22.宿屋にて
電話を借りてヴェンデルス邸に連絡を入れると、すぐにラインマーに代わってもらえた。
警察署長はなぜ死体を動かしたのかと憤慨していたが、状況は記録したことと、あなたにはそちらの警備を頼みたいからとごまかした。じっさいそれは事実だった。まだ何事か言っていたが、最後にはしぶしぶ了承していた。これだけの特例を頼むのもルードヴィッヒにとっては稀なことだった。
――責任を感じているのかもしれない。
電話を終えると、ルードヴィッヒは診療所を出て、宿屋への道をまっすぐに進んだ。
日付はとっくに十二時をまわっている。
歓楽街すらない――少なくとも今は見当たらない――小さな町は、沈黙に包まれていた。それでも今の静けさは異様だ。この町の住人でないルードヴィッヒがそう感じるのだから、じっさいの住人たちの心中はいかばかりであろう。
宿屋に辿り着くと、幸運なことにまだ女将は起きていた。シェリーが帰ってこないからと心配して起きていたらしい。
「おかえり!」
宿をとることなどすっかり忘れていたルードヴィッヒに対しても、女将はその言葉で出迎えてくれた。髪をダンゴにし、寝間着にクリーム色のショールを羽織っただけの姿だった。だがその普通さが安心を与えてくれる。
「それで、シェリーさんは?」
きょろきょろと辺りを見回す。
「ええ、彼のことなのですが」
ルードヴィッヒは女将にところどころ茶々をいれられながらも、なんとか説明を終えることができた。シェリーが撃たれたことやエリスが殺されたことは言わず、ただ怪我の治療のために今は診療所にいるのだということを告げた。説明を終えた時に多少ぐったりはしたが、それでも同じ話を繰り返さずに済んだのは幸いだ。
とはいえ女将も詳しい事情を尋ねることはしなかった。おしゃべりではあるが、そのあたりは弁えていたらしい。そこは商売人といったところか。
「そりゃあ心配だねえ。それじゃあ、今日は帰ってこないんだね」
「ええ」
ルードヴィッヒはうなずいた。
「それで、ひとつご相談なんですが……」
「なんだい?」
「治療の際に彼の靴を裂いてしまいましてね。さすがに起きた時に靴がないのでは不便極まりないでしょう。古い靴があったら譲っていただきたいのです。替えの服を持っていくついでに、彼の部屋でも代わりを持っていないか探してみるつもりでいるんですが、さすがに男性で靴の替えを持っている人はあまりいないでしょう。もちろんあとで僕が弁償するつもりでいますが、一時的にでも履くものがなければどうしようもありませんからね」
「ああ、そんなことなら任せといてよ!」
女将は大きくうなずいた。
「確か旦那の古い靴があったはずだから、探してみるよ」
「申し訳ありません。それと……」
「ええっと、二〇一号室だよ」
女将はカウンターへと体を揺らして入っていった。保管庫を開けて鍵を手にとると、振り返って手を差し出した。
「二階へあがってすぐ右だよ」
言うと、ルードヴィッヒの手に鍵を落としこんだ。
ルードヴィッヒは礼を言うと、鍵を握りこんで踵を返した。二階に続く階段へと歩み、登っていく。擦り切れた絨毯が敷いてはあるものの、木製の階段は足をのせるたびに軋んだ。
二階は左右に部屋が三つずつあり、右の手前側から奥に向かって番号が続いている。左は折り返しているらしく、四が割り振られている。まっすぐ続く廊下には壺や絵画といった装飾の類はなく、ひどく簡素だ。他の泊り客の気配もない。この分だと、宿屋としてはあまり機能していないのではないかと思われた。もはや酒場のほうがメインになりつつあるのだろう。
教えられた部屋はすぐ近くだった。鍵を入れて回す。古いタイプの扉であるせいか、やや緩んでいる。それでも問題なく扉は開いた。
さっさと扉を開けると、乱雑な部屋が目に入った。掃除がなされていないせいか、ベッドは布団が起き抜けのままだったし、タオルが見るも無残に落ちている。はたしてこの騒ぎでベッドメイクどころではなかったのか、一度借りたら清掃が入らないのか疑問なところだ。
――ハンターが所持するという七つ道具は、何だったかな。杭、十字架、拳銃、ナイフ、鏡、ランタン類。
それ以外にも何かあったはずだ。槌やニンニクを持ち歩く者もいるだろう。それらを黒い鞄の中に入れて常に持ち歩くのがヴァンパイアハンターである。正確さを求めるために梟便を使うのもありだろうが、今は遅すぎる。
ルードヴィッヒはポケットから手袋をとりだし、おもむろに両手に嵌めた。すばやくクローゼットに歩み寄ると、取っ手に手をかける。かすかに軋んだ音。扉は開かれ、クローゼットに光が入りこむ。中にあるのはトランクが一つきりだった。持ち主のおおざっぱさが見てとれるように、シャツの腕がはみ出している。トランクを開けると、中には衣服や旅行道具がいくらか入っているだけだった。わずかにそれらの衣服をめくってみたが、二重底になっているわけでもなさそうだ。
着替えだけを取り出して、元あったようにトランクを戻し、クローゼットを閉じる。もう一度部屋を見回したが、めぼしいものは出ていなかった。カーテンの裏にも何もない。
テーブルの上の空の瓶やコップを見ると、椅子を引っ張りだしてそこに着替えを置く。
それから膝をつき、腰を曲げ、ベッドの下へと目を滑らせた。
目を動かした先に、黒い革のバッグが無造作に突っ込まれていることに気が付いた。大体の場所を覚え、そっと引きだす。
バッグはどこでも見るようなタイプだ。誰が持っていてもおかしくないもので、少しばかり使いこまれた形跡がある以外は変わったことはない。おもむろにバッグについたチャックの金属に手をかける。一気に引くと、中を開いた。
中身が姿を現したとき、ルードヴィッヒは思わず片眉をあげた。
バッグの中には、大量の札束がこれまた無造作に入れられていたのだ。
唇を舐め、札束を掻き分けて横に内ポケットがないかどうかを探った。二重底になっていないかどうかも確かめる。代わりに、隅のほうによけてあった小袋を開けると、ペンダントや指輪といった宝石類が入っていた。
他には何もなかった。
元あったようにバッグを閉じて、同じ場所へと突っ込む。かすかな違和感もないよう、細心の注意を配った。
視線を巡らせ、他にカバンのようなものがないかを隅々まで探し回る。天井や床板の軋んだところまで探し回ったものの、それらしいものはついぞ見当たらなかった。
手袋を外してポケットに突っ込むと、もう一度部屋の中を見回した。不審な点はないはずだ。着替えを持って部屋を出ると、鍵をかけた。受付へと向かう。
「ありがとうございます」
女将へにこやかに鍵を返し、ルードヴィッヒもまた女将のにこやかな顔を受ける。彼女は何も気付いていないようだった。
「そうそう、靴を探しておいたよ」
女将は鍵をもとに戻すと、しゃがみこんで靴を取りあげた。茶色の靴で、少々痛みが目立つ。はきつぶされていないことだけが奇跡だ。
「サイズが合うかどうかはわからないけどねえ」
ルードヴィッヒは苦笑した。靴を受け取る。
「いえ、充分です。あとは商店のある場所を教えていただければね」
「あ、それとねえ」
「はい?」
女将はカウンターの隅に置かれた箱を手にとった。
「シェリーさんのことだけど、”吸血鬼殺し”を置いといた方がいいんじゃないかと思ってね、なんたって今は怪我をしてるわけだし、手が足りないんだろう。レプリカだけどひょっとしたら御利益はあるかもしれないから。今じゃこんなの置いてるのなんてうちだけだよ」
「……はい?」
「あたしとしては、ひょっとしてあのシスターが斃してくれたんじゃないかって思ってるけどさ。うちにあるレプリカにもおんなじような力があったりするんじゃないかと思ってね」
そこで女将が口を開けて笑った。
「”吸血鬼殺し”のレプリカがあるんですか?」
「ああ、そうだよ。さすがに本物と違って刺したり切ったりはできないけどね。百年前に吸血鬼が斃されたあと、教会でお守りとして幾つか作られたみたいなんだ。かなり昔の代物だし、今も持ってるのはうちぐらいだっていう自信があるよ。確か、あたしのおばあさんかおじいさんが貰ったもので、うちのお守り代わりにしてあるんだ。あたしも本物を何度か見てるけど、最初に見たときは感動したよ。何から何までそっくりだったもの」
ルードヴィッヒは途中から聞いていなかった。ただ目をじっと箱へと向けていた。ようやく女将の話がひと段落ついたとき、ほらこれだよ、と箱を開けるのを覚えていてくれたのが幸いだ。箱の中には、小型のレプリカナイフが収納されている。
アドルフの体を貫いていたそれと比べると、ずいぶんと小さいが綺麗なものだった。銀色の見事な短剣は、本物とくらべるといささか安物感があるものの、作りに対しては遜色ないと言ってよい。持ち手部分の見事な金の装飾がひとめでわかったし、はめ込まれている金細工もきちんと自分の持ち場におさまっている。レプリカにしても、金が発見されるずっと前、まだこの辺りが小さな山村であっただろう頃に作られたものとしては、随分と凝った作りだった。吸血鬼に対抗するために、どれほどの願いを籠められたものなのだろう。
「本物と比べると、ペーパーナイフにもならないみたいだけどねえ」
ルードヴィッヒが見覚えのない箇所がいくつかあり、それはすべて金色で作られたところだった。きっと本物と見比べてみればさらにはっきりするだろう。
「そうですねえ、それでも保存状態がいい。本物はやっぱりところどころ剥げたり痛んだりしてました?」
「いいや? ちゃんと厳重に保管されてたから、そんなことはないと思うけどね」
「そうですか。いや、僕の観察眼もまだまだですね」
ルードヴィッヒはにこりと笑んだ。
「こちらはありがたくお借りいたします」
箱を引きとり、しれりとした態度を貫く。
頭を下げ、そうして何事もなかったように宿屋を後にする。
そうして扉を閉めると、すぐさますべての荷物を近くに置き、紙とペンを取り出した。箱を台代わりにして、ペンライトを口で挟み、小さな灯りの中で文章を書きつける。
その近くの木の上では、小さなフクロウがじっと手紙を書き終えるのを待っていた。
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