20.探偵の敗北

 ルードヴィッヒは渋い顔をして、すっかりうちのめされていた。

 だがそれよりも、神父はもっとひどかった。

 膝をつき、茫然と目の前の遺体を見下ろし、言葉は呻き声にしかならなかった。教会にとってもっとも名誉なことは、信仰に殉じること。信仰を英雄的なまでに昇華したもの。彼女はそれもままならぬうちに凶弾に倒れたのだ。


 シスター・エリスの死体は、とても安らかだった。

 敵意も恐怖も、微塵も感じられない。。

 少しの苦痛もないままに逝ってしまったのならば、それはただひとつの救いに思えた。それを証明するように、表情はそれほど崩れていない。腕は投げだされたままで、首からさげられた十字架は土の上に流れるように転がっている。これじたいがひとつの芸術作品であるかのようだ。銃で撃たれた跡さえなければ。

 修道服はべったりと血で汚れ、生々しい。撃たれて、崩れ落ちるように倒れたのだろう。そうして犯人はまんまと逃げおおせたというわけだ。

 ヨハネス神父は顔を覆い、もはや聖職者としての立場など忘れ去ってしまったようだ。


「わたしは……わたしは、彼女に……彼女の両親に……なんとお詫びすれば……」


 声は悲痛に震えている。


「わたしはただ、エリスを守りたかった……だけなのに……!」


 泣き崩れる姿は、見ていられるものではない。


「こんな、こんな姿に……わたしが、力づくでとめていれば……」


 ルードヴィッヒは彼を泣くままにしておいた。嘆いても事実は変わらないが、せめて死者のために悼む時間は必要だった。嘆きは森の中で小さく響いている。

 ヨハネスはやがて涙を拭きとると、十字を切った。

 何度も何度も呼吸を繰り返し、肩を上下させる。小さくうめきながら立ち上がると、落ち着かせるように大きく息をした。振り返る。


「申し訳ありません……」


 彼が謝ったのは、いったい何に対してなのか。

 ひどい顔だった。死者への悼みと後悔のないまぜになった顔だ。

 彼は次の言葉に詰まってから、ようやっと声を絞りだした。


「る、ルードヴィッヒさん。これは、殺人です」


 ヨハネスはつっかえつっかえ言う。


「まごうことなく殺人です……、エリスは明らかに、だ、誰かに殺されたのです……、いったい、いったい誰の仕業なのですか?」

「はっきりとしたことはまだ申し上げることができません」


 ルードヴィッヒは彼の肩を叩き、宥めて言った。


「ですが、これは僕の責任でもあるかもしれない。出来る限り、僕にやれることをやらせていただきます」

「それは……どういうことですか?」


 ヨハネスはすがるようにルードヴィッヒの腕を掴む。


「あなたは、エリスを殺した者について……もう何かを知っているんですか?」

「まだ申し上げることはできませんと言ったはずです」


 ルードヴィッヒは繰り返す。


「しかし、そのためにはあなたの協力が不可欠です。先ほどあなたは、旧聖堂で何かに気付いたはずですね。それ以外についても、あなたはもうとっくに気付いていることがあるはずです」

「そ、そんな。気付いているといわれても……」


 ヨハネスは明らかに狼狽を示した。


「……ヨハネスさん。たとえば、”吸血鬼殺し”が勝手に動いて吸血鬼を斃した、などという世迷言をいう者がいるようですが、そんなことはありえないと僕は思っています。アドルフさんが吸血鬼だったのならば、絶対に旧聖堂にひとりでは入れなかったのです。なぜならまだあれは教会のものである以上に、他ならぬあなたの管理下にあったからだ。吸血鬼の特徴をお忘れですか?」

「わ、わたしは……」

「……今わかっているのは、エリスさんが殺された、その事実だけです」


 ルードヴィッヒはヨハネスの手をそっと外した。

 そうしてその背を軽く撫でてやる。


「検死が必要です。それから中に弾が残っていれば……。ギヨーム先生のところへ一度戻らねばなりません」

「ええ……、ええ。これ以上彼女をこんなところに置いておけはしない……」


 外された手をぐっと握る。血管が浮かび、僅かに震えていた。

 ルードヴィッヒはその様子をじっと見てから踵を返す。


「探偵さん」


 呼ばれ、立ち止まる。


「はい」


 振り向くと、彼はいまだ同じ恰好で立っていた。


「……ルードヴィッヒさん。もしよろしければ……」


 黙ったまま、続きを待つ。


「……もしよろしければ、明日、話をさせてください。お暇ができたら聖堂へいらっしゃってください」

「わかりました」


 ルードヴィッヒは頷き、ふたたび歩きだした。

 そのさまはまるで、事実から背を向けるようでもあった。

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