24.老医師の所見

 ルードヴィッヒは聖堂で神父に別れを告げたあと、診療所に戻った。出迎えてくれる人間はいなかった。ひっそりとした室内。だが、まったく昨日のままというわけでもなかった。テーブルに目を向けると、そこに見覚えのない紙が一枚、無造作に置かれていた。

 ひとめで新聞だとわかる。おもむろに椅子を引っ張りだし、座りながら紙を手にとった。日付は今日。今朝出回ったばかりの号外だ。見出しの部分には、相変わらずセンセーショナルに、『終わらぬ吸血鬼事件!』と書かれている。

 そのまま文章へと目を走らせた。




 終わらぬ吸血鬼事件!


 文責/マルク・オベール

 ノースウェア発、三月六日。

 吸血鬼事件の恐怖はまだ終わってはいなかった。吸血鬼事件は新たな事件と被害者を出し、その呪いを確実に進行させている。それもたった一夜のうちにだ。

 まず一つ目の事件は、なんと、ほかならぬ我らが吸血鬼ハンター、シェリー・アッカーソン氏が襲撃を受けたのである。氏はかの探偵とともに、鉱山に続く道を町に戻ってきていたところ、凶弾に倒れたのだ。氏はすぐに医師ギヨーム老のところで緊急手術を受け、今は容体も安定しているとのことだ。

 しかし襲撃は突然であり、夜であったこともあいまって犯人のめどはいまだついていない。吸血鬼事件解決のために尽力してくれているハンター殿に対する宣戦布告ととっていいだろう。

 だが二つ目の事件はそれ以上に痛ましいものとなった。

 シェリー氏襲撃直後に、かのエリス・ガードナーが何者かによって殺されるという事件が起こったのだ。彼女は森の中で射殺された姿で見つかった。痛ましい死体は

 シェリー氏への襲撃、第一発見者であるシスター・エリスの死。これらの事件が、先のアドルフ・ヴェンデルス卿の事件と関連しないと誰が言えよう?

 彼女はやはり吸血鬼に神に代わって鉄槌をくだしたのだろうか?

 しかし、そうであるならばすべての説明がつくにちがいない。邪魔なハンターを牽制し、その隙に同胞か仲間かわからぬ人物は、アドルフ氏を斃した聖女を射殺したのだ。

 そうであるならば、彼女を撃ち殺した犯人は同じく吸血鬼か、はたまたそれに追従する恐るべき裏切り者であるのだろう。そしてそれはいったい何者なのか。あの吸血鬼城にいまなお君臨し巣食う者なのだろうか?

 もはや一刻の猶予もない。




 号外を読み終えたところで、ギヨームが精も根も尽き果てたといったように隣の部屋から出て来た。顔をあげると、テーブルにいるルードヴィッヒに気が付いた。了承なく入りこんだルードヴィッヒに怒鳴るでもなく、彼は体を揺らしながら近寄り、向かいの席に座った。顔をあげたルードヴィッヒを、複雑な目で見つめている。


「きみは」


 くい、と新聞を顎で示す。


「どう思うね」


 医者は仏頂面でゆっくりと言った。

 ルードヴィッヒが答えずにいると、彼はそれでも構わずに続けた。


「記者というのは気楽なもんだ。誰にでも納得できる答えをそれとなく書いておけばいいんだからな。だが、わしにはもう何が何やらまったくわからん」


 彼はため息をついて椅子の背に背中をあずけた。しばらく黙したままため息をつき、目元を片手で覆う。何度か擦った。その手を離すと、急に体を起こす。そうして棚の一つを人差し指で指し示すと、視線を戻す。


「ウィスキーをもらえんかね。そこの棚に入ってる。気付け用のやつだ」


 ルードヴィッヒは立ち上がり、老医師のために棚を開けた。半分ほど中身が飲まれたウィスキーを手に取る。中身がちゃぽんと音をたてた。気付けといったものの、医療用で使っているかは怪しいものだ。医者自身の精神安定剤だろう。隣に置かれた透明なグラスとともに、テーブルに置く。中身を注いでやると、ギヨームは手を伸ばして奪い取った。しばらくグラスの中の液体を眺めたあと、一気に飲み干した。情緒が台無しだ。唸り声をあげて、テーブルにグラスを置く。


「この話はまったくよくできている」


 だがそんなことはおかまいなしに、ギヨームは言った。それが新聞の号外の話だと気付くのに、ルードヴィッヒは僅かな時間を要した。


「肺を刺されるとどうなるかわかるか?」

「先生のほうがお詳しいでしょう」


 しれりとかわす。

 ギヨームは思ったとおりの解答を得られずに再び唸った。何度か体を前後に小さく揺らして、両手を膝の上に叩きつける。


「解剖したんだ」


 まるで、人を殺したとでも言わんばかりの表情だった。

 事件に関わった医者であれば何度か協力を求められることもあるだろうに、たったそれだけのことが、罪であるように聞こえる。


「わしには何が本当だったのかわからんよ――だが、わしはわしの見たものを信じる」

「ええ。どうかゆっくりとどうぞ」


 ルードヴィッヒが告白の続きを促すと、ギヨームは膝を撫で、言葉を探した。何度めかのためらいののち、切りだす。


「まず、いいか。あの”吸血鬼殺し”だが、肋骨の隙間を縫って肺に到達してたよ。肺だぞ? 驚いたことに、心臓には傷一つつけてなかったんだ!」


 膝を撫でていた両手を広げた。


「別に、驚くことのほどではないのでは」

「吸血鬼といえば心臓に杭を打ち込むものだろう」

「そりゃあ、……吸血鬼は、そうでしょうね」


 吸血鬼に下された鉄槌のように突き刺さった銀のナイフ。そして吸血鬼の一番ポピュラーな倒し方といえば、心臓に杭を打ち込むことだ。誰の目にもそう映った。”吸血鬼殺し”は心臓を貫いているのだと。もちろん完全にそう信じ切っていたわけでもないだろう。ただ、あまりの神々しさにそう錯覚してもおかしくなかったのだ。

 かつて吸血鬼を斃した町で、かつて吸血鬼を斃した剣で、突き立てられた場所に火傷を負った死体。

 吸血鬼が斃された。

 だが、わかってしまえばどうということはない。


「ギリギリのところで避けられていた。つまり――つまり、奴さんが……動きを止めたのは、”吸血鬼殺し”が心臓を貫いていたから、というわけではなかったのだ。傷つけられた肺は小さくなって呼吸困難を引き起こす」


 ギヨームは片手でナイフを握るような仕草をした。目の前に突き出し、見えない被害者の胸を突き刺す。


「犯人は、こう、ナイフを横にしてそのまま突きさした。勢いもあったのかもしれん。そのために肺にまで到達して、穴を開けた。そのときに動脈も傷つけていた。肺に血も流れこんでいたから、しばらくは生きていたが、パニックは起こしたかもしれんな。あっという間だったかもしれん。死因はだいたいこんな感じだろう。呼吸困難と、出血性のショックだ」


 手を下ろすと、ギヨームはコップを手にとった。ルードヴィッヒはそこにウィスキーの残りを注いでやる。


「それから君が指摘したものだが、確かにその通りだったよ」


 もはや礼のひとつもなかったが、ルードヴィッヒは気にしなかった。ギヨームは中身を先ほどと同じように一気に飲みほす。


「確かに衣服と体を”溶かした”のは王水と呼ばれる物質だった。それも――ふん、わざわざ死んだあとにぶちまけている。火傷のほうには生活反応はなかったからな。つまり死んでから液体をかけられたということになる。衣服にだけ穴が開いとったところもあったのは、こぼれたのが少量だったんだろう。あんな奴がわざわざ穴の開いた服を着ている道理もないがね。だいたい、吸血鬼なら衣服にだけダメージを負うなんてこと、ありえんだろう」


 彼はグラスを手で弄んだまま、じっとあらぬ方向を見ていた。遠い景色でも見るように、あるいは死の間際に遠い記憶に耽ったようにだ。その間、グラスは彼の手の中でずっと温められていた。


「アドルフは錬金術でもしとったのか」

「ヒドいジョークですね」

「わしは真剣に言っとるんだ」


 ギヨームは口を尖らせた。それでもまったく真剣には聞こえず、ルードヴィッヒは口の端をあげた。

 文句を言う気力も失せたらしく、まあいい、とギヨームは小声でつぶやいた。


「ああそれとな、シスター・エリスを殺した弾丸だが。シェリー殿の中に残っとったものと型が一致した。同じ銃を使ったのは明らかだ。死亡推定時刻は八時から九時の間ってとこだろう」

「何から何まで、ありがとうございました」


 ルードヴィッヒは立ち上がり、ギヨームの前に立った。頭を下げる代わりに、その手からグラスを奪い取る。テーブルの上に載せてウィスキーの残りを注いでしまった。半分以下しかないが、それを飲み干した。


「ごちそうさまでした」

「ふん」


 ギヨームは鼻で笑った。


「何年かぶりにこんなに働いた。いや、鉱山がまだ動いとったときから考えても、これほど働いたことはない。もう二度とないことを願うよ」

「それは申し訳ありません」

「あんたは――まあいい」


 言っても無駄だと思われたのかもしれなかった。

 ルードヴィッヒは思わず笑った。


「そういえば、シェリーさんはどうされました? 起きてます?」

「あん? ついさっき起きたときに、二、三日は安静にと言っといたよ。今はまだ隣の部屋におるんじゃないか」

「そうですか。では、今のうちにすませておけるかもしれませんね」


 ルードヴィッヒは踵を返した。

 ギヨームがいったいどういうことなのか尋ねる前に、窓から小さな音が響いた。以前のように肩を跳ねさせることもなく、二人は振り向いた。そのときと同じように、窓の下のほうには金色の目をした小さなフクロウがじっと見上げている。


「……ああ。お帰りなさい」

「なんじゃ、そいつは朝も飛ぶのか」

「ええ、まあ。多少無理をさせたのは否めないですがね」


 ルードヴィッヒは窓に近寄り、そっと開けてやった。中にちょいちょいと歩いて入ってくるフクロウは、今度は何も身につけていない。今度は何かと覗きこんだギヨームがいぶかしがる。

 ルードヴィッヒはフクロウを腕に乗せてやると、軽く頭を撫でた。


「荒いのは鳥だけにしておいてはくれんかね」

「すみません。性分でして」


 まったく悪びれない様子に、ギヨームは今度こそお手上げとばかりにため息をついた。


「謝罪ついでに、今から少しにぎやかになると思います。申し訳ありません」

「あんたの唐突さにはどうしても慣れないな」


 ギヨームはもう一杯酒を飲むために、今度は自分で立ち上がった。

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