百年前、かつてこの町に現れた吸血鬼を斃すため、旧聖堂にて祈りを捧げられ聖別された特別な銀製ナイフのことだ。吸血鬼討伐により聖堂が建てなおされた今となっても、人々の真の心のよりどころとして旧聖堂に安置され尊敬を集める剣である。
今朝もまた彼女は祈りを捧げるため、旧聖堂へと赴いた。
彼女の悲鳴によって叩き起こされた人々が見た者は、床に倒れた彼女の姿と、銀のナイフを胸に突き刺された恐ろしい死体だった。
何より異様だったのが、死体に刺さったナイフの周辺はひどく焼け焦げていて、あちこちに聖水の瓶が転がっているありさまだったのだ。人々は一瞬にして何かを理解した。これは吸血鬼に違いない!
いや、いや、それともそんなことはあるはずはない。
しかし、その顔に人々は見覚えがあった――あろうことか、あってはならない人物の顔がそこにあったのである!
なんとそれは、かつて吸血鬼の住処となり、討伐が行われた邸宅を買い取ったアドルフ・ヴェンデルス卿であった!
誰もが驚き、目の前の出来事を疑った。
しかし剣が彼の体を焼いた今、それこそが何よりの証拠ではないだろうか?
それともこれはかつての吸血鬼の呪いなのだろうか。
はたまた、他ならぬエリス・ガードナー自身が吸血鬼ハンターとなったのか?
真実の一端は彼女の証言にかかっており、一刻も早い回復が待たれるところである。
「馬鹿らしい!」
テオバルトがいらいらしたように叫んだ。
彼はコップをわしづかみにして、中にたっぷり入った水を口に含んだ。自分の頭を冷やすように、冷たい息を吐く。
「いや、失礼。ですが、吸血鬼であると決めつけるような書き方には我慢がならなかったのです」
ルードヴィッヒは頷き、相手の怒りが落ち着くまでじっと口を噤んだ。
やがてテオバルトが長い息を吐きだし冷静さを取り戻し始めた。
「この記事には、シェリーさんのことはないようですね」
記事を目にしながら呟くと、入口からの視線を感じた。
「シェリーさんは偶然この町にいらっしゃったのですが、これが書かれた時には、まだ名乗りをあげていませんでした。依頼もされていませんでしたからね」
「依頼をしたのはどなたですか?」
「彼に正式に依頼をしたのはアレックス・ロウマンダーという画商です。彼は……父が吸血鬼であると頭から信じ切っていますので」
入口の方を見ると、シェリーがにやりと笑っていた。
「彼は今、どちらに」
「客室にいます。昨日から滞在しているので――私の監視を兼ねてね」
この返答には少々虚を突かれた。
「ちょっと待ってください。順番にご説明いただきたいのですが、どういうことですか?」
「ああ、申し訳ありません。実は昨夜、ちょっとした夕食会を開いたのです。アレックス氏だけでなく、今この邸宅にはその客人たちが四人泊まっているのです。全員、昨日の午後から滞在しています。残りの三人は、父の専任細工士でフランク・オーウェン。国の元貴族のデニス・ブラウム氏と、その娘のリエール嬢です」
「では、昨日の夕食会にはその方々がいらっしゃったのですね」
「いえ、あと二人――第一発見者の――エリス・ガードナー嬢と、その叔父のヨハネス・ガードナー神父がおりました。そこに私と父をあわせた八人です。聖堂の雑務があるといって、十時前にはお帰りになられましたが」
「……ほう。どうやらみなさん、親しいご友人のようで」
「……いえ、顔見知りではありました。父が旧聖堂を――実質的に買い取ったのです。もっと詳しいことは、ヨハネスさんが話してくれるでしょう」
テオバルトは視線を外した。
これといった反応はしないでおいたが、奇妙な符丁を感じずにはいられなかった。
「アレックスさんも昨日の夕食会までは上機嫌でした。今朝に事件を知るまではね。彼もまた父を吸血鬼と信じ、私のことも疑っています。私があなたがた探偵協会に依頼することも渋っていました。ですが、シェリーさんというヴァンパイアハンターが滞在していることを知り、彼に依頼をしたのです」
「……わかりました。他の方々にも――もちろんアレックス氏にも――ぜひお話を伺いたいですね」
「ええ――はい――みな――話してはくれるでしょう」
テオバルトの顔には苦難の色が浮かんでいた。
ルードヴィッヒは立ち上がると、気が付かないふりをして続けた。
「まずは旧聖堂と遺体の状況を拝見したいですね」
「そうですか。ではローマンに案内をさせましょう」
テオバルトもまた立ち上がり、手を叩きかけた。だが、それを制止するように高らかな声が響き渡る。
「いや、俺が行こう」
二人は同時にシェリーを見つめた。
「アレックスさんの危惧を知ってるだろう? あんたやあんたの執事が金に物をいわせて、探偵の心と真実を変えてしまわないか――ってやつさ」
テオバルトは何も言わなかった。ただ困惑したように息を吐きだし、ルードヴィッヒを一度見たあとで、そういうことのようです、とだけ呟いた。
ルードヴィッヒはそんな彼を一瞥したのち、シェリーへ視線を向けると、少しだけ口の端をあげた。
「では、お願いいたします」
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