25.「吸血鬼狩りシェリー・アッカーソン」

「やあ、シェリーさん!」


 ルードヴィッヒは勢いよく扉を開けた。

 ベッドが二つ。色あせた布が張られた衝立によって仕切られただけの簡素な入院部屋だった。その一番奥で、シェリーはぎょっとして振り返った。既に起きあがってはいたが、足をかばうような歩き方をしている。


「た、探偵?」


 それでも我に返ったシェリーは、すぐさま気を取り直した。ルードヴィッヒは茫然とした彼につかつかと近寄った。


「おはようございます」


 間近でにっこりと微笑むと、ぺらぺらと喋りだした。


「昨日あんなことがあったというのに、ずいぶんとお元気そうですね? まあ、蒸気機関の発達は医学面でも様々な進歩を促しましたからね。そのまま死を待つばかりの運命から逃れられる人々も年々増えております。薬草療法から鉱石療法まで今は数多の治療法に溢れておりますからね……魔女がかつて持っていた薬草園の植物たちもだいぶ名前が知られるようになりました。それらは聖女と呼ばれる方々が編纂したものとあまり変わりがありませんでした。その事実は世の人々に驚きをもたらしたわけですが、元より魔女と関わりを持った一部の人間からすると、たいていはそんなものだろうという印象でしたね。何しろその辺に生えていないような恐ろしいものはもっと巧妙に隠されているわけですから……」


 ルードヴィッヒはまくしたて、シェリーの肩を優しくつかむと、それとなくベッドへと座らせた。怪我人を扱う態度ではあるものの、言葉のほうはまったくちがうその剣幕に、シェリーは何事か尋ねるのも忘れて何度か瞬いた。


「い、いったいどうしたっていうんだ?」


 まだ続く話を慌てて止めようとしたのか、それだけ口にした。それを合図に、ルードヴィッヒはぴたりと口を閉じてじっと見据える。ようやく切れ目を掴んだシェリーが、その隙に口を挟む。


「ずいぶんとご機嫌だな? こっちは――なんだ、襲撃にあって酷い目にあってる最中だっていうのに。そもそも、今はいったい何時なんだ?」

「いやいや、申し訳ありません」


 ルードヴィッヒは跳ねるように言った。相手にも伝わったのか、いぶかしげな表情をしている。何がそんなに楽しいのか。


「シェリーさん。あなたにお客様が来ているのです。ぜひともあなたにお会いしたいという……」

「俺に? 一体、誰だ?」

「それは僕の口から言うよりも実際会っていただいたほうが早いと思いますね。ひょっとするとあなたも知っている方かと思われますが……」

「なんだ、そりゃあ? アレックスのおっさんか、それともヨハネスの神父殿か?」


 シェリーはますます顔を顰める。


「まあともかく、会ってみてくださいよ」


 ルードヴィッヒは振り返った。扉の向こうへ、どうぞとひとこえ呼びかける。

 すると、向こうからひとりの男が恐る恐る部屋へと入ってきた。そろそろと足を踏み入れた人物は、気の弱そうなひょろひょろした初老の男だ。顔をあげ、虚ろな目でシェリーを見つめる。訝し気なその顔が次第に真っ青になっていく。

 シェリーはというと、同じようにだんだんと顔が真っ青になっていった。やがて凍りついたかと思うと、ルードヴィッヒを見上げた。ひきつったような笑い顔をしている。

 反対に、男はわなわなと肩を震わせたかと思うと、今にもとびかからん勢いでシェリーを指さした。


「こいつだ!」


 肩を怒らせてぶるぶると震える指先。


「間違いない、こいつが……こいつが……!」

「し、知らん。俺はあんたのことなんて知らないぞ!」


 二人の叫び声に、ルードヴィッヒは割って入った。


「おや、ご存知なかったですか?」


 おかしいなあ、という意味をこめて言う。


「このかたはですね。鉱山を挟んだ東側にあるクルズベリーという村の村長さんですよ。なんでも、鉱山に魔物が棲みついたから退治の費用が必要だとか言って、金品だけ盗んでいなくなった強盗だか盗賊がいたとか……あなたの特徴を教えたらすぐにお返事がいただけました。むろん髪型や顔かたちだけでなく、そこに髭やかつらをかぶせたらどうなるかも添えました。いや、不思議ですねえ」


 ルードヴィッヒは肩を竦め、シェリーに顔を近づける。


「僕だっておかしいとは思っていたんですよ。吸血鬼ハンターにしては手ぶらすぎますしね。ハンターが常に持っているという黒い鞄はどこへ忘れてきてしまったんですか?」

「く、黒い鞄?」


 シェリーは青ざめた顔で急に笑った。


「そ、それなら宿にあるぞ。ハンターなら誰もが持っている黒い鞄が……」

「ええ。ありましたね。あんな無防備に置いておくなんて、不用心もいいところです」

「え?」

「既に拝見させていただきました。中身はハンターの必需品などではありませんでしたね。あなたの体から外した装備品も拝見いたしましたが、いやはや、あなたどうやって吸血鬼を斃すんです? 中身はすべて古い紙幣ばかりでした。それから袋に無造作に入った宝石類……実際見ていただければ誰の物であるかわかるでしょうね」


 シェリーからの返答はなかった。

 ルードヴィッヒは両手を後ろで組み、部屋の中をつかつかと歩き回る。


「杭はともかく、聖水やナイフは服に紛れ込ませることもできましょう。十字架や鏡だって大きさによってはそれも可能でしょう。たとえば吸血鬼は鏡に映りませんが、だからこそ鏡は気を逸らすのに有効です。確かに銃や杭に比べればそれほど重要ではないかもしれない……ですがあなたは、女のようだという理由で鏡を持っていなかった。これは違和感がありました。ダンピールでもない我々が吸血鬼を探しだすのには手は多いほうがいいですしね」


 やがて折り返し、シェリーのほうへ戻る。


「それに銃。銀の弾丸で撃ち抜こうという者は多いでしょうに。どうして効かないかもしれないなどといったんです? 一番誰にでも使える武器ではありませんか! もちろん銀の弾丸があればの話ですが、それでも後天性の吸血鬼には、生前の恐怖心で怯む者もいるでしょう。……吸血鬼に銃で挑むのはある意味正統派かもしれません……」


 シェリーの前まで戻ってくると、立ち止まり、ずいと覗きこみ、続けた。


「本物の吸血鬼ハンターならばね」


 ルードヴィッヒにはもはや笑顔はなく、無表情だ。

 その顔を崩さぬまま、じっと目の奥を見つめる。


「あなた本当はいったい何者なんです?」


 数秒間の沈黙。有無を言わせぬ目。見つめられたシェリーは静止したまま表情を失っていた。

 だが突然ばたばたと両腕で空を掻くと、シーツを跳ねのけた。ベッドの上から身を翻し、窓へと手をかける。その場にいた全員が取り押さえようとしたが、それよりもルードヴィッヒは素早くシェリーの撃たれた足を掴んだ。

 悲鳴が響き渡る。


「それは肯定ととってよろしいでしょうか」


 ひいっ、と小さな悲鳴があがった。

 もう片方の手で、ぐいと腕を掴み引き寄せる。


「耳の早い女将さんがいて残念でしたね」


 まだふさがってすらいない傷を中心に、手に力を少しずつ入れていく。真新しい包帯に徐々に血がにじんでいく。


「でもまさか、一週間前に消息を絶った詐欺師がまだこんなに近くをうろついてるなんて誰も思わなかったでしょうね――てっきり誰もが列車か何かで逃げたと思っていたら、鉱山沿いにこっちのほうまでやってきていた。あなたの誤算は、吸血鬼ハンターを名乗ったがためにこの町を離れられなくなってしまったことだ」


 ふたたびシェリーの叫び声があがった。


「僕としてはこのまま傷を広げていくより、あなたに手伝っていただきたいことがあるのですが……当然、やっていただけますよね?」


 ひとつひとつ、耳だけでなくその奥の脳髄にまできちんと響くよう、最後はゆっくりと告げる。

 シェリーは青ざめた顔をしながら、何度も何度もうなずいた。





 ルードヴィッヒは屋敷へとって返すと、アドルフの部屋をもう一度見せてもらうよう頼んだ。ラインマーはルードヴィッヒのことなどすっかり無視していたので、何をしようが構わなかったらしい。

 部屋の薔薇は水を替えられてはいたものの、どことなく元気がない。切り花の寿命など短いものだ。それでも、足をもがれてなおみずみずしく生きる花々は、人間に比べればずっとたくましい。古い街では蔦が古い歯車に絡みついて、どうにも火をつける以外に対処のしようがなくなった機械も珍しくない。

 アドルフの部屋の椅子に腰かけ、息を吐いた。柔らかすぎず、堅すぎず。座り心地が良い。これほどのものがあれば仕事もはかどるだろう。

 だが、この部屋にきたのはなにも事務仕事をするためではない。

 机の抽斗を開けると、中に入っている黒革の手帳を取り出した。中を開いて書かれた単語ひとつひとつを確認していく。他の抽斗も開き、中にある書類を片っ端から確認していった。立ち上がって棚も開ける。古臭い紙のにおいがした。カーペットも小さく叩きながら、その下に空洞がないかを確かめる。

 壁も同じように他と比べて異変がないかを確かめ、並べられた本のひとつひとつを指先で引きだしては何らかの装置が起動しないかを確かめる。その合間を縫うように、引き出しという引き出しを開けて中の書類を片っ端から調べ上げた。

 椅子と本を駆使して――行儀などはこの際すっぱりと無視してしまった――天井近くにまで手を伸ばしたが、これといった収穫はなかった。

 すべてが徒労に終わったあと、ルードヴィッヒは部屋の片付けもそこそこに椅子に腰をおろした。足を組み、ため息をつく。額を指先で撫でる。


 ――これはもう、怪盗紳士殿に任せるしかないな。


 あまりに陳腐な表現だと思いながら、ちらりと部屋の中を見回す。椅子はあらぬ方向を向いていて、本は散らばっている。読み取った文書はテーブルの上に山と置かれ、必要のないファイルが更に適当に置かれている。これを片付けるのも億劫だった。

 それでもいくらかは片付けておこうと、ルードヴィッヒは重い腰をあげた。

 手近につみあげられたファイルを、記憶をもとに元の場所へと戻していく。散らかすよりも難儀な作業ではあったが、次第に足場が確保されていった。何とか批難されない程度に部屋がもとの姿を取り戻してきたとき、不意にノックの音が響いた。


「どうぞ!」


 声を合図に扉が開く。

 そのとき、ルードヴィッヒはしゃがんでファイルを抱えている最中だった。入ってきたローマンはそんな彼の姿を見ても、批難を口にすることはなかった。ルードヴィッヒの目からすればずいぶんと片付いたが、もとの部屋を知っているローマンからすれば、批難されても仕方がないほどだったにも関わらず。おまけに立場としては客人であるくせに、すっかり部屋の主のようなふるまいのルードヴィッヒに対してもだ。


「グースさまがおいでです。ルードヴィッヒさまにお渡しするものがあると……」

「ああ、はい」


 ルードヴィッヒは立ち上がった。腕にたっぷりかかえたファイルを机の上に無造作に預ける。


「お願いします」


 ローマンは引き下がり、しばらくしたあとにグースを連れてきた。ローマンはグースをそこにひとり残し、また部屋から出て行った。グースは途方に暮れたような顔をしていたが、部屋に入ったとたんにその散らかり用に目を丸めた。


「やあ、グースさん」

「よう、……シェリーからの報告だ」


 すっかり連絡係のようになってしまったグースに、ルードヴィッヒは苦笑した。彼もまたこの騒動に振り回されたひとりなのだ。それに加えて、可哀想なことにこの屋敷にすっかり気おくれしてしまっていた。

 それはこの部屋が散らかされていても変わらなかったらしい。


「紙の類は……”何もなかった”そうだ」

「そうですか」


 ルードヴィッヒはあっさりと、失望も落胆もなく答える。そのことにこそ、グースは肩透かしをくらったようだ。


「だけど、ひとつ受け取ったものはあったぜ……これだ」


 グースはよれよれのポケットの中を探り、握った掌をさしだす。ルードヴィッヒの目の前で手を開き、中につかんだものを見せつけた。


「代わりに頼まれた物はあったそうだ。こいつは……いったいなんだ?」


 掌には、白灰色の鉱石がひとつ。


「やけに重いが、金塊じゃねえな。まあ、そりゃそうか。なんだか大量にあったそうだが」


 ルードヴィッヒはグースの手に乗ったそれをつまみあげた。見た目からはあまり予想できない重さが指にかかる。


「……タングステンですよ」


 言いながら、グースの手に戻す。


「はあ? なんの呪文だ」


 彼は困惑の表情を崩さずに尋ねたが、ルードヴィッヒはただ口の端をあげるだけだった。

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