第3章 事件のおわり

26.誰がアドルフ・ヴェンデルスを殺したか

 フランク・オーウェンがふたたびヴェンデルス邸を訪れたのは、夕暮れ時も近い頃合いだった。


「父が何度か言っていたんです。自分に何かあったらフランクさんに渡すものがあるから、と……。内容は教えてもらえませんでしたが、たぶん本人が見ればわかると。なるべく早く渡すように言われていたんですが」


 呼びだしたのはテオバルト・ヴェンデルスだった。

 フランクは当初眉を顰めたが、次に飛びだしてきた言葉に肩透かしを食らった。


「申し訳ありませんが、わたしはまだ監視されている身でして。一緒に探すことはできませんが、それでもよければ……」


 少なくとも探しものの最中に邪魔をされることはなさそうだった。それで、フランクはため息をつきながらもヴェンデルス邸へと戻ってきたのである。この騒動がおさまるまでは近づくまいと決めてはいたが、そこはそれ。フランクは歩き慣れた階段を上へと歩き、まっすぐにアドルフの私室へと歩いていった。途中で何人かのメイドとすれ違ったが、ほぼ全員が青ざめ、疲れ切った顔をしていた。無理もない。

 扉の前に立つと、思わずノックをしそうになった。中に人はいないだろうに、長年の習慣というのは恐ろしいものだ。

 それでもし声が返ってきたりなどしたら……。

 フランクはポケットに手を突っ込んで、そこにあるものを握りしめた。

 自分を落ち着かせ、よく言い聞かせる。アドルフ・ヴェンデルスは吸血鬼として死んだのだ。フランクははじめて、ノックなしで扉を開けた。中へと足を踏み入れる。扉を閉めて顔をあげると、見慣れた景色の中で椅子がキィと動いた。ぎょとする。こちらに向かって背を向けていた椅子がぐるりと回り、そこに座った人物がフランクを見る。


「ルードヴィッヒ……さん?」

「はい」


 ルードヴィッヒは短く応えた。


「な、なんだ。脅かさないでくれ」

「何の御用です?」

「ああ、いや――、アドルフに何かあったとき、私に渡すものがあると。私ならばおそらく理解できるだろうから、持っていってほしいといわれたんだ」

「手伝いましょうか」

「いや、私が探すからどうぞそのままでいいよ。説明が難しいんだ。それに、ファイルに入っているのか封筒に入っているのかすらもまだわからないし……」

「そうですか」


 ルードヴィッヒはあっさりと引き下がった。フランクは手近にあった棚の抽斗を開け、中の紙束を確認していく。チラシや広告しか入っていないのを見ると、次の抽斗に手をかけていく。


「ところで、きみはいったいここでなにを?」


 気になるのか、フランクはちらちらとルードヴィッヒを見ながら尋ねた。


「少し考え事をしていたんです。そのためにここを借りていたんです――もしよろしければ、僕の考え事をまとめるために協力いただけませんか?」


 フランクは今度こそルードヴィッヒへと視線をやった。


「ああ」


 だが、その視線はすぐさま戻る。


「いいだろう。聞かせてくれ」


 ファイルの中身をひとつひとつ確かめながら言った。めぼしいものがないのか、ファイルを手にとってぱらぱらとめくったあと、横に置く作業が続いている。


「フランクさんは――この屋敷をどう思います?」


 手が止まる。


「テオバルトさんに、引き払ったほうが良いとおっしゃっていたでしょう。今もそう思ってらっしゃいますか?」


 フランクは再び手を動かしはじめた。今度は戸棚に手をかけて、それらしいものがありそうな場所を探る。


「ああ、思ってるよ」


 深いため息とともに、黙する。その続きは誰もが思っている――この屋敷の者だけでなく、この町のすべての人間が。


「……ここは吸血鬼に呪われているかもしれないんだから」


 フランクはわかりきったことを口にした。

 アドルフが買い取って以来、その事実に誰もが心の奥で覆い隠されてしまった恐怖。取り払われてしまったわけではなく、確かにそこに残されていた恐怖。


「そうですね。確かにそうかもしれません。だからこそ」


 ルードヴィッヒはもったいぶって続ける。


「犯人には悔いてもらわねばならない」


 フランクは驚いたようにルードヴィッヒを振り向いた。


「犯人だって?」

「ええ、犯人です」

「犯人、だなんて……、確かに、アドルフを刺したという意味では犯人かもしれないが、さすがにその言い方はないだろう。吸血鬼なんだから」

「いえ。アドルフさんは人間ですよ」


 一に一を加えると二になるんだといわんばかりの、誰もがわかりきった当然のことのように告げた。フランクの手は完全にとまっていて、絶句していた。


「犯人のめぼしは大体ついていました。でも、動機がわかりませんでした。なぜ殺されたのか。そして、なぜ旧聖堂だったのか。あそこで何があったのか。アドルフ氏はなにゆえ旧聖堂にまで出向いたのか」


 ルードヴィッヒはフランクの反応を待ったが、彼は眉を顰めてよろめいただけだった。近くにあった棚に手をついて、困惑したような息を吐きだす。


「……では、少し話をしましょうか」


 ルードヴィッヒは立ち上がった。


「この町にはかつて吸血鬼が巣食い、人々は吸血鬼を恐れていました」


 窓の外を見る。夕暮れが迫りつつあった。

 夜が近づく。


「そもそも、吸血鬼とは何か――他者の血を栄養分とする魔物の〈総称〉です。空飛ぶフクロウやスズメを単に〈鳥〉と呼ぶのと同じようなものです。世界各地に様々な吸血鬼と呼ばれる存在がいますが、基本的に共通するのは死者であることです――、一度死んだあとに体の構造が作り替わり、魔物となって甦ったものです。多くの場合は昼間は眠り、夜間に血を求めて活動する」


 振り向き、視線をフランクへと戻す。


「あなたも知ってのとおり――この町にいた吸血鬼が斃されてしばらくあと、調査の手が入った山では、金の鉱脈が見つかりました。それは吸血鬼の恐怖を一掃する……はずでした。ところが、大方の予想に反したことが起こりました。金の存在は魅力でしたが、それ以上に鉱山の仕事はきついもので、事故どころか疲労や感染症といった体の不調だけでなく、ただの喧嘩が殺人に発展することもある。毎日どこかしらで死体が出たことでしょう。山のような死体……それによって人々は恐れた――吸血鬼の再来を。死体から吸血鬼が出ないように丁重に葬り去り、どれほど金塊があふれても、この町の人々は銀を尊び、信仰を失わなかった。その証拠に人々は新たな聖堂ができても旧聖堂を尊び、そこに安置された”吸血鬼殺し”へも祈りを捧げた」


 机に両手を添え、前を見据える。


「ここまでが前提です。では、今回の事件はどうでしょう? 旧聖堂で”吸血鬼殺し”が使われ、聖水があちこちに転がり、死体には火傷のような跡がある! これはもう吸血鬼で間違いないのではないでしょうか!」


 ルードヴィッヒは大仰に両手を広げた。


「では、そうなると誰が”吸血鬼殺し”を突き立てたのでしょう? まず、事故や自殺の可能性はないでしょう。”吸血鬼殺し”は硝子ケースの中に安置されていましたし、自殺するにも前日にパーティを開いておいてそれはないでしょう。彼には予定がきちんと詰まっていましたしね。では、”吸血鬼殺し”が自ら殺したのでしょうか?

 その答えを出す前に……旧聖堂にはちゃんともうひとりの人間がいたのは確実なんです。吸血鬼はそもそも、誰かに招き入れられないかぎり他者の領域に入ることができません。旧聖堂はヨハネス神父の管理のもとにあり、そのうえ老朽化が進んでいて、住人の減少によって維持費もぎりぎりのところでした。危ないからという理由で普段は鍵がかけられている。旧聖堂はヨハネスさんからアドルフ氏に売り渡されることが決まっていましたが、正式に売却が決定するのはなんと、殺された次の日のことでした。となると、アドルフ氏が吸血鬼なら、招き入れた何者かがいたはずです。――旧聖堂の鍵は、聖堂のほかに、石階段の横に隠されたものがありました。それを知るのはヨハネス神父と第一発見者でもあるシスター・エリス。そしてアドルフ氏も知っていました。ですが、鍵がかかっていようがいまいが、吸血鬼の習性は変わりません。昨日の昼までは確かにヨハネス神父の管理にあったのですから。

 そうなると――、招き入れたのはヨハネス神父かシスター・エリスということになります。この二人のどちらかが旧聖堂に招き入れることができる。

 しかしこの二人はどちらも自分ではないと言っています。そうなると、この二人のどちらかが嘘をついていることになりますが、その記憶が失われているという可能性も存在します。しかしいずれの場合も、アドルフ氏には協力者ないしは従者が存在したはずです。従者は主を殺した者をシスター・エリスと断定し、仇討ちとして殺した……というシナリオが成立します」

「では、やはりシスター・エリスが……?」


 ようやく顔をあげるフランク。


「いいえ。彼女ではありません。彼女はもっと理不尽な理由で殺されたと僕は見ています」


 きっぱりとした否定に、フランクはふたたび黙りこんだ。


「そもそも本当にアドルフ氏は吸血鬼なのでしょうか? 吸血鬼であるなら一度死んでいる必要があるわけですが、なにも死んですぐに吸血鬼になるわけではありません。正統な供養がなされなかったり、きちんとした埋葬がされなかったりした場合です。そもそも彼はごく普通に昼間出歩いていますからね。

 逆に、アドルフさんが人間で、旧聖堂に吸血鬼を招き入れた結果、吸血によってその場で吸血鬼にされた後殺された……と考えると、それはそれで今度はシェリーさんやエリスさんへの襲撃理由がわからなくなります。……では、本当は彼は何者なのでしょう?」


 ルードヴィッヒは言葉を切ると。懐から小さな木箱を取り出した。蓋を開け、机の上に置く。中身だけがフランクに見えるように持ちあげた。


「なんだかわかりますか?」

「ボタン……かね?」

「このボタンが、本来そこにあるはずのない物と、存在を浮き彫りにしてくれました。

 これは、アドルフ氏の衣服についていたボタンです。それも、彼の体のただれた部分に。これは金でできていましたが、衣服の他のボタンと比べて装飾が崩れて……いえ、むしろ金そのものが溶けてしまっています。

 そもそも吸血鬼化するのは肉体だけで、衣服が永遠になるわけないじゃないですか。それなのにアドルフ氏の死体は衣服も溶けてしまっている。戦闘でそうなったんでしょうか? いやまさか、聖水は、聖別されていなければ塩水ですよ。衣服は百歩譲って切り裂かれたりするとしましょう。では金のボタンは?

 ――僕はすぐさま回収して調査に回しました――そもそも金を溶かすような物質がそうそうあるわけじゃありません。答えはすぐに見つかりました。濃塩酸と濃硝酸の化合物――すなわち王水です。錬金術師たちによって作られた、金をも溶かす水――唯一の酸です」


 ルードヴィッヒはいまだ黙り込むフランンクに続けて言った。


「錬金術師たちは、あなたも知ってのとおり。今やほとんどが水晶電池や水晶動力の精製を主体にする者たちです。しかし、錬金術という言葉が指し示すように、その初期においては、彼らは金を作りだすことを目的としていました。もちろんこの話はそれほど単純ではありませんが、ここでは省略しておきましょう。現在でも魔術的なことを行う錬金術師たちは、金の生成を夢見ているそうです。ですが、肝心の金がどんな酸を用いても溶けなかった。しかし――十字軍の遠征のおり、イスラムの錬金術師たちによって作られた王水はヨーロッパに持ち帰られました。そこからこのヨーロッパは発展したのです」


 コトリと小箱を机に置く。


「王水は金を溶かしますが、銀に至ってはそうではありません。銀はその特性上、王水に対して反応がとても遅い。というのも、銀は塩素に反応して塩化銀を作りだしますから、そのため内部に浸透せずに溶けないのです。

 ここまでくれば予想はつくかと思いますが、吸血鬼殺しからこの物質が発見されました。不思議なことに、この反応はナイフの、体から外に出ている部分に顕著です。ということは、聖水をぶちまけてからではなく、刺されてから王水をかけられたことになる。いったいなぜ? トドメをさすためでしょうか? それならなおさら聖水でいいはずだ。 使いきっていたんでしょうか。

 僕はギヨーム老に解剖を頼みました。ギヨーム老は死体を見ただけで吸血鬼と判断し、既に関わりたくもないという状況でしたが……、王水が検出されたことを話したら、しぶしぶながらも解剖してくれましたよ。いや、驚きました。なんと刺されていたのは心臓ではなく肺で、刺されてもしばらくは生きていたというんですから!

 ……といっても、肺を刺されれば急激に縮まり、おまけに動脈が傷つけば肺の中は血で満たされます。呼吸困難と出血多量。これが死因でした。

 死者としてよみがえったものに生活反応が出ることなどあるでしょうか。再生能力はもちろんありますが、聖なる力を宿した武器で刺され、刺されたままなのに、再生することはまずありません。つまり彼は死の直前まで確かに人間だったのです。

 おまけに、王水で崩れた皮膚のほうには生活反応がありませんでした。つまり、死んだ後に王水をかけられて、じわじわと死体を溶かされながら、まわりに聖水をばらまかれた。カーペットのシミは死体の下にはなかったそうですからね」


 ルードヴィッヒは息を吐いた。


「……そうなると話はずいぶんと変わってきます。単に殺人が起きただけでなく、吸血鬼が死んだように見せかけようとした……そういう話になってきませんか? なにしろ死体を溶かそうとしたなら聖水はいりませんし、本当に吸血鬼だと勘違いしていたなら、聖水は周りではなくそのままぶちまければいい。しかも、トドメを刺せばいいわけですよ。

 しかもこの町にはそれを信じさせるだけの要素が詰まっていましたからね。

 しかし、それと同時に――人々は、この事件が殺人であることを恐れていたように思いましたけどね。おそらくそれは、吸血鬼が死んだという幻想を信じる方が、はるかに受け入れやすかったからでしょう。殺人であると認めることは、この静かで小さな町に人殺しがいることを認めることになる。もしかすると隣人がそうかもしれない。現実的な恐怖よりも、幻想的な恐怖を選んだ。しかしその為に大きな矛盾をはらむことになりましたが。

 ともかく犯人は事が露見することを恐れていたのでしょう。うまくやり過ごさねば警察の捜査が入り、犯人として断罪される恐怖――、しかし、もし殺されたのが吸血鬼だったら……? 殺した者は英雄となり、死体は警察ではなく教会の手に渡り、すぐに焼かれることになる。

 あるいは、犯人は同時に吸血鬼の存在をも恐れていたのかもしれません。つまり、今しがた殺した相手が吸血鬼として蘇ることも避けねばならない。そうなれば復讐されるかもしれないし、それこそ人殺しとして断罪されかねない。遺体を下手に隠したり、鍵をかけなかったりしたのは、むしろ早く見つかることを前提にしたのかもしれません。翌朝になれば神父かシスターのどちらかの手によって発見されるわけですから。なんならその二人のどちらかの仕業ということになるかもしれない……いずれにしろ教会によって焼かれることで終わりにしようとした。もちろんテオバルト氏の存在がありましたから、うまく立ち回ることも必要だったでしょう。

 しかし、犯人にとって予想外だったのがヴァンパイアハンターの存在でした。

 吸血鬼狩り《ヴァンパイアハンター》シェリー・アッカーソン!

 彼が待ったをかけたことで、火葬は一旦見送られることになった。本物のヴァンパイアハンターが調査すれば、実は吸血鬼でなく殺人であることがばれてしまうかもしれない。吸血鬼と人間は似て非なるものですからね。しかも、それを皮切りに調査員まで派遣されることになってしまった――まあ、僕のことですが。

 シェリーさんへのあの襲撃は、僕とシェリーさんが二人そろっていなければならなかった。なるべく早いうちに、そして夜のあの時間に暗い道をとおることは、犯人にとって好都合でした。

 あれは吸血鬼ハンターへの牽制のほかに、僕の認識を変えることも理由にあったと思われます。吸血鬼ハンターへの襲撃を見せることで、アドルフ氏が本物の吸血鬼であり、その調査をしているハンターが襲撃された、という理由づけになりますからね。まかり間違って僕に当たっても良かったのでしょう。

 そしてそこから逃げ去る途中、犯人は出会ってしまったんです。

 ……シスター・エリスに。

 それは偶然の賜物だったんでしょう。何しろ、先に吸血鬼ハンターに怪我を負わせて牽制させているというのに、その直後の犯行ですから。計画的であるならせめて一日くらいおくべきだと思いますしね。

 シスター・エリスは十字架に手をかけることもなく、安らかな顔をしていました。つまり、目の前に現れた人物は、当初なら警戒する必要がなかったのではないか……と僕は思いました。アドルフ氏が吸血鬼だと信じている彼女は、もしそこに屋敷の……例えばテオバルトさんやローマンさんが現れたのなら、まちがいなく警戒したはずでしょう」


 ルードヴィッヒはゆっくりと片手をあげていった。握った手の人差し指と親指だけをあげ、銃を構えているようなポーズをとる。


「犯人にとっては、そこで顔を見られたことのほうが重要でした。遅かれ早かれ、シェリー・アッカーソン襲撃は知れ渡ることになる。そして自分がそこにいたことを、エリスさんの口から漏らされてしまうでしょう……」


 そして、フランクに向けていた銃口――人差し指を、撃つような仕草をした。片手を広げ、ポケットの中に突っ込むと、つかつかと歩き始めた。


「ですが本来、犯人は――シェリーさんを恐れる必要などなかったんです。冷静になってみれば、彼は通常、吸血鬼ハンターが持っているべき、そうですな、”七つ道具”ともいえるものを持っていなかったの。ハンターなら必ず持っているはずの黒い鞄と、吸血鬼対策用の七つ道具。

 僕は常々おかしいと思っていました。彼は常に手ぶらでしたからね。ですが、彼の部屋でちゃんと見つけましたよ、黒い鞄は。ええ。中は札束と宝石でいっぱいでした。一、二週間ほど前に、東のクルズベリーの村で詐欺騒動があったと聞いて、もしやと思って連絡を入れたら……なんと、件の盗賊はシェリーさんだというじゃないですか!

 つまりシェリーさんもまた吸血鬼が死んだものと思いこみ、これ幸いと別の存在を示唆することで金を巻きあげようとしたただの火事場泥棒だったんです。

 そしてこれが、犯人の間違いのもとだった。

 おかげで犯人はしなくていい間違いをし、さらには罪を重ねてしまった。シェリーさんの足に残っていた銃弾と、シスター・エリスの体に残された銃弾が一致しました

 さあ、ここで先ほどの問題に戻りましょう。

 そもそもなぜアドルフさんはあの夜、旧聖堂に向かったのでしょう? 招き入れられたわけではないのなら、必ずそこに理由があるはずです」


 ルードヴィッヒは歩みを止め、懐から半分焼けた紙を取り出した。


「僕はこのメモ書きを食堂で見つけました――”今夜十二時に、私の部屋へ。”

 おそらくアドルフさんはあの日、特定の人物のテーブルの前にこの紙を置き、部屋へ誘導した。パーティなら必ず席がありますからね。その人物は他の人間が来るまえにこれを見て、暖炉で処分したんです。

 アドルフさんはあの夜、普段よりも早く人払いをしました。それは、旧聖堂へ行くのを誰にも見られないようにするためではないか、と僕は思いました。リエール嬢まで脅して――こんな夜にはヴァンパイアが出るかもしれない――などといってね。

 しかし、リエール嬢は見ていたんです。何者かが屋敷から出て行くのを。使用人たちが使う鍵は普段通りの場所から動いておらず、残りの鍵を持っているのはアドルフさんだけのようでしたしね。そうして旧聖堂まで向かった。

 ……何のために?

 そう、なんのために彼は旧聖堂まで向かったんでしょう? 僕にはそれがわからなかった! 彼が人間なら確かに何らかの理由があって旧聖堂まで行ったに決まっていますね。話をするだけなら私室でもできるはずです。呼びだした人間もいるんですから!

 調査を進める内にわかったことがありました。彼が買い取り、所有していた鉱山は既に機能しなくなっていた。なにしろだいぶ以前から金が採れなくなっていたんですからね。それだけならまあ、よくある話でしょう。ところが話はより深刻でした。じっさいに鉱山へ行ってみると、なんと一年前から崩落事故で誰も立ち入れなくなっているじゃないですか! しかも、その後始末さえされていない! それでもアドルフ氏はなんとか鉱山が稼働しているように見せかけていたようですが。そうなると、最近のアドルフ氏の金の扱い方も納得がいきます……。

 ……フランクさん。あなたは金の管理をしているだけと言っていましたが、じっさいはアドルフ氏と組んで金を加工してから売りに出していたようですね? ええ、知っています……。おそらく、アドルフ氏は……いえ、あなたがたは、金探しに奔走したんでしょう。

 ”吸血鬼殺し”は銀のナイフであると誰もが思っていますが、金の装飾が加えられています。まるで儀式用ででもあるかのようにね。そしてそれは厳重に保管されていて、手入れが加えられていました。吸血鬼との戦闘中に零れ落ちてしまったというなら、旧聖堂のどこかで見つかるはずです。しかし、どこにもなかった。それも、無理やり剥がしたような傷跡までついていました。あなたがたは”吸血鬼殺し”についている金すらも必要とするほど追いこまれていたんだ。

 長らく聖堂側に保管されていたそれは、鍵がなければ入れない。しかし鍵の位置を知った今――”吸血鬼殺し”が旧聖堂にあるうちに手を加えなければならなかった。剥がれなければ王水でもなんでも使うつもりでいたんでしょう。

 それに、”吸血鬼殺し”はかつてレプリカが作られて家庭に配られていたようですからね。金細工の複製を作るのも簡単でしょうし。……まあ、そこまで考えていたかどうかは僕にはわかりませんが。

 いずれにせよあなたがたはそんな金ですら回収したかったんだ。……より多くの金細工のために。あなたがたはタングステンを使って、金を偽装していたんですね?」


 ルードヴィッヒは答えを待つために黙ったが、フランクは何も答えなかった。その顔は青ざめている。


「……アドルフさんの手帖にも書いてありましたからね。”Wを使うこと”。Wはタングステンの元素記号ですし、あなたのところにタングステンがあったということは……共謀していたということでしょう。だいたい、タングステンはその重さから金の偽装によく使われる手です。ええ、あなたのアトリエから見つかったそうですよ、大量に。ええ、はい。類まれなる盗賊殿に忍び込んでいただきました……少し脅してしまいましがね。可哀想なことをしましたが、それくらいは許されるでしょう。いずれにせよあなたのところの金細工をひとつふたつ壊すか、王水に浸せば、もう話は早いかもしれませんね。

 そもそも、ボタンを溶かしたのが王水だと気付いた時点で、僕はあなたに注目していました。

 錬金術師といいましたが、この町では日常的に王水を扱う人々がいました。彼らは今や数を減らし、あなたひとりになってしまった……。あなたは金細工の職人ではあるが、かつての職人のように、買い取りや売却、保管も引き受けていた。あなたがたは金を買い取る際に、試金石と王水を用いて、含有量や本物か偽物かを調べるんですから。

 結局僕は、ずっと動機を探していました。あなたがアドルフさんを殺す理由を。もしかすると、あなたはアドルフ氏にいいように使われていたのではないか、と思いましたが。あるいは、あなたがとっくにタングステン入りの金細工を売りさばいていたことを知っていた……とか」

「……そうだ」


 急に聞こえた声に、ルードヴィッヒは顔をあげた。


「アドルフとは、よくやっていたつもりだったよ。私とアドルフは共謀者だったからな。アドルフはこの町と鉱山にしがみついていたんだ。旧聖堂と土地を買い上げ……資料館だか博物館だかを作ろうとする程度にはな。奴はそれで人を呼べると考えていたんだ。奴の商才はその程度だったんだよ。馬鹿な奴だ」


 フランクは笑ったが、自嘲するようだった。


「金は年々どころかここ数年まったく採れなくなっていたよ。アドルフも焦っていたんだろう。そのくせ、あんなふうに……鉱山が動いていると見せかけ、時間稼ぎをしてたんだ。金は少なくなってはいるものの、採れていると思わせるように……わたしにタングステン入りの金細工を作らせて……。私への分け前はいつもほんの少しだった。でもその金額で納得しなければ、私がやったことをばらすといわれたんだ。つまり……、他の人間が預けた金塊を、着服していたという事実を!」

「ああ……」


 二人の間にあった弱みは、他ならぬフランクの言葉によって説明された。


「わ、私のやったことは、訴えられれば負けてしまうんだ。それを……それを黙っている代わりに、言うことを聞けと! それ以来、奴は私の……そう、それこそ私の血を啜るように、私からすべてを絞り取っていったんだ!

 吸血鬼殺しの金細工まで外そうといわれたときは、正気を疑ったよ。それでも私はそうしなければならなかった。でも、私は恐ろしかった。私は彼とはちがってここで育ったからな。夜の旧聖堂は不気味だった……、神が見ている。あそこには神がいたんだ。私はこれ以上できないと言った。いくら偽物を作ってきたといっても、ヨハネスにはわかってしまうんじゃないかと怖かったからね。

 そうしたら――そうしたら、奴はなんて言ったと思う? 奴は私をわけのわからないことばで罵ったあと、全部ばらすと言ってきたんだ! 私が横領したことも! 私がタングステン入りの金細工をばらまいていたことも! そんなことをされれば、当局に捕まってしまう。すべての終わりだ、破滅だ! 私はアドルフを落ち着かせようとしたが、まったくの無駄だった。奴は激高していて、落ち着かせることも無理だったんだ。なんとか冷静になって話をしようとしたが、奴にはもはや――だから私は――私は、目の前にあった剣で――」


 無我夢中に刺した。

 吸血鬼は吸血鬼殺しによって殺された。


「一度家に帰りたいと申し出たのは、血のついた衣服の処分のためだったんですね? そしてそのとき、僕らが鉱山へ行くことを知り――そしてエリスさんと出あってしまった」

「そうだ。あれはチャンスだった。お、お前らがかぎまわるから――私は何も悪いことはしていない――あ、あのシスターだってそうだ。私はシェリーを脅すだけのつもりだったんだ。それなのに、あんなところで出あうから――その銃はいったいなんですか、などと聞くから! 私を見たから悪いんだ。運が悪かっただけだ」


 ルードヴィッヒは肩を上下させるフランクを、冷たい目で見つめた。


「フランクさん。あなたは……」

「私は吸血鬼を殺しただけだ!」


 吸血鬼は殺された。

 だがそれはただの人間だ。

 フランクは肩を上下させながら、汗をびっしょりかいている。ルードヴィッヒはしばらく黙り込んだあとに続けた。


「フランクさん……確かにあなたの言う通り、彼は吸血鬼――吸血鬼の如き人物だったのかもしれません。しかしですね、本当に気を付けなければならないのは――あなただ」

「なんだと?」


 彼は顔をあげ、不可解な表情をした。


「吸血鬼と化す人間の中には、特に神への信仰が強いものはなりやすいという研究があります。かつては改宗や破門が理由だといわれてきましたが、それだけでは吸血鬼になりえません。もっとも多いものは、直接的に神に背く行為、すなわち犯罪。罪を認めなかった者」


 ルードヴィッヒはじっとフランクを見つめる。

 彼はしばらくぽかんとしてルードヴィッヒを見ていたが、やがてぶるぶると震えだすと、奇声を発して近くのコレクションケースにぶつかった。中のものが揺らされ、がちゃがちゃと音をたてる。革装丁の本がぱたぱたと倒れ、豪華な額縁の鉱山所有者の権利書が棚と戸の扉の隙間に倒れて落ちた。ウィスキーがお互いを倒して、その拍子にグラスを隙間へと追いやる。鉱山を入口に、若い頃のアドルフの映った写真がひっくり返る。フランクは悲鳴をあげながら、ポケットに手を突っ込んだ。


「奴をとめろ!」


 ルードヴィッヒが叫ぶや否や、扉が開き、テオバルトがフランクをおさえつけようとした。ルードヴィッヒはテーブルを乗り越え、フランクの体を蹴り飛ばそうとする。遅れてラインマーが二人の所へばたばたと警察関係者らしからぬ手際の悪さを発揮して向かった。

 だがフランクの手には既に小さな小瓶が握られていて、喉の奥へと注ぎこまれた。


「吐きださせろ!」


 テオバルトが口の中に手を突っ込み、飲みこんだものをどうにかしようとした。だが、歯ががちがちと震え出し、噛まれたように邪魔される。

 フランクの口の中は次第に泡で溢れだし、やがてそれは一筋の血となってこぼれおちた。痙攣していた体が動きを徐々に止めたかと思うと、二、三度びくりと跳ねてから動かなくなった。


「なんてことだ」


 ルードヴィッヒはうめいた。あたりには静寂が満ち、誰もが言葉を失った。

 窓の外は暗く、すでに夜のヴェールに包まれていた。

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